06
そして私は今日も掛井さんと夕飯を食っているという次第だ。
掛井さんも、私に飯など喰らわせるくらいなら、近くの小学校のうさぎににんじんでもくれていたほうがよほど有意義だろうに律儀なお方である。
私は彼が夕飯を作る様子を見ながら、洗濯物を畳んでいた。
洗濯は、藤織さんのものが殆どだ。藤織さんは、私の手助けなど最初から当てにしていないらしく、帰宅してから洗濯をしている。それを干してまではいくのだが、夜遅くの帰宅ではやはり湿っぽくなっているので、ここ二日間ほど私が取り込んでいる。
取り込んだらなんだか畳まないと申し訳ないような気がする。
藤織さんの洗濯物は、ほとんどがワイシャツだ。あとは下着とか数点。パンツはトランクスとボクサーが半々くらい(私的ものすっごい重要事項)。仕事しかしていない生活が垣間見える。しかし、何をやっているのだろうか。一度さすがに夜が遅くて洗濯しそびれたものが置いてあったことがあった。
私が洗ってみたのだが、そのときそのシャツの袖口に、白い粉がたくさんついていた。
なんだ、ヤクか(へー)と思って気にも留めなかった。政治家と暴力団の癒着はよくあるという。不思議を上げるとすれば、そんな末端な仕事を偉そうな藤織さんがしているという意外さだろうか。あの人絶対経済ヤクザだと思うのだ。
というわけで洗濯して抹消。
「渡辺さん、そろそろ御飯にするけど」
今日はちらし寿司にはまぐりの吸い物だ。
「なにかいいことでもあるんですか?」
きらきらしているそれを見て、私はたずねた。
「なんで?」
「いえ、ちらし寿司ってなんかお祝い事っぽいから」
「ああ、別に何も意味はないんだけど。でも藤織さんがこれ好きだから」
なんでそんなこと知っているんですが、萌!
「好物なんて良くご存知ですね。付き合いが長いんですか?」
私はいつになくにこにこしながら話を続ける。いえ、今の一言でも、話は十分膨らませることは可能ですが。火のないところに恋の炎こそ、腐女子の真髄。
「うーん、とびとびで、二十年ってところかな。でも小さいころの藤織さんは、私が声をかけられる存在ではなかったからね」
主従フラグ来ました。ごちそう様です。
従者が掛井さんでワンコ攻め、主人が藤織さんで誘い受けがいい。おかげさまで捗ります。
「でも今でも敬語ですよね」
「どうしたの渡辺さん、なんだか始めてみるくらい生き生きしているけど」
「お気になさらず。さあ続きをさあさあさあ」
最初は反発しあっていたけれど、藤織さんの複雑な家庭事情とかを知って、ほだされる掛井さんという話を期待しております。ああっ、今手元にパソコンがない事が悔しくてたまらない。
「いや、続きもへったくれもないんだけど。二十歳すぎてから、ちゃんと紹介されて、それからなんとなく顔見知りと言う感じだから。あの人があんなに強引だと知っていたらなあ……」
ぽつりと掛井さんは呟いた。
「そもそも私の出番なんてなかったんだけどね」
なんですか、恋のライバルでもいらっしゃるのですか。
すばらしい。こいつは萌えの宝石箱やー!
「どういうことですか?」
「私も、藤織さんのようにいろいろはっきり出来たら、きっと周囲の望むようになれたんだろうと思ってさ」
今私が望んでいることは、きっと数に入っていないことは間違いない。無念。
と玄関で物音がした。なんだろうと思っていると、久しぶりにみる藤織さんが疲れた様子で入ってきた。
「あー、疲れた」
「おかえりなさい」
あわせたわけでもないのだが、私と掛井さんが精一杯愛想のいい返事をする。藤織さんはスーツ姿だった。お定まりではないのにスーツにも似合う素敵なバッグをお持ちである。それを無雑作にソファに放り出してから、藤織さんはセミオープンのキッチンに向かった。
「チラシ寿司か。そういえば、昔はよく作っていたな」
疲労困憊だった藤織さんの声に少し張りが戻る。
やはり、二人は同棲経験があるのだろうか。いや訂正、同居。いややっぱり同棲希望。煩悩隠すまじ、である。
「そうですね」
「で、なにかいいことでもあったのか」
藤織さんは珍しくにこりとする。
「二人で婚姻届でも出しに行ったか」
すごい勢いで忘れていました。
そうでした。私は別にここに妄想とタダメシ食らいのためにいるわけではなかったのだ。藤織さんに「掛井と結婚しろやゴラ」とスイートに脅されている最中であった。
掛井さんの夕飯がおいしかったので忘れていた。若干家族的なノリで親交を深めていた。
ちらりと掛井さんを見ると、はっとしたように掛井さんが表情を戻す。私の液タブにかけてこの人も当初の目的を忘れていたと思われる。
十分な胡散臭さを放つ笑顔でごまかそうと思ったが、私らの思惑など藤織さんにはどうやら駄々漏れであったらしい。
「お前ら……」
彼の表情が曇る。
「僕はお前らの友情を深めるために、連日残業しているわけではない」
しかし、私らの恋愛を進めるために残業しているわけでもなかろう。
「春先はただでさえ、わけわかっていない連中ばかりで手を焼いているのに、お前らまで僕に手を焼かすな」
なるほど、ヤのつく商売も、春は新卒が一杯ということであろうか。新人を教えるのは手間隙がかかるから気苦労お察しする(主に馬鹿丸出しで教わる側として)。私もいくつかバイト先を変えたからその気持ちはよくわかる(覚えたころに居なくなる新人側として)。
「で、渡辺さん」
すくみ上がりたくなるような、氷点下の視線が私に飛んできた。
「その畳み方は違う」
キッチンから戻ってきた藤織さんは、私の向かいに座った。私から洗濯物を取りあげる。
あ、手が綺麗。
そう思うまもなく、藤織さんが私がてこずっていた洗濯物を畳んでいく。私もそれなりに一生懸命だったが、まず洗濯物の四隅の揃い方がハンパではない。なんですかこのおりがみ、と言いたくなるくらいのそろい加減だ。この人パンツで鶴が折れる。
「わし、不器用ですから……」
「九州男児っぽく言えば許されると思うな」
しかし、藤織さんのご自宅は一人暮らしの独身男性とはとても思えないくらい、片付いていると思ったが、やはり性格の問題だな。
最初は女の影でもあるのかと思ったが、どうも片付き方が理数系だ。多分藤織さんの性格なのだろう。彼自身の秩序。
ものすごく何もかもがきちんとしている。
さすがインテリヤクザ(推測でものを言いまくり)。
そんなわけで、今日は珍しく、藤織さんも交えても夕飯となった。
和やか、とは口が裂けても言えない。とりあえずお前ら付き合っちゃえよ的オーラを藤織さんが濃度を上げて発していたので、それで息が詰まるかと思った。せっかくのチラシ寿司も一回しかおかわりできなかった。きれいだったのに。
で、夜半、掛井さんは帰って行った。
多分、掛井さんがいて、私もいつも以上にうすらぼんやりとした顔をさらしていて。
藤織さんも油断していたのだろう。今は忘れているようだ。
先ほど、夕食の準備を手伝うのに邪魔で、期間限定で外してもらった拘束が、復帰していないことを。
藤織さんは現在入浴中であります。
すみません!ちょっと好きBL作家の新刊買いに行ってきます、藤織さん!
逃げるつもりはなかったのだが、別件も思い出して、結局藤織さんに連れ去られた時のアパートまで帰って来てしまった。
しんと静まり返った部屋に鍵を開けて上がりこんだ。
なんだか出かけたときより部屋が綺麗になっている気がする。すくなくとも作りかけのカップラーメンはもう姿がなかった。別件を片付けた後、ついでにいろいろ持って藤織さんちに戻ることにした。
「えーとパソコンを」
私は、デスクトップさえ誰かに見られたくないノートパソコンを、バッグに詰め始めた。そんなに日中DVDばっかり見てられません。イベントに備えて原稿もぼちぼちやっていかないとならないし。
とりあえずパソコンとタブレットがあればなんとかなるであろう。あとはネタが……。神光臨をまつしかない。
新刊も手に入れたし、いそいそと帰ろうとしたときだった。部屋の扉が静かにノックされた。
あれ、藤織さんもう追いついてきたのだろうか。まだ髪の毛が乾いていないのではないか?夜はまだ寒い。風邪を引いてしまう。
そう思いながらも、服従のしるしとして、私は抵抗することなく扉を開けた。私は心はいつだって腹を上に向けているのである(しっぽも千切れんばかりに振っている)。
「ふじお……」
扉を開けた瞬間、乱暴に突き飛ばされた。まったく予想していなかったので私は思い切り床に倒れこんでしまう。ちらりとみた影は、三つ。
藤織さんと掛井さんではない男の人達だ。それを理解した瞬間。
顔を、蹴飛ばされた。