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マンションの近くの駅で掛井さんと別れて、私は藤織さんの部屋に戻った。てっきり掛井さんも一緒に来るかと思ったけど、まだどういう顔をしてあったらいいのか分からないんです、と苦笑していた。
大体問題は排除したけど、この間のようなことがあると困るからマンションまで送る、と掛井さんは言ったが、遠慮した。いくら私でも、たまには一人で外に出てすませたい用事の一つ二つはある。簡単にそれをすませ、私はマンションに戻った。
「ただいま帰りました」
玄関開けたら、耳には何か争うような音が飛び込んできた。基本、物静かな藤織さんにしては珍しい。
「藤織さん?」
リビングの扉をを開けたら、そこで破廉恥な光景を目撃した。
「ちょ……離せ、伽耶子!」
「いや!」
着ていたシャツをめくり上げられ、ついでにボタンも一つ二つとばして、ソファに押し倒されているのは藤織さんだった。で、のしかかっているのは伽耶子さん。今年の流行のシャツを品良く着こなしタイトなスカートでそのナイスバディを露わにしている。
藤織さんと私は目が合った。一瞬遅れて伽耶子さんも私に気がつく。
「助けろ、ナベ!」
「あと三時間したら戻ってきなさい、渡辺」
なるほど、ドS対決の現場に遭遇してしまったようだ。
一体どんな成り行きがあったのかは知らないが(しかしなんとなく想像はつく)、エライことになっている。
で、双方から味方せよと命じられているわけである。生涯最初で最後のモテ期到来ときたものだ。
藤織さんは、一応ここしばらく衣食住を提供してもらった恩がある。しかし伽耶子さんのその性格は、私はわりと嫌いではない。どちらに味方するのかと責められるのは大変困る。
しかたない。ここは自分の魂の座に従おう。
「伽耶子さん、なんで女なんですか…………」
従いすぎて、私は残念な声を隠し切れない。
「……なん『て』女の間違いじゃない?」
伽耶子さんが怪訝そうに私を見る。
そんな伽耶子さんを侮蔑するようなこと、私が言えるわけないじゃありませんか。私に不平不満があるとしたら、萌えの有無に関わることぐらいです。伽耶子さんが男だったら、ほんっとーにナイス攻めなのに。なんで……。なんで女。もったいないとしか言いようがない。
私はわりと攻め×攻めっぽいのは好きなのだ。インテリ教師の美中年(鬼畜)とアクセサリデザイナーの美青年(外道)。主導権を争う受けと攻め。イイ!
伽耶子さんが男であれば、本気で私の中では理想のカップルである。リバだってドンと来い。
「そうか、これが画竜点睛……」
四字熟語の意味を実感してしまった。
ともかく私の登場で、一瞬気をそらしてしまったらしい伽耶子さんは、こめていた力を緩ませた。その隙を見つけて、藤織さんが伽耶子さんを突き飛ばし、下から逃れた。あっというまにリビングのすみまで行って距離を保つ。
「とにかく落ち着け、伽耶子」
「しまった……うっかり逃した」
伽耶子さんは乱れた髪を手櫛で整えると起き上がった。
「兄さんは私に同情してくださらないの?」
「同情されて嬉しがるような女か、お前」
「付け入る隙ぐらい与えてくれてもいいのに」
手段を選ばないところが最高である。
伽耶子さんはちらりと私を見た。
「その顔じゃ、掛井とは現状維持、ね」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「あなたには期待しているんだけど」
伽耶子さんは肩を竦める。そして置いてあったバッグを取り合げた。
「まあいいわ。また来ます。兄さん」
じゃね、と後ろめたさのかけらもない鮮やかな笑顔を向けて、伽耶子さんは私とすれ違い、帰って行った。ドアの閉まる音を聞いてから、藤織さんがため息をつく。
「お取り込み中、お邪魔しまして大変申し訳ありませんでした」
「いや……ナベをこのうちに入れておいて本当に良かったと思っているところだ」
それからはっと思いついたように藤織さんは私を見つめる。
「おま……昨日……掛井はどうした?」
昨日宿に私と掛井さんを放置して帰ってしまったことをようやく思い出したらしい。そんなことをするからバチが当たったのだ。
「楽しく温泉に入り、豪華な食事を食べて帰ってきたところです」
「掛井とは昨日……」
「深夜テレビは面白いですよね」
その言葉で藤織さんは察したようだった。
「掛井とは結局どうにもならなかったのか」
どうしてそこで、と私が思うほど、なぜか藤織さんは安堵していた。部屋の隅と入り口ではなしているのもなんなので、私達はソファに座った。
なぜか向かい合いではなく、隣同士だが。
「掛井はお前を選ばなかったんだな……」
「藤織さん」
彼の言葉で察しがつく。この人は知っていたのだ。そうでもなければ「選ぶ」という択一の言葉がでるはずがない。
「藤織さんは、紗奈子さんが掛井さんと半ば恋人同士のようであったことを、ご存知だったんですね?」
多分、伽耶子さんも知っている、あれだけ妹と仲がいいと言っていたんだから。知らなかったのは私だけだ。
「どうして最初から、紗奈子さんを掛井さんにぶつけなかったんですか」
藤織さんは返事をしない。
「……そうだな」
やがてゆっくりと噛み締めるようにそれだけ言った。
「……でも出来なかった。遺言を聞いたとき、紗奈子が一番拒絶反応を示したからだ」
「え?」
「『どうして私が代議士の妻になんてならなきゃいけないの!』。それが遺言が発表されたときの紗奈子の吐き捨てた言葉だ。相手が掛井だと知っての発言だ。僕も伽耶子もそれには少し驚いた。紗奈子が掛井をそう嫌っていなかったことは知っていたからな。それに紗奈子はあまり両親に反発しないで育ってきたから、まさかそんなことを言うなんて」
「掛井さんはそのことを知っているんですか?」
「言えない」
藤織さんも、掛井さんが本当に傷つくであろうことは言えなかったのか。
「紗奈子はおとなしくて、わりと親の言うがままだった。その紗奈子がキレたんだ。よほど腹に据えかねたんだろう。遺言もバカなことをしたものだ。何も口出ししなければ、紗奈子は掛井とちゃんと結婚したのかもしれないのに。僕も気がついてあげられなかったが、紗奈子には紗奈子なりの夢とかあったのかもしれない。代議士の妻になれば夫のサポートで必死で、自分の夢なんて見つめていられない」
藤織さんの声には珍しく悔いが滲んでいた。
「紗奈子だって本当は涼宮から逃げたかったはずなのに、僕と伽耶子が好きな事していたせいで、逃げ遅れてしまった。悪いことをしたと思っているよ」
そして藤織さんは悪い夢の話でもするように暗い顔で言った。
「それにもしかしたら……掛井以外に好きな相手が……紗奈子の年相応に、恋愛をしている相手がいるのかもしれない」
涼宮紗奈子さん。
この人が今回の騒動の鍵だと昨日は思った、でも彼女自身はすでに気持ちを決めてしまっているのだろうか。
掛井さんと仲は悪くなかった。でも、あの遺言のせいで、掛井さんが自分を選ぶということは『紗奈子』ではなく『涼宮』を選んだという下心に感じられてしまったのか。しかも、まだ二十歳そこそこなのに将来まであっさり親に決められたことで怒り心頭、か。そりゃ他の男に逃げたくもなる。
「紗奈子はいないしナベも曖昧だ。それでうちの掛井派の連中が、伽耶子に掛井と結婚しろと言ってきたらしい。それで機嫌が悪くなった伽耶子に押し倒された」
なるほど。
「いや、伽耶子さんはいつだってホンキです、そんな気分の上下で藤織さんを手篭めにしません」
「本気ならなお悪いわ!」
「人を温泉に放置するからそんなことになるんです」
こんなこと言わなきゃいいんだけど、私も腹の虫が治まらなかったからつい口走ってしまった。なるべく冷静に言ったつもりだったけど。
「なあナベ」
にやっと藤織さんが笑う。私をソファの背に押し付けるようにして顔を覗き込んできた。
「それはもしかして、僕に見捨てられたような寂しい気分になったから言うのか」
はい、超見透かされてますよ、私。
「……違います。常識的に考えて非常識だからです」
「でもナベは僕のことが好きだろう」
「違います。その自信はどこからくるんですか」
「曇りない観察眼だ」
「言うほどたいしたことないです」
紗奈子さんの気持ちだって見えていなかったではないか。
「言うなあ、ナベの分際で」
楽しそうに藤織さんが私の耳をかるくひっぱる。
藤織さんだって、私のこと好きなんでしょう?と聞いてみたかった。多分答えは知っている。ありえないことだがそれが答えだ。
でも不毛だからやめた。




