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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 華京院凛香という少女④

 白虎地区を辞した尊たちは二手に分かれた。

 瀬戸と律子は一度中央省へ戻ってから、捜査員たちと合流するらしい。凛香はといえば、尊とともに彼の自室へとむかっていた。


 現状、凛香は〝暗示〟にかけられているため、彼女にかかっている容疑に関してもグレーなものだ。加えて、逃走の危険がないということと、未成年であることを考慮し、保釈となった。ただし、二十四時間の監視付きである。その監視に選ばれたのが尊なわけだが、凛香が保釈された理由は前述のものだけでないことをもちろん彼は理解している。

 例えば、手元に置いて監視する。

〝暗示〟にかかった凛香は、いわば釣り餌だ。犯人は、また凛香を使ってなにかをするかもしれない。そのとき、あらゆる局面に対処できる人間をおいておこうと考えたに違いない。

 それは分かるが……。


「あの男は人をこき使うことに関して天才的だな」

「……」

 忌々しげに毒づく尊に対し、しかし凛香はなにも言わない。さっき……正確に言うと、刀哉を見てから、なにか思いつめたような、厳しい表情になり、ほとんど口を利かなくなった。


「貴様もこういう時に限って、なぜおとなしいんだ? もっといつもみたいに大いに騒げ」

 やはりと言うべきか、凛香はこれに対しても無言を貫いた。

「まさか、やつと戦うことが怖いのか? 普段大口をたたいているやつが、情けない話だな」

 答えはやはり沈黙だった。尊は拍子抜けしたように肩をすくめ、それきりなにも言わなくなる。彼を黙らせるには、無視こそがもっとも確実で手っ取り早い手なのだが、それを理解するほど、いまの凛香に余裕があるかどうかは定かではない。


 張り合いがないと思ったのか、尊もそれきり口をつぐんだ。

 尊が住むのは『騎士団』の寮だ。地上三十階建てのマンション。その二十七階が、尊が暮らす部屋だ。

『騎士団』では、その実績や役職に応じて部屋割りが決められる。相部屋の者もいれば一人部屋の者もいる。団長や隊長ともなれば、一階をまるまるくり抜いた広大な部屋が与えられた。


 おなじ造りの寮が二つ建っており、男子寮と女子寮に分かれている。なので、律子は毎日地味に面倒な移動をしているわけだが、今日尊たちを出迎えたのは律子ではなく、

「おかえりなさいませ尊様――――っ!」

 ドアを開けた瞬間、何者かが飛びついてきた。

 部屋にそぐわない純白のドレスを着た何者かが、尊に抱き着いたのだ。


「邪魔だ。離れろ」

「あん、申し訳ございません」

 金髪美女は謝っておいて、しかしとろけるような笑顔をむけるだけで離れようとしない。

 尊の頭に両手を回して、愛おしげに撫でる。


「な、あ、な……」

 あっけにとられた凛香が、金魚のように口をぱくつかせ、声にならない声でなにかを言おうとしている。が、結局言葉にならなかった。

「恵梨、失せろと言ってるんだ」

 うっとうしそうな言葉に、恵梨はようやく、ゆっくりと腕を解いた。


「あ、あなたは……」

 美女の顔に、凛香は見覚えがあった。

 目鼻立ちのすっきりした、小作りな顔。万人の目を引く、極彩色に彩られた美貌……。

 直接会ったことはないが、彼女が何者か、凛香は知識として知っている。

 栗栖恵梨。

 彼女は『騎士団』中隊長である。


「な、なぜあなたがここに……」

 ようやくそれだけを絞りだした凛香であったが、恵梨はちらりと一瞥をくれただけでなにも言うことはなく、尊とともにリビングへむかった。


「あ、おかえり二人とも」

「美神……?」

 半分放心した状態のまま、凛香もリビングへむかうと、エプロン姿の朱莉が、台所で夕食の準備をしていた。


「貴様ここでなにをしている」

 うっとうしそうに、開口一番そういった尊に、しかし朱莉は顔色一つ変えずに答える。

「鬼柳教官に電話で頼まれたんだ。尊くん一人じゃ心配だから、私も一緒にいてくれないかって」

「なら貴様のところに連れて行けばいいだろう」


「でしたら尊様。どうぞわたくしのところへいらっしゃいませ。歓迎いたしますわ」

 恵梨はふたたび尊に引っ付くと、艶っぽい指を頬に走らせて言う。

 それを見た朱莉の顔はさすがにひきつった。しかし、彼女はここ数ヶ月であまりにも多くのものを目にした。したがって、ポーカーフェイスを装うことはそう難しい話ではない。


「無理だよ。私いま入院中だし」

「じゃあなぜここにいる」

「一応、先生から許可はもらってるよ。〝術後の経過も良好だから、様子見もかねて一度病院を出てみよう〟って」

「本当に人使いの荒い男だな。病人と犯罪者のお守りをさせるとは。俺も落ちたものだ」

 その言葉に、凛香は苦しそうな顔でうつむくと、ぎゅっと両手を握った。

「尊くん、いまのはひどいよ」

 朱莉が静かにたしなめるも、尊はフンと鼻を鳴らすだけだ。


 最近、働きづめ(本人談)だから機嫌が悪いのだろう。もっとも、尊の機嫌が悪いのはいつものことではある。彼は妹と接しているとき以外、基本的に機嫌が悪いという致命的欠陥があった。

 だからといって、もう慣れっこになってしまったので、自分にはなにを言っても構わないが、いまの凛香に暴言や皮肉を言うべきではない。


「偽善っぷりに輪をかけているな。死にかけて悟りでも開いたか?」

「尊くん、もうすぐご飯だから手を洗ってきてね」

 尊の皮肉を無視して、というより、視線すらくれることはなく、朱莉は準備の片手間と言った様子で言う。彼女のこういった態度は、いうまでもなく、律子から学んだことである。この程度の皮肉に応じていては、永遠に話がすすまなくなるのだ。


「み、美神……」

 尊が手を洗いに行き、恵梨が「お供いたしますわ」と後を追ったのを見計らったように、凛香がポツリと切り出した。

「華京院さん、準備、手伝ってもらってもいい?」

 何気なく、いつも学校で話すような口調で朱莉が言った。

「あ、ああ……」

 機先を制された形になってしまい、凛香は台所に行くと手を洗って訊く。


「それで、私はなにをすればいいのだ?」

「じゃあ、野菜切るの手伝ってくれる?」

「分かった」

 ニンジンを受け取ると、凛香は皮をむきはじめる。

 それから二人はちょっと黙ったが、やがておもむろに凛香が口を開く。


「ドアを開けたときから匂いがしていたんだが、今日はカレーなのか?」

「うん。そうみたい」

 朱莉がジャガイモを切りながら言った。

「もしかして、カレー嫌いだったりする?」

「いや……そんなことはない。好きなほうだ」

「そっか。じゃあよかった。華京院さんって、普段お料理するの?」

「一応はな。私は一人暮らしだから、人並みにはできる」


 そこで朱莉は、以前尊と唯と一緒に服を買いに行ったとき、凛香と会ったのを思い出した。店員として朱莉たちと接した凛香は、〝金がなくて働いている〟と言っていた。

 考えてみれば、朱莉は凛香のことをあまり知らない。クラスメイトの印象としては、まじめで自分に厳しい人、という印象だが、プライベートではどうなのだろう。そういえば、凛香は身の上話をまったくしない。すくなくとも、自分は一度も聞いたことがない。

 一人暮らしをしていると言っていたが、家族はどうしているのだろうか。普段尊に振り回されている被害者同士(もっとも、彼女の場合半分は自業自得だが)、これを期にもっと仲良くなりたい。


「私もそんな感じだなー。最近、鬼柳教官に料理習ったから、すこしだけレパートリー増えたんだけどね」

「そうなのか? 教官と仲がいいんだな」

「何度かお見舞いに来てくれてね、そのときにレシピとか教えてくれたの。あの人すごいよね。このカレーもね、ルーから作ったみたい」

「すごいじゃないか美神。私にはとても無理だ」

「あ、私じゃなくて、鬼柳教官が朝作っておいたみたい。だから私は、野菜切ってるだけなんだ」

「そうなのか……」


 こうして朱莉と話していると、いま自分が置かれている状況を忘れそうになる。いまの朱莉には、相手を安堵させる不思議な包容力があった。

 自分を心配してくれているということだろうか。変に気を使ったりせず、ただいつもとおなじように接してくれることが、とてもありがたかった。


「なんか、いろいろ資格持ってるみたい。調理師免許も持ってるんだってさ」

 律子は〝紫電の鬼〟という二つ名を持つ、『騎士団』副団長である。学園内においても、『騎士団』においても、彼女はその能力とリーダーシップの高さで人をまとめ上げ、導いてきた。たとえそれが、彼女が自らに与えた〝仮面〟であったとしても、彼女を慕う人間は多い。凛香もまた、その一人なのである。


「すごいな、あの人は……」

 兄さまに認められるはずだ、という言葉は、かすれて朱莉には聞き取りにくかった。

「べつに驚くようなことじゃない。資格くらい俺も持っている」

 いつの間にかリビングに戻り、偉そうにソファーにふんぞりかえっていた尊が鼻を鳴らして言った。

「もう、どうしてそこで張り合うかなぁ」

 あっけにとられてすぐに言葉をかえせなかった凛香に代わり、朱莉はあきれたような声で言う。


「さすがですわ尊様っ!」

 感嘆の声が上がった。しかし、それはあらかじめ決められた修二疑問文のようであった。

 三者三様の反応を見せる朱莉たちだが、驚くべきことに、その中に尊を賛美しているものがいた。恵梨である。


 信じがたいことだが、彼女はそれを本気で、心の底からの言葉として言っているようなので、朱莉はさらに驚いた。学園以外で尊との接点を持たない凛香は、その余裕すらなかった。

 朱莉が尊の部屋に来たとき、もうすでに恵梨の姿があった。最初は驚いたものの、事前に律子から、〝ひょっとしたらいるかもしれない〟と聞かされていた人物がいた。その人物と恵梨との特徴が一致したので、それはすぐに分かった。なにせ、白いドレスの金髪美女という恵梨はよく目立つ。


 丁寧に挨拶をした朱莉に、なぜか恵梨は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「ふぅん、そう、あなたが美神朱莉……」

 彼女の視線がすばやく朱莉を点検する。特になにもしてはいない。ただ、ほんのすこし目を細めただけである。だがそれだけで、〝値踏みされた〟ことが分かった。


「わたくしの勝ちね!」

 いきなりそう言われたので、朱莉は頓狂な声を出し、目をぱちくりとさせる。

 勝ち? なんだ? いったいなんの話だ?

「近頃、あなたと尊様が頻繁に一緒にいるといううわさを聞いたので、どんなものかと思いましたが、なんてことはない子供じゃありませんの!」

 朱莉はいまだ状況を呑み込めていないのだが、恵梨は満足そうである。

 どうしよう、もしかしなくても、かなり変な人。


 律子から聞いた話では、彼女は『騎士団』の中隊長であるらしい。しかも、尊に救われた過去を持つため、なんと尊を慕っているというのである。

 今朝、学校で『騎士団』のほかの隊長たちも、尊のような変わり者だったりするのだろうか、と考えたものだが、幸か不幸か、尊とおなじか、あるいはそれ以上の変わり者がいるらしい。

 しかし、尊に救われた、と聞いてなんだか朱莉は嬉しかった。自分たちが尊に、結果的にせよ助けられた経験があるからか、できるだけ多くの人に、彼がただ傲岸不遜な人間でないことを理解してほしい気持ちがあった。


 すこし、この栗栖恵梨という人と話がしてみたい、と思った。正直、律子に話を聞いたときから、もし会えればと期待していたのだ。が、

「副団長にはともかく、あなたには余裕ですわね!」

 相変わらず嬉しそうに恵梨が言った。

「いいこと? おなじ使い走りでも、あなたよりわたくしのほうが階級が上。ぱしられるのも、皮肉を言われるのも、わたくしのほうがさきよ!」


 などと意味不明なことを言いだしたので、朱莉はいよいよ口を半開きにして硬直した。

 この人は一体なにを言っているのだろう。頼むから日本語でしゃべってほしい。

 それにしても、律子のことは評価(?)しているようだ。

 そのプライドと能力の高さから、結果的に貧乏くじを引いている彼女だが、すくなくとも、はた目にはそう映るのだが、周囲からの評価はやはり高いようだ。と、混乱した朱莉は若干ずれたことを考え始めた。

 豊かな胸を張る恵梨に、やがて朱莉はようやくこれだけを、絞りだすように言う。

「あ、はい……」


 べつに自分は尊の使い走りではないとか、皮肉なんて言われたいと思わないとか、言いたいことはあったのだが、やめておいた。たぶん、話は通じないだろうな、と思ったからである。そう言った意味では、この女はあの少年に似ている。


「資格を持ってらっしゃるだなんて、尊敬いたしますわ」

「そうだろうそうだろう」

 尊は鼻高々といったように、ふんぞり返った。もとからふんぞり返っているのにさらにふんぞり返ったものだから、ひっくり返りそうである。


「思うに、こいつらは俺への尊敬の念というものが足りないんだ」

「そう思いますわ。尊様はもっと評価されてしかるべきお方ですもの」

 その意見には、まあ多少は賛成だが、この人の態度はいかがなものか。自分の経験上、すこしでも褒めれば、この少年はすぐに調子に乗る。


「よく分かっているじゃないか。律子などよりよっぽど見どころがあるぞ。あの女はすぐに俺にケチをつけるからな」

 案の定、尊は我が意を得たりと調子に乗った。ついでに、律子に流れ弾を当てている。

「まあ」

 恵梨は口に手を当て、驚いたように目を見張った。

「失礼な話ですわね。尊様にケチをつけるだなんて。なんて非常識な女でしょう!」

「そのとおりだ」

 尊が力強くうなづいたあたりから、朱莉は話を聞くのをやめた。聞いているだけなのに、頭が痛くなってきたからだ。


 一応、このあたりの話も律子から聞いてはいたのだが、それでも実際に聞くのとではわけが違った。

 律子曰く、『あの二人の会話は真面目に聞かないほうがいいわ。疲れるだけだから。聞いてしまった場合は、コントをやってると思ってちょうだい』ということだった。

 尊個人のことといい、普段から接しているがためにそういう対処法ばかり身についてしまったのだろうが、耐性がない者が見れば、ただ唖然とするしかない。凛香もまた、そういった内の一人だった。

なにかを言おうとして口をぱくつかせ、しかし結局言葉にならない。ついさっきもまったくおなじ反応をとったことを朱莉は知らないが、この反応を見て凛香を不憫に思った。


「華京院さん、こっちはもう大丈夫だから、サラダ作ってくれる? 野菜室にキャベツとトマト入ってるから」

「あ、ああ、分かった」

 ひきつった顔でそう答えると、凛香はキャベツをちぎり始める。

 凛香はいまだ動揺しているらしいが、朱莉は思ったほど驚きはしなかった。この数ヶ月、尊に関わったことで、つけなくてもいい耐性がついてしまったようである。


 視界の端では、いまだ尊と恵梨がコントを続けていたが、そんなことは気にも留めずに、朱莉は着々と準備をすすめていった。

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