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起きたら部屋に藤織さんがいて一瞬混乱した。
昨日寝ろと言われて、私に充てがわれている部屋に帰ったのだが、なぜか藤織さんはその後ここに来たらしい。
椅子に腰掛けて、腕を組んでいる。そのまま寝てしまっているけど。
なんでここにいるんだ、と思って気がついた。
藤織さん、薬物摂取してしまった私が心配で、ここで一晩見ていたのだ。そんなこともつゆしらず、私は本気で惰眠を貪ってしまった……。奴隷として最低である。
私が起き上がっても、藤織さんは目を覚まさなかった。昨日はすごく長い一日になってしまったであろう。
私は藤織さんをまじまじと見つめた。目を閉じていてもその端正さはまるで失われない。
今日は何日目だったろうかと、考える。四十九日が終わるまで、あと二週間ちょっとか。それで藤織さんとは完全に切れてしまうのだと思うと、悲しい。この人の優しいところとか、強いところとか、すこしでも私が得られたならいいのにと思う。
私は藤織さんがしがらみに囚われず、自由に生きてくれればいいと思う。
掛井さんが周囲の思惑に振り回されずに思うようにしてくれればいいと願う。
伽耶子さんが好きな相手と添い遂げられれば嬉しい。
でもそのどれにも、おそらく私はまったく役に立たないのだ。いつだって好きな人の役にたったことが無い自分が呪わしい。
「藤織さん」
私はベッドから降りて藤織さんに声をかけた。
「……ああ」
藤織さんが目を覚ます。関節を鳴らすようにして伸びをした。
「ナベが起きるより早く起きられるかと思ったが。さすがにだるいな…………さて仕事にいかないと」
「昨日、あまりよく寝ていないんじゃないですか」
「一晩の貫徹くらいならまだ持ちこたえられる年齢だと思うから大丈夫だ」
藤織さんは立ち上がった。やはり眠そうな目だったが、冷静に私をみて言った。
「調子は悪くないか?」
「大丈夫です」
コーヒー飲むか、と言って藤織さんは部屋をでた。それについて私も部屋を出る。何かお手伝いを、と思ったが、無能自慢の私にできることが無い。とりあえずカップは出した。身支度してやってきた藤織さんがコーヒーをいれてくれる。
向かい合って、二人でコーヒーとか飲んで。
なんというか、今朝は不思議な事に藤織さんの畳み掛けるような悪態がない。なんだろう、藤織さんは何か考えているようだ。
「思ったんだが」
藤織さんはぽつぽつ話し始めた。
「一番望ましい結果は、掛井が紗奈子とうまくいくことだがちょっとそれは見込みが甘いような気がするんだ。温厚な性格といえばそうなんだが、基本的なところでは紗奈子も伽耶子に似て頑固だからな」
「……そうですか」
「ただ僕も、涼宮に関わるのかはごめんなので、こうなったら掛井には諦めてもらうしかないと思っている。誰も継ぐものがいないなら、涼宮なりに考えるだろう」
「掛井さん、気の毒です。でも私思うんですが、掛井さん、涼宮を継ぐということに関してはあまり執着ないような気がするんですよね。どちらかというと、紗奈子さんのことばかりが気になっているみたい」
「掛井は紗奈子を傷つけたと思っているからな、後悔でもあるんだろう」
今日は日が翳っていた、ここしばらく天気は崩れそうだ。まあ週末までに戻ればいいけど。
「でも掛井は誠実な仕事に関しては定評があるから、どこにいってもなんとかやれると思う」
だから、と藤織さんは続けた。
「どちらにしても、僕の意思はかわらない」
「はあ」
……はて、なんの意志であろうか。
「……とりあえず、このぐだぐだが終了したら、お前はここに引っ越せ」
朝っぱらから人様に命令して許されるのは、ラジオ体操くらいじゃないだろうか。
「は?」
「一緒に住むんだ」
「なんの話かさっぱりわかりません」
「わかれ」
藤織さんは言い放った。カップを置いて立ち上がる。そのまま出かける準備に入ろうとしているので、私も慌てて彼を追いかけた。
藤織さんと掛井さんが同棲という話でしたら、ぜひがぶりよりで話に混ぜて頂きたいところですが、私が対象となるようですとそこは一つそちら様の頭を心配しなければなりません。
「なんで私……」
「決定事項だから」
何が決定なのか。そんなの勝手に決めていいのなら、私だって掛井×藤織で、何が何でも藤織さんを受けにしてしかも乙女属性つけてやる。藤織さんに「……そんなとこさわったら、らめえ!!」とか言わせてやる。どうだすごく嫌であろう。
「あ、あのですね」
藤織さんは少しだけ陰鬱な顔をした。
「掛井には、僕が話す」
……そうか、そのことが気がかりなんだ。
「それはとりあえず棚に上げてください。なるべく高い場所、見えないくらい。藤織さん早まりすぎです。まだ出会って一ヶ月くらいしかたってないんですよ」
「毎日一緒にいるが」
「だって長く付き合ったカップルも、同棲したらうまくいかなくなったりするじゃないですか!」
「はなから同棲みたいなもんだろう」
「でも付き合ってみないとわからないじゃないですか」
「ナベ」
藤織さんはスーツのジャケットを手にして振り返った。
「お前は僕をどう思っている?」
とっさに答えられなかった。
私の唯一の気持ちと、藤織さんの欲しい言葉は等しい。でもいろんな事情考えると、それをあっさり言葉にすることが出来ないのだ。
ナベ、と藤織さんが呼ぶ。そのまま伸びてきた手に私は大人しく掴まって引き寄せられた。この人が見ているものと私が見て欲しいものは等しいのだろうか。そもそも私に見て欲しいものなどあるのだろうか。
藤織さんが接吻など額に落としてくるのをありがたく頂戴する。
「……どうして答えない?」
「……私は藤織さんみたいに、潔くないからです」
藤織さんは曖昧な私を責めなかった。もしかしたら責めたかったのかもしれないが、その時に藤織さんの携帯電話が鳴ったのだ。一瞬の間の後、藤織さんは気まずそうな顔もせず、ただ少し何かを言いそびれたような顔をして電話に出た。
「ああ、掛井か。おはよう」
早朝から電話してきたのは掛井さんだった。
「そうか、僕が頼むより先に、伽耶子がキレたか」
朝っぱらだというのに、藤織さんはなぜか愉快そうに笑った。
「じゃあ伽耶子に渡しておいてくれればいい」
なぜだろう……藤織さんは楽しそうなのに、邪悪に見える。日常生活で邪悪なんて言葉、使う機会もないと思っていたが……。
掛井さんからの短い電話を切ったあと、藤織さんは私を見る。
「ナベはちゃんと布団にはいって無理しないで寝ているんだぞ。で、あのバカ大学生の処遇について今日一日のんびり考えていればいい」
「いやそんな、どこのどなたかもわからない相手をですね……」
藤織さんは楽しげに笑う。
「ま、僕も今日は早く帰ってくるから」
なんて、どう考えても悪人みたいな笑顔で言った。




