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49  作者: 蒼治
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 私はクロゼットの中で膝を抱えて泣いていた。

 顔は真っ赤だし、髪も頬に張り付いているであろう、ちょっとしたホラーだと思うが、まあもともと存在自体が何かの祟りのようなものだ、気にすることはない。

 その顔を向けて言った。


「藤織さん、ひどい」

「どうしたんだ」

「あんな会話するなんておかしいです」

 噛み付くみたいな勢いで言った私に、藤織さんは困ったように微笑んだ。

「あの人、本当にお母さんなんですか?」

「……本当だよ。十八の時に僕を産んで、今五十歳くらいだと思うけど、驚くほど若くみえるだろう。息子の僕もちょっと気持ち悪く思うくらいだ」

 ……まだ、義理の母子だったら納得できたのに。

 私は一度大きくしゃくりあげた。


「だってアレ、お母さんなんでしょう!?それなのに、あんな風に言うのも言われるのもおかしいですよ!産まなきゃ良かったなんて、あんなに軽々しく言っていい言葉じゃない!」

「それでなんでナベが泣いているんだ」

「悲しくないんですか、私は悲しい!」

 私はクロゼットの中から手を伸ばして藤織さんの腕を掴んだ。


「親があんなふうに言うってことが悲しいです。うちは、父親は再婚だし、母親は実家を捨てていたし、姉妹は半分しか血もつながっていなかった変な一家ですけど、誰も誰かに対してあんなふうに罵ったりしなかった」

 私なんて家族のなかではまったく役に立たなかったどころか、存在自体が迷惑みたいな娘だったけど、家族は誰も私にあんなにひどいことなんて言わなかった。

 あんな風に言われている藤織さんはあまりにも理不尽だ。


「僕も罵り返しているからいいじゃないか」

「良くないですよ」

 私は勢いあまって声が裏返る。乱暴にごしごしと目を擦った。

「罵られるだけじゃない……罵っている藤織さんだって、ずっと傷ついているくせに!」

 ここで私が泣いたところで、別になにかが解決するわけではない。むしろクロゼットが湿気るという別の問題が起こるだけである。私より工ステー化学様のほうがよほど役に立つ。


 しかしそれでも藤織さんのように淡々と別にどうでも良い出来事として流すことは出来ない。藤織さんがどうでもよくても私は別にどうでもよくないのだ。

「あんなのおかしい!」

 藤織さんがまたため息をついた。

「……ナベは変な奴だな」

 そんなことは言われるまでもない。


「なんで自分のことじゃ泣けないのに、僕のことでそんな不細工な顔をしてまで泣いているんだ」

 失礼な。不細工なのはいつもである。年中無休で開店しているのだ!

「とにかく出て来い」

 藤織さんに無理やり手をひっぱられて私はのろのろとそこから出てきた。ソファに座らされて、藤織さんが横に座った。

「もう泣くな」

「いやです」

 こんな不条理感を抱いたまま、うまいメシが食えるか。


「藤織さんはどうしてそんなふうにけろっとしているんですか」

 伽耶子さんが藤織さんの両親について説明したときそっけなかった理由がわかる。あれでは語ろうとすれば悪口にしかならないだろう。

「今更だからな。物心ついた時からああいう態度だったし。おそらくこの先もかわらないだろう」

「でも!」

「いいんだ。確かに僕も、昔はいろいろ苦しい気もしたが、全ての人間が僕に対して悪意をもってるわけじゃないということは知っている。ちゃんとわかっているんだ。友人もいるし、親代わりになってくれた人もいる。だから、大丈夫なんだ」


 ああ。

 どこまで完璧なんだろう。この人は。

 どれほど歪められてもおかしくないだろう過去があるというのに、それさえもう人生の中でくぐり抜けて自分の中で終わらせてきたのか。

 私が今、泣き喚いているようなことは、とっくに終わらせているんだ。

 藤織さんの強さがうらやましく、痛ましい。


 藤織さんがは初めて会った時、「ずっと一人が長かったから、今更他人と暮らすことが想像できない」と言っていた。あれは単なる虚勢でも惰性でもなかったのだ。

 藤織さんは、本当に一人で完璧なのだろう。寄り添う人が不要なほどに。

 相手の人間性が出来ていればそれが余剰となってしまう。欠けていれば補うことで藤織さんが損なわれる。

 一人であることさえ、藤織さんの完全さの一つのファクターでしかない。


「藤織さんは、結局誰もいらないんですね。一人でも大丈夫なんです。すごい」

 多分、伽耶子さんを女性として見られないのも、彼女が腹違いの妹だからということではなく、純粋に彼は自分自身にとって必要な他人というものを求めていないからではないだろうか。

「……そうかもしれない」

 藤織さんの声は低かった。

「でも、ナベがそうやって、みっともない顔で泣いているのが僕のためだと思うと、それは少し嬉しいような気がする」


 さすがサドである。

 自分のトラウマでさえ、そんな風にあつかえるなんて。涙もひっこみそうだ。


「みっともなくてすみません」

「いいや、可愛いと言っている」

「お気遣いありがとうございます」

 私は差し出されたティッシュで鼻をかんだ。まったくもってかっこ悪いのは私だけである。ちらりと見上げたら藤織さんと目があってしまったが、彼は相変わらずの涼しい顔のままだ。

「……顔」

「え?」

 藤織さんは自分もティッシュを取り出した。それで、まだ変な液でデレデレしている私の顔を拭く。いいのか私は26にもなってこんなんで。


「僕は、前にも言ったが、美人でスタイルが良くガッツと根性のある女が好きだ」

「存じております、伽耶子さんですね」

「ピンポイントで指定するな。はっきり言っておくが、僕はたとえ半分であろうとも近親相姦の趣味はない。ただそれぐらい気概のある人間が好きなんだ。当然すぐ泣いたり、容易く人に頭を下げたりする女は好きじゃない」

 はいガッテン承知。

 わかっておりますよ、そんな風にオブラートに包んで言わなくても。私は誰の好みではないと思われるのです。


「でもナベと一緒にいると調子が狂う。これは一体なんだろうな」

 三十年たてば、それなりに体にもガタがくるのであろう。私などはずいぶん前からポンコツである。叩けば直る可能性も捨てきれないが。

「ナベが伽耶子とあった日に、お似合いです、などと無頓着に抜かしたのも、非常に不愉快だったし」

 まことに遺憾。

 謝罪の意を表明、といいかけた私は、藤織さんの手が顎に伸びてきたのを感じた。また品評ですか?と思ったが、そのまま首を藤織さんのほうに向けられる。

 目を開けているというのに、藤織さんの顔が見えなかった。

 あまりにもちかづぎて、焦点が会わなかったからである。


「藤織さ」

 ぽかんと半開きの口にキスされようとしていることに気がついた。

 それを予感して、私は彼をつきとばすようにして全力で身を放し、ついでにソファから転げ落ちた。ガン!という派手な音がして、目の前で花火が散った。

「ナベ!?」

 あうっ、と言って後頭部を押さえたままうずくまってしまった私の横に藤織さんはあっというまにしゃがみこむ。


「何やっているんだ……どうしてお前はそうおっちょこちょいで」

 心配そうに伸ばしされてきた藤織さんの手を私は乱暴に振り払った。

「ナベ?」

「おかまいなく」

 藤織さんが私をからかっているなら、それに甘んじるのもいいかもしれないとは思った。でも。

 私も一人だったし、藤織さんも一人だった。

 最初のときからわかっていたけど、同じくらいはっきりと藤織さんと私の孤独は違うということも知っていた。

 私は誰かに甘えられるなら、きっとそうしてしまうだろう。そしてその人の何もかもを台無しにしてしまうのだ。


 ……家から出もしなかった娘のことしか知らない、私の親を思う。私の親じゃなかったらもっと楽しい人生だっただろうに。私が甘えていなければよかったのに。

 だから、藤織さんには……冗談であっても私になど関わって欲しくない。

「触らないで下さい」

 そして私は立ち上がり、あっけにとられたままの彼を残して部屋に逃げ込んだ。

 藤織さんが私のせいで傷つく顔をみることさえできない臆病者だった。

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