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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 華京院凛香という少女②

 目立つことはできないので、彼らは職員用の裏口から病院に入った。病院にはすでに話を通してあるらしく、すぐに応接間に通された。

 そこには、すでに二人の女性の姿があった。一人は、三十代半ばと見える、白衣を着た女。もう一人は、赤いパンツスーツを着た女。白衣の女とはかなり年が離れて見える。おそらくは、六十後半だろう。


「来たか」

 赤いスーツの女が言った。

「やあ、どうも東郷さん。お待たせしてすみませんね」

 瀬戸が軽く手を上げて挨拶をする。すくなくとも表面上はにこやかな瀬戸だが、対する東郷は仏頂面である。


「こんな朝早くに、わざわざ来なくとも、捜査ならこちらでも行っている」

「そりゃ結構」

 軽く肩をすくめると、

「しかしそうは言ってもね、我々としてもなにもしないわけにはいきませんから。とくに、華京院は私の生徒です。あなた方の手を煩わせるまでもありませんよ」

 瀬戸の言葉を打ち切らせるように、コツコツコツコツ、と床を小刻みにたたく音が聞こえた。尊の貧乏ゆすりである。

「下らん押し問答はもういいだろう。面倒事はとっとと終わらせるに限る。忙しいだろう? お互いに」

 スーツの女が鋭く目を細めて尊を見た。彼女はこの一瞬で、尊を値踏みしたようである。


「なるほど。君が柊尊か。噂には聞いているよ」

「光栄だな。で、貴様だれだ?」

 訊いておきながらまったく興味がある様子はない。もう何十回何百回と見た光景である。この後、相手がとる行動は大きく分けて二つ。このまま社交的な会話を続行するか、当然の怒りとともに断ち切るかである。


「これは失礼したね。私は東郷紫とうごう ゆかりだ」

 はたして、東郷がとった行動は前者だった。しかし、それは社交的とは程遠い、ひどく冷めた、事務的なものだった。

 彼女はすぐに尊から視線を外すと、

「彼の言うとおり、さっそく始めてもらおう。彼女は多忙だ」

 白衣の女にちらと視線をやって、東郷が言った。


「ああ、これは失礼」

 瀬戸は軽く肩をすくめると、

「では、お言葉に甘えて。丹生ちゃん、君は彼らと一緒に防犯カメラの映像を調べてくれ」

「は、はい……」

 丹生は答えると、同行していた捜査員たちとともに応接間を出て行った。


「われわれは、あなたからお話を聞くことにしましょう。初めまして。瀬戸と申します。華京院がお世話になっているようで、大変恐縮です」

「ご丁寧にありがとうございます。内海うつみと申します。瀬戸さんのお噂はかねがね」

 二人は握手を交わす。そのあと、律子ともおなじくした。

 彼女の名前には聞き覚えがある。それはたしか、天音の主治医である。

 長い黒髪をアップにした、落ち着いた印象を受ける女性だ。


「凛香さん、大丈夫?」

 内海は凛香の肩に手をおいて訊いた。

「はい。私は大丈夫です。それより、姉さまは……」

「変わりないわ」

「そう、ですか……」

 内海が天音の主治医ということは、当然凛香とは顔見知りである。二人は親しげに言葉を交わした。


「あいさつはもううんざりだ。とっとと始めろ」

 ふたたび尊が貧乏ゆすりを始める。その顔はいやそうに歪んでおり、一同はたちまち辟易した。初対面の内海は面食らった様子だったので、瀬戸は尊を無視して話をすすめることにする。

「じゃあ、凛香ちゃん。昨日のことを、もう一度説明してくれるかな?」

「はい……」

 昨日した説明を、凛香は繰りかえした。


「内海さん、あなたはどうです? あなたから見て、華京院に変わったところはありませんでしたか?」

「いえ……」

 内海はすこし考えるそぶりを見せたが、

「ありません。いつもと変わりありませんでした」

「彼女とどんな話をしましたか?」

「それもいつもとおなじです。天音さんの様子について……もっとも、この三年ほとんど変化が見られないもので……」

「彼女は、やはり相当深い心の傷を負ったようですね」

「私の力が及ばず、申し訳ありません」

「いやいや、とんでもありません。あなたをはじめとして、いろいろな方が力を尽くしてくださっている。きっと天音さんも、心を開いてくれるときが来るはずです」


「単刀直入に訊こう。貴様、こいつに暗示をかけたか?」

 前後の会話の流れ、内海の気持ち、瀬戸の考え、弁護士のように目を光らせている東郷、すべてを無視した発言をしたのは、当然尊であった。

「暗示? なんの話をしているの?」

「その小娘は暗示にかけられているらしい。律子がウソを言っているのでなければ……」

 と、そこで律子にちらりと視線をやり、

「第一容疑者は貴様ということになる。そうだろう?」


「瀬戸」

 内海が口を開きかけたとき、それを遮るように発言した者がいた。東郷である。彼女はその視線を瀬戸に据えると、

「君たちは彼女を疑っているのか? それは中央省の総意か? それとも、彼個人の考えか?」

「彼個人の考えですよ」

 瀬戸はひょいと肩をすくめて言うと、

「いまのところは、ね」

「ほう」

 東郷は目を細める。


「つまり君も、彼女を疑っているんだな」

 二人はしばらく視線を合わせていたが、やがて瀬戸はため息をつくと、ソファーの背もたれに体重を預けた。

「隠しても仕方のないことですので、はっきり申し上げましょうか。疑っております」

 瀬戸はまっすぐに内海を見据えた。

「現状、あなたは最も分かりやすい容疑者だ」

「分かりやすい……?」

 その意味深な言葉に、内海は眉をひそめる。


「ええ。華京院は何者かに暗示をかけられている。そして、彼女の姉は精神病院に入院しており、精神科医とも話している。じつに分かりやすい。まるで……」

「だれかが用意したみたいだ……ということですか?」

 探るような口調で内海が訊く。


 瀬戸はコクリとうなづき、

「われわれは、そう考えています」

「おかしいな。そんなこと、俺は初耳だ」

 尊がさも驚いたように言った。

「質問を変えよう。人を殺したか?」

 せっかく修正された軌道を蹴り戻した者がいた。言うまでもないことだが、尊である。


「人を……殺した?」

 内海は最初きょとんとした顔をしていたが、

「ち、ちょっと待って! 私が、人を殺したですって!?」

 驚いた声を上げると、勢いそのままに彼女は立ち上がった。

「動揺しているな。図星だからか?」

「なんですって?」


「尊、静かにしてなさい」

 ついに律子が割って入ると、尊は白けたように肩をすくめた。

「人の気遣いが分からん連中だな。貴様らが訊きにくいことを、この俺が訊いてやってるんだぞ」

「あら、ありがとう。でも、私たちのことを思うなら黙ってて」


「私は殺人なんて……」

「内海、答えなくていい」

 東郷が言った。

「柊君、妙な言いがかりをつけるのはやめてもらいたい」

「言いがかり? 俺はただ訊いただけだぞ。貴様こそ妙な言いがかりを……」


「尊」

 瀬戸がうんざりしたような声で言った。

「これ以上話をややこしくするな」

「ならとっとと終わらせろ。三分以内に」

 虫でも追い払うかのような手つきで手を振ると、ソファーにふんぞり返る。彼の人となりを知る人間からはため息しか漏れないが、初対面の二人は、特に東郷は厳しい顔つきをしていた。


「重ねて言いますが、われわれは先生、あなたを疑っております。ただし、それも前述した理由からであって、決してあなたを色眼鏡で見ているわけではない。そこはご理解ください」

「……ええ……ええ、分かります」

 内海はかぶりを振って答える。


「華京院をここに連れてきたのは、あなたと一緒に事情聴取を行うためです。うちの鬼柳の発案でしてね」

 律子に視線が集まった。内海は納得したようにうなづくと、

「分かります。私たちの反応を同時に見るためですね。仮に私が〝暗示〟をかけたとしたら、解く方法も探れるかもしれないと」

「さすが、よくお分かりですね」

 律子がやわらかな声で言う。警戒心を解こうとしていることが見て取れたが、相手は精神科医であることだし、見破られているであろうことも想像できた。


「しかし、私がお聞きしたいのは、〝暗示〟をかけたかどうかではありません。精神科医としてのご意見を伺いたいだけです」

「と、おっしゃいますと?」

 そこから律子は、昨日自分が説明したことを質問した。

 例えば、〝暗示〟にかけて凛香に人を殺させることは可能か。または、〝暗示〟で遺体をクッキーに見せるなどということができるのか、といったことだ。内海はそれに対し、律子とおなじ意見を展開したうえで、凛香は〝暗示〟にかかりやすい人間であろうことをそれとなく言った。


「では、この男性に心当たりはありますか?」

 そう言って、一枚の写真を出す。それは昨日、凛香が中央省に運んできた〝おみやげ〟の写真だった。

 内海は写真を手に取ると、

「……ありません」

 ぽつりと言った。

 律子はしばらく内海を見ていたが、やがてちいさなため息をついて言う。


「内海先生、正直に答えてください」

「どういうことです?」

「ありませんと言ったとき、左下を見ましたね? 瞳孔もすこし開いた。ウソをついている証拠です」

 今度は内海がため息をついた。

「察してほしいものですね。私の仕事には、守秘義務というものがあるのです」

「つまり、患者ということですか?」

「お答えできません」


「先生」

 今度は瀬戸が言った。

「我々の仕事にも守秘義務というものがあります。ここで見聞きしたことは、捜査上の秘密として、絶対に口外いたしません」

 その言葉に、困ったように自分の後ろに立つ東郷を見た。彼女は腕組みをしたまま、「君の判断に任せる」と言った。


 内海は律子と瀬戸、そして尊の顔を順に見て、あきらめたようにひょいと肩をすくめると、

「私がお答えできるのは、あくまで契約に反しない程度のことです」

「もちろん構いません」


 瀬戸が答えた。律子もおなじく言うと、

「改めてお聞きしますが、彼は先生の患者ですか?」

「はい。半年ほどまえから、私が診ています」

「彼は入院していましたか?」

「いえ、通院です」

「どういった理由で診察を?」

「それはお答えできません。いったい、彼がどうしたというのです?」

「何者かに、殺害されました」

 その言葉に、内海は面食らったようだった。口を半開きにし、目を大きく見開いている。本当に驚いている様子である。すくなくとも、表面上は。


「そ、そんな……」

 そこで内海はハッとしたような表情になった。

「だからさっき人を殺したかって訊いたのね? でも、どうして……」

「それはまだ不明です。『安全地帯』の住民の指紋と照合したところ、彼の名前は佐藤肇さとう はじめと判明しました。間違いありませんか?」

「……ええ。間違いありません」

「彼と最後に会ったのはいつですか?」

「その訊きかたでは語弊を招くな。彼女はその佐藤とはただの医者と患者という関係だった。会っていたというのも、診察を行うためだ」


 口をはさんだのは東郷である。相変わらず腕を組んだまま、重々しい口調で言った。それを軽く笑い飛ばしたのが尊であったため、瀬戸と律子はこの後起こるであろうことを容易に想像できた。にもかかわらず牽制しなかったのは、東郷の意見を聞いていては話がすすまないのもまた事実だからである。


「貴様そいつの弁護士か? 日本の取り調べが他国に追いついたのは喜ばしいことだが、すこし黙っていろ。話がすすまん」

「これは白虎地区で起きた事件だ。そして、私は白虎地区の地区長だ。私には、この問題を火急に解決する義務がある」

「なるほど。責任感があって素晴らしいことだ。だが、事件が白虎地区で起きたとは限らないぞ。他の地区で殺して、白虎地区へもってきてから、中央省へ運ばせた可能性もある」

 東郷はバカにしたように鼻を鳴らした。

「そんな面倒をする者がいるか?」

「探せばいるかもな。それこそ〝暗示〟をかけたのかもしれない。それも含めて捜査している。貴様には分からないだろうが、捜査というものに色眼鏡は禁物なんだ」


「よく分かった」

 東郷はしかつめらしく言った。

「どうやら君は、よほど内海を犯人にしたいようだな」

「そんなこと言った覚えはないが……まあいい。征十郎が言っていただろう。現状、そいつはもっとも分かりやすい容疑者だ。これで疑わなければ、俺たちが職務怠慢で批判されることになる。この程度のこと、地区長殿なら言わずともお分かりいただけると思ったがな」


「質問を続けます。よろしいですね」

 律子が有無を言わさぬ口調で言った。これ以上皮肉を言わせては、また話がすすまなくなるからである。

「ええ、もちろん。地区長、私は大丈夫ですから」

 東郷は内海を見ると、軽く首を振った。続けて構わないということであろう。


「これ以上の詮索は無意味でしょうから、我々の考えを申し上げます。

 つまり、何者かが佐藤さんを殺害し、華京院を〝暗示〟にかけて、それを中央省へ運ばせた。あなたに疑いがかかることを、計算したうえで」

 そこで律子は一呼吸おいてから尋ねる。

「なにか、心当たりはありませんか? あなたによからぬ感情を抱いている人に」

 しかし、内海はゆるゆると首を横に振る。

「ありません」


「そうですか。あなたはどう?」

 今度は凛香に訊くも、彼女の答えも同様だった。

「いままで生きてきて、人から恨まれたことが一度もないと? フン、冗談だろう」

 なにか言いたげな一同であったが、賢明にも口を開く者はいなかった。


「そう言われても……」

 と、内海は困ったように眉根をよせた。

「ないものはないの。もっとも、私が知らないところで恨まれてる可能性はあるかもしれないけれどね」

「模範回答ありがとう。貴様は?」

 凛香は批判的な視線をむけるも、結局はおなじ答えを繰りかえした。


 そのときだった。扉がノックされたかと思うと、一人の男が姿を現す。

「先生、そろそろ診察のお時間です」

「あ、すぐ行くわ」

 男が出て行ってから、内海は「ごめんなさい」と謝り、

「続きはまた後日伺います。申し訳ありませんが、今日はこれで……」

「ええ。今日はどうも。急に押しかけて申し訳ありませんでしたね」

 瀬戸はまた内海と握手を交わす。


「いえ。また、私でお役に立てることがありましたら、可能な範囲で協力します」

「恐縮です。では、佐藤肇のカルテを見せていただけますか?」

 律子が言葉を引き継いだ。が、

「それは不可能です」

「しかし彼は……」

「たとえお亡くなりになっていようと、守秘義務がなくなるわけではありません。どうしてもとおっしゃるのであれば、令状をお持ちください」

 ぴしゃりと言われ、瀬戸は根負けしたように肩をすくめた。

「分かりました。用意しましょう」

「では、私はこれで」

 内海は律子、東郷にも挨拶をすると、応接間を後にした。ちなみに、尊はこれをスルーしたが、内海は鼻白んだ様子はない。もう慣れたようである。


「じゃあ、東郷さん。我々もこれで失礼します」

「待て」

 立ち上がった瀬戸を、東郷が短く制した。

「おまえたちは、どこまで内海を疑っているんだ?」

「ずいぶん、彼女を買っているようですね」


 内海から話を聞くことを言ったとき、東郷は自分から同席させてくれと申し出た。いや、その言いかたは適切ではない。彼女は自分を同席させる代わりに、事前に病院に話を通してくれたのだ。聴取が始まってからも、彼女は内海の後ろに陣取り、常に目を光らせていた。尊が言った〝弁護士のようだ〟という皮肉も、なかなかどうして的を射ている。


 瀬戸のからかうような声に、東郷は生真面目な声で応じる。

「彼女は優秀な人材だ。それに、この白虎地区の住民でもある。私には……」

「義務以外に、私情は混じっていませんか?」

 その言葉に、なかなか答えは返らなかった。彼女は無機質な瞳で瀬戸を見ている。対する瀬戸はいつもとおなじ、なにを考えているのか分からない、それでいてすべてを見透かしているような、そんな視線をむけていた。


「……混じっているだろうな」

 やがて、ポツリと、一人ごちるように言った。

「彼女が人殺しなどするはずはない、というのは、私情の混じった私の個人的意見だ」

 彼女は一度そこで言葉を区切り、だが、と二の句を継ぐ。

「治療以外で人に〝暗示〟をかけるはずがない、というのは、彼女の仕事を見てきた、地区長としての意見だ。内海は自分の仕事に誇りを持ち、また、自分の能力も正しく理解している聡明な医者だ。彼女は、その少女に〝暗示〟をかけてはいない」

 ウソ偽りを言っているようには聞こえない。心からの本心と見える。

 その言葉の行間から、東郷紫という人間がちらりと垣間見えた気がした。


「私もこれで失礼する。捜査にはできる限り協力することを約束しよう。ただし、捜査状況は逐一報告してほしい」

「善処しましょう」

 この言葉は瀬戸である。報告する気などさらさらないことは明白だったが、東郷はなにも言わずに応接間を出て行った。

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