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「カレーって久しぶりに食べた。おいしいわねえ」
「はい、グラム単位で計量して作りましたので、これでまずかったら説明書きした方の責任です」
確かに藤織さんに似た面立ち、つまりは超絶美貌の伽耶子さんと向かい合ってハイセンスなリビングで家庭的カレーを食べる。一歩間違ったらシュールと言っていい光景であろう。
しかし良く見たらこの人本当に攻撃的なまでに美人だな。そんなに美人でどうするのだ、一体なにと戦っているのだろうと思われるほどだ。
ところで伽耶子さん、そのお皿は三杯目よこせということでしょうか。
「じゃがいも多めで」
穀類に芋類をオン!ダイエット中の人が見たら憤死である。
にこにこしながら伽耶子さんは食べていた。ご機嫌も麗しい。
「あのう、どうして伽耶子さんは、藤織さんと苗字が違うんですか?」
「うーんチーズ乗せて食べたい。兄は父に認知されていないから。ねえ水くれる?」
今トッピングが前フリだった気がするが。オチは水だったと思うが。
「に、認知?」
私はペットボトルから伽耶子さんのグラスに水を注ぎながら、要点のみ聞き返した。
「藤織は兄の母方の苗字。私には紗奈子って言う妹がいるの。私と紗奈子は今も夫婦でいる両親の子供だけど、兄は父が結婚する前に作った別の女の子供なのよね」
「涼宮って名家ですよね」
さすが、名家に醜聞が無かったら、刺身にツマがついていないようなものである。いやむしろそれメイン。どんぶりいっぱいツマ持ってきても問題なし。
「藤織もある意味で名家なんだけどね。まあ、あとは私が噂好きの親族から聞いた話で真偽はいかがなものかしらというところだけど、結局兄の母と私の父は結婚までこぎつけなかったらしいの。ごたごたがあったらしいのよ、それでも二人が好きあっていればよかったんでしょうけど、そのごたごたで二人は互いに幻滅してしまって、その後一度も連絡とっていないんですって」
なるほど、ロミオとジュリエットもうっかり生き延びていたら、慰謝料と治療代を巡って醜い裁判を繰り広げていたかもしれない。
「で、みーんな兄のことなんて忘れてた。藤織の親戚の誰かが引き取って育ててくれたおかげで歪まずに済んだけど」
なるほど、あの俺様具合は歪みではないとおっしゃられる。さすが美人は肝が据わっている。
「でも兄は有能だってことが、両家にバレちゃったころから、今度は皆が兄を必要とし始めた。兄にしてみれば、勝手を言うなでしょうね」
身勝手そのものである。珍しく藤織さんに全面的に賛成。
「ここから先は私も知っているんだけど、兄は藤織と涼宮の『表に出たら困ること』を調べて両家に突き出した。醜聞レベルの話じゃなくて、司法や刑法にひっかかる話で、誰かが犯罪者になる話ね。うふふ、お恥ずかしい。うちそういうのが散らかっていて」
「いや、そんなもんごろごろ転がっている御宅ってどうなんでしょうか」
「で、もう自分のことはそっとしておいてくれと申し立てたのね。だから兄は正式には両家とは無関係。たまに私や妹には会って、親切にしてくれたから、私は腹違いとは言え、兄に対して嫌悪感とかは別にない。高校生で両家をやり込めた兄は、ちょっと尊敬しているくらいよ」
「高校生の頃の話なんですか!?」
「そうよ?しかも二十歳すぎてもただの人、にはならなかったの。このマンションみればちょっとは察しがつくと思うけど」
「そうですよね……教員にしては稼ぎすぎですよね」
アラブの王子様でもカテキョで教えているのかと……。時給単位はバレルとか。
いろいろ副業とかあるのかもしれない。
三杯目を食べ終わって、伽耶子さんは満足そうにため息をついた。
「おいしかった。じゃあ帰るわ」
「話がまだ全然途中じゃないですか……!」
それで芝刈りにいったおじいさんはどうなったのだ。
「まあそれで、兄は涼宮とはそれっきり。好きに生きているわ。でも今回のじじいのあの腐れ遺言が」
言いかけて伽耶子さんは一瞬だけ黙る。
「……あの遺言って、掛井さんにだけ、関わるものじゃないんですか?」
「……まあ、知っていた方がいいか。兄の味方はいたほうがいいし……」
伽耶子さんは言う。
「じじいはしらんぷりをしていたけど、わりと兄のことは気に入っていたし、期待もしていたの。ジジイ的には、兄が」
最後まで言われる前に気がついた。
藤織さんは、いないとされていた、涼宮の男子跡取りなのだ。
「兄が、涼宮を継いでくれたら嬉しいでしょうね。でも兄にそのつもりはない。だから外堀から埋めようとしているの。掛井があんたや私、紗奈子の誰一人手に入れられなければ、周囲だって兄を持ち上げる機運が高まるわけだから。そうすればじじいの思惑通り、兄が担ぎ出される。もしかするとさすがの兄も抵抗しきれないかもしれない」
嫌な気分である。
掛井さんが、噛ませ犬みたいで、猛烈に不愉快だ。
少しへたれだけど、掛井さんはいい人なのにな。
そして私は少し悲しい。
そうか、藤織さんが私に優しかったのは、やはり私が手持ちのカードだったからなのだ。
藤織さんも、今更涼宮に関わることなど望んでいない。あの態度からして間違いない。だから掛井さんを押しているんだ。
掛井さんのためだけじゃなかった。
藤織さんも自分のために動いているのだ。
それは非難されるべきことではない。人間誰だって自分のためにしか動いていないのだから。藤織さんの行動に、別に私へのいたわりがあったわけではないと知って痛みを覚える私の気持ちも、結局私の都合にすぎないのだ。そもそも私の行動だってすべて自己都合だ。
伽耶子さんは続ける。
「私は兄を今更担ぎ出すことは反対。妹の紗奈子もあの遺言には怒り狂って失踪しちゃったし。誰一人当事者は賛成していないの」
伽耶子さんはそこでため息をつく。
「……兄を今更涼宮よばわりなんて、納得できない」
それは藤織さんに対する憤りとかではない。けれどそれこそが不思議で私は彼女に尋ねてみた。
「伽耶子さんは、藤織さんを好きなんでしょう?それならちゃんと兄として戸籍を一緒にしてあげたいなとか思わないんですか?」
私が訪ねると伽耶子さんはあっけらかんと言った。
「ああ、私の好きは、男性として好きってことだもの」
「は?」
「私が生まれてこのかた『負けた……!』と思ったのは、兄だけ。そのときからずっと大好きよ。兄以外の男なんて、まったく興味ない。あんな完璧な男いないもん。私、絶対兄と結婚したいのよ。だから今の、兄が涼宮と関係ない状態っていうのは、最高。うかつに兄妹になんてなっちゃ困るの」
私も開いた口が塞がらない。
さすが藤織さん、天下一武道会でも優勝!
「だって戸籍云々というよりも、具体的に半分血がつながってますよね?」
「それがなに?」
「な、なにといわれると…………確かにどうでもないことのように思えますけど」
……いや、どうでもよくないのだ私。蘇れ常識、唸れ遺伝学、光れ戸籍謄本。
「兄妹間の結婚は問題じゃないでしょうか」
「そうなのよ、兄もそんなつまんない事言っちゃって困るのよ。まあいいわ。少なくとも今のところ兄に女はいないから。まだまだなんとかする余地がある」
ないです。普通は0,001ミクロンたりともありません。アデノン一個も通さない。AGCT。
「ねえ、私がなんであんたにこんなこと喋ったかちゃんと理解しているでしょうね。私はあんたに期待しているのよ」
「へ?」
期待を十分裏切りそうな顔をしている自覚はありますが。(そう言う意味ではご期待通り)
「あんたが掛井と結婚すれば、涼宮は安泰。両親ややかましい親族も、私や兄をほっといてくれる。妹も、あんな年上の掛井と結婚しなくて済む。あんたも掛井と幸せ新婚さん。ほーらみんな幸せ。私と兄の恋愛は、あんたがあのぼんくら掛井を落とすかどうかにかかっているのよ、よろしくね」
間違いなく、伽耶子さんと藤織さんの恋愛だけは私ではなく、なにか別の禁忌的何かにひっかかっていると思われる。そんな重たいものうっかり背負いこんだら大変な事になりそうだ。
「私は」
伽耶子さんは、そこだけ一瞬うつむいた。
「私は絶対兄と一緒にいたいと思って、そればっかりを頼りに頑張ってきた。そうじゃなかったら、私だって涼宮なんて大嫌いだから、とっとと消えていたわよ。でも、兄がいたから……。兄は女見る目厳しいし。兄も変に常識あるし。妹としか見れないとかそればっかりだし。でもそれを覆すくらいいい女になりたいのよ」
……ああ。
なんだか切ないではないか、涼宮伽耶子さん。
そんな普通の恋する乙女な顔をされると、禁忌などどうでもよくなってしまう。
伽耶子さんは本当に藤織さんが好きなのか。確かに見た目だけでも、伽耶子さんが藤織さんの横に立ったら、誰一人割り込みたいなどと思えない完璧さだろう。それがただ血のつながりだけで否定されるなんて気の毒だ。
同情しかけた私に伽耶子さんは畳み掛けた。
「で、今なら言える。私以上に兄に相応しい女なんざいねえ!雑魚はひっこめ!」
……いや、やっぱり少しは後ろめたさとかもったほうが良いのではなかろうか。




