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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 華京院凛香という少女⑦

 翌朝、凛香は夜明けとともに目を覚ました。


 現在彼女は、いくつかの条件のもと〝保釈中〟となっている。その中の一つに、〝外出のさいは一人で出歩かないこと〟というものがあった。

 凛香は毎日、早朝のランニングを欠かさず行っている。その癖で、こんなはやい時間に起きてしまったわけだが、今日はどうしたものか。凛香は一人では出歩けない。したがって、彼女がランニングに行くには、尊か朱莉に同行してもらう必要がある。


 壁に下げられた時計で時間を確認すると、時刻はまだ五時を回ったばかりであった。隣では、朱莉が静かに寝息を立てている。起こすのはあまりに忍びない。

 尊に関しては論外だ。もしこんな時間に起こして「ランニングに付き合ってくれ」などと言えば、いったいどんな皮肉が返ってくるか分かったものではない。

 それ以前に、そもそもいつも着ているジャージがなかった。


(今日はやめておくか……)

 凛香はため息をついて、ふたたび布団にもぐろうとした。とそこへ、

「ようやくお目覚めか?」

 上からけだるく眠そうな、それでいて皮肉っぽい声が降ってきた。聞き覚えのある声に、凛香は驚き顔を上げる。

「貴様、いったいこの俺を何分待たせるつもりだ?」

「ひ、柊……?」

 いまさっき自分が論外と切り捨てた少年、柊尊がイスに座り、傲岸不遜に自分を見下ろしていた。


「なぜおまえがここに……」

「何度も言わせるな。ここは俺の部屋だぞ。どこにいようが俺の勝手だ」

 面倒くさそうに言うと、のろのろと立ち上がる。

 そうして、彼は予想外の一言を放った。

「とっとと準備しろ。運動の時間だ」




 十分後、尊と凛香は走っていた。身を包む早朝の清冽な空気。外にいるだけで身が引き締まる気がする。こうした空気が彼女は好きだった。人通りはまだすくなく、時々すれ違うのはおなじくランニングをしているか、犬の散歩をしている人くらいである。

 こうした静かな空気も、彼女はとても好きだった。こうして走っている間だけは、しがらみから解放されているように感じる。


 しかし、今日はいつもと決定的に違うことが一つある。

 今日は一人で走っているのではない。しかも、一緒に走っているのは、普段ケンカばかりしている相手だ。


 尊はいま、動きやすいジャージを着ていた。凛香は保釈されたさい、一度自宅に戻って必要最低限の荷物を持ちこんでいた。

 しかし、ジャージは持ってこなかった。理由は前述したとおり、尊に言えばまたケンカが始まってしまいそうだったからだ。

 彼女がいま着ているジャージは、尊のものである。サイズが合っていないため、裾はまくって着ている。異性の……それもいつもいがみ合っている相手の服を着て、一緒に走っているというのは、なんとも奇妙な感覚だった。

 それにしても、尊は一体なにを考えているのだろう。刀哉に啖呵を切ったこともそうだが、こうしてランニングに付き合ってくれるとはまるで予想外だ。正直、ちょっと不気味である。


「柊……」

 気になって名前を呼んでみる。ひょっとしたら、無視されるかもと思ったが、ややあって返答がくる。

「なんだ」

「その……どうして私に付き合ってくれるんだ?」

「不満か?」

「そういうわけじゃない。ただ、美神から、おまえは朝が弱いと聞いたからな。こんなはやい時間に起きているなんて予想外だった」

 それから、尊はちょっと黙った。やがてフンと鼻を鳴らして言う。

「べつに。ただの気まぐれだ」


 朱莉は、尊は意味のないことをするやつではないと言った。つまりこの行動にも意味があるということだが、どうやら理由を話すつもりはないらしい。昨日の病院でもそうだったが、この少年は自分が決めたときまで理由を言わないようだ。それが印象の悪さに一役買っているし、尊の言葉を借りるなら〝悪癖〟だとも思うのだが、改善するつもりがないことも一目見れば明らかである。

 ただ、いまの尊は普段の尊とは違い、〝バカにしている〟とか〝見下している〟とか、そういった感じはしない。

 寄り添ってくれている……とまではいなかいが、力になってくれようとしているというか、すくなくとも敵対心は感じない。なんとも、不思議な感覚だった。


 ――ひょっとしたら、美神の言うとおりなのかもな。

 これ以上訊いたところで答えは返ってこないだろう。そう思った凛香は、黙ってランニングを続けることにした。

 そうして、しばらく二人は無言で走っていたのだが、やがて尊は歩道を左に曲がった。そのさきは――滑り台や鉄棒、ブランコなどの遊具が置かれている――公園だった。

 彼はそこで、不意に立ち止まった。


「柊?」

 どうしたのだ? と凛香が聞こうと口を開きかけたときだった。尊が視界から消えた。つぎの瞬間、凛香の目は尊を捉える。彼は、腰をかがめ、凛香の目のまえにいた。その手には、どこで拾ったのか、小枝が握られている。


「!?」

 ビュンッ! という音を立て、小枝が空気を鋭く一閃する。

「柊! いきなりなにをするんだ!?」

 ギリギリでかわした凛香は、態勢を立て直すとすぐさま抗議の声を上げた。いま尊は、凛香の頸動脈をまっすぐに狙っていた。紛れもない、いまのは〝攻撃〟だった。


 しかし、抗議を受けてなお、尊の攻撃はやまなかった。小枝を武器とし、彼はじつに滑らかな攻撃を仕掛けてくる。こけおどしでなく、本気であることは、攻撃を見れば分かる。避けなければ、それは間違いなく凛香に直撃する。それも、すべて急所に。


「この……っ。いい加減にしろ‼」

 ついに凛香は反撃した。尊の攻撃を受け流すと同時、足を引っかけ、バランスを崩したところで寝技をかけようとする。が、一度バランスを崩しかけた尊だったが、彼はいとも簡単に持ち直し、逆に凛香を組み伏せてしまった。


「ぐっ!?」

 わけが分からぬうちに地面に倒された凛香は、せめてもの抵抗とばかりに尊を睨みつけた。

 一方、尊はどうでもよさそうに鼻を鳴らすと、

「フン。まあ、こんなものか」

 凛香の拘束を解き、いまだ状況が理解できずにいる凛香に対して、とっとと起きろと言うものだから、理解が追いつくまえに、怒りが理性を追い越してしまった。


「お、おまえ! いったいなにをするんだ!? なにがしたいんだ!? おまえがなにを企んでいるのか、私にはもうさっぱりだ!」

 当然の怒りをもって尊を糾弾するも、当の本人はあくびでもしそうなほどにダルそうな態度なので、ひょっとして自分が間違っているのではないかと錯覚しそうになる。

「そう騒ぐな。俺はただ、見極めたかっただけだ」

「見極める? いったいなにをだ?」

「決まっているだろう。貴様が不意打ちにどの程度対応できるかをだ」

「不意打ちに、だと……?」

 眉をひそめる凛香に、尊は面倒くさそうに説明する。


「来ると分かっている攻撃をかわせるなど当然のことだ。不意打ちにどの程度対応できるかで、ある程度実力は知れる」

「つ、つまり……?」

 いまの説明(?)で理解できるとでも思ったのか、尊は説明をやめてしまう。しかし、凛香はわけが分からない。尊は一度舌打ちすると、

「貴様とやつの実力差は歴然としている。不意打ち程度に対応できんのならば、やつに勝つことなどできんぞ」

 ここにきて、尊がなにを考えていたのかようやく分かった。彼はいま、華京院刀哉との決闘に備えて、凛香に修行をつけているつもりなのだ。


「これから貴様には、いくつかのノルマを課す。それをすべて、クリアしてもらうぞ」

「の、ノルマ?」

 話をすすめる尊だが、凛香はいまだ混乱が勝っている。即座に尊の言葉を理解することができずにいた。

「最初のノルマはたった一つ。『俺から目をそらすな』。以上だ」

 と言うと、口元に酷薄な笑みを浮かべて言う。

「さあ、始めるぞ」


 つぎの瞬間、ふたたび凛香を〝攻撃〟が襲った。

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