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49  作者: 蒼治
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 藤織さんが来たのは、私が入院して三週間もたってからだった。

 放置プレイに関しては、もはや神である。

 そのころには私も相当具合よくなっていたので、院内もすいすい歩き回っていて、お前どこか病人なんだという有様であった。


 もう藤織さんは来ないかもしれないと、なんとなく思い込んでいた私は、すでに面会時間などとうに過ぎた夜九時過ぎにいきなり開いた個室の扉に仰天した。

「ふ、藤織さん」

「看護師に許可は取ってある」

 なんのことかと思ったが、面会時間のオーバーのことか、と気がついた。


「あの」

 藤織さんは、ベッドの横の椅子に座ると、無言で私を凝視していた。

「お、お久しぶりです」

 と私が声をかけても完全沈黙である。


 おそらく私がこの三週間藤織さんにかけた迷惑と言うのは、超ド級であったと思われる。それだけでなく伽耶子さんも言っていたように、使える限りの権力をつかって、事件に関しての紗奈子さんと掛井さんの存在を隠匿したに違いない。涼宮から請われてあちこちの根回しに尽力していたようだ。

 それでも憔悴の影は無かった。むしろ面倒なことに対して自分の力を発揮して面白がっているんじゃないかと思うくらいだ。藤織さんならありうる。

 でも……疲れはないが暗い影があった。


 それは沈黙の果てに現れた言葉だった。

「ナベは死にたかったのか」

 即答できなかった。

 うっかり生き延びてしまった以上、それはむしろ全力で隠すべきことであろう。


「そんなことは」

「そうなんだな」

 さっくり断定されてしまったが、聞かれた意味はあるのだろうか。でもうつむいた私に畳み掛けてきた藤織さんの言葉にはっとした。

「……そのことに、僕はものすごく傷ついた」


 知るもんか、と思うことは容易い。

 藤織さんが傷ついたって、それは勝手に私の思っていることを察して、しかもたまたま正解なだけである。藤織さんが私を好きな事だって、私のせいじゃない。藤織さんが人生で始めて知ったのかもしれない無力感も、私には関係ない。

 でもそれが藤織さんがどれほど打ちのめしたのかは、三週間、私の前に姿を見せなかったことで察することが出来る。来なかったんじゃない、来られなかったくらい、藤織さんが傷ついた。


「……ごめんなさい」

 私は小さい声でしか言えない。

「バカが」

 馴染み深い藤織さんの罵倒が聞けた。

「何がバカって、ナベの分際で、なんでそんなことが出来ると思うんだ、ド阿呆。お前のようなヘタレに自殺願望かなえる気概があるわけ無いだろう。諦めて寿命まで生きてろボケ。さもなかったら僕がこの手で引導わたしてやる」

 今までの沈黙がなんだったのかと思う罵倒っぷりである。


「大体結局失敗しているじゃないか」

「そ、そうですね」

 藤織さんに反論が出来ない。

 藤織さんは、もっていた袋から、なにやら果物を出した。なんということだ、この季節に巨峰とは。

 ご大層な桐の箱を邪魔そうにゴミ箱の横に置いて、藤織さんはそれを見せた。巨峰の濃い甘い香りが漂う。

「食べろ」

 はあ、と曖昧に返事をしてもらっておこうとしたら、藤織さんはその粒を一つ一つ剥き始めた。


 うつむき加減の藤織さんは、静かに言葉を続ける。

「……今、死んだって、絶対お前、親に追い出されるぞ」

「え?」

「ご両親が、死なせてくれないだろう」

「親は……きっと私を恨んでます」

「ならなおさらだ。僕なら嫌な相手と一緒になんていたくない。あの世も蹴り出す」

「あ、そうか……」

 そうか、死んでも行く場所もないのか、私。あの世でもホームレスとかちょっとすごい。


「困るだろう、それは」

「……困りますね」

「だが、もし僕と一緒にいるならば、手段を講じてやらない事もない」

 藤織さんはあいかわらずの偉そうな口調で言った。

「基本的に、男のほうが寿命は短いしナベより年上だから順当にいったら、僕のほうが先に寿命を向かえるはずだ。一足先に行くから、そしたら両親を説得しておいてやろう」

「えー、藤織さんがですか?」

「僕の強引さを知らないか?」

「いえ……大変よく存じております……」


 藤織さんは、剥いた七粒ほどの巨峰を皿に乗せて私に差し出してきた。

「ものすごく、ナベは頑張っていたから、どうか僕に免じて許してやってくださいって言ってやる。この僕が誰かに頭を下げるなんて、多分存命中はありえない行為のはずだ。我ながら信じがたい」

 なぜそんなに偉そうなのか。

 そりゃ両親も呆れて許してくれそうな気がする。

「その代わり、僕より後に死なないとフォローできないからな。僕はもう誰かを見送るのはまっぴらだから、お前が責任を持って僕を見送れ」

 藤織さんは、誰か大事な人を見送ったことがあるのだろうか。それならもしかすると私はすごくひどいことをしてしまった……?


 藤織さんは、私のことをすごく大事に思っていてくれるのに、あやうくその二人目になるところだったということなのだろうか。大きく揺らいだ自分の心の波間に、罪悪感がふと浮かぶ。

「僕は平均寿命くらいまでは生きるつもりだから、先は長いぞ」

「はい」

 私は短く返事をした。


 寧ちゃんを守って、藤織さんの身代わりになっていなくなれるなら、もう万々歳だったはずなのに、結局この世に未練たっぷりである。でもあの時味わった暗い恐怖を思うと、自分で死んでしまおうとかそんな風にはもうとても思えない。

 ……私と言う人間のずるさを思うと、なにやったって両親が許してくれるかなんて自信がない。

「でも、きっと許してもらえないです」

「お前、本当に僕を信じてないな」

 藤織さんため息をついた。


「まあいい、万が一そうだったら僕も外で待っている。ナベと合流してやるから、二人でご両親に謝ろう」

 ……。

 なんだか知らないが、泣けてきた。

 ぼたぼたとみたことないくらい、涙が落ちてくる。真夏の夕立の降り始めのような雨粒の痕跡が、掛布に残った。


 藤織さんが嘘吐きだ。

 藤織さんが、霊もあの世も生まれ変わりも、そういったものを何一つ信じていないことなんて、見ていればわかる。くだらないオカルトなど今すぐ滅びろ、くらいに絶対思っているのだ。

 それでも私のために、嘘をついている。


「何を泣いているんだか。まあ食べろ」 

 巨峰を差し出した藤織さんの綺麗な手は、闇のように濃い紫に爪の先が染まっていた。

 嘘までつかせてしまった藤織さんに応えるためにも、やっぱりもうちょっとこっちにいなければいけないなあと思う。ただ居るだけじゃなくて、ちゃんと。

「せめて、一生懸命頑張りました、って言えるように、なんとか生きてみます」

「そうしろ」

 私は受け取った巨峰をつまんで口に含んだ。涙が出すぎでしゃくあげそうになりながら、それでも食べ始めた。


 さすがお高そうな巨峰は果汁たっぷりだ。

 そして恐ろしく甘い。

 …………ああそうか、甘いってこういうことだった。


「……おいしいです」

「そうか」

 置いてきてはいけなかったのに、今まで忘れたことすらどうでもよかったことが、急に近い。

「すごく甘くておいしいです」

 泣きながら私は葡萄を食べている。

 藤織さんは私の横で巨峰の続きを剥いていた。

 頭痛くなりそうなほど甘い葡萄なんだけど、どこかしょっぱい。私がおなかいっぱいになるまで、藤織さんは淡々と葡萄を剥いてくれた。




 私は藤織さんが好きだ。

 この人に会えたことが、私の人生で最大の幸運だったと思う。おまけに女の趣味にいささか問題がある藤織さんは、私を好いていてくれる。

 だから。

 藤織さんと一緒に巨峰を食べて三日後に、明日退院していいよ、といわれた。その話を藤織さんにしたら、明日迎えに来てくれるそうだ。またあの派手な車乗ってくるのだろうか。

 寧ちゃんは予定よりちょっと遅れて日本を出て行った。最後まで迷惑かけて本当に悪いことをした……。


「渡辺さん、どこいくのー?」

 夕方、廊下を歩いていたら病棟の看護師さんが声をかけてくれた。

「あ、ちょっと売店行ってきます」

 ビニール袋に財布と二、三のものをつっこんでぶらぶらとエレベーターを降りた。外来にはすっかりもう人の気配が無い。空いているトイレに入って、私はビニール袋からそれを取り出した。


 藤織さんのことは好きだけど、あの人を寧ちゃんの身代わりにする自分は許せない。

 あの人のために、なんて言って結局寄りかかることは、藤織さんの満ちたりた完璧さを損なってしまう。

 私は私のために生きる理由を見つけたいなと思った。

 でも、藤織さんがそばにいたら、私はきっととことん甘えてしまうだろう。そして、藤織さんの重荷になって放り出されたら、私は本当に耐えられない。捨てられる前に捨てるこのバカ加減を許してもらえるだろうか。


 ……季節は初夏だ。ジーンズにTシャツ一枚で歩いていても、別に変じゃなくて良かった。冬だったら大変だった。

 着替えた私は、何事もなかったかのように、見舞い客の顔をして廊下を歩き始めた。ベッドに置いてきた走り書きの紙のことを思い出す。

 看護師さんが気がつくまでに、少し時間が稼げればいいなあ。




 前略 藤織様

 

 お金はいつか返します。

 立派になったらお礼に伺いますが、

 すごく時間がかかりそうなので

 誰かいい人を早く見つけてください。

 ありがとうございました、さようなら。


 あと写真は公開しないで下さい、後生です。

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