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49  作者: 蒼治
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後日談:1010(2)

 その時私は、近所に買物に行くべく、マンション近くの歩道を歩いていた。

 すっと近寄ってきた車が私の横に停まったことに気がついて、ちょっと青ざめながらそろそろと車道から離れた時、その窓が開いた。ほら、以前車で浚われたので、近づいてくる車には用心しているのだ。学習能力。


 窓から覗いたのは着物姿の美しい女性だった。彼女は私の名前を間違える事無く呼ぶと、少しお話できないかと言った。その時にはその人が誰かぴんとこなかったので、私の警戒はきっとダダ漏れだったろう。女性は肩をすくめると車を降りてきて、まったくもって誰かさんにそっくりな強引さで、近くのカフェに誘ったのだった。なんだかわけのわかないまま、私は彼女と同じテーブルについていた。

 そして彼女は常盤美鶴と名乗った。


「突然声をかけてごめんなさいね」

 感じの良い声と表情だったのに、なぜか私はその瞬間に、かつて盗み見てしまった彼女の冷ややかな態度を思い出したのだった。そのときには常盤さんも自身の素性をあっさり名乗っていたので別に大きな違いはなかったかもしれないけど。


「あの、どういったご用件でしょうか」

「一応私はあなたの義理の母ということになると思うのだけど」

「夫から、『家族』と言われる方々はもうすべてご紹介いただきました」


 私は用意していた言葉を言った。そう、何回も練習させられた言葉を。大体こんな言葉を練習させる藤織さんもかなりどうかしている。でも藤織さんの読みは当たったんだなあ。妊娠出産に伴い、『藤織』ないしは『涼宮』が暴走して私になにか仕掛けてくるかもしれないって。ちなみに、藤織さんは血縁には恵まれなかったけど、家族と言うものはちゃんとあったのだ。藤織の遠縁に当たる一家。まあちょっとヤクザものかな……と思われる節はあったものの、とても温かないい人達だった。藤織さんが途方もなく真っ当な強さを持っているのはあの家族のお陰だろう。


 したがって『涼宮』『藤織』は知らないどこかの誰かさんである。なにか言ってきたらスルーしろ、と、はじめてのお留守番の子どもだってここまで言われないだろうという勢いで、固く言い含められているのである。

 藤織の娘であった美鶴さんは結婚して常盤とやらになったようだけど、藤織であることは変わらない。


「……息子らしいわ」

 誰の差し金の言葉かあっさり把握して常盤美鶴さんはため息をついた。

「いいわ。あの子にはなにも期待していないから」

 そして彼女はテーブルに厚みのある紙包みを置いた。熨斗紙がきらびやかだ。どうぞ、といっているが。

「これはなんですか?」

 これはペンですか?いいえ、これはスミスさんです。

 そんな間抜けなバカ英会話文を思い出す。が。帰ってきた言葉はその上をいっていた。


「お祝い。結婚も出産もなにもしないというのは身内としておかしいから」

 藤織さんの「おまえらなど身内でもなんでもない」というかつての高らかな宣言はなかったことにされたようだ。

「頂けません」

 私は手も出さずに言った。大体なんなんだこの厚みは。もしかしたらオール千円札かもしれないけど、それにしたってハンパな金額じゃない。多分立つ、しかも横じゃなくて縦に!


「そういわないで」

 常盤さんは微笑んで私に押しやる。でも私はあえて作った固い顔を向けていた。

「あなたと息子は関係なくても、あなたの子供は藤織の一人なのよ?」

「関係ないです」

「私の孫なのに」

 彼女は切なそうに眉をひそめてため息をついた。柳眉というのはこういうものなのかと思ってしまうような美しい苦悩だった。だからこそ、私にはよく練習して作られた不快なものとして見えた。


「ねえ生まれても抱っこもさせてくれないの?」

「私じゃなくて貴女の息子さんに伝えてください」

「あの子はなんだか私を嫌いなのよ。あなたも私を嫌いなのかしら?初対面なのに」

 さすがにそれは答えられなくて、私は目をそらした。

「それでね、考えて欲しいことがあるの。子どもは男女どちらなのかしら」

「聞いていません」

「そうなの。それで藤織としての意向なのだけど、もし男の子だったらとてもいい考えがあるの」

 そして、あの言葉が出てきたのだった。


 藤織が、跡継ぎとして、子どもを養子にしたいといっているという旨の。


 頭に血が上るということがどういうことなのかすごい勢いで理解した。肌も乳もことごとく重力に逆らえないお年頃に足を踏み入れかけた私だが、今、血液が重力に逆らって頭に集まっている。

「ふ、ふ、ふざけないでください!」

「怒ると体に毒よ?」

 ふざけてるのかと思うような軽やかさで彼女は微笑んだ。そのままだったら間違いなく爆発してなにかまずいことを口走ってしまいそうだった私を止めたのは別の声だった。


「ああ、ナベさん」

 のほほんとした声の調子には覚えがあった。顔を上げてみればテーブルの横にはひょろりとした長身の青年が立っていた。青年と言っても確か伽耶子さんの一つ下だから三十もすぎているのだ。でもいつまでたっても青年くささが抜けない。

「門倉さん」

 私は少しだけほっとした。見知った顔に血の逆流が落ち着く。

「どうしたんですか?」

 彼は問うと常盤美鶴さんを見た。少しだけ彼女の視線に険しい警戒感が走る。


「こちらは?」

「涼宮家の御親戚です」

 ひらめいた私は涼宮の名を出した。絶対常盤美鶴さんは不用意に関わりたくない相手だろう。その読みどおり彼女はすっと表情を硬くした。

「そう……忙しいところをお時間頂いて申し訳なかったわね。この話は考えて置いてくださいね」

 早口に言うと彼女は立ち上がった。

 私は祝い金の入った包みを彼女に押し返す。

「夫に叱られますから!」

 そういって無理やり押し付けたのに、彼女はそれをテーブルに放り投げると足早に去ってしまった。


「追いかけますか?」

 誰にでも敬語の門倉さんが言ってくれたけど、私は首を横に振った。彼を巻き込むのは申し訳ない。ん?でも。

「門倉さん、どうしてここに?」

 伽耶子さんが口止めしなかったのか、門倉さんに『口止め』という概念がないのかは不明だが、彼はあっけらかんと答えた。

「伽耶子さんに頼まれました。ナベさんが困っているようなら助けるようにって」

 伽耶子さんの裏には間違いなく私の夫がいるな……。妹の婚約者を巻き込んで良心のとがめることのないあの人が……。

「それはどうも申し訳ありません……」

「いいんです。俺今仕事の合間で暇だから」

 しかし私はこの人に対してどういう顔をしたらいいのかちょっとわからないのだ。


 少し前の話をしよう。

 ある日突然、伽耶子さんが来て、彼女の兄である私の夫と心温まる会話をした。

「私、結婚することにしたわ」

「誰とだ」

「門倉の若様」

「……まあ落としどころとしては妥当だな。あれか、相続税関係か」

「ええ。門倉義秋は私が金で買ったわ」

 藤織さんはサッカーの試合を見ながら、伽耶子さんは私の作ったその日のお昼ご飯のチャーハンを上品にかっこみながらの兄妹の会話であった。突っ込みどころ満載だが、私、空気。


 昔こんなBLを読んだ。BLとして極めて王道の物語。

 主人公の少年は、親が作った借金のために財閥の御曹司に買われてしまうことになる。奴隷みたいな扱いを受けつつも、御曹司が時折見せる思わぬ優しさに彼は惹かれていく。また御曹司もその少年の純粋な優しさに、頑なだった心を開き、二人はやがて結ばれるのだけど……以下、まあなんだかんだあって、結局ハッピーエンドだった。(途中で御曹司のライバル会社の連中による少年への陵辱未遂、あるいは完遂で本文の五分の一が割かれることもある)

 あ、もしかしたら、BLではなく普通の少女マンガでも在るかもしれないが、そこについては私は語れるほど詳しくないので割愛。


 ええと、涼宮さんと門倉さんはそういうことでOK?

 もちろん伽耶子さんが買ったほう。


 のちに知ったところでは、門倉家は涼宮家縁の古い家柄だそうだ。しかし家柄と持つ土地のよさに反比例して現金収入は少なく、門倉義秋氏が先祖縁の土地を相続するに必要な現金は持ち合わせていなかったらしい。そこを助けたのが伽耶子さんと言う話だ。まあなんというか、伽耶子さんも涼宮の結婚しろ攻撃から自分を守りたくて門倉さんを防御壁にしたというところだろうな。


「愛を金で買ったんですか?」

 私は別に買えるなら愛も金で買って良いと思うのだが、実際買えるとは思わなかったので(売買現場を見たのは初めてである)思わず伽耶子さんにその時聞いてしまった。伽耶子さんはバカを見る目で私を眺めやってから答えた。

「愛を金で買えると思っているの?渡辺は拝金主義者なのね。そんなもの買えないわ。あくまでも私が買ったのは門倉義秋よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

 私が拝金主義者なら、伽耶子さんの発言は骨の髄から奴隷業者のものだ。


 が、しかし当人の門倉さんはその成行きも伽耶子さんの思惑も涼宮家の打算も知っていた。私に自分からそんな話をした挙句、本当に嬉しそうにいったのだ。

「ああ、俺、本当に門倉義秋でよかったです。買ってもらえてよかった」

 アイデンティティの確立具合は私の百倍は強固だな……。


 ともかく、門倉さんとは私も一応知り合いである。そして普通は伏せておくべき内情がダダもれである。

 助けていただいたことにはもちろん感謝している。それに門倉さんを見ていたら、常盤さんへの激昂が少し収まってきた。

 そしてテーブルの上の分厚い包みを眺めてから私はため息をついた。


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