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49  作者: 蒼治
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後日談:1010(3)

「あら、どうしたの?」

 翌日、伽耶子さんのお宅に伺うと門倉さんはいなくて、伽耶子さんが一人で荷造りをしていた。そう、伽耶子さんはこのマンションを売って、門倉さんのお屋敷にうつってしまうのだ。それはまだ先なんだけど、伽耶子さんは少しづつ準備を始めている。


「門倉さんは?」

「昨日夕飯を食べて帰ったけど」

「……泊まらなかったんですね」

 うーむ、相変わらず伽耶子さんは門倉さんにすげない気がする。

「門倉さんにお礼を言いたかったのですが」

「昨日、藤織のあの人があなたに声をかけてきたんですってね」

 伽耶子さんは作業の手をとめた。相変わらずの華やかな……でもどこか皮肉さの漂った笑顔を向けてくる。


「で、兄さんはなんて?」

「……言ってないんです」

「バカね」

 伽耶子さんは呆れたようにため息をついた。

「なんで言わないの?」

「言ったら藤織さん、すごーく怒りそうで。藤織本家に乗り込んだらちょっと困るなあって」

「……確実に乗り込むと思うけど、それくらいしないと解決できないんじゃない?」

 そうなんですけど。

 私は開けてもいないあのお祝いのことを考えて頭が痛くなった。あれ、なんとか返さないといけない。


「まあとりあえず、あなたが外に出かける時にはなるべく私が付き合ってあげるわ。あの人にとって私は嫌な男の娘であるんだから、近寄りたくないんじゃないかしら」

「すみません」

 伽耶子さんはキッチンに向かった。かつてはその近くのワインセラーから、浴びる勢いでワインがでてきて身に余るおもてなしをされたが、今はホットミルクが出てくる。

「引越しの準備、順調ですか?」

「そうでもないわね。仕事しながらだし。でも急いだ話じゃないから」

 しかし私の浮かない顔は伽耶子さんに気がつかれていた。


「なんなの」

「だって、寂しいじゃないですか。藤織さんに最初に拉致られて来たときから、伽耶子さんここにいたのに」

「大して離れた場所に行くわけじゃないわ。門倉の屋敷は広いわよー。子どもつれて来なさいよ。庭なんて子どもの足じゃ回りきれないほどだから。……まあだからこそのあの莫大な相続税が……」

 甘い香りのするミルクを見ながら私は思い切って尋ねてみた。

「伽耶子さんは門倉さんの何が決め手だったんですか?」

「毒にも薬にもならないところ」


 ……本当は、紗奈子さんに勧められるべき相手だった門倉さん。でもその気がなかった紗奈子さんがそーっと伽耶子さんにスライドした。伽耶子さんは最初は『院生』としか覚えていなかったぐらいだもんね。まあ伽耶子さんのことだからすぐに門倉さんの素性はわかったのだろうが、だからこそ恋愛って感じじゃなさそうだった。

 一体それがどうして結婚なんて展開に。


 BL的には攻めの猛プッシュが受けのほだされる要因の大きなものではあるが、門倉さんが猛プッシュていうのはなあ……ていうか、伽耶子さんは受けじゃないよ、スーパー攻め様だ。かといって伽耶子さんが猛プッシュというのもありえない。まあ好きなら押し倒す勢いのある伽耶子さんだけど(かつてその現場に遭遇した)相手が門倉さんである……うーむ。

 なんだか不思議な結婚だ。


「だから泊めないんですか?」

「え?」

「偽装婚だから」

「あら何を言っているの?」

 伽耶子さんは静かに薄く繊細なカップをソーサーに戻した。

「確かに門倉は買った夫だけど、だからこそちゃんとまともに夫婦生活は遂行するわよ。毒にならない、と言う時点で、涼宮関係者の中ではほとんど見られない性質の良さだし」

「そういうものですか」

「相続税に私がどれほど援助したと思ってんの。偽装にそんな無駄金ださないわ」


 でもそこで伽耶子さんは少し悩ましげな顔をした。伽耶子さんがこんな自信なさそうな顔をするのは始めてみる。

「でも最初ってどうなのかしら」

「は?」

「夜の夫婦生活というものよ」

 伽耶子さんは大真面目だが、何を言っているのか正直まったくわからない。

「兄さんなら、渡辺が最初でもちゃんとうまいこと段取りしてくれたんでしょうけど。私も最初からうまくできる自信はないのよねえ……」

 ……衝撃が走った。


 ていうか、よく考えたらそりゃそうだ!伽耶子さんの性格ならそれは間違いない!だって伽耶子さんは十代半ばくらいで藤織さんに恋をして以後ずっとわき目もふらずに彼一筋だったのだ。誰か別の相手を考えてみるとか、そういう面があれば話も別なんだろうけど、伽耶子さんはむやみやたらと意志が強くてくじけない。

 伽耶子さんは男性経験というものがないのか!(出歯亀恐れ入ります)

 ツンデレで俺様で鉄の処女。キャラ濃いなあ伽耶子さん。もうビジュアル的にも眼帯して三つ編み、背中に翼くらいつけないと中身とつり合い取れないくらいではなかろうか。しかし伽耶子さんが、人生=彼氏いない暦(奴隷は彼氏に含まない)のウルトラ喪女とは……。


「あ、あの、伽耶子さん」

 私は伽耶子さんのアイアンメイデンっぷりについては語るのをやめた。大体私がそれについて語れることなどない。男同士のそれであれば語れる部分もあろうかと思うが、多分伽耶子さんはそれについてはあまり興味ないだろう。ただまあ誤解は訂正しておく。

「私、藤織さんの前に一応一人だけ彼氏いたので伽耶子さんとはちょっと状況が違います」

 その時の伽耶子さんの表情たるや見ものだった。

 意味がわからないという一瞬の間の後、目が大きく見開かれる。


「そうなの!?」

「一応」

 まあひどい思い出ではあるが。しかしそれを素面で口にできるようになったあたり、私も救われた部分はあるのかな。言い方を変えれば藤織さんの存在のおかげだということだけど。

「……まあ、そうなの……」

 でも藤織さんは伽耶子さんにあの話をしなかったんだ。いい人だ。

 伽耶子さんの目に私の対する尊敬の念があることを少しだけ見つけた。伽耶子さんが私を尊敬するなんて驚天動地だが、こんなことでどうだろうと思う。伽耶子さんはあまり自覚がないが、ときどき「ものすごく育ちがいいんだな」と感じさせられることがある。この身持ちの固さもそうなんだろう。


「で、でも大丈夫ですよ。だって世の中誰だって最初は始めてじゃないですか。でも世の中の多くの夫婦がうまくいっているんだから、何とかなるものなんですよ。私もBL本ものすごく沢山もっていますが、その中でだって大体うまくいってます」

 あ、伽耶子さんの目から尊敬の念が秒で消えた。


「……渡辺」

「はい」

「そのBL本は参考になるのかしら」

 伽耶子さんがBLにご興味を抱かれた!

 ……あいかわらずの様子だけど、これはちょっと伽耶子さんも思ったよりプレッシャーになっているというか追い詰められているのかもしれない。

「え、ちょ、ちょっと待ってください」

 私はよく考えて答えた。


「わかりました。ラブラブエンドなものをちょっと探します。ほら子供の教育に悪いので、鍵のかかる部屋をBL部屋として、本を入れてしまったんです。あの遺言騒ぎの時に一度全部売ったんですけど、気がついたらすっごい増えているんですよね。もちろん自分が買ったものもあるんですけど、出版社から送られてきたものもあってちょっと未整理で。でも私あの部屋にいるとすごく安心するんですよねー。ああ、天国は地上にあるんだな、みたいな。これって胎教にいいのか悪いのか謎です」

 私は伽耶子さんに畳み掛ける。

「どんなのがいいですかねえ。やっぱり年下攻め…、いややっぱり溺愛ものか…」

「……マニアックな気がするからやっぱり遠慮させていただくわ」



 そんなわけで、伽耶子さんに会っては見たものの、なにも解決しなかったし、余計な心配まで抱えてしまった。

 私はエレベータホールでエレベーターを待っていた。いや階段を使ったほうがいいことはわかっているんだけど。腹が重くて膝にくる。


 結局のところ。

 口に出すと嘘っぽいが、私は伽耶子さんを好きなのだ。

だから身のほどもわきまえず彼女を心配している。一事が万事滞りなく進めば良いななんて思ってしまうわけである。

でも基本的なところで伽耶子さんが門倉さんをどう思っているかというのはわからずじまいだ。それに門倉さんはどう思っているんだろう。今までの印象から、彼が伽耶子さんを好きなことは間違いないと思うけど、何を考えているのかは正直謎のままだ。


「あ」

 到着したエレベーターの扉が開いて、私は中にいる人をみつけた。

「なんだ、伽耶子のところにいたのか」

 中にいたのは夫だった。仕事帰りだ。しまった。想像以上に伽耶子さんのところに長居してしまったようだ。

「あ、申し訳ありません。夕飯の仕度まだです」

 いいよ、と藤織さんは笑った。しかしそこには不穏な空気を感じる。

「心配事があったんだろう」


 ヤバイ。

 私はエレベーターの適当な階のボタンを押そうとした。もちろん逃げるためである。しかしその手をがっしりつかまれた。

「……なにか、藤織本家にまつわる心配事があるんだろう?妊娠中の愛妻が一人で悩んでいるなんて、僕には耐えられそうにない。さあ聞かせてくれ」

 伽耶子さん……また言いつけた……。

 というか、同じ手に何度もひっかかる私のバカ加減がすごすぎる。

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