33
「どこにいこうとしていたんだ?」
藤織さんは私の意図などかるく見抜いてしまいそうな奥行きある目で見ていた。いまだに聞こえる小さな雨の音は、その空気の湿っぽさまで伝えてきそうだ。
明日は晴れてくれるだろうか。
「ええとお手洗いに……」
「いまさらこの家で迷うのか?」
藤織さんは機嫌悪そうだ。困ったなあと、私はもっていた鞄を握り締めた。
「何を持っている?」
「ひ、秘密です」
って言ったそばから鞄を取り上げられた。いまどき思春期の男子中学生だって、もっとまともなプライバシーが与えられるであろうよ。
藤織さんが鞄から自分が取り出したものを見て、一瞬の間の後、首をかしげた。
「……なんだこれは」
先日伽耶子さんと一緒にお出かけした際に、こっそり購入してきたものである。
「線香です、あ、お手ごろ大量生産品ですが」
「いや、それは見ればわかる」
「ちょっと墓参りに行こうと思いまして」
正直に言ったのに藤織さんがどう考えても疑っている声で言った。
「いま……深夜十一時だが……?」
「本当は昼間に行きたかったんですが、いろいろ多忙だったのでこの時間になりまして。でも今日は今日です。急いでいけば間に合います」
「どの墓だか知らないが、そんな慌てなくても墓は逃げないぞ。明日だったら土曜日だ、僕が送ってやる」
藤織さんはあいかわらず優しい。そして聡い。
こちらが申し訳なくなるほどに。
「……もしかして今日は両親の命日か!」
その聡さが私の胸を痛くする。あの日と同じ雨の音にあわせるように私は微笑んだ。
「じゃあ、伽耶子になんて付き合って、今日出かけている場合じゃなかったんだろう」
藤織さんの反応は予想とは違っていた。
いつだって、幽霊もへったくれもあるか、と冷静にオカルトを罵倒しているというのに。私の両親の命日で慌てている。
「伽耶子さんは私の数少ない友達です。彼女の言うことは聞いてあげたいです」
「だが」
藤織さんは言いかけて、そんな場合じゃないと思い当たったらしい。私の腕を掴んで、玄関を飛び出した。
「藤織さん?」
「送ってやる」
私も藤織さんも、くつろぐための服装だ。出かけるかっこじゃない。でもそんなことに意識をむけることも出来ないくらい藤織さんは慌てていた。エレベーターで地下の駐車場まで降りる。
藤織さんの反応は意外だ。
藤織さんが私の全てを知るわけではないように、私も藤織さんについて知る部分と言うのは少ないのだろう。
両親の墓地は、そう都心から離れていない寺にあった。境内を抜けて裏に行くと墓地が広がっているのだ。
つまりプチ肝試しなわけである。
「藤織さん」
雨で湿った空気に苦笑いしながら私は行った。
「まるで幽霊がでそうです」
「そんなものを信じているのかナベは」
信じていない、以外に許される空気のまったくない強い発言である。ちなみに私は信心深いので、幽霊はおろか、オーパーツも古代文明もプラズマも「NASAは宇宙人とすでに交流している!」も全て信じている。やおよろず。
「死人は死人だ。幽霊なんてものはあとに残された生者の心の中にしか存在していない」
ごもっとも。
人っ子ひとりどころか、灯りもない中を、私は藤織さんと手をつないで進んだ。これはもう釣り橋効果の人体実験以外のなにものでもない。
こんな状況では、私の萌え妄想もさすがに沈黙である。墓石×卒塔婆くらいしか思い浮かばないな。いやまてよ、このカプはやはり受け攻め逆だろうか。よく考察すべきところである。うかつに逆カプだと無用な争いが起きかねないからカップリングには気を使わねば。
すくなくとも間違いなくバチはあたりそうなことを考えながら、私は藤織さんに墓の場所を説明しながら進んだ。
「もうすぐ日が変わってしまうな」
藤織さんはぽつりと言った。
車に乗せてくれた藤織さんはものすごく飛ばしてくれたのだった。この「神も何も信じてない」雰囲気ダダ漏れの藤織さんがこんな親身になってくれるとは。
「あ、ここです」
私はようやく見覚えのある墓石を見つけた。薄暗くて見づらいが確かにそこには渡辺の名が刻んであった。すでに昼間誰かが訪れたのだろう。墓石はきれいに磨かれ、花が飾ってあった。
私はその墓石を見て立ち尽くす。
本当は。
私はそれが本当にここで間違っていないのか、確信をもつことさえ出来ないのだ。
「私」
藤織さんは、傘をさしていてもどこか湿ってきた髪をかき上げた。
「なんだ」
「私、お葬式以来、初めてここにきました」
あれはもう、何年前のことだったろう。それでも場所を覚えていた自分を褒めてあげたい。
「……だって、二人が亡くなったのはもう随分前なんじゃないのか」
「それからずっと来ていなかったんです」
ここにきたら、両親に怒られるような気がしてどうしても足が竦んだように動けなかったのだ。行かないことでさらに後ろめたさを強くしようとも、私はここに来ることが出来なかった。
「……お墓、思ったより綺麗」
「なんでこなかったんだ?」
藤織さんの問いはいつだって容赦ない。
「秘密です」
「自分で向きあえもしないことに、かわりに答えをくれるような存在はいないぞ」
……わかっているが、腹の立つ男である。
「なんでだろう……私がふがいないから、きっと嫌われているような気がして」
……本当にそうなんだろうか。まるで何かの公式なコメントのように流れるようでしかも迷いが無い。自分は本当にこんなふうに思っているのだろうか。
本当は、
「……にくまれ、て」
いるような気がするんです、とそこまでは言い終えられなかった。
わっと涙が溢れてきたからだ、
「ナベ」
藤織さんが立ったまま私の肩を引き寄せた。
いつだってクールな藤織さんにこんな姿をみせるのはなんだか恥ずかしい。でも藤織さんは私が願ったときにいつだって何かを差し出してくれるように思える。
……この人はそれなら何が欲しいんだろう。
「……僕の親は別だが、普通の親は子供を憎んだりしない」
「……あの人だって、藤織さんを憎んでいるわけでは」
藤織さんは私の言葉は完全に無視する。彼の完璧さは、私の稚拙な慰めも必要としないのだろう。
「ナベは余計な気をまわさなくていいよ」
「はあ……そうですか」
それから私は少しだけ自分と両親の話をした。
とても良い人達だったのだと。普通の家族のような非の打ち所のない血の繋がりは無かった四人だけど、楽しく暮らしていたという昔の話。
雨と風で、けして快適な空間で無いにも関わらず、藤織さんは黙って聞いていてくれた。最後に私が派手にくしゃみするまで黙って聞いていたのだ。
藤織さんがこんな穏やかな態度でいるなんちょっと信じられない、新手の放置プレイの一環だろうかと一瞬かんぐるほどだ。
それから二人で真夜中だというのに、線香を焚いてきちんと手を合わせた。
藤織さんはこんなどこか間の抜けたことをしているときも、取り乱すことが無い。伽耶子さんのいっていたことが私にも徐々にわかり始める。
この人は、こんな馬鹿馬鹿しいことにつきあわされてなお、けして自分を失わない。誰かを支えることでさえ、揺らがないのだ。
人という字は支えあっているという。
でも違う藤織さんは支えるだけで、自分が支えられることさえ求めていない。あの伽耶子さんでも、彼の何も傷つけることができなかった。
いつか私は藤織さんと離れるときが来るだろうと思っている、その時は藤織さんを傷つけるだろうと思っていたけど……藤織さんはそんなことさえないのかもしれないと予想を変えた。
「寒いな」
ふと藤織さんは言う。
雨はそう強いわけじゃない、傘もさしている。でも長い間そこに立ちすぎていた私達の服は重く湿っていた。
「ナベは寒くないのか」
「脂肪沢山着てますから」
唯一の自慢をして、私は藤織さんに笑いかけた。
「いっしょに来てもらえて本当に助かりました。私ひとりじゃ入り口で帰っていたかもしれません」
「……」
藤織さんが手を伸ばして私の頬の湿り気を拭う。雨なのかさっきの涙なのか自分でももうわからない。ただ藤織さんの手は温かい。
「藤織さんは寒いんですか?はやく戻りましょう」
藤織さんは急に私の手を引いた。傘を取り落とした私を、自分の傘の下に入れる。
「藤織さん?」
霧雨ほどの体温しか私も持ち合わせていないのに、なぜか藤織さんは私を抱きしめた。
「やっと、可愛らしく笑ったな」
か。
かわ?
「いつもお前は上の空に笑っていた。ようやくナベが僕を見ている気がする」
私が藤織さんの言葉をはぐらかしても、ずっと怒りもしなかった藤織さんが抱えていたなにか。それがようやく少しだけ私にもわかる。藤織さんも思うところはもちろんあったのだ。
「ごめんなさい」
藤織さんの胸にむかって私は吐き出す。
「別に謝ることじゃない」
藤織さんの手に声に体温に情欲を見つける。でも私だって、それに抗うつもりはまるでない。




