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さて、退院後数日して、ようやく私の顔を彩っていた打撲痕が消えた。(これがあったほうが私のお粗末な顔も、かえって華やかだったかもしれないくらいだが)。入院している間に四十九日も十五日目に突入である。
折りしも土曜日。どうやら藤織さんもお仕事は休みのようである。まあヤクザにも休みは必要であろう。神様だって七日目には休んだのだ。
長い足を組んで、ソファに座っていた藤織さんは、読んでいた本から顔をあげた。
「思ったんだが」
私もお相伴に預かっていたコーヒーを両手に抱いたまま、藤織さんを見た。土曜の朝に見るにはきらきらしすぎである。あまりの美形っぷりに目が休まらぬ。
「ナベは地味だな」
どんどん遠慮が無くなっていく様は、波に侵食される崖のごとし、ただし速度二万倍。地形が変わる。
「私が派手でも身分不相応な顔です」
「わかってないな、はっきり言うぞ」
今まで藤織さんがはっきり言っていなかったという事実は、私がいかになにも見えていないかの象徴であろう。
「お前には色気が無い」
「そんなもんなんの役に立つんですか」
それで同人の売り上げが伸びるなら、一考の余地があるが。
「役に立つ立たないの問題じゃない!」
どうして人を殺してはいけないんですか、と質問した中学生を見る目で見られた。と、思った瞬間、藤織さんの手が伸びてくる。
殺される!とわりと普通に思ったが、その手は私の顎を鷲づかみしただけだった。右に向かせて左に向かせて、検分される。あとはランクを決定するだけですね、どうでしょう私は三ツ星レストランの今日のシェフのオススメになれるくらいの脂肪は蓄えているつもりですが。
「やはり涼宮玲子の娘だけあって、別につくりは悪くないんだな。肌も綺麗だし。しかし、加工すべきところがまったくなってない」
きゅうりもにんじんも形が悪い方がうまいと言う。
「それにナベの髪形はいったどうやったらそんな切り方になるんだ?」
「自分で切っているのですが」
「バ カ か」
家計が火の車なもので。
「立て!出かけるぞ!」
胸倉つかんで立たされてから立てとおっしゃられましても。
藤織さんが何か思いついたようである。
このアマをなんとかしろ、とばかりに藤織さんが私を放り込んだのは、なにやら髪を切るところだ。いや、天然ボケはやめよう、さすがの私も美容院くらいは知っている。ドリアンという果物があると知っている程度には。
なぜ、美容師さんと言うのはこのようにおしゃれさんぞろいなのだろう。私は今、自分がこの場所でものすごく浮いているのを感じる、高度七千メートルはガチだ。大体美容室というこの場所自体、私にとっては最高に空気薄い。苦しい。
小奇麗な美容室の一角で、間違いなくいろいろわかっていない顔の自分自身を目の前の鏡で凝視することになって、大変苦行である。
「元気な髪の毛だねえ」
美容師さんは私のぼさぼさの髪を手にして苦笑いしている。頭で蛇飼っていてもおかしくない山姥同然だというのに勇者だ。
「でもちょっと重いねえ。どんな髪形がいい?」
「手入れしやすくて、あまり頻繁に美容室に行かなくていい感じで」
「バカ、はなから勝負から逃げる奴があるか。戦え!」
正義の味方じゃないので、励ましにも奮い立ちません。
「ちゃんと女らしくやる気を出せ」
「無い袖はふれません…………」
ヘアスタイル雑誌を五冊も膝の載せられた。拷問石抱きか、なるほど。
「無理です、勘弁してください」
「そんなに怖がるな!」
「だって服脱がなきゃいけないんでしょう?」
「わかったわかった、電気くらいけしてやる」
美容院のあと、藤織さんは無理やり私を連れ込んだ。
「試着室に電気のスイッチはないことぐらい知ってます!」
なんだかもう私の理解を超えた衣類を売っている店に、だ。
アウェー中のアウェーである。相手チームに一度でも衝突すれば、今すぐ相手のサポーターが凶器を振りかざしてグランドに下りてきて大群で向かってくるくらいのアウェーだ。フィールドに立った時点で勝負はついたようなものである。
大体なぜワンフロアでメイルとフィーメルとアンファンが置いてあるのだ、男女別でお願いしたいというのに。陣地を侵略するのは良くないのである。そして店員さんがおしゃれすぎである。
野郎の癖に小じゃれた姿の店員が、藤織さんと話をしていた。藤織さんとは顔なじみのようだった。二十台前半くらいの青年で、藤織さんより背が高くて笑顔に愛嬌がある。私の人生で、すれ違うことさえないと思われるような人種だ。なんで私は今ここにいるかがわからない。やばい、アイデンティティが崩壊しそうになってきた。
ちらりと目にしてしまった値札に、腰が砕けそうになる。このワンピース一枚で、一体何冊のBL本と同人誌が買えることか…………!
その中から藤織さんは店員さんと一緒に適当に選ぶと、あっという間に清算して、私に突き出した。
「とりあえず、着替えて来い」
あの、私今日は一応ジャージではなく、ジーンズを履いていますが、だめだったでしょうか。
押し込まれるように試着室に放り込まれる。狭いところは好きな私だが、なんで似合いもしない服を着せて店員さん及び藤織さんの失笑をかうような行為に自ら臨まなければならないのだ。ということで、先ほどの言い合いは、私の精一杯の抵抗だったわけだが。
外では藤織さんが目をひからせているとはいえ、一人になれて私はほっとため息をついた。
都市伝説で、試着室から消えた女、とかあるけど(どっかに売り飛ばされちゃうんだよ、というアレである)、着替えて出て行くくらいなら、むしろ消えたい。
しかし藤織さんは一体何者なのであろうか。
今日も、私にはビタ一文出させる様子がない。いくらインテリヤクザと言ってもこの暴対法全開のご時世である。そんな鷹揚な態度でいいのだろうか。貧乏人としては、人のことながら不安でならない。何か組の金など使いこんではいないだろうか。藤織さんの手は綺麗だから、小指とはいえなくなってしまうのは惜しいのである。
なんだろう、お金は持っているし、本人の趣味もいいんだけど…………なんていうか、お金持ちにあるおおらかさが藤織さんには少し欠けている気がするのだ。苦労しないで育ったぼんぼん、というよりは、辛苦の果てに今の地位を築いたたたき上げ、そんな感じだ。がつがつしていないけど、おっとりしていない。
藤織さんのことはきっぱりヤクザと思っていたが、本当は違うのだろうか。
でも他の職業が思い浮かばない。
もそもそと着替え終わった私が出てくると、そこで藤織さんはようやく少し微笑んだ。
「なんとか見られる様になったな」
藤織さんも場合によっては妙にハードルが低くていらっしゃる。私など、まだまだモザイクが手放せない顔だと思いますが。
藤織さんが選んだのは茶とベージュをベースにしたワンピースで、切り替えたスカート部が下の素材を薄く透けさせていた。
似合っているよーと店員さんが言ってくる。内心では(私に話しかけるな、イケメンの分際で!)と罵倒しつつ、私は卑屈な笑顔でげへげへと御礼を言う。
近々親族の結婚式があるのです、とうっかり言ったら、なんとそのワンピースとは別に、もうワンランク上の華やかなワンピースも買ってくださった。
あと化粧だ、とか行って藤織さんは今度はデパートの一階化粧品売り場に私をひっぱっていく。ほんともう勘弁してほしい。さすがドS。無自覚でいたぶってらっしゃる。
回復呪文を唱えられるメンバーが居ないのはキツイ。パーティ的にバランス悪い。
そこで選んだ化粧品屋で化粧まで施され。終わったころには
殺す気か!
と珍しく私も気が立っていた。
早くうちに帰って、エロエロ触手もの読んで和みたい、あんあん言ってる受けに癒されたい、そればかりを願ってしまう。藤織さんの意図がわからない。私着飾ってどうする気だ。そんなもので掛井さんが私になびくとでも思っているのだろうか。
あの人の最萌ポイントは乳だよ、巨乳!自己申告していたではないか。
ともかく、一そろい上から下まで整えた私を見て、藤織さんはそれなりに満足したようだ。今、もう午後五時である。いくら毎日が日曜日の私も、それなりに休日を楽しみたかったのであるが。
「やればできるじゃないか」
藤織さんは今度こそ鮮やかに笑った。
「僕は何もしないで、ダメだ無理だ言っているのが嫌いなんだ」
「何もしなかったわけじゃ」
わけじゃない、が。
…………今日の藤織さんがしたことはいわば反則だ。普通の人間はここまでお金も時間もかけられない。その権力をもって努力を語るとは!と思わなくはないが。
でもやれば少しは見られるようになる、ていう結果は結果だ。納得行くような、行かないようなだけど。
ああ、でも。
「藤織さん」
化粧品が入った袋を持った藤織さんは、何事か思案しながら、夕刻の町を歩いていく。
「あのう、今日はありがとうございました」
私は立ち止まって頭を下げた。人通りの多い中、藤織さんは夕日を背に逆光だ。
「…………ナベは素直だなあ」
おかしそうな響きが混ざっている。
「僕も含めて、変人とか頑固とか意地っ張りばっかりがまわりに居たから、ナベみたいに素直なのは面白い」
お楽しみ頂ければ光栄であります。
「ありがとうございます。お金はいずれお返ししたいと思います」
「金はいいよ」
そっけなく言ってまた歩き始めた藤織さんを追って、私は後をついて歩く。。
…………49日が終わったら藤織さんとの友人関係も終わってしまうな…………残念。でももともと終わる予定だったから仕方ないか。
借金にしておけば返す口実があるから会えるのに。まあ藤織さんは私になど二度と会いたくないであろう。下等生物と書いて私とよんでも差し支えない存在であるからして。
「掛井に見せるつもりで準備したんだが。せっかくだから夕飯でも食べて帰るか」
「はい」
いい返事をした、私だけど。
その先が、今日の試練だった。




