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藤織さんは結局私の言葉を予想していたんだろう。穏やかな顔をして驚き一つみせなかった。
「ずっと、そう思っていたんだな」
「だって、そうなんです」
私は。
藤織さんは私の手をとって、のんびりと歩き始めた。なぜか鼻歌でも歌い出しそうに元気なのだが……。
むりやり言わされた私はもうぐったりだ。そりゃ言ったのは私だけど、言わざるをえない状況まで畳み掛けたこの男は好かん。
「うちに帰って、ゆっくり話を聞いてやる」
「うちって」
「僕のマンション」
「行かないって言ったじゃないですか」
「さあ?」
でも手をひかれるままで、私は歩いていく。
藤織さんは、とことん私を吐かせるつもりなのか。胃液一滴まで絞りとられそうだ。マンションの明るい電気の下、藤織さんと正面きって話す勇気がなかった私は、道端の夜にまぎれて話し始めた。
「……親が死んだのは交通事故です」
「調べたから最初から知っている」
「雨の日で。つまらない買い物をしにコンビニに行ったんです。母は車に乗れなかったから、父が運転していきました。それは偶然」
「うん」
私は思い出す。
二人が病院に運ばれたことを知ったのは、その病院からの連絡だった。私はそのとき、のん気に家にあったお菓子を食べながらだらだらテレビを見ていた。寧ちゃんは、ちょうどその直前に学校から帰ってきた。
「買いに行ったのは、そのころ私が好きだったお菓子でした。本当にくだらない。でもあの日私は、その菓子をたまたま切らしていたことで、母を責めたんです。買ってきてよって駄々をこねた」
さすがにそこまで話して、すぐには続きが出なかった。
さきほどまであれほど饒舌だった藤織さんはずっと無言だ。何をいうこともなく、ただ手をつないでゆっくりと歩いている。
あれだけ買ってきて、と文句を言ったにも関わらず、結局私はその辺にあったお菓子で事足りていたのだ。
母は、義理とはいえ、とても優しい人だった。……もしかしたら後ろめたさもあって、私に遠慮していたのかもしれない。私の実の母は、出産の時の合併症で亡くなった。父と渡辺玲子さんはわりとそのあとすぐ出会ったらしい。
父も死んだ私の母を愛していなかったわけではないだろうが、乳飲み子抱えて途方にくれていた自分をなやかやと助けてくれたのは渡辺玲子さんだ。そばにいる優しい人を好きになってしまうのは、誰だってしょうがないことだと私は思う。世間体としては父と一緒に住み始めたことは確かに体裁は悪かったかもしれない。
でも私には、優しい母だったし、娘に甘い父親だった。
それなのに、私という人間は。
「……あの人達が優しかったということは、死んでからやっとわかったんです」
違う。殺してから、だ。
……事故は事故。でも私があんなわがままを言わなければ、起きなかった。
「この話をしたのは、藤織さんが初めてです」
「……渡辺寧子には」
「結局いままで言えてません」
そこが私の一番卑怯なところなのだろう。
一番罰を与える権利をもつはずの人間の優しさを失うことが怖くてたまらない。だから誰か別の人が私を罵ってくれることで安心できていた。
嘘ばかりだ。
さすがの藤織さんも、呆れただろうか。
「言えないのは、それがナベの良心を責めているからだろう」
藤織さんは、さきほどとまったくかわらない穏やかな口調だった、そこには嫌悪の欠片もない。手は相変わらず温かいままだ。
「僕は許す」
拍子抜けするほどあっさりと藤織さんは言った。
「僕はナベを許す」
それは逆に、私の……そう、めずらしい私の怒りを引き出すほどだった。
「なんでそんなふうに簡単に言うんですか、藤織さんは何も知らないくせに!」
「何を知らなくたって知ったって、僕はナベを許せる自信がある。僕は自分の言葉は違えない」
「……簡単に……」
藤織さんは立ち止まり、私を見つめた。
「ご両親はナベを許していないかもしれない。渡辺寧子も本当のことを知ればナベを憎むかもしれない。世の中の常識はナベを責めるのかもしれない。なによりナベ自身が、自分を許さないのかもしれない。でも僕は許す」
何も反論できないくらい、その真剣さは本物だ。
「藤織さんが私を許したって、そんなことはまったく関係ないんです」
「だろうな。だが、それがなんだ。関係なかろうがなんだろうが、僕がナベを許すという事実には変わりが無い」
……この人の言葉はもはや若干デンパ入り気味の超理論だ。でも。
「……伽耶子から、僕の両親の話を聞いたことはないか?」
藤織さんはそんなことを言い出した。
「あります」
そして私も藤織さんのお母さんを見たことはあるじゃないですか。あの理解しがたい人。
「涼宮の父親も、藤織の母親も、僕はある年齢までは殺したいと思っていた。まあ若気の至りだな」
藤織さんが自分の両親の対する心情を語るのは、そういえば初めてだ。
「育ての親が妙に察しのいい人で、僕は隠していたつもりだったが、ある日彼が言ったんだ。『基本的に親は自分より早く死ぬからほっとけ』って。言われて、確かに馬鹿馬鹿しくなった。友人にもうっかりこぼしたら、その後一ヶ月、僕がなにかしでかさないかと心配されて後をつけられたりしてな。人を殺すのは、なんだか思ったより面倒な事になりそうだと察したわけだ」
でも藤織さんは、ひどい目に合わされたから。
「藤織さん」
「本当はあの時、僕は完全犯罪の成功者になる予定だったんだがな。松本清張も驚くようなアリバイ作りとか考えたんだぞ」
「シャレにならないですからやめてください」
「かるい自慢なんだが」
「それは犯罪予告といいます」
藤織さんは楽しそうに笑った。
私かいかにひどい人間であるかを語ったというのに、藤織さんの表情には私への嫌悪がない。
まるで。
まるで、私に恋でもしているかのようだ。
「でも、僕はいまだに両親が死んでも多分なにも感じないと思う」
私の告白に伴うように彼自身も、彼の抱える苦痛を私に暴露する。
「そういう僕より、両親の死に責任を感じてずっと良心の呵責に苦しんでいるナベのほうが、よほどまともだ」
「……ありがとうございます」
いつだったかなあ。
私は絶対に藤織さんを好きになるまいと思った。今でもその意志はかわっていない。変わっていないけど、私の意志はへたれなので、結局無理だった。
藤織さんのそばにいたいと願う。
でも藤織さんの横に私の場所がいつまでもあるとはとても思えない。無駄にポジティブな私だが、それも場をわきまえたい。BLだって、ほのぼの、鬼畜、陵辱、純愛などの方向性と、学生、アラブ、ヤクザ、遊郭などなど設定掛け合わせで非常に細分化されているくらいだ。その分類を理解できる私なら、藤織さんの横にいるべきは私じゃないという判断ぐらいできるはず。私にだって。
「私、藤織さんといっしょにいると、少し楽です、ありがとうございます」
とりあえず、答える。今の言葉は嘘じゃない。
「じゃあ、ずっと一緒にいればいい」
藤織さんはあっさり言った。
「よく考えたら、もう従姉妹ですらないんだから。遺言の件さえ片付けばなんにも問題はない。それに世の中には便利な仕組みがあるじゃないか」
従姉妹で問題ないなら、やっぱり伽耶子さんでもいいような気がする。
「『藤織は私の主人です』って言われるのは悪くない」
主人……!?
一瞬ドキッとしたけど気がついた。今こそ言おう、声高らかに。
「い、イエス、マイマスター!」
「そっちじゃない!主人の意味が違う!ハズバンドの意味だバカ!」




