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伽耶子さんから飲み会の連絡があったのは、三日後だった。
すばり当日である。夕方洗濯物を畳んでいたら、伽耶子さんがやってきて、これからでかけるわよ、何のん気に洗濯なんて畳んでるのと罵られた。
「事前に予定伺ってましたでしょうか」
「今言いに来たに決まっているでしょう?」
愚問でした、あいすみません。
それで伽耶子さんにひっぱられて伽耶子さんちで着替えたり化粧したりしてそののちに連行である。もう自分がどんな顔をしているのかわからない。
「あのっ、藤織さんまだ帰っていなくて私なにも伝えてないんです」
「へいきよお」
伽耶子さんは歌うように言っているが果たしてほんとうに平気なのであろうか……。
「今日の相手は、紗奈子の通っている大学の連中。合コンというより飲み会かな」
店の近くでタクシーを降りた伽耶子さんに、ようやく詳細を教えてもらえる。しかし伽耶子さんは少し憂鬱そうだ。
「今日は気楽だけど、これで話がまとまって、紗奈子の同級生と飲むことになったら、狙い通りだけど、少し気が重いわ」
「どうしたんですか、伽耶子さんらしくもない。伽耶子さんならどんな飲み会も合コンも無敵ですよ。どんとかまえましょう、あとにぺんぺん草も生えなくたってお構いなしです」
「ぺんぺん草生えないのは問題じゃないかしら。あのね……紗奈子は四年生なわけよ……で、4月生まれだから紗奈子はそれでも22歳だけど、あの子の同級生はまだ21歳が大部分を占めるわけ」
「うっ」
「さすがの私も、六つ下と飲み会を積極的にやる勇気はちょっとない……」
二十一歳……。
もはや何を話したらいいのかわからないくらいすごい溝が存在していそうだ。まだピカチュウのほうが話が通じそうである。ピカー!
「しかしまあ、いまさらそんなことをぐだぐだ言ってもいられないんだけど。紗奈子を知っている連中だからいいんじゃないかしら。ゼミが間に入っているみたい。今日もゼミがらみの飲み会に混ぜてもらう予定なの。紗奈子から紹介されて知り合いがいるからちょうどいいわ」
「紗奈子さんは何を学んでいらっしゃるのですか?」
「法律」
ついでにとばかりに上げた彼女の大学名に私は目をむく。それは国内最高峰の大学ではありませんか。
「すごいところにいるんですね……」
「涼宮では特に珍しくないけど。兄もそうだし。美大になんて行った私は正直やっかいものなんだから。そりゃうちとしては、掛井の嫁にでもしなきゃ、使い道がないわね」
「か、伽耶子さん!」
私は立ち止まった。数歩行ってから伽耶子さんは立ち止まる。ついてこない私にようやくけげんそうに振り返った。
「伽耶子さんはそんな風に言わない方がいいです。伽耶子さんは自分の信じた風に生きていて、それがすごくカッコいいと思います」
伽耶子さんはまじまじと私を見る。
「……そんなこと真面目に言うのはちょっと正気を疑うわよ?」
「もともとどうかしているので、疑われてもあまり困りません」
その返事で伽耶子さんはちょっと笑った。
「でも嬉しいわ」
みょうちきりんな遺言、それに振り回されているのが現状なんだけど、過去もそういったことはあったのだろう。伽耶子さんと藤織さんはそれに反発して戦ってきたのだ……そんな気がした。多分、涼宮の中では、そんな藤織さんと伽耶子さんこそ、受け入れてもらえなかったに違いない。
「ああそうだ、これ貸してあげる」
伽耶子さんはバックから携帯電話を一台出した。
「さすがにないと不便だから。名義はうちの会社にしてあるけど、渡辺にしばらく貸してあげる」
「そんな、申し訳ないです」
「もらっときなさい。兄はわりと嫉妬深いから、惚れた相手は自分の懐にしまいたがるわよー。ぼんやりしていたら持たせてもらえないわよ?」
なんて言われて押し付けられた。でも助かる、これがあれば、知り合いとも連絡とりやすくなるし。とりあえず遠慮なく借りることにして、私もそれをバッグに入れた。
「さて、行きましょう」
「はい」
店は、小奇麗なビストロだった。ただ酒類のメニューが充実している。店の中にはすでに三十人近い人がいて、宴会も中盤に差し掛かっていた。
一体どういうつながりなのか、まだ十代とおぼしき大学生から三十代近そうな院生、講師や教授といった風体の人もいて、ざわついていた。すでに席もばらばらになって皆好きに話している。これなら妙に目立たなくて済む。
「あ、伽耶子さん!」
目ざとく伽耶子さんを見つけたのは、伽耶子さんが言っていた院生らしかった。伽耶子さんと同じ歳くらいだろうか。
「よく来てくれましたね」
院生の方は……こう……なんというか、いかにも研究バカ、という感じである。なぜ紗奈子さんは彼を姉に紹介したのだろうかと、疑問に思う。ものすごくつまらないシャツのその下は白いTシャツ、そして、くたびれたジーンズ。なんというか、種類は違うが私と同じにおいがする。
カテゴリ-オタク。(彼は研究オタクなんだろうが)。
己の興味があるものについては、全身全霊でぶつかるが、ないものに関しては、小指一本動かさない、そんな感じである。とりあえず、その似合っていない長髪を切れ(はて、なぜか自分が言われたことのある言葉のような気がする)。
人懐こそうな優しいいい笑顔をしており、伽耶子さんと並んだ姿は実にお似合いである。
タイトルは「女王と従者」で。
「こんにちは、伽耶子さんの友達?」
「パシリです」
「そうですか、じゃあ俺と一緒だね」
ふにゃ、と彼は笑った。
「何言っているの、あなたパシリじゃないわよ。せいぜい知り合い未満でしょう」
「すみません、俺よりあなたのほうが立場が上でした」
私ごときに敬語になった!でも彼は不快になってるわけでもなく、楽しそうだ。
この人……もしかして本気で伽耶子さんのことを好きなのかも、とかふと思った。伽耶子さんは冷ややかな目線だが。
そりゃ藤織さんと比べたら……と思わなくもないけど、それは気の毒と言うものである。とりあえず、私はなんとなく一歩ひいた。伽耶子さんはそれに気が付くこともなく、院生と話をしている。せっかくだから二人に話をさせてあげたいような気がする。主に親近感を抱く、院生のために。
私はすっと二人から離れた。少なくともここには紗奈子さんの知り合いがいるから、何か手がかりを探したい。
あたりをきょろきょろしていたら、退屈そうに皆をみている若い男の子と目があった。わりと凛々しい顔で、親切そうだ。
「誰か探しているんですか?」
逡巡していたら、逆に話しかけてくれた。声にもお育ちのよさが感じられる。
「あ、あの、涼宮紗奈子さんを……」
「涼宮さんは今日は来ていないよ」
「誰か知っている人は……」
それを聞いて、彼は少し困惑した。そりゃそうだ、誰だってこんな胡散臭い女がちょろちょろしていたら警戒もする。と思ったが、彼の戸惑いは違う理由だったらしい。
「さあ……でも、ここしばらくはあそこにいる連中とよくつるんでいるって聞いた」
彼がさりげなく示したのは、一番壁際で話をしている数人の男性だった。ちょうど大学二年から四年くらいの四、五人だった。
「ありがとう、聞いてみる」
「あのさ」
行こうとした私に彼は小さな声で早口に言った。
「あまりあいつらいい噂、聞かないよ」
「大丈夫、ありがとう」
いい子だ。私が立ち去ると、すぐに彼は別の人間に声をかけられていた。人望のありそうな青年であった。なるほど大学と言うところは、いろいろな人種がいて実に楽しそうである。縁があったら通ってみたかったものだ。彼から視線をはずして私は壁際に向かう。私が近づいてきたことを知って、彼らは少し戸惑ったようだった。どうもすみません、胡散臭いオーラを発しておりまして。
「あの……涼宮紗奈子さんのことでお伺いしたいのですが」
「紗奈子ちゃんの知り合い?」
妙に馴れ馴れしい口調で紗奈子さんのことを呼んだかと思うと、別の一人がひょいと私の肩を抱いて輪に引き込んだ。大丈夫だろうか、触った手から腐っても責任はもてないが。
「知り合いの知り合いくらいなんですが……少々用事がありまして」
ふうんと言って、彼らはそれぞれ私を眺める。胡散臭いのは十分自覚しているので、あまり舐めるようにみないで欲しい。
「可愛いね、君。どこの学部?見たことないなあ」
藤織さんに、このブタとか馬鹿犬がとか言われることを想像しても、別になんともない……むしろ快適な気がするのだが、彼らから可愛い呼ばわりされるのは、なんとなく不愉快である。しかし調べ物中だから仕方ない。
「あの、今日は友人に誘われて。学校内ではあまりお目にかかることはないと思います。で、紗奈子さんのことなんですけど」
「そういえばここしばらく見てな……」
「ああ、でも彼女がよく出入りしている店は知っているよ。良ければこれから一緒に行く?」
言いかけた一人を遮るようにして、もう一人が言った。どこかにやにやしながらなのは、私の顔に何かついているためだろうか。
私は一瞬考える。振り返れば、伽耶子さんは、先ほどの院生とまだ話をしていた。
「その店はここから遠いんでしょうか」
「いや、そんなに?」
そうか、それなら大丈夫かな。今の私は携帯電話という超文明の利器も持っていることだし。
「お手数ですが、案内していただけると助かります」
私は深く頭を下げた。




