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闇を乞う水 (1)

 春の気配の漂う、森深い山中をまるで颯のように駆けぬけていく四つの影があった。

 驚くべくほど速いのに、また、驚くべくほど静かである。

 一陣の風に似て、だが風が吹き抜けたほどの音も後には残さない。


「おおーい、小太郎」


 若い男の声に呼び止められて、先行していたひとつの影が速度を緩めた。


「そこまで飛ばすこともあるまい。まだ先は長いのだ、あまり気負ってはいかんぞ」

「でも――」


 小太郎と呼ばれた人影は、残りの三つに並走するように速度を落とす。年のころは十五、六だろうか、幼さの残る焼けた顔をあからさまに不満そうにゆがめて口を尖らせた。


「お頭は、事は一刻を争うと」

「小太郎、お前の足にずっとついていける者など、我々の中にいないのだぞ? 一人ですべてを片付けるつもりなのか? 大した自負だな」


 諭すように、諫めるように言うその人物もまだ若い、こっちは二十を少し出たくらいだろうか、端整な引き締まった顔立ちで、髪は髷を結っている。


「焦る気持ちもわかるけど、兵介の言うとおりだ。小太郎だって、これから三国を回ろうというのにずっと忍術を使い続けられないだろ? 俺だって、ほかのみんなだってそうだ。至上命令は、任務を果たすこと、焦って失敗したら元も子もない」


 やや強い口調の兵介を補足するように、穏やかな声が後に続いた。目じりも眉毛も困ったような下がり気味のその少年は、口元にうっすらと笑みを浮かべて、優しげな表情で小太郎を見つめている。年は二十に行くか行かないか、小太郎よりは年長ではあるが、兵介よりも年下といったところだ。蓬髪の前髪は、常に細めた目の半分ほどを覆っている。


「だーかーらあ、見せつけんなって言ってんのよ! 足が速いから何? ただそれだけじゃない、よかったわねえ、あたしたちに勝てるところを見つけられて。兵介も喜平も優しく言ってくれているけど、結局はそういうことなんだからね?」


 最後にわめいたのは、唯一の少女である。

 年は小太郎と同じくらいだろう、山中を走りやすいように地味な色合いの着物を身に着けているが、その肌の白さと相まって、薄暗い山中にぱっと灯がともったような美少女だ。きりきりと眉を吊り上げて、畳みかけるように攻め立てる性格はいつものことだが、彼女に恋する人たちは、それがまた長所だという。


「少し休むぞ、牡丹がつかれているようだ」

「バカ言わないでよ、兵介!」


 声だけは威勢がいいものの、確かに牡丹の息は上がり、白く滑らかな肌にはぽつぽつと汗の玉が吹きだしている。


「そうしよう、俺もさすがに疲れた」

「――わかった」


 喜平の目配せに、小太郎も渋々ながらうなずいた。


「あーあ、あたしは全っ然平気だけど、喜平がそう言うなら仕方ないわ」


 あからさまな強がりを口にしながら、牡丹は勢いよく地面に腰を下ろした。


「余計な口をきくと無駄に疲れるぞ」


 喜平の気配りと対照的に、野暮そのものの堅苦しい口調で兵介が告げる。

 すかさず牡丹は目を吊り上げて、何かを言い返そうと口を開きかけるが、それよりも先に兵介が背中に巻いた風呂敷の中から握り飯を取りだして牡丹に目の前に出した。

 牡丹の目が現金に輝く。



「あとどれくらいかかるの?」


 先ほどまでの不機嫌はどこへやら、幸せそうに握り飯を頬張りながら牡丹がたずねた。


「あたし、甲賀を出るの生まれて初めて」

「皆そうだ」


 水を一口飲んだだけで、兵介は木に寄りかかるように立って軽く目を閉じている。腰から下げた刀はなかなかの重量があるはずなのに、まったく疲れた様子もない。


「若狭まであと一日半ってところか。小太郎が飛ばしすぎたが、その分距離は稼げた」

「じゃあ、このまま急いでいこうよ、そしたら一日もかからねえだろ」

「だから、小太郎の足についていったら、俺たちは若狭につくころにはへとへとだ。お頭は、みんなで使命を果たすように言ったんだから、あまり一人で気負うことはないんだよ」


 地面に座って次々と握り飯を胃におさめていく小太郎と牡丹、二人の年少者とは対照的に、兵介と喜平は、向かい合うようにして立っている。二人は水しか口にしていないことも、その立ち位置がいざというときに年少者を守ることができるようになっているのも、小太郎と牡丹は気づいていない。


「……」


 無邪気としか例えようもない二人を一瞥し、それから兵介は知らず知らず、己の手の甲を見た。まるで逆向きの鏡のように、喜平も同じ動作をしていることに気づき、顔をあげた。互いに、目を合わせて苦笑をする。


 手の甲に描かれているのは、奇妙な模様だ。文字のようにも見えなくもないが、一般に使われているそれとはまったく異なり、意味を取ることはできない。


「お頭は」

 じゃれ合いのような口喧嘩をつづける小太郎と牡丹に聞かれないように、兵介は口の動きだけで喜平に語りかけた。

「どういうつもりでこの印を俺たちの手に描いたのだろうか」


 ひっそりと笑みを浮かべたまま、喜平は静かに首を振った。


「分からない。でも、何かしらの意味はあるのだろう。じっくりと見てはいないけど、ひとりひとり描かれている模様が微妙に異なっているからね。それに――」


 喜平の口が途中で動きを止めた。


「……ああ、分かっている」


 兵介の目は、いささかの揺らぎも見せない。

 その目のまま、その表情のまま腰の刀を、風を切る音とともに抜き放った。

 同時に聞こえた水音は、喜平が腰から下げていた瓢箪の中身を周囲に撒いた音だ。


「なっ、何!? どうしたの?」

「下がれ!」


 ようやく異常に気づいた年少者二人が兵介に言われるまま、一歩二歩後ろに下がったその眼前を、獣の小ぶりな手足、胴体、頭がぱらぱらと振ってきた。


「小太郎はとにかく牡丹を守れ! 牡丹は手を出すな!」


 珍しい喜平の荒げた声を聴いて、年少者二人はようやく何者かに襲撃されていることを知った。そして、兵介はすでに居合抜き【白閃】により、相手の一角を崩し、喜平も戦闘準備が完了していることも。


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