表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49  作者: 蒼治
34/60

34

 やってしまった。

 やらかしてしまった、という意味ではない。そんな意味なら今に始まったことではなく、私は存在そのものがなにかしらやらかしている。

 やってしまったのは昨日の晩だ。


 私ははじめてみる部屋の天井を見上げている。

 ちょっと首を曲げれば壁面一杯の本棚と、そこに詰め込まれた数々の書籍。純文学から西洋文学の原書、かと思えばベストセラーになった大衆文学。その読書量はハンパない。なんで理系のくせにこんなに本読んでいるんだろう。

 私は「こんな本棚に古今東西のBLと同人をつっこめたらどれほど壮観だろう」と腐女子らしく思うくらいだ。同人は薄いから、この十倍は冊数として収納可能である。まさに無限。


 品のいいカーテンのわずかな隙間からは、外の光がこぼれていた。

 今日はちょっと私もでかけなければならない、さすがに冠婚葬祭とあれば、出席しないわけにもいかないのだ。部屋の時計はまだ五時だ。もうちょっと寝ていられる、ていうか今は起きられない。私は小人の国のガリバーよろしく動けないのだ。

 藤織さんが、背後からぎっちり私をホールドしているからだ。


 下着一枚のこの身には、その温度が大変快適である。確かに雪山で遭難したならば、全裸で温めあうべきというのは真理である。

 つまりは。

 昨日藤織さんと同衾してしまったというわけである。



 墓から帰ってきたのは、零時を過ぎ日が変わっていた。

 墓場で私を抱きしめた藤織さんだけど、その時間はそう長くは無かった。あっさり身を離すと、そのまま私の手を引いてその場を後にした。私も親の目の前で色事はさすがに気が引ける。隠してあったAVを見つけられた男子高校生だってここまで気まずくはないだろう。

 二人とも、なんだかんだで雨に濡れ、冷え切っていた。帰りの車ではで、私も藤織さんも無言だった。

 部屋に戻ってきた私は、藤織さんに聞いたのだ。もう一度、お風呂は入りますかと。


「いや、後でいい」

 藤織さんが部屋の温度を調節するのを感じならが、私はリビングで窓の外を見ていた。そのときはまだ雨が降っていた。明日の天気をふと心配していたときだった。

「ナベ」

 背後から伸びてきた藤織さんの手がひょいと私の肩をつかんだ。あっというまに自分の方に向けて藤織さんは私の腰を引き寄せる。

「藤織さん」

 そんで気がついたらキスとかされていた。


 やはりここは、ぎゃーと叫んで突き飛ばして逃げ出すべきだったのか?

 そりゃどれほど相手に気がないから出来る行動なのか。ちょっとでも気があったらそんなことできない。

 そして私の藤織さんへの気持ちは、ちょっとやそっとで片付くことではない。本当はまだ何も片付いていない以上、こんな恋愛沙汰にうつつを抜かしている場合ではないのだが。

 そもそも人生上の空なので許してほしい。


「藤織さん」

「いまひとつ、ナベの考えていることはわからない。ナベがちゃんと僕を見るまで、このままの生ぬるい関係でもいいと思っていた、でもそれじゃお前は絶対これ以上なにも進展させたりしないだろう」

 藤織さんの言葉は、静かだ、でも諦めとかではない。

「僕はお前を好きだ。この言葉くらいちゃんと聞いておけ」

 藤織さんは、まっすぐに私をみて、お前を好きだといった。

 その言葉を。


「……私もです」

 私だってその言葉は願っていたのだ。それが自分の立場を悪くすることだとわかっていても。

 私はぎゅっと彼を抱きしめた。それが昨日……というか、今日の深夜零時四十八分。

 そして今まで未開の地であった藤織さんの部屋にひっぱりこまれた。



 わたしは身じろぎした。なるべく静かに寝返りをうってみる。

 さすがに体を動かさないでいることがつらくなってきたからだ。でも気がついてしまったようで藤織さんが薄く目を開けた。

「なんだ、起きたのか」

 目の前に藤織さんの整った顔があって、正視できない。私も人並みに羞恥心があったというわけだ。


 ていうかその腹筋とか何ですか。

 俺様っぷりの権化である藤織さんだが、その行為については優しいなんてもんじゃなかった。その優しさが、過去の女性の影をもちろん感じさせたのだけど、しかし藤織さんにそういう経験がないというのもむしろ妙な話である。

 実は女じゃなくて男遍歴があったということでも、喜ぶのは私くらいであろう(さあ祭りだ!)。

 藤織さんのその完璧っぷりがあれば、どれだけ遊んでいてもおかしくないのだけど、そこまで女性に対して執着もなさそうだった。


 伽耶子さんの話では、藤織さんが好きになった相手もいたと言う話だから、普通に恋愛だってしてきたのだ。藤織さんの選ぶ人なら、おそらく素敵な人だったに違いない。

 そんなあたりまえのことに嫉妬する自分がアホだとはわかっている。

 大体、藤織さんが私を抱いたのも、どう考えても私にとって棚ボタである。藤織さんが私ごときで満足しなければならない道理は無い。それに昨日の私はなんだ!


 マグロなんてもんじゃない。マグロにだって、凍っているマグロと凍っていないマグロがあるとすれば、私はもうさっきスペイン帰りの船の冷凍庫からだしてきましたこれからセリ用のナンバーつきますくらいのカチカチっぷりであったと思われる。

 それに今、この瞬間も、何言ったらいいかわからずに、むくんだアホ面さらしているわけだ。かける言葉もないであろう。


「かわいかった」

 藤織さんがそう言って、私の額に接吻など施してきた。


 ……まったくもってこんな時まで完璧な対応である。そうやって完璧だとこちらが対応に困るではないか。むしろ、いつまで横で寝ているんだ出て行けくらいに蹴り出された方が、気分的に楽なくらいだ。

「なんだ、ナベの癖に一人前に照れているのか」

「……なぜそれを言葉にして確認するのかが理解できません」

 私は罵られるのはいいが、言葉攻めは好かぬ。


 寝返りうって背を向けようと思ったが、抱きすくめられて阻止されてしまった。

「褒めているんだ。もうちょっとくらい可愛いところを見せてみろ」

「無い袖はふれません」

「お前はケチなだけだ」

 無えもんは無え、という言葉を藤織さんはご存知ないようである。


「……ただ、僕もケチな男だ。ナベを掛井にくれてやるのは、もう惜しくてできない。ちゃんと紗奈子を探すことに本腰入れて、そっちで解決していかないと」

「は?」

「……従姉妹って何か問題があったかな」

 藤織さんは独り言のように言った。

 いまさら蒸し返すが、藤織さんの父親の妹である渡辺玲子が我が家こと渡辺家の母親であったという話だ。

「なんで伽耶子は兄なんていう近い存在の男しか見ていないんだと思ったが、こうなると僕もそれを笑えないな。選んだのが従姉妹とはね」

「結婚可能なのは、通常いとこからです」

 世の常識にはうといがそれくらいは知っている。近親相姦もののBLで知った。


「そうか、いいな」

 藤織さんは笑った。

「まさか自分がいまさら結婚なんて考えるとは」

「藤織さん」

 私は呼びかけてはみたものの。


 ……なんというか、藤織さんが私と寝てしまったのは、うっかりということでいいと思うのだ。正直私としては、むしろこちらが金払って当然というレベルの女なので、どっちかっていうと施していただきありがとうございますという気分である。

 だから藤織さんが、私に対してなにか責任じみたことを思っているなら、YOU忘れちゃいなヨで、当方まったくかまわぬのである。

 きっと昨日は、藤織さんは、私が雨に濡れて、きゅんきゅん鳴いていたから可哀そうに思ってしまっただけだ。


 古典として、誰だってダンボールの中で雨に濡れている捨て犬がいれば、抱き上げてしまうのがセオリーである。そしてそれも目撃して攻(不良)の思わぬ優しさに、受(ツンデレ美少年)も惚れてしまうと。はいここまでワンセット。

 魔がさすことくらい、藤織さんにだってあるはずだ。

 最初で最後でいい。

 しかし、そんなことを口にすれば、逆にプレッシャーかけていることになる。藤織さんは私のプレッシャーごとき、そよ風でもないだろうが、そんな風に思われることが嫌だ。そよ風ならむしろ空気扱いのほうがいい。


「何を言いかけてやめたんだ?」

「ちょっと呼んでみただけです。『御主人様』とどっちにしようか悩んだのですが」

「……それも悪くないな、今度そう呼ばせてみるか」

 ……この人実はホンモノなのだろうか、もしかして。

 しかし『今度』がないことくらい私にはわかっている。

 ちゃんと起きだして、『昨日の晩』が終わってしまったらもうそれで終わりである。


 私は藤織さんの胸元に額を付けた。

「もうちょっとだけ寝ててもいいでしょうか」

「そうだな、まだ早いな」

 藤織さんの言うように、私はおそらくケチなのだろう。『昨日の晩』が終わるのがもったいなくて、私はまた目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ