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49  作者: 蒼治
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 というわけで、ネカフェである。


 あの寧ちゃんのアパートはすでに引き払ってしまっている。私が藤織さんの目を盗んで、こちょこちょやっていた用事と言うのはアパートの片付けとかもあったのだ。

 寧ちゃんの荷物はフリッツさんちとアメリカの新居である。私の荷物は。

 まあほとんど無い。


 荷物の殆どが、DVDだの本だの漫画だのだった。それらを綺麗に売り払っていったら、私の持ち物などほとんど無かった。学生時代の思い出の写真だの文集だの、そんなものも中学までしかなかったし。服もうちジャージ引きこもり用と仕事用二パターンだけだから、わざわざ残すほどのものでもない。

 少しだけ寧ちゃんに預かってもらって、私の荷物はパソコンのほかはスーツケース一つくらいにおさまってしまった。


 それだけ持った私は、とりあえず、今晩はネカフェに落ち着くことにした。

 思い切って本とかDVDとか売って幸いした。少しだけなら食いつなげそうだ。個室のリクライニングソファで私は伸びをした。


 着ていた綺麗な服は全部スーツケースに仕舞って今はジーンズにTシャツという気楽な格好である。これからのことを考えたら気楽ではいられないが、それは明日考えることでいい。とりあえず今は、一畳ないここで少しくつろがせていただくことにする。ていうかすでにくつろぎ放題である。なんというか、空気がうまい。この狭さとか、明日がしれない倦怠感とかそういった漂っているものが、私にマッチしている。こちとら生まれついてのネカフェ難民といっていい。


 藤織さんちというのは、本当に幻だったのかもしれないなあ、と納得してしまいそうになりながら、私は、薄い毛布を被った。狭いソファで精一杯身を伸ばして眠る。

 幸いなのが、寧ちゃんは私が藤織さんとうまくいっているという思い込みを持ってくれたことである。寧ちゃんにはわざわざもったいぶってから「藤織さんちで暮らしている」と説明済みだ。あとは彼女が新婚旅行がてらアメリカに移住してしまえば、こちとら日本で好き放題ホームをレス、できるわけだ。

 藤織さんには、ある日突然寧ちゃんから私の居場所を知らないかという奇怪な相談が来てしまって困惑させてしまうかもしれないが、彼なら十分うまくあしらってくれるはず。


 ああもう、なーんにも心配することない。

 むろん私の心配など、どなた様にも無用の長物であったであろうが(ブックオフで値段がつかない)、それでも私が楽になった。

 昼に飲んだシャンパンのせいもあってか、うとうとと眠くなってくる。

 と、通路のほうでせわしない足音がした。かつかつという、上質のヒールが紡ぎだす音だ。


「渡辺!」

 次の瞬間、明らかな罵声が飛んで、扉が開いた。

 え、私、鍵をかけていたはずですが、とはじかれたように起き上がると、壊れた簡素な鍵が勢い余って額に飛んできた。かろうじで避けて私はそのかしがったドアを見る。

 蹴り壊したことがありありとわかる状態だ。ためらいなしで蹴り開けた!

 そのすらりとしたおみあしを、ゆっくりとおろして、伽耶子さんは私を眺めていた。その蔑み加減が最高ですが、ドアの修理代のことを考えると、おちおちマゾってもいられない。


「か」

「渡辺!ちょっとあんた来なさい」

 伽耶子さんが私の襟首を掴む。この勢いで、学校の体育館裏に呼び出されるのは、締め上げられるときと相場が決まっている。古今東西すべてのヤンキー漫画でそうだと行っていい。

「伽耶子さん、あの」

「黙れ」


 そのまま伽耶子さんは、周囲の視線などさっぱりかまわず、私を引きずるようにして店の出口に向かった。怯えた目で見ているレジのアルバイトに、ドアを直してお釣りが来るくらいの札をカウンターに叩きつけるようにして渡す。

「騒々しくしてもうしわけなかったわね」

「そ、捜査ご苦労様です」

 って、なんていったのだろうか伽耶子さん。つまりは私が犯罪者扱いである。まあ、私の脳内がうっかり駄々モレしたら、間違いなく性犯罪者だとは思うが。


 私は店の外に連れ出された。

「伽耶子さんひどいです。私もうこの店恥ずかしくてこられません!珍しく、BL系の出版社が充実しているネカフェだったのに」

「知ったことか!」

 伽耶子さんは私を見下ろた。

「渡辺寧子じゃなかったんですってね」

 私はのろのろと、そのネカフェの入っているビルの階段に座る。そして伽耶子さんに笑顔を向けた。

「はい、渡辺多恵と申します」

 伽耶子さんは逆にため息だ。


「いわれてみればそれはそうか。私が調べたとき、渡辺寧子の会社の連中は褒め言葉の中に『すごく女の子らしくておしゃれで可愛い』とかもまぜていた……その時点で気がつけ私!」

 なぜかバカにされた気がする。伽耶子さん、さすがナイス攻め。


「掛井も知っているわよ」

「情報がお早い」

「どうするの」

「どうするもなにも」

 私にはもう何もかもが関係ない話であろう。

「もう藤織さんには会いません」

「なるほどそういう心積もりか」

 伽耶子さんはあっさり認めた。

「でも、これで引き下がるなんて、兄と掛井が許しても、私が許さないわ」

「伽耶子さんには、関係な……」

「いわけないのよ」


 もう次のレベルに言ったら目からビーム出るんじゃないか、と思うくらい剣呑な目で伽耶子さんは私を睨む。ああよかった、人間が目からビームでるように出来てなくて。

「掛井があんたと結婚しなかったら、次は私にめんどくさいことが回ってくるじゃない!すごく迷惑だわ!」

「もー、伽耶子さんと藤織さんで結婚して、後継げばいいじゃないですか。藤織さんにちょっと婚姻届にサインさせるくらい、伽耶子さんにも出来ますよ」

「それが難しいから困っているんでしょう」

 難しくなかったらやる気満々伽耶子さんである。


「とにかくあんた手伝いなさい」

「何をですか?」

「紗奈子探し」

「だって伽耶子さんは連絡取り合っていたんですよね」

 伽耶子さんは首を横に振った。

「ここしばらく、まったく紗奈子と連絡とれないの。こちらの動きを察して逃げているかもしれないけど、それでも私にさえ連絡とってこないなんておかしいわ。一度頻回の着信があったんだけど。その時は仕事でとれなくて、それっきり」


 ふと私は、先日ひどい目に会いかけた飲み会のときの話を思い浮かべた。

 紗奈子さんがいかがわしい青年達とつるんでいたところを見た、という、あのろくでもない男の話だ。

 話した相手が相手なので、いまひとつ信憑性に欠けることは欠けるが、それでも今はその手がかりしかないような気がする。

 でもそのことを伽耶子さんに言うのはなんとなく気の毒なような気がした。伽耶子さんは紗奈子さんのことを本心で心配しているから。

 どうしようかな……。


「とにかく乗りかかった船でしょう!頑張りなさい」

 できれば沈没予定の船から逃げるねずみのごとく、一目散に逃げたいが。

「はあ……」

 私は肯いた。

「そうですね……このまま掛井さんをほったらかしというのも気が引けますし」

「そうこなきゃ。よし、じゃあ帰るわよ」

「どこに」

「さすがに騙していた相手のうちには戻りにくいでしょう。しばらく兄はそっとしておいたほうがいいわね。火に油を注ぐのは私もいや。しかたないから私のうちにいらっしゃい」

「そんな、申し訳ないですよ!」

「つべこべ言わずに来なさい」


 伽耶子さんはいまや私の全財産になってしまったスーツケースを勝手にひっぱって歩き始めた。いくら伽耶子さんがそういってくれても、伽耶子さんのご自宅は藤織さんちの下なのだ。さすがに居心地悪い。


「いいじゃない」

 伽耶子さんは振り返って笑った。

「私に無理やり連れてこられたっていえばいいのよー」

「伽耶子さんはどうしてそんなに私に親切なんですか?」

 私は伽耶子さんの言葉を遮るように問いかけた。

「私は伽耶子さんにとって、ライバルなんですよ?」

「なにいってんのバカ」

 はいバカでしたすみません!と思わず脊髄反射で土下座したくなるような断定だ。


「あんたが私のライバルなんて、思い上がりも甚だしいわ。兄に好かれている事以外、あんたが私に勝っているところなんてあるの?」

「チリ一つ分もございませんでした」

 清々しいほどの虫けら扱いはもはや神の所業。


「だから、早く他も追いついていらっしゃい。あーあ、雑魚を育てるのも大変よー」

 そっけなく言ってから、伽耶子さんは歩き始める。


 少しだけ伽耶子さんの言葉を噛み締めて、それでちょっと泣きそうになったけど、我慢して私は伽耶子さんを追って走り始めた。

 伽耶子さんは本当に藤織さんが好きなのだろう。なんでそんな感情を持ちえたのかについては、私にもわからない。伽耶子さんからは近親相姦とかそんなある意味不健全な部分は他に何一つ見出せないからだ。なにかしらの事情があるのかもしれない。


 とにかく、すごくすごく藤織さんが大好きで、大好きな人に幸せになってもらいたいと願っている伽耶子さん(その手段に私を持ち出すのは、攻めの女体化くらいの意味不明感が拭えないが)。

 ……伽耶子さんの言葉が藤織さんのためだけであったとしても、私はこの人が好きだ。

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