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49  作者: 蒼治
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 二度寝のあと、七時くらいに二人で起きだした。藤織さんが、コーヒーを入れてくれる。

 ありがたいことに昨晩の雨が嘘のように晴れていた。


「私今日、親戚の結婚式なんです」

「……そういえば前からそんなこと言っていたな」

 ということで、今日は紗奈子さん探しは休みである。

「どこで結婚式なんだ?」

「そんなに大々的にはやりません。レストラン借り切っての披露宴が主体です。でも私、受付とか雑事をお願いされているので、早めに行かないと」

「大変だな。送っていってやろうか?」

「すみません。それではお言葉に甘えまして、一応美容院を予約していますので、そこまで」

「ふうん」

 なぜか頭を撫でられた。


「ちゃんとセットするということを覚えたか、えらいぞ」

 これで褒められるのだから、以前の私が知れようというものである。

「ところで、どこのレストランなんだ」

 私がその店の名前を告げると、藤織さんは肯いた。

「あそこは料理もうまいし、レストランウェディングについてもわりと慣れているからスムーズに出来るだろう」

 ああ、でも、と藤織さんが変なところで言葉を切る。

「……ナベは」

「私は確かにあまり料理の味はわからないかもしれないですね」

 それはいいのだ。


「でも結婚式の価値はそれだけじゃないですから」

「それでもな」

 藤織さんはまっすぐ私を見て言う。

「味覚障害治ったらら、今度は僕がつれて行ってやる。早く治さなかったら許さん」

「いえあの、命令されてもですね……」

「命令されるまえになんとかしろ」

 命令に命令を重ねるって、ちゃんとした文法として名称があってしかるべきなんじゃないかとこんな時に思うのである。重複命令形とか。

 使う人間は藤織さんくらいしかいなさそうだが。




 式の始まる前は、目の回るような忙しさだった。

 場所は、街の高台で綺麗な庭のあるレストランだった。新郎が新婦にプロポーズしたという思い出の場所でもあるらしい。

 新郎はなんとドイツ人である。しかしべらぼうに日本語達者だった。新郎新婦ともに、理系出の研究者で、結婚後は渡米することになっている。新郎の転勤に付き合って、新婦は勤めていた会社を辞めて、渡米先で別の会社に就職が決まっている。

 なんというか、華やかな話である。


 そんなわけで、二人は結婚式を控えて非常に多忙であったのだ。

 涼宮の遺言騒ぎとはあまり関係なかったので語らなかったが、わりと私もこの式に関しては頑張っていた。

 新郎新婦が出来なければ、私が頑張るしかない立場だったので。

 あの暴漢に襲われて入院沙汰になった日も、アパートに戻ったのはこの結婚式の用事があったからだ。座席表のデータとか、パソコンに入っていたので、それを取りに行って作業を続けたいというのも大きかったのだ。

 涼宮の遺言騒ぎに巻き込まれるのが、結婚式の出欠席がほぼはっきりした後でよかった。あれさえ終われば大体の用事は終わりだ。


 掛井さんと温泉宿に取り残された翌日、ちょっと用事をすませたのも、ここによってオーナーと打ち合わせをしていたため。

 まったく先日までひきこもり同然だったとは思えない活躍っぷりである。これはもう自分で自分を褒めてもあたりまえだ。


『新郎新婦は昨日、無事入籍を終え……』


 司会者が二人の結婚の報告をしている。外国人と結婚すると手続きがまた面倒な事ばかりであるようだ。

 本当はもっと早く入籍しておけば、いろいろ落ち着いてできたのに、新婦の意向で入籍は昨日になってしまった。新婦も言い出したら聞かない女だからなあ……。

 式が始まって、私もようやく一息つけた。

 ああ、でも来てくれた方々にお酌とかまわらないと。やるべきことがありすぎる。

 血縁が結婚すると、なかなか結婚式も楽しいばかりではないようである。




 披露宴が終了後、客を見送るまで、結局落ち着くヒマもなかった。

 花の咲き乱れる庭で、最後の一人を送って私はようやく息をついた。新郎新婦ともにすでに両親が亡く、新郎の親族は遠方のため殆ど呼ばれていない。

 彼らの友人ばかりで気楽だったけど、忙しかった。


 新郎新婦はまだ残っているが、奥の控え室で着替えている、これから二次会に行くとか言っていた。

 私は店の前に置いたウェルカムボードを見た。ガラスの板に、二人の名前が綺麗に刻印されている。その周りは花で囲まれて、なかなか壮観だ。



 HAPPY WEDDING

 FRITZ DIEGELMANN

     &

 NEIKO WATANABE



 私がそれを眺めて読んだとき、後ろから、同じ言葉が聞こえた。

 ……ああ、やっぱり来たんだ。

 私は振り返った。

 温かい光の下に、藤織さんが立っていた。その表情は見たことがないくらい、固く冷たい。


「どうしたんですか、藤織さん」

「……その靴で、引き出物抱えて帰るのは大変だろうと思って、迎えに来た」

「ありがとうございます。でも平気です」

 私は彼に微笑みかける。どうだろう、藤織さんの選んでくれた品のいいワンピースと細いヒールの靴、きちんとセットされた髪、ちゃんと化粧もして、多分私はいままで一番綺麗にみえるように頑張っていると思うのだ。


 最後に一番綺麗な姿なら、悪くない別れだ。


「それに、私、もう藤織さんのマンションに帰る必要はありません」

 藤織さんは一度だけ深呼吸をした。それからゆっくり口を開く。

「……どういうことか、説明してもらおうか」

「見たままです」

 私はちらりとウェルカムボードを見る。藤織さんも信じられないものをもう一度確認するように、それを見つめた後、私に尋ねてきた。そこに躊躇いがあったのかはわからない。


「なんで、渡辺寧子の名がそこにある」

「彼女が今日の花嫁だからです」

「お前、結婚したのか!?」

 二人の名を、藤織さんは読んでしまっていた。

 どうなのだろう、私がこれをさっさと隠していれば、もう少しこの関係は続いたんだろうか。いや、どうせそう遠くなくバレることだ。


 それに……。

 私はあいかわらず、ヘタレだ。

 藤織さんをごまかし続けることが、もう限界。


「藤織さん」

 私は微笑んだ。

「私が、今まで一度でも、自ら、私は渡辺寧子である、と言ったことがありますか?」

 おそらく無いはずだ。

 嘘はどうせ下手だから言わない、でも本当の事も言わない。


 藤織さんは、最初に会った時「渡辺寧子だな?」と問いかけてきた。私はそれに答えなかった。そして始まった勘違いで、ずっと今まできたのだ。

 彼は、しばらく無言で私を見つめていた。ゆっくりと、何か怖いものにでも触れるようにやがて口を開く。


「君は誰だ」


 藤織さんは最初にそう聞けばよかったのである。

 藤織さんのたった一つの誤解、そして私の唯一の意地から、ここまできた。

 私は一度、深く頭を下げた。そして顔をあげ、藤織さんに言う。



「渡辺多恵と申します」

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