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闇を乞う水 (20)

 ぎりっ、と兵介は痛みとともに奥歯をかみしめる。


「小太郎、感覚を研ぎ澄ませろ!」


 不穏な気配の広がる闇に向かって、兵介は声を上げた。


 とにかくこれ以上傷を負わないことだけで精いっぱいだった小太郎の耳に、兵介の怒鳴り声が入って来る。頼りになる年長者の声で、小太郎は多少ではあるものの、落ち着きを取り戻した。


 風が揺れている。

 空気を切り裂く音がする。


 仲間たちに背を向ける状態になっていた小太郎は、自分のほうへ一直線にやってくる何かの存在を察知した。

 それが何かを考えるまでもなく、小太郎はその場に膝をつき、低い体勢になった。

 頭上を熱気を振りまきながら何かが飛んで行った、と見る間に、小太郎を追い詰めていた山伏が悲鳴を上げて後ろへはじかれた。


「手裏剣!」


 まがうことなく、牡丹の手裏剣である。

 再び風を切る音がした。

 今度は確信をもって、小太郎は左によけた。


 第二弾の手裏剣は先ほどのように不意打ちの役割を果たせず、怒りに任せた山伏のひと打ちで叩き落された。熱せられた鉄の放つぼんやりとした光が、山伏の顔を照らす。


 憤怒に満ちた赤い目の下にある、大きな口は片一方が耳まで裂けていた。牡丹の第一投で切り裂かれたものに違いない。

 血の痛みよりも牡丹への怒りを燃やした山伏は、牡丹へと突撃するが――


「【風舞】」


 山伏の行動よりも先に、小太郎の短刀が浅黒い喉を掻き切っていた。


 ようやく視界が晴れた。


 自分が置かれている状況を、風と共に駆け抜けながら、小太郎は瞬時に把握する。

 素早く兵介の刀を拾い、放り投げた。


 兵介は受け取ると同時に、【白閃】のきらめきで山伏の首の血管を断った。切れた手首よりも勢いの良い血潮が噴き出て、兵介の精悍な顔を濡らす。


「だだだ、大丈夫!? 兵介っ!?」

「食われてるのかよっ!」

「…………大丈夫はこっちが言いたい」


 顔にしたたり落ちる血をぬぐって、太ももに食い込んだ山伏の歯を抜いた。


「お前らは、俺の指示を聞いていたのか?」


 静かで、それだけに兵介の言葉は恐ろしい。


「どこで失敗したかわかるか? 小太郎?」

「兵介の指を見ていなかった」

「ああそうだ、お前は俺の言葉に惑わされたな。相手を惑わすための策に、自分が溺れてどうする」


「……ごめんなさい」


「牡丹、お前はどうだ?」

「あたしはちゃんと左をやったじゃないっ!」

「俺は、樹上を狙えなんて一言も言っていないだろ? 目の前の敵だ。お前はそんなに背が高いのか?」

「分かんないわよ、そんなの」


 牡丹はぶすっと膨れた。


 勢いよくまくしたてないのは、自分に非があるからだと分かっているためだ。たとえ誰が相手であろうとも、頭を下げるのを快しとしないのが牡丹の性格だった。

 その傲慢ともいえる性格は、敵を作る一方で、一部からは熱狂的な好意を向けられやすい。


「間違えたなら、せめて正確に狙え」


 牡丹は目を丸くした。


「当たらなかったの?」

「小太郎に命中するところだった」


 冷静に返されて、牡丹はさらに口元を前にとがらせた。


「それくらいよけてよね」

「はあ? なんで俺がお前のしりぬぐいをしなきゃならねえんだよ。命中率を上げりゃあいい話じゃねえか」

「小太郎はすばしっこいのだけが取り柄でしょ」

「だけってなんだよ」


 隙さえあれば年少組はぎゃあぎゃあとじゃれあいにも似た小競り合いを始める。兵介がため息と苛立ちと怒りの混じったため息を吐き、それから声を張り上げようとしたときに、三人の前にふわりと白い影が降り立った。


「うにゃあ、ここも血なまぐさいにゃあ」


 真っ白い着物から真っ白い四肢をのぞかせた艶やかな姿はシロである。雨に濡れた体をゆすって水滴を飛ばす。


「手助けをしようかと思っていたけど、いらにゃかったみたいだにゃ」

「……何用だ」


 にへらと笑うシロに、兵介は冷たく問いかけた。普段から吊り上がった精悍な瞳が、この正体不明の美女に対するときはさらに吊り上がり、奥に敵意を宿す。

 その冴え冴えとした空気は、小太郎と牡丹を怯えさせるには十分だが、それさえもシロには効果を発していないようだ。能天気な笑顔を崩さないままに、シロは言葉をつづける。


「からすどもに囲まれて、苦戦しているだろうと助けにきたんだにゃ。すまにゃかった、君たちの実力を甘く見ていたにゃ。まさか、ほとんど無傷で全部倒すとは想像していにゃかった」


 言って、ちろりと最後に命を落とした山伏に目をやった。

 鋭くとがった牙に、血の跡と肉片が挟まっている。


 一瞬、シロは何かを言いたそうに目を細めたが、すぐに普段の表情へと戻した。


「それと、お土産だにゃ」


 言葉と同時に放られたそれを、小太郎は慌てて拾った。


「ねえ、それって……」


 小太郎の手を覗き込んで牡丹が小さくつぶやく。

 小太郎もかすかに声を漏らし、兵介も眉毛をぴくりと動かした。


「喜平に何をした?」


 小太郎の手の中にあるのは、ひとつの瓢箪だった。

 喜平が腰からずらりとぶら下げていたたくさんの瓢箪――そのひとつがここにある。それが何を意味するのか、年少組はともかく、兵介は気づいたのだ。


 返答次第では斬る、という強い意志に見つめられて、シロは困ったように眉を下げた。


「にゃにもしてにゃいにゃ」


 厳密にいえば喜平の血を飲んではいるが、シロにとってそれは責められるような「何か」ではない。


「にゃにもさせてもらえにゃかった」

「……ふん。斬られ損ねたか、化け物め」


 兵介は冷たく吐き捨てた。

 四人の忍者たちの年長者二人、兵介と喜平が自分に敵意を向けてくるのをシロは当然理解しているのだろう、はじめのころに浮かべていた当惑の表情さえも見せなくなっている。それどころか、聞き分けのない子供を見守るようなあたたかな視線に変わっていた。


 いや、シロにしてみれば、彼らの仲間の一人が死にゆくところを目の当たりにしてきたのだ。

 兵介の冷たい口ぶりも、意地を張る子供のようなものなのかもしれない。


「喜平はどこ!?」

「もう戻ろうぜ」


 目の前の敵を倒し、安心すると同時に忘れていた喜平の存在が小太郎と牡丹の心に浮かんできた。たちまちいてもたってもいられなくなった二人が、兵介の制止も聞かずにかけていく様を小さなため息とともに見送って、兵介は血にまみれた己の刀を懐紙でぬぐった。

 思い出したように雨の音が鼓膜を打つ。


「……何か言いたげだな」


 いくつもの山伏の屍が積み重なった中、兵介の周囲だけ奇妙に静謐だった。

 血の匂いも雨の音も雨粒も、兵介の周囲には届いていないように見えた。


「追わにゃくていいのか?」

「あいつらも単純だが考える頭はある。やみくもに突っ込みはしない」


 刀の錆と鈍りの原因になる血脂を丁寧にふき取り、兵介はきん、と音を立てて刀を鞘に納めた。

 髪は乱れ、衣服は血と汗と泥にまみれた無残な姿にもかかわらず、きれいに手入れされた刀であることが、かえって兵介の凄みを引き立てる。


「痛いのかにゃ?」

「…………」


 兵介は無言で駆けだした。

 昼間見た時と変わらない、よく訓練された走りである。


「余計なことを言うなら」


 ぽつりと口にした兵介の精悍な横顔には強烈な意思が刻まれている。


「斬る」

「おっそろしいにゃあ」


 言葉とは裏腹にシロは軽薄に笑った。

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