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なんでこの人ここにいるのだ。
藤織さんは優雅に微笑んで、座っていた。
あの時結婚式場で背を向けて以来、まったく音沙汰無かったというのに、なぜこんなところにいるのであろうか。しかも、先に来ていたフリッツさんと、マブダチのごとく語っているのはどういうことなのか。
……わかった、ここ、パラレルワールドか。
「多恵ちゃん、どうしたの、ぼんやりしちゃって」
「え、あ。えっと。藤織さんが」
「だって多恵ちゃん忙しいから藤織さんが連絡してきてくれたんだよ。四人で飲みましょうって。ほら、私達新婚旅行に行ったら、もうそのままアメリカ行っちゃうでしょう?だからそのまえに藤織さんは、多恵ちゃんの妹ってことで、私に会いたかったんだって」
寧ちゃんに背中を押されて、私は店に入った。奥の小上がりに向かうまでに、寧ちゃんが楽しそうにいう。
「付き合って結構長いって聞いたよ?どうして全然教えてくれなかったの?」
教えるも何も、出会ったのがほんの三十五日前だ。
一体何を語ればいいのか、私にはとんと検討もつかない。語れることなど藤織さんのパンツの種類ぐらいしかない。トランクス6:ボクサー4:ふんどし:0
フリッツさんが、こげ茶の髪と髭の中から満面の笑顔を向けてきた。
「お義姉さん、こんばんは。結婚式以来、お礼もろくに申し上げなくてすみません。藤織さんが今日企画してくれて、本当に助かりました」
見た目は三十過ぎのおっさんだが、この人私より年下なのである。
「やあ、ナベ」
爽やかな藤織さんの笑顔が、これほど怖かったことはない。
「ごごごごご無沙汰しております」
靴を脱いで上がった私は、当然のように藤織さんの横に座らされる。
どうしよう。
あの時、藤織さんに、私が渡辺寧子ではないことを明かし、彼から一本取った。別にそれで得意になったつもりではない。私なりに、キツイ思いもしたのだ。これでもう会わないと思ったからあんな博打をうった。
だけど、今ここに藤織さんがいる。
私は寧子とフリッツさんを心配させたくなかったから、二人には本当のことはまったく言ってない。したがって、今、「すみません、急用思い出しました!」とばかりに逃げ出せば、寧子たちは怪訝に思うだろう。あとで、寧子に涙ながらに追及され「多恵ちゃんはいつだって私に何も話してくれない」とか、フリッツさんに「お義姉さん、実の弟だと思って頼ってください!」とか波状善意アタックくらって黙っていられる自信は無い。
悪意をぶつけられることには慣れていても、好意を与えられるのは慣れてないのだ。
しかし、逃げなければ逃げないで、何考えているのかさっぱりわからない藤織さんを横に、四人で歓談と言う地獄である。藤織さんが、余計な事ばらさないように、神経削る思いである。
とにかく藤織さんが何のためにここにいるのかが、わからん。
「ナベ」
寧子とフリッツさんが「ここはねー、出し巻き卵のあんかけと海老しんじょがおいしいんだよ」「あ、自分は刺身盛り合わせが食べたいです」と新婚むき出しできゃっきゃと御品書きを見ているのを困惑したまま眺めていると、藤織さんが小声で呼んだ。
ちらっと横目で見ると、藤織さんは薄く笑っていた。
「……あれで、すべて円満終了、と思ったか?」
怖い怖い怖い。
もうSとかそういうレベルの話じゃない、はいプレイの域超えた、今超えた。
私は。
『俺様』という人種をなめていた、という反省をすべきであろう。
藤織さんは見たことないくらいキレている、笑顔で。
「僕は、勝ち逃げされるなんて許さない」
寧ちゃんとフリッツさん、そして藤織さんは、理系一族でなにやら話があっていた。非常にわけのわからない会話をしている。でも寧ちゃんとフリッツさんは気遣いの人でもあるから、私が仲間はずれにならないように、気を使って話を噛み砕いたりしていた。
はたから見れば、仲良くダブルデートをしているようにしか見えないだろう。
私にとっては針のむしろだが。ちくちくするなんてものではない。
「ナベはいい妹さんを持っているね」
親切ヅラ、というのがぴったりな表情の藤織さんの言葉が、自然と話をかえた。
「ご両親はもういないって聞いていたんだけど、ナベは僕にはなにも話してくれなくて。こうでもしないと、家族ともお話しする機会がなかったので」
「そうなんです!」
寧ちゃんが藤織さんに全面同意する。いいか、妹よ、藤織氏の今のその外面のよさはものすごく猫を被っている状態だ。お前のブラの盛り加減など対抗にもならないくらい、取り繕っているのだ。
姉の気持ちも知らず、寧ちゃんは藤織さんを大層気に入ったようだ。目の前でどんどん自分の情報が漏洩されていって涙目になりそうである。
「多恵ちゃん、いつも私にはなにもかも秘密なの」
「寧子はお義姉さんのことをいつも心配しているんです。だから藤織さんの存在で随分安心したみたいです」
寧ちゃんもフリッツさんも、この場に置いてはなんだか私の味方であるとは言い切れないように思う。私、背後から撃たれているのではないだろうか。
藤織さんが何を思ってここに来たのか、それがようやくわかってきた。なんだか知らないが、私のことを調べにきているのだ。なんだ、弱みか?それだったら、一山百円で存在している。生きていること自体が弱みみたいなものである。
「多恵ちゃん、なんでも一人で考えているから。両親が死んだ後、ずっとバイトして私を食べさせてくれたんです。死んだ両親には少し借金があったんですけど、それも返しちゃったんです。すごいの、朝新聞配達して、日中はコンビニで、夜は工事現場とか。場合によってはちょっとした事務所で事務仕事とかして。あとなんか主に夏と冬に謎の小冊子を作ってちょっとしたお金稼いだり」
自慢じゃないが「ちょっとした」じゃない。寧ちゃんは、男同士の18禁恋愛漫画の売り上げで大学に行ったのだと知れば、卒倒するだろうから多くは語るつもりはないが。
「私、多恵ちゃんが寝ているところってほとんど見たことなかったよ。バイト長く続かないのも、やっていると『正社員にならない?』って言われてしまうから。ほら正式に勤めちゃうと大体の会社はバイト不可でしょう?だから居辛くなって辞めちゃうんだ」
違うんだ。
コミケ合わせでバイトより原稿中心にならざるを得なくてやめた場合もあるんだ。どうしてそうやって私を美化するんだこの妹。妹って普通は、生意気で可愛がりの甲斐もないようなキャラじゃなければいけないはずである。こんなに姉を賛美する妹なんて、妹萌え的には無しなはずではないか!
「やっと私が大学出て就職して結婚が決まって。ちゃんと正社員で勤めたら会社なくなっちゃうし」
「不運なんです、お義姉さん」
フリッツ!いいから私をそっとして置いてくれ。いらんこと言うな。
寧子もフリッツさんも藤織さんにガンガン日本酒飲まされて酔っ払いもいいところである。しかし私もどうやって彼をとめたらいいのかわからない。
「多恵ちゃんね、ずっと結婚式の代金は私が用意するからって言ってきかなかったんです。この式で貯金もはたいちゃったから、お金もないだろうに。結婚式直前はアパートからいなくなちゃったから、どこに行っていたんだろうって心配してた。でもそっか」
寧ちゃんは満足そうに笑った。
「藤織さんがいてくれて、私、本当に安心しました」
深く頭をさげる。
「多恵ちゃんのことよろしくお願いします」
妹よ、お前が今頭を下げている相手は、キャラ的には間違いなく『鬼畜』に属すわけで、よろしくお願いする相手としては非常によろしくないわけであるが。
寧ちゃんとフリッツさんをタクシーに叩き込んだのは、午前二時も回っていた。店は三件目である。冷静に、にっこり笑って、フリッツさんの現住所をタクシー運転手に伝えた藤織さんは、彼に数枚の千円札を渡すと、あとを託した。
藤織さんはアレだけ飲んでも涼しげな顔である。
「じゃ、私もこれで」
お疲れっした!といつかのバイト時代のようにさっそうと帰ろうとして、襟首つかまれた。
「それが許される立場か?」
タクシー乗り場から引きずられるようにして、道を歩かされ始める。私の手首を拘束する藤織さんの手の力は痛いほどだ。
「大体戻る場所は一緒だろう。まあのんびり歩いて帰ろうじゃないか」
居場所、ばれてる!
「あ、あの、手が」
放して欲しいとまではいわないまでも、せめて力を緩めてはくれないだろうかと思ったが、私の思っていることなどとうに察しているはずの藤織さんはその力をわずかにも変えなかった。今まで藤織さんが冗談半分に私を小突いたりしたけど、それは力といえるほどのものでもなかったのだ。本来の腕力は、少し私の心に怯えの影を落とす。
「な、何で私なんかに用事があるんですか?」
「ナベには貸しが在る」
「え?」
「貴様を一ヶ月間泊めて、メシを食わせてやっただろう」
「それ今さら持ち出しますか?」
「そうか、貸しが嫌なら、ストレートに脅すか」
藤織さんは立ち止まった。ジャケットのポケットから数枚の紙切れを出す。はいと差し出してきた藤織さんは、なにやら楽しそうな笑顔である。それを見て私は本心から悲鳴を上げた。
「こんなっ」
何でか全裸で寝ている私の写真である。
「浴室でぶっ倒れたときだな。いつか役に立つかもと思って撮っておいてよかった。どうだ、可愛く映っているだろう」
「ちょ、藤織さん、これチャンピオン級鬼畜仕業ですよ!?マジモンの犯罪ですよ?」
「まあ、僕単独で持つ金と権力でもみ消せる犯罪はここらが限界かな」
「やり口によってはまだ天井知らずですか……」
私はため息をついた。
すごいな、暴力と貸しと脅迫とフルコースである。
「一体なにをさせたいんですか」
藤織さんは怒っているのであろう。ずっと嘘をつかれていたのだからわからなくもない。それを意趣返ししたいのかもしれない。なんだろう、普通なら金かな、私も今なら風俗とかで稼げなくも無いな。でも藤織さんもともと金持っているから私から巻き上げてもハシタ金であろう。ただ私がつらいのを見るのがいいのか。BLでもわりと王道だな、遊郭ものとかで。
さすが全開サド。
だが、藤織さんの非情さは、私の想像を超えていた。
「仕返しさせろ」
「は?」
「いや、ナベがなんと言おうがやるつもりだが」
夜の闇も、彼の力を何一つ霞ませられない。
「ナベが何を隠しているのか。それを暴く」
笑う藤織さんの口元に牙が見えたような気がする。
「秘密の一つや二つない女はつまらないが、そんなもののために逃げられても本末転倒だ」
「前から思っていましたけど、藤織さん、女の趣味悪いですよ?」
「それは僕の問題であって、ナベの知ったことではない」
暴力と貸しと脅迫と。
「だから、とりあえず、全部暴露して、帰ってこい」
……それと、懐柔。




