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49  作者: 蒼治
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後日談:1010(4)

 藤織さんはもうアラフォーですが、あの男前っぷりは出会った頃と何も変わりません。

 そう、そしてあの俺様っぷりも。

「本当に、残念だが」

 藤織さんはその骨ばった長い指をエレガントに額に当てて言う。

「外出を控えてもらう」

 監禁させてもらうといわない分だけ、すさまじく穏便になったとは思うのです。たとえ内容が同じであってもやはり言い方と言うのは大事ですよね。


 マンションに一緒に帰って、ソファに並んで座ってがっつり常盤さんとの一件を白状させられた。まあ一晩伏せることができただけ上等だったと考えよう。次は秘密を二晩守るぞー!

 ともかく話を聞いた藤織さんは、私を外に出したくなくなったみたいだ。うむ、ここまでは想定の範囲内である。ひきこもり、承知仕る。


「まあ私は別にそもそも究極のインドアなので、外出しなくてもなんの苦行でもないです。アマのゾンがなんでも持って来てくれますし、今年のイベントは諦めるということですでに覚悟完了ですしね。ただ、やっぱりお金を返さないのは気にかかります」

「それは僕が返しておく」

 藤織さんははっきりと言った。確かにそれが一番妥当だ。

 でも……なんだろう何かが引っかかる。


「えーと」

「なんだ」

「藤織の実家へも、なるべく穏便にお願いしたいと思うのです」

「もちろんだ」

 藤織さんは頷いた。意外な冷静さだった。あれほど嫌っている家のあれほど嫌いな人間がとんでもないことを仕掛けてきたわけだから、もっと青白い炎を燃え上がらせると思ったのに。

「もうすぐ大事な出産なんだから、やたらな事件なんて起こすわけがない、身体に障る」

 まるで自分が出産するみたいですけど、違いますよね藤織さん?


「するなら、時機を見てきちんと奴らの触れられたくないところを法的に容赦な」

「それもできたら控えていただきたくー!」

 後ろ暗くなければいいというものではないのである。

「もちろん藤織さんが思うところもわかりますし、私は別にあちらの人たちを仲良くするつもりではないのですが、それでも争いは避けたいのです」

 いきなり養子とかわけわからんちんなことを言って来てはいるが、その事について今後かかわりさえしなければ、私は満足なのだ。別に叩き潰して欲しいわけではない。

「叩き潰す勢いでなければこちらも足をすくわれるかもしれない」

 藤織さんは淡々と言った。


 でもそこにある根深い不信感に私は少し悲しくなる。そういう負を持って生きるのはやっぱり大変だろうな。藤織さんは割り切っていられるかもしれないけど、暗い感情と言うのは時々自分を飲み込むほどに大きくなる。

 私がしょげているのに気がついた藤織さんはまあいいとため息をついた。

「わかった。しばらく様子を見よう。確かにこんなことでストレスになってもお腹の子どもに悪いだけだ」

 子どもは私のお腹にいるのですが、その辺再確認したほうがいいのだろうか。今、主語がなかった。


「とりあえず何かあって外に出る時には門倉義秋を連れて出るように。泊まりはしないが日中は伽耶子の引越しの手伝いをしているはずだ」

「義理の弟さんをパシリにするのはいかがなものかと」

「でも、あの女には涼宮の関係者をぶつけるのが一番効果があると、お前だってわかっているだろう?」

「それはまあ……」

「一番は伽耶子だろうがな。あの女と伽耶子はきっと相性が悪い」

 イメージが浮かぶ。真夏の昼の激しい光のような伽耶子さん、寒々しく乾いた暗さを秘めた青白い氷河のような常盤美鶴さん。

 ……私は二人では無い。でもあの二人の相性が悪そうなことはなんとなく想像できた。


「あまり強烈な人間同士をぶつけるのはまずい」

 藤織さんが回避したくなるってどんなんだ。反物質か。

「伽耶子さんは、実家に反発して戦ったんですよね」

 伽耶子さんの苛烈さのエピソードの一つを思い出した私は、ふとその件について尋ねてみた。

「戦い抜いた」

 藤織さんは言いなおす。

「だから常盤美鶴とは相容れない」


「戦った、というのは聞くんですが、あまり伽耶子さんはその時のことについて語らないんですよね」

「自分が苦労した話なんて面白くもないと思っているからだろう」

「亡くなったお爺様と折り合いが悪かったんですよね」

「そもそもはあのジジイが問題なんだがな。伽耶子が自分の思い通りにならないのが気に入らなかったんだろう。伽耶子が高校生くらいの話だ」

 藤織さんは立ち上がった。藤織さんもあまり話したくないみたいだ。なぜだろう。


 キッチンで二人分の麦茶を入れてくれる。藤織さんはコーヒー派なんだけど、私に付き合っているみたいだ。藤織さんだけコーヒー飲めばいいし、あるいはノンカフェインとか選べばいいのにと伝えたのだけど、なにか間違いがあったら困るといって麦茶だ。

 温かいカップを手に戻ってくると藤織さんは私にひとつくれた。


「両親に伽耶子への支援をストップさせたんだ。まだ学生だっていうのに」

「それはまた……」

「伽耶子もすでに自分の資産というべきものを持っていたんだが、その辺の手続きもできないようにしてな。ずいぶんおとなげない話だ。だから伽耶子は貧乏アパートで暮らしたりしていたんだ。僕がそのことを知ったのは結構後だった」

「伽耶子さん、藤織さんのことは知っていたんですよね」

「言えばよかったのに」

 藤織さんは人の悪い笑顔を浮かべた。


「その頃の僕は、涼宮が不愉快に思うことなら、大体のことは楽しかった。まあ僕も若く、怒りを抑えるのが得意でなかったということだ」

 ……なるほど。

 藤織さんがあまり言いたくなかったのは、悪意を持っていなかった伽耶子さんの窮状を知るのが遅くなってしまった後悔と、あと若かりし自分の血の気の多さが恥ずかしいということか……。

 大丈夫ですよ藤織さん。私なんて今だに猛烈に幼稚ですから!


「それでどうしたんですか?」

「涼宮は無視して勝手に伽耶子に支援をした」

 なんだ、妥当な対応だった。

「でも自分の資金を使うのはなんとなく腹が立ったので、その資金は涼宮一族のぼんくらそうな人間から不動産を買い叩いて転売して出した」

 あんまり穏健じゃなかった。


「もともと最悪だったが、僕とジジイとの関係はそれで一気に悪化した」

「でしょうね。でもお爺様はその手腕をみて藤織さんを欲しがったんでしょうね」

 本当に嫌っていたら四十九日の事件を引き起こしたお爺様の遺言はありえなかったはずだから。

 それがなかったら私は藤織さんと出会っていなかったのだと思うと不思議な気持ちになる。藤織さんも同じ結論に達したみたいだった。

「人の縁というのは不思議なものだな」

 つまらなさそうにそれだけ言う。


「まあ昔の話だ。今大事なのは、お前の身の安全だ。出産前に浚われて藤織に匿われたらさすがにことが大きくなる」

 まるでBLのアラブかヤクザの攻めである。あいつらすぐに受けをさらって監禁するからなあ。権力者に目をつけられるということは大概ろくでもないことになる。


「気をつけます」

「門倉には話をしておくから」

「すみません」

「門倉も基本忙しそうだがな。その場合には、諦めて僕の帰りを待つように」

「あの人何している人なんですか?」

「最先端の情報処理の研究」

 あんなのんびりした人なのに!?


「ところで」

 藤織さんはソファに座る私の横ににじりよった。両手を頬に当てて自分のほうに向かせる。

「お前は何回言ったら僕を藤織と呼ぶことをやめるんだ?」

「あ」

「僕はもう藤織ではないんだが?」


 ……そうなのである。藤織さんはなんとまあ、私の苗字を名乗っているのだ。

 うちは姉妹だったけど、別に後を継がねばならぬものはないので、別にどの苗字に変わったってよかった。でも藤織さんが『渡辺』を望んだ。その思いを考えると少し寂しい。

 公式には『藤織』が彼の苗字だった。『涼宮』を名乗る気はさらさらない。もう一つ養家の苗字があって、通称としてはそれを使っている。でもその苗字は公式には彼のものではない。

 愛せる苗字が欲しかったのかな、と思う。だから私が彼の名を呼べばもっと嬉しいんだろうということもわかっている。

 わかっている。わかってはいるんですよ。でもでもなんか恥ずかしくてですね、今更改めて名前でよぶなんて上手くできない。


「藤織さんだって、私を時々ナベって呼ぶじゃないですか」

「……そうだな。ついその呼び方が可愛くて。悪かった」

 藤織さんは私のおでこにちょんと唇を触れさせる。そのまま耳元に落とした唇で私の名前を呼んだ。あひぃ、恥ずかしい。

「さあ僕は謝ったし言い直したが?」

 お腹を押さないように大事に抱きしめられてもう耳から煙が出そうである。


「今ちゃんと矯正しておかないと、今後が思いやられる」

「今後?」

「いいか、お前が僕のことを『パパ』とか呼んだら僕は絶対返事をしないからな。僕はお前のパパじゃない」

 しまった、読まれていた。このまま出産後、『パパ』『ママ』って呼び合えば、見事なし崩しに成功と思っていたのに。

 私はうっすら予感する。きっと藤織さんは爺様になっても私を名前で呼ぶんだろうと。

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