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49  作者: 蒼治
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 ただいま、とばかりに帰った伽耶子さんの家には、驚いたことに先客がいた。

 マンションの入り口に渋い顔で立っていたのは、掛井さんだった。どうやら入り口の守衛さんに拒まれて入れなかったらしい。

「あら。来ていたの」

 ロビーで伽耶子さんは彼に声をかける。けれど掛井さんの表情は曇ったままだ。視線は私に向けられている。


「ナベちゃん」

 掛井さんはため息混じりに言う。

「藤織さんは落ち込んでいるよ。俺も電話でしか話していませんが」

「怒っているの間違いでは?」

「多分、君が見てもそうとしか見えないだろうけど」

「もう二度と会うこともないと思いますので」

 と殊勝に言ったら後ろの伽耶子さんにどつかれた。


「それは渡辺が決めることじゃない」

 そうか!私下僕だし!

「それを決めるのは兄だから」

 伽耶子さんはそっけなくそれだけ言う。

「とりあえず、こんなところで話すののも何だから」

 そういって、掛井さんも含めて三人で、伽耶子さんの部屋にやってきた。センスのいい部屋のソファに座る。


「掛井、紗奈子は見つかった?」

 伽耶子さんは相変わらず颯爽とワインの栓を抜いていた。三つのグラスに注ぐ。

「あ、伽耶子さん私は、あのう」

「ああ、そういえば味わからないんだったわね。まあいいわ」

 まさにブタに真珠。

「もったいないですよ。あの、伽耶子さんと掛井さんで召し上がってください」

「私の酒が飲めないっていうの!?」

 リアルでこんなこと言う人を見たのははじめてである。


 とりあえず、日中も飲んでいたわけだが、なんかもう寝酒というにも遅すぎるわけのわからないワインを飲むことになった。

「紗奈子さんなんですが、不思議な事にマンションにはさっぱり帰っていないようなんです」

 掛井さんが不安そうに言った。

「僕の使える手段を使っていますし、藤織さんも探しているみたいです、伽耶子さんだって、連絡とろうとしてますよね、でも見つからない」

「紗奈子、本気で雲隠れする気かしら」

 赤を飲みながら、伽耶子さんは冷静に呟く。


 しかしよくよく考えれば、それはかなりの異常事態だとわかる。

 伽耶子さんは、都内に無数にあるネカフェの中から私を見つけるような存在なのである。いろいろ合法とか非合法とか、手段をお持ちであろう。その力をもってして見つけられないというのは。

「私もね、もしかしたら紗奈子には男でもいるんじゃないかしら、と思ったのよ」

 掛井さんが身を小さくした。ありありと落ち込んでいることがわかる。


「そう、です、よね、紗奈子さん、可愛いし、優しいし……もててあたりまえですよね」

「ええ、三十八のヘタレ野郎に執着する理由はないわね。こっそり付き合っていて、いまその男のアパートあたりにでも潜んでいる可能性は大きいわ」

 容赦なさすぎである。虐殺、という言葉がうっかり浮かぶ。

「四十九日間そうやって乗り切る気かしら。でも紗奈子はそういう守りに入るのは嫌いだと思うんだけど……むしろ私より……」

「紗奈子さんがっ!」

 妙に力の入った声で、掛井さんは言った。

「紗奈子さんが、誰かを好きなら、俺は潔く身を引く覚悟は出来てます。でもできれば最後に話だけでも!……一度でいいんです!」

「それストーカーの言い分」

 かかか掛井さんのHPゲージが真っ赤である様が、パラメータの見えない私でも見える。

 さらりと言い放ち、伽耶子さんは優美な指先でグラスをとってワインを飲んだ。


「しかし参ったわあ……、つくづく渡辺にやりこめられたことがムカつく」

「うっ、すみません」

「だめよねえ、条件は涼宮の血をひいていることなんだから。あんた、家族だったけど、血縁関係はないもんね」

「あったらどうなさるおつもりで……」

「いろいろやりようはあったのに……」

 遠い目だが、明らかにろくでもないことを考えている目である。当事者であった私と掛井さんは一瞬目を合わせたが、お互いに目はくわばらくわばらと言っていた。


「まあ、いいわ。掛井はとりあえず、兄の様子を注意していて」

「わかりました」

 伽耶子さんはちらりと私を見た。

「この一件が全て片付いたら、あなたどうするの?」

「どうするもなにも」

 そうか、どうしようかな。

 でも別にいろいろ頑張らなくてもいい。もう私は何も背負わなくていいのだ。


「もし渡辺がヒマなら、うちのアトリエで経理とかやってもいいのよ?あなた資格もってるでしょう」

「はあ、以前簿記とかエクセルなどはとりましたが」

 生活がギリギリだったから、資格はいつだって一発合格が信条だったなあ……あのころはいろいろつらかった。

 と、伽耶子さんの携帯電話がなった。それをとりあげたけど、発信者が誰かを見てから、伽耶子さんはぽいとそれを投げ捨てる。

「え、伽耶子さん出ないんですか?」

「あの時の院生だった」

 ……あー、あの時の健気受けか。

 いいのになあ、ドSの裕福な美青年と、朴念仁で素朴な貧乏院生。もちろん調教とかあってほしいものである。伽耶子さんが男でさえあれば……。

 じゃない!いや、妄想している場合でなく、少しは彼にも助け舟を出さねば。


「で、でも出てあげたら」

「話すことはなにもない」

「でもあの人かなり伽耶子さんを意識してましたよ?」

「だって兄より劣るんだもん」

「あの人より勝っていたら百パーセントじゃないですか!そんな人三次元にはいません!」

 二次元でしたらいろいろ紹介できますが!

 私のその言葉に、伽耶子さんはふと静かな目で私を見つめた。その背景としても電話の音は止む。


「百パーセントなら、それはそれでいいような気がする」

 もうそれ以上、なにも動かないから、と呟く。

「あんたが、兄の0.01パーセントになってくれるんじゃないかって思ったんだけどね」

 いえ私はそれほどの価値もありません。

 はっと気がつくと、掛井さんまでも、どこか私に期待していたような目で見ている。

「無理ですから、ほんと」

 私には欠けているところが多すぎるのだ。

 私の言葉に妙な強さを感じ取ったのか、伽耶子さんも掛井さんもそれ以上続けることはなかった。




 結婚式を無事終えた妹から改めて電話がかかってきたのは翌日の夜更けだった。伽耶子さんの携帯電話を借りっぱなしである。

 二人の式はなんだかんだで四次会まであったらしい。祝ってくれる友人が多いことは本当にすばらしい。

『多恵ちゃんこのあいだはいろいろとありがとう』

 今日も何回か電話はあったのだが、お互いになんとなくすれ違っていて、話すことが出来たのは今になってしまった。メールとかでも散々お礼を言われたが、寧ちゃんは電話でも丁寧だった。


「多恵ちゃんのおかげで無事に式が挙げられたみたいなものだから。私、すぐに渡米しちゃうけど、絶対恩は返すからね!」

「そんなの別にいいよ」

 私は寧ちゃんが幸せなら、それで安心できるのだ。

「それでね、フリッツとも相談したんだけど、向こうに行く前に、御飯一緒に食べようよ」

「あー、いいね。写真とかも見たいし」

 なんて普通の姉妹みたいな会話をした。


 伽耶子さんに相談したが、別にあっさりしたものだった。いいんじゃなーい行ってくればー、と家主の許可をもらったので、私は出かけることにしたのだった。

 急な話だけど、と寧ちゃんは申し訳無さそうだったが、寧ちゃんのスケジュールが詰まっているのだからむしろこちらが申し訳ないくらいである。


 二日後に待ち合わせをしたのは、都内の駅だった。

 明るい顔で待ち合わせた寧ちゃんは本当に新妻らしい美しさだ。案内されたのは、少し高級な和食どころだった。

「こんな高そうな店じゃなくてもよかったのに」

「でもお礼したくって」

 寧ちゃんははしゃいでいた。なんだか申し訳ない。

「そういう店知らないですかって聞いたら、ここをオススメしてもらったの」

「へー、フリッツさん、異国の人なのに、こんな渋い店がご贔屓なんだ」

 などといいながら、扉を開ける寧ちゃんについていく。


「え、違うよ」

 寧ちゃんはどこかいたずらっぽく笑った。

「聞いてないの、教えてくれたのは、藤織さん」

 その言葉と、板前さんと女将の、いらっしゃいと言う言葉。


 そして店の奥の半個室となっている小上がりから笑顔を向けてくる藤織さんが重なった。

 ……今までに見た中で、一番イイ笑顔だった。怖い。

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