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闇を乞う水 (14)

 知られないことが何倍、何十倍もの効果を生み出す喜平の能力【水鏡】。

 本来であれば深く秘しているべき術だった。


 しかし、甲賀を出てから、外で奇妙な生き物たちと戦うときに、喜平は何度か【水鏡】を使った。使ってしまった。己の不用意な行動を悔やむ思いがわずかに頭をよぎるが、いまさら考えても仕方がないことだ。


 【水鏡】を使い、喜平は天井まで泳ぐ。


 天井でさらに水を追加して、行動範囲をさらに広げる。

 天井に潜み、【水鏡】の奥から喜平は紅を見下ろした。沢山のたいまつに照らされて、紅は白い頬にゆらゆらと影を浮かべていた。焼けつくような暑さが天井に舞い上がる。

 春先の、まだ寒さの残る時期とはいえ、この量は異常だった。


 あぶられるような熱気の中、紅はそれでも涼しい表情のまま、汗ひとつかいた様子もない。

 天井から壁に滴る水面の中へ、喜平は静かに移動した。寸鉄を握る手に力を込めて、喜平は表情を冷徹な暗殺者のそれへと変える。


 殺意も敵意もすべて喜平の細い体に押しこめた。

 水の中から飛び出して、喜平は紅へと向かう。相手は今、たくさんのたいまつを順に眺めて、喜平のほうに目を向ける様子もない。


 だが――


「……っ!?」


 紅がぐりん、と顔を喜平に向けた。

 血に飢えた目が光り、片方の唇がきゅっと上がる。

 振り下ろされた斧の勢いを、短い寸鉄でどうにかそらして、喜平は対面の壁へ飛んだ。


「見えねえと思っただろ? ざーんねん、俺には手に取るようにわかるんだよ。喜平君のことならなんでもな」

「炎か」


 呻いて、喜平は瓢箪の水を撒いて身を沈めた。


「けけっ、邪魔だろう。消してみるか、この火をよ。命ともいえる水とどっちが大切かなあ?」

「……ずいぶんと詳しいな」


 【水鏡】の中を移動しながら喜平は言った。

 火を灯したのは、不意に姿を現す自分の存在を察知するためだ。どこから姿を現すのかわからない以上、目で追うのは無駄なことだ。だから、炎を焚いて、炎の揺らぎで動きを検知したのであろう。

 それならば、紅が気をつけるべきは足元まで水がやってこないように見張っているだけで、あとは炎を見つめていればよい。


 そもそもが達人級の紅だ。難しいことではないだろう。


 さらに――

 【水鏡】を泳ぐ喜平はもうひとつ、紅の狙いに気づいた。


「悠長なことはしてらんねえぞ、喜平くん?」


 紅が喜平の心を読んだかのように声を投げる。


「水だって、ずっと水じゃねえ」


 気づいたとき、さすがの喜平も冷や汗がにじんだ。

 まいたばかりの水は、すでにその領域を縮めつつあったのである。水で作られた喜平の空間【水鏡】は、熱気の中、急速に水蒸気へと変わっていた。

 喜平の行動範囲は、瞬く間に狭く、小さくなっていた。


 ――おかしい。


 そう思わずにはいられなかった。

 手回しが良すぎる。あまりに喜平の能力を知りすぎている。


「……罠は罠でも」

 限られた【水鏡】を移動しながら、喜平は苦い笑いを浮かべた。

「できすぎだ」


 罠だということは承知していた。承知の上でやってきたはずだが、この罠はあまりに喜平に特化していた。


 兵介ならば【白閃】ですべてを瞬きの間に斬り捨てるだろう。

 小太郎の【風舞】は、いたるところに灯りがあってもすべてをかわし切るだろう。

 牡丹は――彼女については言うまでもない。【赤花】に勝てる炎など、地獄で燃える炎以外にあり得ない。

 ただ一人、喜平だけが苦戦する、そんな道具立てだった。


 残り少ない水をぶちまけて囮にすると、喜平は乾きかけた水面から身を躍らせて、紅の首を狙う――だが、待っていたように紅は斧をぶん回して、進路を阻む。

 風圧で喜平の肩の肉が裂けた。


「うひゃっ!」


 喜平から飛び散る血を、紅はとろけそうな目で眺めている。

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