闇を乞う水(10)
時は二日ほどさかのぼる――
どこか冷え冷えとした空気の漂う広い屋敷で、四人の少年少女は平伏していた。
甲賀の頭領たる男の屋敷である。
まだ夜も明けきらぬ前、日夜過酷な修行を続ける忍者たちが眠りについた時分に、そろって呼び出された四人の体には、程度の差こそあれ、等しく緊張が流れていた。それは、実子である牡丹であっても例外ではない。
まして、遠目にその姿を見かけることしかなかった小太郎にとって、頭領から発せられる強烈な威圧感に、ほとんど本能的に頭を下げていた。
「兵介、喜平、小太郎、牡丹――顔をあげよ」
「はっ」
四人はゆっくりと顔をあげて、自分たちの里の頭領を見た。両目の奥から発せられる光は鋭く、四人は一斉にごくりと唾をのんだ。
「お前たち四人の噂は儂の耳にもよう届いておる、若くして末恐ろしい才能の持ち主たちだとな」
「未熟者ゆえ、汗顔の至りにございまする」
年長者たる兵介が丁寧に答えて、深く頭を下げると、喜平も合わせてお辞儀をして、その様子を見た小太郎と牡丹が慌てて右に倣う。
「そう謙遜せずともよい。儂もお前たちの修行の様子をここのところ観察しておったが、実に素晴らしいというほかない。兵介」
「はっ」
「相手を目にもとまらぬ一瞬で斬り捨てる忍術【白閃】、見事じゃ。またその剣技、お前ほどの若さでその域に達するまでには並々ならぬ努力が必要だったであろう」
「光栄に存じまする」
「喜平」
「はい」
「水に濡れた場所であればどこにでも身を没し、相手に検知されぬうちに忍びこみ、また攻撃に転ずることのできる忍術【水鏡】。驚嘆の極み。誰もがお前の存在を恐れることだろう」
「ありがとうございます」
「小太郎」
「はいっ」
「風のように速く、自在に駆け回る忍術【風舞】、賞賛に値する。疾風迅雷のその動き、これからの任務の遂行に不可欠であろう」
「うれしいですっ」
「牡丹」
「はい」
「すべてのものを燃やし尽くすほどの炎を操る忍術【赤花】、その威力のほどはあえて口に出すまでもあるまい。その恐ろしさは儂よりも里の人間たちがよく知っているだろう」
「これからも精進いたします」
礼儀正しく、穏やかに、嬉しそうに、殊勝に――頭領から褒められた時の四人の返答は別々だが、その表情は一様に誇らしげである。
当然だ。
彼らの目の前にいるのは、この甲賀の里の頭領にして、絶対的な力を持つ偉大な忍者なのだから。里でも随一の能力を持つといわれる牡丹でさえも、頭領には勝てない。
異名【百式】と呼ばれる彼の忍術は多岐に渡る。
里の重鎮たちでさえもすべての忍術を把握している者はないという。
口元はいかにも硬そうな髭に覆われて、唇の動きを読み取れない。
頭領にかかると、その口中ですらも忍術の種に変わる。
髭の奥に何が隠されているのか、四人には知る由もないが。
「……さて、お前たちを今日ここに呼び出したのは、こなしてもらいたい任務があるからだ」
四人の年若い忍者たちの間で空気が揺れた。
「非常に困難だが、非常に重要で、今後のわれら一族の命運を決める任務だ。儂の見立てでは、遂行する能力を持つのはお前たち四人以外にない」
「――その任務とは?」
「さるお方の屋敷から、あるものを盗み出してきてほしいのだ」
「盗み!?」
条件反射的に声を上げた牡丹は、実の父親である頭領にじろりとねめつけられて、すぐに座りなおす。
「盗みとはいっても、合意の下だ。身分高いある方と儂はひとつの賭けをしたのだ。つまり、厳重に見張られた屋敷に忍びこみ、見とがめられずに宝を盗み出すことはできるや否や」
「…………」
「別の言い方をするならば、蟻一匹とおさないような場所に忍びこみ、目的を果たせる能力を持つ人間がわれら一族に存在するや否や」
頭領は居住まいを正し、状況を飲み込みかけた四人の若者をゆっくりと眺めた。鋭い視線が四人の顔に刺さる。品定めをしているような視線だが、それでも頭領の目にかなったのだと思えば、かえって嬉しく思えるほどだ。
「賭けとは言っているが、これはわれらを試しているに等しい。われらの能力のほどを推し量ろうとしてるのだ。実際、その方はこの賭けにわれらが勝ち、指定されたものをすべてこの甲賀の里へ持ち帰ったならば、われらを丸ごと召し抱えてもよい、とおっしゃられた」
「……それは……」
兵介がかすれた声をだした。
「暗がりで己の力をひたすら磨いていた努力が報われる時が来たのだ。われらは、日の当たる場所で戦うことができるのだ」
四人は思わず身を乗り出した。
自分の能力を磨き上げることが嫌いなわけではない。努力の分だけ自分の力となって返ってくる修行は、それなりにやりがいもあった。だが、どんなに強くなったところで、認めてくれる権力者がいなければ、歴史の表舞台に立つことなど夢のまた夢だ。
「われら一族の繁栄を背負うことができるのは、お前たち四人だと儂は確信しておる!」
「はっ!」
興奮に顔を紅潮させて、四人は深く頭を下げた。
――目的地は三か所である、としばしの沈黙ののち、頭領は口を開いた。
「若狭、播磨、そして吉野だ」
忍術修行の一環である座学で学んだ知識を、小太郎は必死に思い出す。
情報収集の際に、あらゆる種類の人間・職業に成りすまさねばならないため、座学も忍者としては必要な修行なのだ。
若狭はここ、甲賀の里からは北西に向かったところで、播磨は西、吉野は確か南のほうだった。一日に百里走る忍者とはいえ、それなりの距離である。
「目的とすべきものは、それぞれの地に建つ屋敷の中に秘されている。若狭は武田氏、黒曜石の珠」
「武田信賢様か」
兵介がつぶやいた。
元々は一色氏の治める土地だったが、先代将軍の不興を買い、十年程前に領主が武田氏へ替わっていたはずだ。
頭領はうなずいて、再び口を開いた。
「播磨は山名氏、真珠の珠」
山名持豊である。
山名宗全とも呼ばれるその男は僧形でありながらも、性質は勇猛果敢にして豪胆。五十は過ぎているだろうに、血色の良い赤ら顔をしていて、ついたあだ名は赤入道だ。
播磨はもと、赤松氏の領地だったが、先代将軍の暗殺事件――後年でいうところの嘉吉の乱の首謀者である赤松氏は領土を没収され、赤入道の支配下にある。
「南は――名は知らぬ。南朝の後胤の身を隠されている場所」
「……天皇の御身に?」
喜平が心なしか目を丸くしてぽつりと言った。
いわゆる南北朝時代、天皇家は京の北朝と吉野の南朝とに分かれ、互いに己の正統性を主張し合っていたのである。
現在は、幕府の庇護――あるいは支配下――にある北朝が影響力を強めていた。
「そうだ、この室町の御所ができてから、めっきり話を聞くことはなくなっていたが、南朝の御後胤とその付き人は、吉野に身を隠されておられるそうだ。その南の御所に、柘榴石の珠」
「盗むものは、その三つの珠でしょうか?」
「いずれ劣らぬ稀少な宝玉、それを盗み出すとなると、厳重な警戒をかいくぐらねばならぬ。時には、危険な目に合うこともあるだろう。だが、そなたたちならば、必ず任務を果たせると儂は確信しておる。そなたたちの働き如何で、われら一族の命運が決まる。心して臨め」
「はっ!」
四人は一斉に平伏した。
「それから」
頭を下げたままの四人に顔をあげるように優しく伝えて、頭領はゆっくりと続けた。
「お前たちの左手の甲に印を刻ませてもらう。これは、儂がそのお方と約した四人の手練れが確かにお前たちであると示すためのものだ。まさかとは思うが、ほかの人間を同行させてはいかん」
「足手まといになるのがわかってて、連れていくわけないじゃない」
牡丹がこそりと小太郎に言って、小さな舌を出して見せた。
歯に衣着せぬ物言いは、里で一番の能力者だという自負によるものか。自身の能力のすさまじさに反して、牡丹は自分の習得できないような、才能と努力の結果による能力を持っている者に対しては、限りのない敬意を払うのに対し、努力の不足により能力の劣る人間に対し、とことんまで辛辣になる傾向があった。
隣に座る兵介と喜平は少なくとも牡丹が過剰なまでの敬意を払う実力者である。
ともあれ、奇妙な印を刻まれた左手の甲とともに彼らは出立した。
時は一四四五年。
室町幕府の陰りが見え始めたころである。




