22
慌てて窓際に駆け寄ってみる。だめだ、山と川の絶景しか見えない!私は出て行った仲居さんがぎょっとして振り返るくらいの勢いで廊下にでると、そこの窓から首を出す。目の端に駐車場が、そして。
「取り残された感、満載です」
「いや、計られた感じゃないかな」
去っていく藤織さんの車をかなり愕然とした表情で見送って私はとぼとぼと部屋に戻ってきた。
文句付けようのない高級宿の一室である。遠くで鳥が鳴いている。
「掛井さんはどうしてここに?」
「藤織さんに来いと言われました」
さすがワンコ攻め(一方的な説明お許し下さい)。
「藤織さんは帰りましたよね?」
「……帰りましたね」
そして掛井さんは深くため息をついた。
「あの人がまさか俺にこの先を委ねるとはなあ……」
「委ねてませんよ、何言っているんですか。情け容赦なく仕切ってるじゃありませんか」
ワンマンというのは彼のためにあるような言葉ではなかろうか。バスに使うよりよっぽど適切である。
「……わからないかなあ、ナベちゃんには」
「私はドMで下僕です。俺様野郎の気持ちなんてわかりませんよ、失礼な!」
「それは威張るところなのかな……?」
掛井さんはなぜか笑った。疲労の濃い色で。
「とりあえず、もったいないから、温泉に入って夕飯食べようか」
そういうことで、温泉にそれぞれ入ってきた後、掛井さんと向き合ってダイニングで食事を取ることになった。ダイニングと言ってもそれぞそれ個室だ。部屋食じゃないのは、猛烈に料理がおいしいという噂の旅館に相応しく、つくりたてを時間のロス無く出したいということらしい。
個室も、格調高い上モダンにまとまっていた。なんだか私なんかに入られて申し訳ないくらいである。料理は和食ベースなんだけど、究極に美しく手をかけられていて、何を食べているのかよくわからない。
一体何でできているのかわからない食べ物、と言う点では、私の愛すべきカップラーメンのあの四角い肉と同じだが、格調は一万光年くらい違う。
「この状況には非常に違和感が」
「そうだね」
掛井さんは苦笑いしている。
「掛井さんは、このままでいいんですか」
「何が?」
「藤織さんに振り回されて」
「振り回されているわけじゃなんだけどね」
私の無礼な発言にも、掛井さんは怒らない。
今までヘタレへタレと数限りなく罵倒してきたが(伽耶子さんも一時ゲストとして加わった)、考えてみると掛井さんももしかしたらけっこうすごい人間なのかもしれない。考えがはっきりしない男だこの草食系男子め、と思っていたけれど、それはただ単にむやみに口にしないだけだったんだろうか。
掛井さんと二人で、もくもくと夕食を食べる。
本当はタクシーと呼ぶとか、いろいろどうとでも帰る方法はあるのだけど、私はそれを選ぶ気にはならなかった。なぜならこれは、藤織さんが決めた結果だからだ。
藤織さんには、なんだかんだ言って助けてもらったし、心配もしてもらった。だから……藤織さんが、やっぱり渡辺寧子には掛井さんと結婚してもらって、掛井さんに涼宮を継いでもらって、自分はあいかわらず自由に生きるのがベストだと望むなら、それはそれで仕方ないのかなと思う。
それに私が力を貸せることができるならそうしてあげたいくらいだ、まあ問題は私ではまるで役に立たないというところにあるが、それは今のところ棚上げしておく。
ともかく、今日のこの展開に私は不満はないのである。
しかし掛井さんは何考えているのだろう。
食後、部屋に戻って、二人でぼんやりと地酒を飲みながらテレビを見ていた。無言というほど気まずくも無く、いつもの藤織さんのマンションと同じように、だらだらしてテレビ見て笑ったり会話するくらいの余裕である。掛井さんも別に動揺していない。
「ねえ、ナベちゃん」
掛井さんがそう声をかけてきたとき、私は掛井さんの足の指を見ていた。
ちょうどCMでそれもつまらなかったというのもあるし、浴衣着た男の人なんてめったに見られないんだから、何とかして目に焼き付けられないかと真剣だったのである(私の真剣さはこんな時にしか現れない)。
二人で浴衣着て、素足である。しかしエロい雰囲気皆無、この部屋は呪われているくらいなノリだった私に、彼は続けて言った。
「どうする、付き合う?」
地酒もっと頼む?くらいな気楽な勢いだった。足から徐々に視線を上げていった私は、真顔で私を見ている掛井さんと目があった。
「付き合うと申しますと」
「結婚する?」
いや、それは答えになっていない。それは、話がとんだというのである。
「は?」
「なんかもう、この際ナベちゃんでいいかなという気になってきた」
くどき文句としては、かなり最低の部類に入ると思うがいかがであろう。どちらかというと罵倒寄りである。
「どう言う……」
「……ナベちゃんも鈍いなあ」
「お褒めにあずかり光栄です」
私が唯一自信満々で返事できる点である。
「……藤織さんは君を好きだよ?」
……なぜいきなりそんなことを言い出すのか、理解できない。
「……やめてくださいよー」
私はそうやって、さらっと流そうとした。
「いや、本当」
掛井さんはひょいとテレビのリモコンに手を伸ばす、何をするのかと思えは、彼はテレビを消したのだった。いきなりの静けさは、耳が痛いほどだ。森の中、喧騒一つ無いなかで掛井さんは相変わらず淡々と言う。
「藤織さんがこんなに一緒にいることを許して、しかも彼にうざったいと思われない人間は、俺が知る限り殆どいない。きっと君の飄々としたところが好きなんだろうな。もしかしたらそれだけじゃないのかもしれないけど俺にはわからない。でも君を相当気に入ってる」
私は戸惑いながら横の掛井さんを見ていた。
「でも、そんなこと言われてもいません」
「俺に気を使っているんだろうなあ」
……そうだ、そもそも、私は掛井さんが涼宮を継ぐために一カードとして連れてこられたんだっけ。
「掛井さんのために用意したのに、藤織さんが自分のものにしてしまったら意味がない、藤織さんはそう考えているということですか」
「そう。でも藤織さんもそういう事情がだんだんつらくなってきちゃったんだろうね。だから、俺に丸投げしてきたんだろう。俺がナベちゃんとくっつけばそれはそれで納得するつもりなんだと思う」
「それでこの温泉ですか」
「藤織さんは、そもそも俺に一つ借りがあると思っているんだ」
借り?貸しにしていることは山ほどありそうだが、彼も借りを作るなんてことあるのだろうか。
「伽耶子さんから聞いたかな。藤織さんが自分の実家にケンカ売ったときのこと。あの時、こっそり涼宮の情報を藤織さんに渡したのは俺なんだ」
「なんでそんなこと?」
「両家にいいように使われようとしている藤織さんが、気の毒だった、からかなあ……。わからない。もしかしたら、藤織さんに涼宮を渡したくなくて、やったことなのかもしれない」
自分の気持ちもわからないなんてかっこ悪いけどね、と掛井さんがうつむいた。
藤織さんが。
……私を好きかどうかというのは、私には眉唾だ。掛井さんもあんなこと言っているが、別に私じゃなくてもよかったんじゃないかと思う。一人が長かった藤織さん、そりゃ若い頃は誰かと一緒にいれば角突き合わせることもあるだろう。藤織さんだってあったはずだ。でも彼だって年を取る、それで丸くなって寂しくなる。
タイミングが良かっただけだ、私は。きっと藤織さんは私じゃなくてもいい。
「だからどうしようかと思って」
掛井さんは呟いた。
「それでも、藤織さんがそこまで俺のことを考えていてくれるなら、俺ももうちょっと頑張ってみようかと思っているんだ」
ああ、そうか、掛井さんも疲れているんだ。
掛井さんも、自分が一部の人間には、かませ犬的に思われていることを知っている。それでも藤織さんの手前、この騒動から引くことが出来ない。
掛井さんも藤織さんも、互いに相手に気を使っているのに、どうしようもなくなっているのか。その原因がしかも私。
私にはそんな価値などないことを正直に告げたら、話はきっとうまく転がるのだろうけど。
「……掛井さんは、私なんかとは付き合わなくていいと思います」
「でも俺も、ナベちゃんのことは嫌いじゃないんだよ」
掛井さんは私の肩に手を回して引き寄せた。
高級温泉旅館で、浴衣で、ちょっと込み入った事情か……おっさんが読む雑誌にこういう展開のエロ小説載っているよな。
「付き合うか」
ぼそっと、掛井さんが言い切って……。
で、私はドM仲間のよしみで、彼を殴りつけてみた。




