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49  作者: 蒼治
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「ナベ」

 その輪の中に臆することなく入ってきた藤織さんは、自然に私の肩を抱いた。

「どうしたんだい?」

 え、どうしたのか聞きたいのは藤織さんの頭です。

 まず顔がおかしい。なんでそんな優しげなんですか。ぎょっとして見上げた私は藤織さんの鮮やかな笑顔を見た。


「急に姿が見えなくなったら心配するよ」

 え、え、え?

 混乱している私を放置して藤織さんはすっと同級生たちに顔を向けた。

 女子達の表情が変わる。先生がいないと思って好き放題しゃべっていたら、背後で腕組んで睨んでいるのを発見!マジヤバイ! くらいの変化だ。


 素を見せたらいけない相手、の中には恐れている人とか嫌われたくない人とかボーナス査定に響く人とか種類はいろいろあるが、間違いなく藤織さんは「できたら惚れてもらいたい人」のカテゴリに属する。

 私も驚くべきことに気がついた。元彼もけっこうかっこいいと思っていたが、藤織さんは格が違うのだ。この人は、かっこいいとかなんかじゃなかった。本当に 『美形』と言っていい人だったのだ。

 藤織さんはもう三十歳過ぎで、彼らよりも年上だが、それはけして不利な条件ではない。むしろ品格といっていい厚みがある。


 受けで良し、攻めで良し、と思っていたが、おそらく老いてさえ、それは変わるまい。

 ああ、早く美老人になったところが見たい!ドS美老人受け!萌える!


 なんだか藤織さんが横に立ってくれただけで、私は俄然元気になっていた。なぜだ。

 逆に意気消沈していくのは私を囲んでいた女子達だ。

「わ、ワタナベさん、この人」

 あ、さんがついた。

「ワタナベさんの彼氏?」

 いいえ、晴天の日、伊豆から見る富士山のごとく、清々しいほどにはっきりと違います。


「まあそんなようなものです」

 ……ふ、藤織さん!?

 藤織さんは、そう言って照れ笑いなんてしてみせたのだ。女子の顔色が変わる。私に対する敵意は薄れてもっと屈折した何かに。いや私はそんなことより藤織さんが発狂したのかどうかが心配なのであるが。どうせおかしくなるなら、掛井さんを押し倒す展開くらいにまでなんとかもっていってもらいたいものである。無理やりネタも私はまあBLに限り嫌いではないというか。


「ナベ、友達?」

 いかん、妄想している場合じゃなかった。

「え、ええ。まあ」

 私の頼りない返事。それを見てなにを把握したのか、藤織さんが微笑みかけたのは、昔からもっとも私を激しく糾弾していた女子だった。

「どうも、僕のナベがお世話になってます」

 すっと手を差し出して、彼女と爽やかに握手をした。それきり彼女は黙ってしまった。元彼などは先ほどからずっと沈黙だ。


 藤織さんは先ほど私の買い物の途中で買ったスーツ姿だ。スーツすごく沢山持っているからもったいないので、買うのはお控えなさったらいかがでしょうかと進言したが、仕事で着るからいいとか言って即時却下された。値段は見せてくれなかった。恐ろしく客層が良くて、品のいい店員が微笑んでいる店でしたが。「いつもはオーダーでいらっしゃいますよね」「今日は時間が無いからこれでいい」って意味がわかりません。

 まあ同人誌も、オフセット印刷からオンデマンド、コピーまでいろいろあるから……。


 造りどころか布からして違うそのスーツの袖口から見えているのは控えめなデザインの時計だ。一目では気がつかないかもしれないが、一般人の年収の倍近い値段の時計だという。この間ダイニングのテーブルに放り出してあるのを見ていたら、掛井さんが教えてくれた。ちょ、それ一本で、一体いかほどの18禁BLゲームが買えてしまうことか!私は時計など腹時計で十分である(NASAも驚く正確さ)。


 そして、それら数々の構成物の上に鎮座なさっておられるのが、腹だたしいくらいの完璧さの藤織さんの顔。

 存在そのものが、一般人には圧倒的だ。これもう勝負にもなってない。

 藤織さんは笑顔で彼女らを見ているだけだ。おそらく、私達の間にあるわだかまりは把握しているに違いない。でも嫌味も糾弾もない、ただ、微笑んでいるだけだ。


 笑顔なのに、とても冷たく。


「ナベ、顔色悪いけどどうかしたのか?」

 この場で藤織さんは私にだけ優しい。

「だ、大丈夫です」

「そうか、でもそろそろ行こうか、僕の都合で待たせてごめん。じゃあ皆さん、お邪魔しました」

 軽く頭を下げた藤織さんは、私の腰に手を回して、無理やり方向を変えさせると歩き始めた。

「渡辺さん!」

 突然彼の声がした。私は立ち止まる。


「ナベ、歩け。立ち止まるな」

 藤織さんが励ますみたいに囁いてくれるけど、私は振り返った。彼は私が振り返ったことで罪悪感を拭えたらしい。安堵したように言う。

「渡辺さん、今度また連絡してもいいかな。同窓会の連絡するよ!」

 私は彼に微笑みかける。ああ、やっと私は彼の前で笑えた。十年近くかかって、しかも一人じゃできなかったけど。

 藤織さんの威を借りているけど、それでもかまうものか。


「お断りです!」

 私は爽やかに答えた。ついでに中指を立てて右手を突き出した。くたばれ。




 いいバーがあるから、よって帰ろう。

 そう誘ってくれた藤織さんに私ははじめて反対した。藤織さんのマンション近くまでタクシーで戻って、コンビニで缶ビールを買ってもらった。発泡酒じゃなくてちゃんとビールだ。

 藤織さんが連れて行ってくれるという場所なんだから、きっとそのバーも素敵な場所なんだろう。いつか連れて行ってもらえたら身にあまる光栄であります。

 でも私は今日は笑いたかったんだ。すごく大きな声で。

 そういうことはきっと不似合いな店だろうから。


「というわけで、あのクラスの女子は、私の初体験のことをぜーんぶ知っているわけです」

 マンション近くの公園は、とても見事な桜の木がある。しかし満開はとうに過ぎ去り、こんな季節に花見をしているものもいない。私はそこで、缶ビールを飲みながら、藤織さんを付き合わせていた。私の足元にあるコンビニのビニールに中には、すでに500ml缶が空となって五本転がっている。


 私はひたすら笑っていた。

 今日の出来事があまりにもおかしかったから。ほんと、痛快。あまりにも愉快だったので、私はつい藤織さんに高校時代の一件を話してしまった。


「結局それでさらにからかわれて学校行きにくくなって。まあ私がヘタレといえばそれ以外のなにものでもないんですけど。でもあの人達、よく私の顔なんで覚えていたものです。名前だってろくに覚えていなかっただろうに。ていうか私名前で呼ばれたことなかったですけど。今日も呼ばれませんでしたねー」

 最初は何か言いたげだった藤織さんも、なぜか今はじっと話を聞いていてくれる。せっかく俺様資質をもっていて、しかもそれが許されるのだから、なんでもいいから言ってくれればいいのにな。


「でも、あのタイミングで藤織さんが来てびっくりしました。藤織さんが、話に割り込んでくるなんて思いもよりませんでしたから」

「別に、普通の友人と話しているなら、のこのこと割り込んだりしない」

「それになんで『彼氏ですか』って聞かれたとき、曖昧な返事だったんですか?藤織さんが私の彼氏なんて、なんの冗談だって感じなのに」

「……あの時、ナベがよってたかっていじめられているように見えたからだ。それが大変不愉快だった」


 藤織さんを見ると、私をまっすぐに見つめていた。この人はいつだって、自分に自信があって揺らぎ無い。きっと今突然、裸一貫で放り出されても、なにがしかの道で生計を立ててひとかどの人になるであろう。


「藤織さんには関係ないじゃないですか」

 まったく何もかも、私とは隔たりがある人だ。

「大有りだ。この世の誰にも、僕は不愉快な気分になんてされたくない。今はナベは僕の大事な持ち駒だ。それをけなされて黙っていられるか」

 さすが!持ち駒にも優しい!……人様を持ち駒扱いについては、やはりちょっと腹立たしい。だって無機物より家畜の方がいいじゃない?


「そもそも一人を集団で貶める連中など、大した奴らじゃない。僕のこの顔も、時計だの服だのも、僕の中身に比べたら別に大した代物ではないが、それでもああいった連中を黙らせるには効果的だ。僕の女だということは、くだらない人間にとっては箔がついたように見えるだろうから」

 自分自身の価値も正確に把握しているのが憎らしいほどである。

「藤織さん、カッコいいです!」

 私は笑っていた、だって本当におかしいんだ。


「でも、どうして私が貶められているって思ったんです?」

「……そりゃ、高校生を十年間も見ていれば、見えてくるものだってある」

「高校生?」

 藤織さんはこともなげに言った。

「僕は、高校の教師だって言ったことなかったか?」

 ……狂死……ダメだ、変換ミスにしては他候補が無さ過ぎる。

「せ、先生なんですか!?」

 声が裏返った。


「ヤクザだと思ってました!」

「それも悪くは無かったが……まあ教師も悪くない」

「まさか学校でもそんな俺様じゃないですよね……」

「担当クラスは自分の王国だと思っているが」

「生徒は奴隷じゃありませんよ!?」

 私は笑って藤織さんの胸に裏拳を入れてみる(今日の私はちょっとDA・I・TA・N)。と、藤織さんが急にその手を掴んできた。


「ナベ、なんで笑っているんだ?」

「だっておかしいからですよ」

「何がだ、笑うな!」

 藤織さんの声は聞いたことの無い厳しさを伴っていた。


「自分を貶められて笑うな!」


 心臓に痛みが走る。一瞬で、この人は本当に教師なんだとわかる真摯な厳しさ。

「もちろん笑いとばしてやり過ごすのもそれは手だ。処世として実に有効な手段だから否定しない。でも自分自身にまで笑ってごまかしてどうするんだ。お前、本当は悔しかったんじゃないのか!」

 私の手から缶ビールが落ちた。公園を転がっていくのを目の端に捉えていたけれど、それはあっと言う間にぶやぶやのぼやけた景色に変わる。


 ああ、本当に。

 あんたかっこいいよ、藤織さん。

「悔しかったです……」

 私はかすれた声で呟いた。


「あたりまえだ!」

 何もかも、心底悔しかったのだ。それでも私には藤織さんのような能力も気概もなくて、悔しいと思うことさえ悔しかったからただ忘れた。忘れようとしただけだ。

 私は藤織さんの買ってくれたワンピースの膝の上に落ちる雫を見ていた。染みになってしまうだろうかと不安になっていたら、藤織さんが私の頭を自分の肩に引き寄せてくれた。ああ、でもそれでは私の変な汁が藤織さんのスーツについてしまいます。そこから異臭を発してしまうので後でクリーニングに責任をもって行きますから。

 でも藤織さんは私を放さなかった。


 藤織さんは言い方こそちょっとアレだが、本当に優しい人だ。その優しさに甘えてしまっていいほど、多分私は無垢ではない。わりと生きている価値もないからな、私。優しくないし強くもないし。

 藤織さんの心音を「ああこの人血の色赤いんだろうなあ」とかぼんやり聞いていた。

 でも藤織さんだったら緑とか青くても素敵なんじゃないかと思う。



 同級生にふられてから、今、やっとそれを振り切るまでに私は十年近くを結局必要としてしまった。あんな男でも、それだけ傷ついた。馬鹿馬鹿しい。

 だから私は、絶対に、死んでも、藤織さんなんて好きにならない。


 藤織さんに傷つけられたら、本当に耐えられないからだ。

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