第四章 『白虎地区』③
応接間を辞したあと、尊たちは天音の病室へとむかっていた。
「柊、君も先生を疑っているのか?」
凛香が探るように訊いた。
「さあな」
尊がとぼけた口調で答えたので、凛香がすこし苛立った口調で続ける。
「先生は素晴らしい方だ。よく私たちのことを気にかけてくださる。私には、あの人が法を犯すだなんてどうしても思えない」
「思いたくないだけじゃないのか?」
尊は試すように言って、口元に嫌味な笑みを浮かべた。
たしかに、そうかもしれない。尊や瀬戸の言うとおり、現状、内海は最も分かりやすい容疑者だ。
凛香にとって、内海は恩人ともいうべき人物だ。内海が自分を利用して、やましい行いをしたなど、とても信じられない。だが、恩人と思っているからこそ、そう考えてしまうのかもしれない。また、可能性の話をするなら、その思いを利用した、ということもまったくないとは言い切れない。
そこで凛香は頭を押さえた。凛香には、中央省に〝おみやげ〟を届ける以前の記憶がない。そしてそれ以降、なんだか頭にもやがかかったようになっている。考えようとしても、うまく考えがまとまらない。とくに、〝おみやげ〟のことを考えると、耐えがたい頭痛に襲われた。それがもどかしくてたまらなかった。
「……」
考えに没頭していて、危うく朱莉の言葉を聞き逃すところだった。
「え、な、なんだ美神」
「大丈夫? ずいぶん難しそうな顔してたけど」
「あ、ああ。なんでもない。大丈夫だ」
朱莉はまだ心配そうな顔をしていたものの、いちおう引き下がった。
とそのとき、尊たちを呼び止めたものがいた。
「あなたは……」
予期せぬ人物に、凛香は驚いたようだった。逆に、尊の口元には皮肉な笑みが浮かぶ。
「これはこれは東郷地区長。なにかご用かな?」
それはたしかに、白狐地区の地区長を務める東郷紫だった。
「君に話がある」
「ほう。光栄だな」
尊がわざわざ皮肉な言い回しをするので、密かに肝を冷やす朱莉だが、予想に反し、東郷はそれにはまったく触れずに言う。
「一緒に来てほしい」
「面倒だな。聞いてやるからここで話せ」
「すまないが、ここで話すようなことではないんだ」
「ならさっき話せばよかっただろう」
口をつぐんだ東郷を見て、尊はまた皮肉っぽく鼻を鳴らした。
「なるほど。そういうことか」
意味深なことを言ったその口元には、やはり皮肉な笑みが浮かんでいる。
「いいだろう。地区長殿直々のご使命だからな。断る粗相はできない」
尊は朱莉たちにさきに行くよう言い、東郷とともに別室にむかった。そこは、先ほど使ったのとは別の応接間だった。
「で? いったいなんだ? とっとと終わらせろ。こう見えて、忙しいんでね」
ソファーにふんぞり返って座り、いまにも貧乏ゆすりをしそうな調子で言う。
「君は、この地区を見てどう思った?」
東郷が切り口上に訊いた。
「どう、ね。まったく、貴様ら官僚は示し合わせたように思わせぶりな質問をするな。もっと明確に言葉にする癖をつけろ」
しかし、東郷はなにも答えずじっと尊を見てくる。尊は白けたように鼻を鳴らし、
「べつにどうも思わん。ま、玄武地区よりはいいところだろうな」
そう言って尊は笑ったが、東郷はクスリともしなかった。
「だが、どういうところかは察しが付く。ここにいる住人……正確には女の住人だが、そのほとんどは『アドラスティア』の被害者だな?」
地区長は答えず、無言で続きを促してくる。
「どうやら連中は、十五年以上前から〝女神〟の資格を持つ少女たちを誘拐し、〝女神〟探しをしているようだ。ここは、そういったやつらの保護施設でもあるのだろう?」
「そのとおりだ」
東郷は目を伏せ、静かに言った。
「瀬戸は、『騎士団』という討伐組織を創設したが、被害者のケアについては考えていなかった。だから、どうしても必要だったのだ。彼女たちが、安心して暮らせる場所が」
「それについては仕方がない。やつの命題は〝『安全地帯』の建設〟と〝『騎士団』創設〟だからな。征十郎にとって、被害者など〝切り捨てるべきその他大勢〟に過ぎない。貴様とは、根本的に価値観が違うのだ」
「そうだな」
ここで、東郷の顔に初めて笑みが浮かんだ。ただし、それは皮肉の色合いが強い。
「たしかに、やつと私とでは、まったくと言っていいほどに、考え方が異なっている。たとえば、正直に言って、私はいま個人的感情で行動している。だが、やつはそんなことはしないだろう」
「無駄話はもういい。本題はなんだ」
尊が面倒くさそうに言った。すると、東郷はいつもの無表情に戻り、一度口をつぐむ。
「私には娘がいる」
数秒経ってから、切り口上にそう言った。
「いや、正確には、〝いた〟だ。十三年前に、自殺した」
東郷はまた口を閉じた。彼女が話を再開したのは、十秒近く経ってからだった。
「十七年前、彼女は『アドラスティア』に捕らえられた。救出されたのは十四年前。ウイルスが蔓延したあとのことだ。その後、娘のカウンセリングを担当していたのが、内海だった。
彼女はよくやってくれたよ。だが、それでも……」
「なるほど」
尊がすべてを見透かしたような、傲慢な口調で言った。
「つまり貴様は、極めて〝個人的感情〟から、あの女が気になって仕方がないということか」
「内海は、娘の恩人であると同時に、私の友人であり、そしてパートナーだ。私が地区長となってから、その方針に賛同して協力してくれている。だから、信じたくないのだ。彼女が、人の命を奪うなど、そんな話を……」
「信じたくない、ね。フン、存外正直だな」
「改めて訊く。どうか忌憚のない意見を聞かせてほしい。君と瀬戸は言ったな。現状、内海は〝最も分かりやすい容疑者〟だと。君の目から見て、彼女は犯人だと思うか?」
その質問にすぐに答えは返らなかった。尊はじっと登場を見据えている。その理由を、東郷は察することができた。
おそらく、尊はいま一つの疑いを持っている。即ち、〝東郷と内海は共犯者なのではないか〟と。
仮に内海を犯人とすれば、彼女に恩義を感じている東郷が、犯行に手を貸すという可能性も考えられる。あるいは、東郷自身も、〝暗示〟にかけられている可能性も……。
だから、東郷は最悪答えが返らないとさえ思っていた。しかし――。
「正直言って、俺は内海を犯人とは思っていない」
そう断言されたとき、虚を突かれた気分になった。
「なぜそう思う?」
訊かれて、尊は露骨にいやそうな顔つきになる。それは説明を面倒くさがっているからだが、東郷はなにも言わなかった。尊はため息交じりに言う。
「征十郎が言っていただろう。〝最も分かりやすい容疑者〟と。そして内海自身はこう言った。〝まるで誰かが用意したようだ〟とな」
「君もその意見を支持しているのか?」
「案静にも言ったんだが」
尊は皮肉な口調で言う。
「俺はひねくれ者でね。物事を見るとき、まずは反対から考えたくなるんだ。だから今回もそう考えた。べつに連中を支持したわけではない」
「質問を変えよう」
東郷はせき込んだように尋ねた。
「君はだれが犯人だと思う? 目星はもうついているのか?」
「さあな」
とぼけた口調で肩をすくめた尊だが、
「柊君」
それだけでは、東郷は引き下がらなかった。尊をまっすぐに見てくる。その目には、いままで宿っていた敵意の色は一切ない。
「教えてくれ。頼む」
尊はゆっくりと東郷を見た。彼女は尊から視線を外そうとしない。どうあっても、引き下がりそうもなかった。
ため息をつき、口を開こうとした、まさにそのときだ。
突如、警報が鳴り響いた。




