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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 華京院凛香という少女⑤

 一同が夕食にありついたとき、時刻はすでに七時を回っていた。

 今日のメニューはカレーだし、量も多めに作られている。なので恵梨も食べていくものと思ったのだが、彼女は仕事があるとかで、六時を過ぎたあたりで出て行った。


「なんかさ、いますごいお祭り騒ぎだよね。家から学園に行くだけなのに、パレードの宣伝とかたくさん目にするし」

「まえに言っただろう。〝権威に必要な飾り〟だ」

「だが、『騎士団』の方々は実際に『危険区域』に行って、戦果を挙げられたのだ。士気を上げるという意味でも、『安全地帯』のためにも、パレードは必要なものだ」

 相変わらず鼻で笑うように言う尊に、凛香は諭すような口調で言った。


 尊が不快気に鼻を鳴らしたので、凛香は顔をしかめた。尊が笑った理由は、ここに瀬戸がいれば似たようなことを言いそうだからであって、べつに凛香の言葉をバカにしたわけではない。いや、バカにしてはいるのだが、そっちより瀬戸のほうが大きい理由である。理由は単純で、嫌いだからである。


「なんだ柊。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」

 単純にバカにされたと思ったらしい凛香がじろりと尊を睨んで言った。

「べつになにも。ただ素晴らしい模範解答だと思っただけだ」

「それがなにか問題なのか?」

「一般的には美徳だろうな。だが、平時なら構わんが、非常時にそういった人間にしゃしゃり出てこられると非常に困る。その手の人間は、自分が正しいと信じて疑わない、ある種利己的な人間だからだ。困ったことに、以前、騎士団幹部にもそういったやつがいて、現在も一人いるが、貴様はどうかな?」

 尊はにやにや笑いながら、挑戦的な視線をむけた。


「私が自分勝手だと、そう言いたいのか?」

「そう聞こえたのならそう言ったんだろう。そう聞こえたのか?」

「柊……」

「ちょっと二人とも!」

 食卓に不穏な空気が流れ始めたのを断ち切るように、朱莉がパンパンと手をたたく。

「もう、ご飯食べてるときにケンカしないでよね」

「べつにそんなことはしていない。そもそもさきに絡んできたのはそいつだ」

「いや、いま尊くんから絡んでいったよね」

「それを言うならそもそも話を振った貴様のせいということになる。分かったら黙れ」


 責任が一周したところで、朱莉は深いため息をついた。ただ話そうと思っただけなのに、どうしてこうなるのか。相変わらず、常識が一切通用しない少年である。

 こうなっては仕方がない。ずっと黙っているというのが最適解だが、じつに残念なことに、ここには尊に接しなれていない少女が一人迷いこんでいた。


「おまえはいつもそうなのか?」

 彼女は当然の反発をもって、判で押したように、ほかの人間とおなじ言葉を口にする。

「俺は正直者でね。貴様らは息をするように平気でウソをつくが、俺はウソがつけない常識人なんだ」

 なにやら意味不明なことを言っている。まともに訊いたところで脳が理解を拒否するだけなので、これも無視することが一番なのだが、やはり凛香は、

「お、おまえが正直者で常識人……? なにを言っているんだ? 新手のギャグか?」

 困惑した様子で目を瞬き、いったいなにを言うべきか考えあぐねる凛香。


 うん、まあ、そうなるよね。分かる分かる。

 朱莉は一人、心中で納得したふうにうなづく。

 普段尊が接しているのが瀬戸や律子であったり、初めて接したはずの詩織までも何事もないように対応するので忘れかけていたが、これが普通の反応なのだ。


「華京院さん、まじめに相手にしたらダメだよ。疲れるだけなんだから」

 いつだったか、律子が言ったことを朱莉は言った。

「そうだな。もう無視することにするよ」

「貴様ら、俺をなんだと思ってるんだ?」

 凛香が達観したように言い、尊は舌打ち交じりに言った。

 辟易しているはずなのに、なぜか頬が緩んでいるのが自分でも分かった。こうして話していると、やはり自分の立場を忘れそうになる。その理由の一つには、朱莉とは違った意味で態度の変わらない尊の存在もあるのだが、凛香はそのことには気づいていないし、また気づいたとしても認めようとはしないだろう。


「文句があるなら自分を見つめなおすことだ」

「華京院さん……」

 無視すると言ったそばからこれである。おそらく、いつもがいつもだから、反射的に言ってしまったのだろう。彼女はまだ尊の扱いに慣れていないのだ。

「フン、ずいぶんやかましくなったじゃないか。病院にいるときとはまるで別人だ。とくに病室を出てからは、ほとんどしゃべりもしなかったくせにな。どういう心境の変化だ」

「べつに、なんでもないさ」

 凛香はぶっきらぼうに答えた。


「病室?」

 朱莉は首を傾げた。

「華京院さん、だれかのお見舞いに行ったの?」

 凛香が〝暗示〟にかけられているということは、律子から聞いている。なので、病院に行ったというのは、精神科医の診察を受けたのだろうと想像できるが、病室というのが引っ掛かった。

「ああ……姉さまの見舞いにな」

「そうなんだ。華京院さん、お姉さんがいたんだね」


 しかし、朱莉はそれきりなにも言わなかった。凛香の様子を見て、これ以上踏みこむべきではないと思ったのだろう。朱莉のこういうところが凛香は好きだし、尊敬してもいた。

 いままで、凛香は身の上話などしたことがなかった。いや、できなかったと言ったほうが正しい。彼女はいま、極めて複雑な境遇にいる。


「美神」

 以前、内海に言われたことがある。一人で抱えこまずに、話せる人間がいたら話したほうがいい、と。いままで、どうしても躊躇してしまっていたが、いま初めて、〝話そう〟という気持ちになっていた。

「柊も、聞いてくれ」

 そしてそれは、尊に対しても同様である。この少年は、いかなる状況においても、自分を曲げようとしない。今朝、弱気になっていた自分にも、情け容赦のない発言をしてくれた。この二人なら、変に同情したり、色眼鏡をかけたりせずに、自分の話を聞いてくれるに違いない。


「べつに話す必要はないぞ。貴様が知っている程度の情報など、どうせ調べればすぐ分かる」

「いや」

 尊の暴言に、凛香は短く否定し、

「君たち二人に、聞いてほしいんだ」

 凛香は尊と朱莉をまっすぐに見て言う。

「……好きにしろ」

 尊はちらりと凛香に視線を走らせ、まるで興味がなさそうに言うのだった。




「私には、姉さまと、もう一人、年の離れた兄さまがいる」

 夕食を食べ、片づけを終えた後(当然のように尊は手伝わなかった)、凛香がぽつりとつぶやくように言った。

 凛香が黙ると、部屋の中には時計が時を打つ音だけが、妙に大きくこだました。

 彼女は湯飲み茶わんを両手で握ったまま続ける。

「華京院家は、戦前は爵位を持つ、いわゆる〝華族〟だった」


 ――華族。

 西洋の貴族制度を模してつくられた、日本の貴族制度のことである。


「明治政府樹立のさいの功績を認められ華族となった〝武家上がりの勲功華族〟で、それ以前は『花京院』と記していた名前を、『華京院』と改めたと、父様から聞いた」

「なにを言うかと思えば自慢か? 要点を話せ」

「尊くん、最後まで聞こうよ。話には順番っていうものがあるんだからさ」

 朱莉がたしなめた言葉は、これまでに様々な人間が尊を黙らせるために使ってきた、言わば〝合言葉〟である。尊は忌々しそうに舌打ちすると、砂糖を三つ入れたコーヒーをすすった。

 凛香は続ける。


「明治政府では、私のご先祖は内務省の警保局に籍を置いていた。華京院は世間でいう〝高級官僚の家柄〟として、いままで続いてきた」

 そこで凛香は、一度言葉を区切った。

「私の父様は警察官僚だった。もしウイルス蔓延という事件が起きなければ、私も父様とおなじ道を選んでいたことだろう。

 だから私は、『騎士団』に入ることを選んだのだ。特殊な状況に置かれた国にあって、華京院の名に恥じぬ生き方をしたかった。

 そしてそう考えたのは、私だけではない。兄さまと姉さまも、おなじはずだ。だからこそお二人も、『騎士団』に入られたのだ……」


 そこで、朱莉は今朝、クラスメイトたちの話を思い出した。『騎士団』凱旋パレードの話をしていた彼らは、たしかに〝華京院団長〟と、そう言っていた。珍しい苗字だし、もしかしたらと思っていたのだが……。


「兄さまは、騎士団士官学園の第一期生の一人で、全受験者中トップの成績で試験をパスされ、また主席の座を三年間守り続け、全候補生中トップの成績で卒業された。兄さまは、とても厳しい方だ。ご自分はもちろん、他人に対しても……」

 尊はフンと、皮肉っぽく鼻を鳴らした。

「まったくあの団長殿は、〝勝てば官軍負ければ賊軍〟、『騎士団』の理念が服を着て歩いているような男だよ。やつは結果意外に興味はない。逆に言えば、結果さえ出せば、どれほどの異常者であろうと受け入れる。ある意味懐が深いと思っていたが、なるほど、さすがは貴族様ということか」


「……そうかもしれないな」

 凛香は自嘲的に言った。

「だからこそ、兄さまは、結果を出せなかったものに対しては、どこまでも冷静で、冷徹だ。たとえそれが、じつの妹であったとしても」

 湯呑を握る手に、力が入った。それは、意図してのことではなかった。


「姉さまは……とても優秀な方だった。試験でも、演習でも、優秀な成績を収められた。あの人は、厳しくもあったが優しくもあった。つねに皆の模範となり、皆に慕われていた。〝この人は将来、優秀な団員になる〟そう信じて疑う者はいなかったし、私自身そうだった。姉さまは将来、兄さまと肩を並べて、『騎士団』で活躍する、きっとお二人は、団長や副団長にまでなられるに違いない、と。私も、お二人の妹として恥じない団員になりたい。そう、思っていた。それなのに……」


 そこでまた、凛香は言葉を止めた。握られた湯呑が小刻みに震えているのが見える。しばらく口を開かなかった凛香だが、やがて覚悟を決めたように言う。


「三年前、姉さまは士官学園の三年生だった。『騎士団』の方々とともに、『危険区域』への遠征に参加されたのだが……そこであの人は、『アドラスティア』に囚われた」

 凛香の体がこわばるのが分かる。朱莉は思わず息をつめた。後に続く言葉が、漠然とではあるが想像できてしまったからだ。

「半年後、姉さまは救出された。だが、助け出された姉さまは……正気を失っておられたのだ。

 以前は皆に笑いかけてくださっていたのに、能面のような無表情になり、口も開かぬ、物言わぬ人形のようになってしまわれた。まるで、魂の抜けた、抜け殻のように……」


 凛香の言葉が止まった。再び秒針が時を打つ音が、静かに、大きく響く。それから、凛香は口を開かなかった。体を震わせ、唇をかみしめる。


「華京院さ」

「姉さまは……!」

 朱莉の言葉と凛香の言葉が重なった。嗚咽の入り混じった、喉の奥から絞りだしたような、かすれた声だった。


「姉さまは、変わってしまわれた……そして兄さまは……あの人は、そんな姉さまを、冷たく切り捨てたのだ」

〝切り捨てた〟という意味を、二人は正しく理解した。そして凛香の口から続けられたのは、二人は予想したとおりの言葉であった。


「〝華京院家の名を汚した〟として、姉さまは勘当された。兄さまだけでなく、父様まで、『もう華京院家とは関係がない』と言った。

 行き場を失った姉さまは、白虎地区地区長の東郷さんの口添えもあり、鹿谷精神病院で治療を受けることになったのだ」

 そこで凛香は息を吐くと、自嘲的に笑って続ける。


「私は何度も、お二人に姉さまを引き取ってほしいとお伝えした。だが、決して聞き入れてはくださらなかった。どころか、兄さまは私にこう言ったのだ。

『天音に能力で劣るあなたが騎士団でやっていけるはずはない。無意味なことはやめなさい。元帥が警保局内に籍を用意してくださるそうです。普通の高校と大学に通い、そこで働きなさい』。

 だが、私は従わなかった。『騎士団』に入ると、意志を貫くと言った。すると兄さまは、今度はこう言ったのだ。

『では勘当です。あなたはもう、華京院家とは一切関係がない。家を出て、好きになさい』。とな」

 またちょっと笑った。今度は、とても悲し気に。


「兄さまは、私のことも切り捨てたのだ」

 凛香はうつむき、無感情に言い落した。


「華京院さん……」

 朱莉にはかける言葉が見つからなかった。いや、あるいは、かけるべきではないのかもしれない。

「フン、なるほどねぇ」

 尊が口元に皮肉な笑みを浮かべて言った。

「家名を汚しただの、勘当だの、まったく貴族様は大変だ。俺は庶民でよかったよ」


 相変わらず、相手のことをまったく考えていない発言である。いまものすごくデリケートな話をしているのだから、慎重になってしかるべきだ。が、尊はまったく気にしていない。

 凛香が気を悪くするのではと思った朱莉だったが、意外にも、彼女は「そうだな」と相槌を打った。


「華京院の名が、いったい、どれほどのものだというのだ……なぜ、一番支えにならなければならないはずの家族が、こんな……」

 口の中でぶつぶつと、つぶやくように凛香は言う。拳をぎゅっと握りしめ、唇をかむ。それから、自嘲的に笑った。

「内海先生は、家を追い出された私の後継人になってくださった。私が仕事を始めるにあたって、保護者として名前や電話番号を貸してくれたり、普段からいろいろと気にかけてくださっている。本当に、感謝してもしきれない。私たちの恩人だよ」


「あの男は知っているのか?」

 だしぬけにそう訊かれて、凛香は不思議そうに首を傾げた。

「なんの話だ?」

「貴様が月一で見舞いに行っていることを、あの男は知っているのかと訊いているんだ」

「さあ、どうだろうな」

 凛香は首を横に振り、

「おそらく知らなかっただろう。あの人は、もう私たちのことは歯牙にもかけないと思う。だから、今日は驚いたよ。まさか、姉さまの病室で兄さまに会うとは……」


 今日、天音の病室で、尊に行くと言い出した理由を話せ話さないの押し問答をしているとき、予期せぬ来訪者が現れた。

 天音と凛香の兄。

 華京院家の長男であり、『騎士団』において団長を務めている男――華京院刀哉である。

 彼の立場を考えれば、べつに不自然ではないが、当事者である凛香はもちろん、瀬戸と律子も、彼らの関係が良好でないことは、知識としては知っていた。凛香にしてみれば、まさに虚をつかれた思いだったに違いない。


「刀哉、兄さま……」

 あのときの凛香は、信じられないと言った様子で目を見開き、茫然と兄を見つめていた。

 しかし、刀哉はちらりと一瞥をかえしただけで、すぐに瀬戸に向き直った。

「なぜあなた方がここに?」

 刀哉はおなじ質問を繰りかえした。

 一度は言葉を濁した瀬戸だが、ため息をついて「例の件は知ってるな?」と言う。


「そこの愚妹が起こした騒動についてなら、報告は受けております」

 兄の斬りつけるような言葉に、凛香はちいさく身を震わせた。

「その件で、天音ちゃんの主治医の内海先生から話を聞くことにしたんだが、その後に、尊が天音ちゃんに会いたいって言いだしてな」

 瀬戸が語弊のある言いかたをした。わざとだろうな、と尊と律子は思ったが、面倒に思ったのか、訂正することはしなかった。あるいは、そのまえに刀哉が動いた。


「ほう」

 団長は、むき出しの刃物のような視線……その切っ先を、まっすぐに小隊長へとむけた。

「あなたがそんなことを言うとは、珍しいこともあるものだ。いったい、どういった心境の変化ですか?」

「なに、大した用はない。ただ、〝救助されてから三年間抜け殻のように過ごしている〟というのでね。どんなものかと気になっただけだ」


「なるほど。どうやらあなたは、ここを見世物小屋と勘違いしているようだ」

 すっと、尊を見る刀哉の目が引き絞られる。ただそれだけのことで、彼はなにもしていない。にもかかわらず、首元に刀を突きつけられたかのような、言い知れぬ威圧感が、場を支配した。

「こわいこわい。そうやって皆を委縮させるのは、貴様の致命的欠点と言わざるを得ないな」

 尊大な少年は、にやにや笑いながら言った。

 刀哉はなにも言わず、無言で尊を見据えている。団長の様子に、小隊長はひょいと肩をすくめると、仕方がないといった調子で話し始めた。


「貴様の愚妹は、そこの愚妹に会った後、中央省に〝みやげ〟を届けたんだ。〝みやげ〟を受け取ったと思われる時間の前後に会っていた人物に接触するのは、当然だろう」

「なるほど」

 刀哉は静かに目を伏せた。

「しかしご覧のとおりです。彼女にはなにもできない。なにもできなかったからこそ、彼女はこうなっている。無駄足を踏んだようですね」

 そこで一度言葉を区切り、凛香に切っ先をむける。


「それで、あなたはここでなにを?」

「に、兄さま……」

「もう一度訊きます。ここでなにをしている?」

「……」

 凛香は答えられず、ついに視線もそらしてしまう。


「士官学園に入ったようですね」

 その言葉に、凛香はハッとしたように、兄を見た。

「入学試験の結果は次席。その後の成績は、可もなく不可もなく……主席になったことは一度もない」

「その点は仕方がないな。なにしろ、貴様の愚妹のクラスには、この俺がいるんだ」

 尊がまったく空気の読めていない発言をした。正直予想はしていたが、この状況でこの発言、呆れや尊敬をとおり越して、もはや言葉では測りがたい。

 当然のことだが、刀哉はこれを無視した。


「分かったでしょう? あなたの力など、所詮その程度だ。夢を見るのは止めて、現実を見なさい。こうなりたくなければね」

 と言って、ちらりと天音を一瞥した。

 言葉はすぐに返らなかった。凛香はうつむき、ぎゅっと拳を握り締めている。プルプルと、小刻みに体を震わせている。いや違う。いま彼女は、怒っているのだ。


「なぜ……なぜです兄さま……!」

 彼女は顔を上げると、兄に一歩踏みこんだ。

「この人は……天音姉さまは、あなたの妹ではありませんか! なのになぜ、そんなことをおっしゃるのです! そんなまるで……物を扱うみたいに……」

「結果を出せていないからですよ」

「……っ!」

「彼女は、結果を、出せなかった。あなたも。それがすべてだ」

 刀哉は、一言一言、斬りつけるかのように言った。

 凛香が口を開きかけたとき、それを制するように、言葉を発した人物がいた。


「一つ気になることがあるんだが」

 意外にも、それは尊であった。その場の全員――天音除く――の視線が、尊を捕らえる。彼はいつもとおなじように、あざけるような口調で続ける。

「なぜそいつが、結果を出していないと言い切れる? そもそも、結果云々の話をするほど、そいつはまだなにもしていないだろう」

「おっしゃっている意味が分かりかねますね」

「貴様の判断は早計だと言っている。貴様の能力は認めよう。だが、一つ教えてやる。これは忠告だ。

貴様の欠点は、その早計さだ。それゆえに、捨てなくてもいい勝負を捨てる癖がある。言うまでもなく悪癖だ。貴様は貴様が思っている以上に、律子の補佐を受けているぞ」


「……」

 刀哉の鋭い目が、より一層鋭くなった。それを見た尊は、面白そうににやにやと笑う。

「なるほど。そういう貴様の愚妹なら、〝所詮その程度〟だろうな」

 尊は一人納得したようにうなづき、

「さきほどの言葉は訂正しよう。貴様がその程度だから、妹も、所詮、この程度ということだ」


 そのとき、何者かが尊のまえまで歩み出た。

 つぎの瞬間、パァン! という乾いた音が、病室中に響き渡った。

 それは、凛香が尊の頬をたたいた音だった。


「……私には、なにを言っても構わない……だが……」

 彼女は荒い息の下で、絞りだすように言う。

「兄さまを……兄さまを侮辱することは、許さない……!」

 声が震える。感情が高ぶっていることが分かる。なぜか目じりに涙がたまっていく。だが、怒りからなのか、悲しみからなのか、自分では分からなかった。

「たとえ、どんなことを言われても、どんな扱いを受けようと……この人は、私の兄さまなのだ。兄さまを侮辱するやつは、たとえだれであろうと、私が許さない……!」


「なるほど」

 尊は一度目を伏せ、

「なら、貴様自身が証明しろ」

「なに?」

 わけが分からず、凛香は眉をひそめるしかない。

「団長殿、ここは一つ賭けをしないか?」

 置いてけぼりを食らっている凛香を無視し、尊は一人話をすすめる。


「なんでしょう」

「二日だ」

 尊は指を二本立てて言う。

「二日で、俺がこいつを育ててやる。二日後、こいつは貴様を倒す」

「ほう」

 刀哉は尊と凛香を交互に見た。


「面白い」

 無表情で言うと、彼はこう続ける。

「では、こうしましょう。凛香、二日後、私と決闘しなさい。もしあなたが勝てば、あなたの望みを聞き入れましょう。ただし、私が勝った場合は、直ちに学園を辞めてもらいます。よろしいですね?」

「いいだろう」

 凛香が言うまえに尊が勝手に答えたので、凛香は思わず声を上げた。しかし、感情ばかりが先行しているため、うまく言葉にすることができず歯がゆい思いをした。


「許可していただけますか?」

 刀哉が瀬戸に訊いた。

「ああ。いいぜ」

「感謝いたします」

 一礼すると、今度は律子に目をむける。


「副団長、あなたには審判を務めていただきたい」

「承知しました」

 刀哉はうなづくと、二人に切っ先を戻す。

「では、二日後を楽しみにしていますよ」


 そう言って、刀哉は病室を辞したのだが、あまりにもいろいろなことがありすぎて、凛香はしばらく言葉を失ったままだった。

 朱莉と話したことでようやくいくらか冷静さを取り戻し、ようやく状況の整理がついてきたようだった。


「そ、そうか……私は兄さまと……決闘する、のか?」

 半信半疑、といった様子で、凛香は落ち着きなく視線をさまよわせた。

「どうしてこんなことに……」

「か、華京院さん……?」

 頭を抱えた凛香を、朱莉が心配そうにのぞき込む。

「兄さまと決闘……兄さまと決闘……なぜ……」

 状況がいささか理解できたことで、ようやく混乱が追いついてきたらしい。凛香はまるで壊れたラジオのようにおなじ言葉を繰りかえす。


「うるさいぞ。もう決まったことだ。いまさら喚くな」

「おまえが勝手に決めたんじゃないか!」

「決闘を申しこんだのはやつだぞ。俺はただ〝二日でこいつを育ててやる〟と言っただけだ。話はきちんと聞いていてもらわねば困る」

「うるさいっ!」

 凛香がキレた。


「もう、また尊くんなにかやったの?」

「貴様も存外失礼なやつだな。俺はなにかしたんじゃない。この俺が直々に手を貸してやろうというのだ」

「手をって……なにするつもり?」

「なに、大したことじゃない。二日で、こいつを兄に勝てるようにしてやるだけだ」

「華京院さんのお兄さんって……」

「騎士団団長。フン、甘美な肩書だな」

「でも、そんなこと……それに、どうしてそんなことに……?」


 朱莉がさきほどの凛香とおなじことを言った。相変わらず、相手のことをまったく考えていない話しかたをするので、こちらは推理しながら話を聞かなくてはならない。

 しかし、なぜそんなことになったのか、情報のない朱莉には推理のしようがなかった。

 尊は説明するつもりがまったくないらしく、コーヒーをすすって一息ついていた。代わりに、凛香が事情をかいつまんで説明する。尊をひっぱたいたとか、そのあたりのことは省略した。〝自分を認めてもらうために、決闘することになった〟。およそそのように説明した。


「まさか、こんなことになるとは……」

 事情を説明したことで、彼女はふたたび状況を俯瞰できたようである。

「だ、大丈夫……?」

「いつまでやってる。いい加減覚悟を決めろ」

 そう言われても、凛香は困ってしまうだろう。それも仕方のないことだ。さっき聞いた限り、凛香の事情は非常に込み入っている。それが解決しない中で、余計にこじれようとしているのである。凛香としては、不安で仕方ないことだろう。この少年は、そこのところは分かっているのだろうか?


「勝てばいいだけの話だ。勝負事で自分の勝利を思い描けない人間は下の下だぞ」

 分かっていないようである。

 なにを考えているのかさっぱり分からないが、この少年は意味のないことはしない。人をいたずらに煽ったりといったことに関しては話がべつだが、尊が『育ててやる』と言い切ったからには、彼には彼なりの考えがあるのだろう。


「さて、俺はもう寝るから、貴様ら騒ぎ立てるなよ」

「え、もう?」

 時刻はまだ九時過ぎだ。寝るにはすこし早くないだろうか。

「ここでこれ以上貴様らと話してどうする? 寝ていたほうが有意義だ」

「……」

 これである。思うのだが、こうしたことを言わないだけで、尊の印象はかなり変わると思うのだ。なにしろ、外見だけ見れば、彼はかなりの美形だ。


「俺はシャワーを浴びるが、覗くなよ」

「だれが覗くか!」

 凛香は椅子を鳴らして立ち上がり抗議した。が、尊は耳をかすことなく、椅子から立ち上がる。

 朱莉は思わずため息をついた。と同時に、彼女は安どもする。これでこれ以上、尊が妙なことを言わないかを気にしなくて済む。


 しかし、ここで凛香に異変が起こった。彼女はうつむき、なにかぶつぶつと言葉をこぼしていたのだ。まさか、これも〝暗示〟の力によるものか、と身構える朱莉だったが、

「そ、そうか……私は今日、ここに泊まるのだったな……」

 どうやら、それを考える余裕さえ、いままでの彼女にはなかったようである。


「美神、これはまずいのではないか? 我々は年頃の男女だぞ! いったい学園長は、なにをお考えに……それに鬼柳教官まで……」

「華京院さん、そのことなんだけどね。それなら大丈夫だよ。なんにも起きないから」

「なぜそう言い切れる! 君は柊を信頼しているようだが、正直言って私はこいつのことを……」

 と、尊を指さす凛香だが、

「それから寝床についてだが、もちろんベッドは俺が使う。貴様らはソファーでも床でも、好きなところで眠るがいい。なんなら外で野宿しても一向にかまわんからな」

 いったいなにがおかしいのか、はっはっはと笑うと、スタスタとリビングを出て行ってしまうではないか。


 凛香は指をさしたまま硬直する。酸欠金魚のように口をパクパクしている凛香に、朱莉は「ね?」と笑いかけるのだった。

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