01
タイトルの読み方はヨンキューです。
49話で本編は終わります。
これはちょっと困ったことになっているのかもしれない。
私はしみじみ現状を反芻してみた。
……やっぱりこれは、ちょっと困ったことになっているのではなかろうか。
今朝は、普通に起き、そのまま書店のバイトに向かった。
先日勤めていた会社がこの不況でなくなってしまったので、今はバイトで食いつないでいる。初めて正社員になれた会社であったので残念でならない。
従って今、貧困ボーダーライン上である。先日諸事情で、貯金を使い果たしてしまったので後がない。
金がない以外は通常通りだ。
電車の乗る車両はおろか、着ている服まで昨日と一緒である。乗り合わせた皆様にデジャビュを味合わせたことは間違いないだろう。他も昨日と一緒のことばかりだった。
五時半まで働き、帰途についた。一点違うのは、今週末くらいに花見をしたほうがいいんじゃないかと誰かが発言し、日程が決まったことぐらいか。
もちろん私にはかかわりの無い話である。皆も私を向かいに酒を飲むくらいなら、本当に「桜」を見ていたほうがいいであろう。私の人見知り加減は、人の顔の判断がつき始めた幼子の如しである。泣いてもすかしてもあやしても無駄である。すみません。
バイト先でも雑談をせず帰宅する日もざらだ。本日も無事、無言の帰宅をした。ミッションコンプリート。
はたしてこれが26歳女性のあるべき姿であろうかといえば、事実そうなのだから仕方ないのだ。
反芻してみたが、やはりここまでは普段とはなんら変わりがない。異世界にも召還されず、アラブの王子様にも求婚されず、オーディションで監督に見出されることもなかった。問題は帰宅後にあるような気がしてならない。
さて夕飯はどうしようかと考え、数種類のカップラーメンを前に正座をして吟味していたところで、その男がやってきたのだ。
ちょうどお湯が沸いたので、とりあえず選んだそれに湯を注いでから、私は玄関に向かった。おそらく宅配便であろう。そういえば、先日ネット通販を頼んだばかりだ。応対をしているあいだにカップラーメンが出来上がる。
とりあえず印鑑を探してみたが、みつかるはずもない。その理由の一端として、私がとても整理整頓が苦手だということもあるが、瑣末な原因だ。ともあれ、サインでいいだろうか。
「はい」
私は鍵を開けた。
で、その男が押し入ってきたわけである。
うん、どうもこの辺りから、ちょっといつもと違うような気がする。
「渡辺寧子だな」
男は尋ねてきた。しかし、その言葉には確信があった。まあ、目の前の下駄箱の上に、「渡辺寧子様」宛てのダイレクトメールが積み重なっている以上、自然な流れだ。回転寿司で座ったら、目の前に寿司が流れてきたくらいには自然だ。
若干不自然だと思っていいのは、私のほうである。
この男。
異常にハンサム。
いや一皿100円回転寿司で、特上天然クロマグロ大トロが回っていたら、尋常じゃないと思われるがいかがなものだろう。
最近の宅配業者は顔で選ぶのだろうか。知らなかった。しかしそれならそれで、大変女子的には望ましい。いくら私だって、「ここに印鑑お願いします」と言われれば「ハイ」くらい返せる。イケメンどころか男子と会話することだってままならない私も、初めて美形と自然に会話できるのだ、革命的である。
男は、年のころ三十代前半、か、もっと若いくらい。
さらりとした髪の毛が無雑作かつ気の効いた造作でまとめられていた。少々唇が薄く、酷薄そうに見えなくも無いが、その分ソリッドで、ただの顔が良いだけの男じゃない雰囲気もある。切れ長の目がじっと私を見ていた。
「渡辺寧子。……父親は、渡辺高志。母親は、玲子。姉は多恵。ただし、渡辺高志は玲子とは再婚のため、多恵は連れ子。姉妹は半分しか血はつながっていない。両親は数年前交通事故で亡くなった。残念な話だ。ここまで誤りないか?」
なぜ宅配が家庭調査?誤配を避けるための個人情報確認だろうか。
「なにか訂正箇所は?」
「ございません」
なんで早く私めが頼んだ18禁ボーイズラブゲームをよこしやがって下さい。
「よし」
男は納得したらしい。
「渡辺寧子。お前に用がある」
「私は、宅配便さえ頂ければ、特に用はないのですが」
「なにか勘違いしているようだが、宅配便じゃないぞ」
「では今すぐお引取り下さい」
依頼したものがきたと思ってうきうきした私の高揚感については責めないでやる。
「承知した」
男はかすかに微笑んだ。
微笑んだ、と思われる。
急に自信がなくなったのは、男の微笑が剣呑なものに見えたからだ。先ほどまでの無表情の方が、微妙に平穏な感じである。
「お前を引き取って帰ることにする」
男は、がしっと私の腕を掴んだ。
「……私は配達される覚えは」
今気がついたが、男はびしっと決まったスーツ姿だ。配達兄ちゃんの作業着でもなければ青白のボーダーTシャツでもない。
光沢の無い黒いスーツに無味乾燥な黒いネクタイ。
これは一般的には喪服、といわれるものでは。
「だから宅配業者ではない」
喪服の男は、上も下もユニクロジャージでナイスコーディネートを決めている私を引きずりだした。さりげなく下駄箱の上に置きっぱなしだったこのアパートの鍵まで掴んでいる。
「火の元はいいな」
「ガスの元栓が」
「よし、あとで大家に電話しておこう」
男は乱暴に鍵を閉めた。振り払おうと思った彼の腕だが、恐ろしい力でまったくそれは不可能だ。
私がうっかり足をつっこんでしまったのは仕事用の腐ったような革靴だ(食べるな危険)。しかもジャージにまったくあってない。
「あの……まるでこれは拉致のように見えます」
「そうとも言う」
いや、そうしか言わない。
男は無論階段しかないアパートの二階から私を引きずって降りる。
さすがの私もこれはまずいという気がしていた。大体こんな怪しい男に連行されているだけで、無事に済む気がしない。わりとネガティブ路線の私だが(黒猫が前を横切ったら、今日は死ぬような気がしている)、それを差し引いてもろくな目に会わないということが予想される。
ここは一つ、大声を上げてみるか、と思ったが、かりに今、逃げ延びてもその場しのぎでしかないような気がした。
彼は私の一家の名前と、ちょっと特殊な家庭事情を知っていた。
渡辺玲子。
旧姓は知らないが、母は自分の実家のことを語ることはなかった。それは不自然なまでに。そのまま亡くなったが、なにか過去があるようで、自分の子供のことをひどく心配していたのだ。
もしこの男が、母の実家に関係しているのなら、多分この場を逃げ切っても結局それではすまないだろう。
なら、その理由を知るべきではないだろうか。
階段を下りた先のアパートの前には、車が一台停まっていた。見るもお高そうなお車である。車の鼻面には二重の円とその中が二分割された不思議な紋章。これ一台で私のバイトとしての年収何倍分だと計測不能になる。
「乗れ、渡辺寧子」
「名前を気安く呼ばないで頂きたい」
車の前でなんとか足を止めて、彼を見つめ返した。
奴隷体質、下僕気質のくせに、私はどうしてケンカ売ってしまっているのだ。バカである。
内心、心臓ばっくばくして止まりそうだ、いやむしろ止まって頂きたい、死んだふりしたい、くらいの勢いで言ってしまった言葉に後悔しているわけだが、なんとか見つめていると、彼は少し微笑んだ。
非常に楽しそうに。
……近所の猫が、いたぶれる虫を見つけたとき、こんな顔してた。
「気が強いのか?」
「いいえ、正真正銘三下です。長いものには巻かれますし、お上の言葉にはビタイチさからうつもりはありません」
なんなら靴も舐めます。
「……とりあえず、車に乗れ。渡辺さん」
あ、名前にさんがついた。
……待て、命令口調はそのままではないか。つまり「さん」がついたところで、「このブタ野郎」的ニュアンスはまったく消えていない。
「ああ、失礼した」
私を後部座席に放り込んで、自分は運転席に座ってチャイルドロックをかけて、それから振り返って男は言う。
「僕は、藤織と言う」
名前を名乗れば良いというものではない。その上から目線をなんとかしなければ意味はないのであるファッキュー(声にできない日本語)。
とりあえず、車は動き出した。
ということで、私は今、ちょっと困ったことになっているような気がするのだが、これは思い過ごしであろうか。