07
口の中で鈍い音がして、鉄錆の味が広がる。痛い。どこが痛いのかわからないけど、熱さや衝撃なんかじゃごまかしきれない紛れもない痛みだった。もうその一撃でこちらの意思なんてもうぐだぐだだ。でも、そんなんじゃ終わらない。
次に腹を蹴飛ばされそうになって、あの勢いで食らったら本当に命に関わると思って必死に身を捩った。
常時、生き恥さらして申し訳のうございます的スタンスで生きている私だが、やっぱり痛いことは怖いのである。
身を捩った私は、骨盤の辺りを蹴られたらしい。
驚いたことに、彼らは一言も声を出さなかった。それだけで、彼らの本気は嫌と言うほど伝わってきた。
数回食らって見事HPが1までへらされてしまった私に出来ることなどない。ぐったりしていると、乱暴に担ぎ上げられた。それだけでも痛みがハンパ無いというのに、彼らの手には気遣いというものがまったくなかった。
それもあたりまえだな、これから東京湾にボンベなしダイブをさせるつもりの相手にそんなものはまさに無用の長物。
彼らが何者かはまったくわからないが、その意図だけはわかる。
担がれて、部屋から出そうになったときだった。ふいに奴らが足を止めた。
「おま」
先頭に居た一人が、何かを語りかける出だしは聞こえた。それはぶった切られる。その代わり、部屋の外で廊下の柵にぶつかる派手な音がした。それは湿性を伴っていて……多分、誰かがそこに叩きつけられたのだろうとわかる。
いきなり床に放り出され、私はうめいた。折れた、今絶対なにかが折れました。心が折れたとかそういうセンチメンタルなもんじゃなく、物理的に折れた。ひびから骨折にジョブチェンジ。
しかし。うぐうぐイモムシ状態ではいつくばっている私の目の前で、あっと言う間に物事は片付いていた。
先の一人は私の様子にさらに輪をかけた惨い状態で、すでにアパートの廊下に横たわっていた。多分もう失神している。ちらっと、赤い感じのものが見えたが、当方グロ耐性には尋常でなく欠けるので見ないふり。
残りの二人も反撃を一つも許されることなく、叩きのめされていた。脹れあがってきたまぶたをかろうじて開けた私は、月を背に立つその人を見あげる。
敵に回したらアウト。
それだけは肝に銘じようと思う。
夜叉だ。
そこに立つのは、私を探しに来たと思われる藤織さんだった。
ああ、やはりまだ、おぐしが濡れております。風邪を召します。
「どこの連中だ?」
ぞっとするほど低い声で、藤織さんはしゃがみこむ。むせる相手を気遣いもしないで胸倉を掴み上げた。
「彼女がそんな邪魔か?となると、掛井の問題がらみだろう。黙っていても、僕はいずれどこの手のものかは突き止めるぞ」
返り血が藤織さんの頬に一つだけ飛んでいた。その原因となる連中の血まみれっぷりは……。ああ、モザイク!モザイクかけなければ。良い子のみなさんには見せられないグロさ。でも私、男性器の描写以外でモザイクブラシつかったことない!どのくらいかければ印刷屋さんに怒られないかな?
藤織さんは薄く笑った、月光を磨いだような、触れた瞬間に何かが削げ落ちそうな痛みを伴う笑顔だ。
ふと気がつく。彼はきっと。
「帰れ」
私が途中まで考えたときに、藤織さんが三人を軽く足先でこずいた。どうやら、どこの手のものかゲロったらしい。
「帰って主人に伝えろ。僕は、どうあっても、掛井を涼宮の後継者にするつもりだ。それを不愉快に思うのも、納得できないのも自由だが、邪魔は許さん。僕の本気を見たいなら、その余興、楽しませてやるから覚悟しろ、と伝えろ」
よろよろと彼らは立ち上がった。藤織さんはその背中をじっと見送ったあと、部屋に入ってきてそこで痛みに呻く私の横にしゃがみこんだ。
「……掛井は言わなかったのか」
藤織さんは申し訳無さそうだった。
「あんたを狙う人間がいるってこと」
私はなんとか手をついて半身を起こした。痛みで顔をあげることができない。
「言いまひた」
あれ?なんか発音変だ。
「かけひさんは、言いました。シカトしてうちをでたのはわたひのせいです」
「渡辺さん……」
藤織さんは目を見開いた。
「知っていて出かけるバカがいるかー!」
います!ノンストップ、萌え魂!
「僕が来なかったらどうなっていたか知っているか。縛られてあっという間に殺されて山の中だ。君の立場は今は非常に危ういんだ。君が僕のところにいることがばれて、こんなきわどい目に」
海と山の違いか!惜しい!
「今、周囲を固めるべく、僕も努力しているがまだもう少し時間がかかる……どうした?」
私は口の中の固いものを舌で探って発見した。
「ふしほりひゃん、歯がおれまひた」
私は舌先に捕らえた歯を手のひらに吐き出した。
奥歯が一本。
「……あいつら」
逆毛だつような剣呑な声だ。
「女の顔を殴ったのか……!」
いいえ、蹴飛ばされました、といったら死人がでるな、こりゃ……。
「とにかく、医者に行くぞ」
「いけまへん。深夜加算がかかります」
お金ないです。
「そんなこと気にするな」
言った藤織さんがわたしを抱え上げようとしたときだった。
唐突に家の電話がなったのだった。時間は深夜零時過ぎ。こんな時間にかけてくる奴を……わたしは一人しか知らない。
「でんわでます」
「後だ」
「いえ、ひょっとここりょあたりが」
なかなか連絡取れない相手だと思うのだ。
私は古ぼけた電話の受話器をとった。
「もひもひ」
『あ、やっと連絡ついたー!』
いきなり強い口調が飛んできた。
電話の相手は私の予想通りだ。今となっては遺された私のたった一人の親族。
「ねーひゃん」
私はうまく発せられない声でなんとか普通を繕って声をかけた。彼女に心配をかけたくないから。
彼女は私の自慢なんだ。頭がよくて綺麗で、活動的で。立派に社会人として働いていて。私と正反対だからこそ。今だって、アメリカにいるんだぜ。だから変な時間にばかりかけてくる。
「ひさしふりー」
『ここしばらく電話しても出ないし。だから変な時間にかけちゃった!』
「らいじょぶ」
『……なんか、喋り方、変だよ?』
そりゃ奥歯が折れて、唇脹れて、しかも藤織さんが真横にいて、余計なこといったら殺すとばかり、目で恫喝されているから。これで通常だったらどれだけ肝が据わっているのか。
「寝てらから」
『あっ、ごめんね!』
危うく永眠しそうなところであったわけだが。
『まあいいや、元気なら。ねえわたしも最近ちょっと忙しくて様子がわからないんだけど、元気だよね?』
「へんき」
声聞いたら元気になってきた。頑張る気になってきた。
『ちゃんと仕事してる?いつまで仕事選んでいるつもりかわかんないけど、早くどこかにまともに勤めてね!本気出せばきっとできるんだから』
叱責さえありがたい。
「えへへ、頑張る。でねあのね、ひょっとしたらまら連絡とれなくなるへど、だいじょうぶだから。こっちから連絡する。そっひも忙しいだろうしね」
『そう?』
彼女は電話の向こうで明るく笑って電話を切った。あまり電話が長くなるとまずい。私はそっと受話器を置いた。
「……そうか、君にも姉が居たんだな、確か」
藤織さんはぼそりと言った。
心配して電話をくれていたのか……、と呟く彼の口調には後悔があった。
「ちゃんと根回しをしておくべきだった」
そういう問題であろうか……。今は姉妹愛を確認して「無理難題をいってすまなかった」と土下座するところだと思われる。
しかし今は私もそこにつっこむことができなそうだ。限界。
「藤織ひゃん」
私は彼の両腕を掴んだ。
「痛くて気絶しそうれす」