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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 華京院凛香という少女①

『安全地帯』には四つの地区が存在する。


 尊たちの暮らす朱雀地区、地区長によって独裁体制が敷かれていた玄武地区、アミューズメント施設に力を入れた青龍地区、そして四つ目の地区――白虎地区。

 尊、律子、瀬戸、丹生、そして凛香の五人は、警視庁刑事部の捜査官とともに、そこに向かう最中であった。


 警保局長である瀬戸が外出するとき、あるいは中央省や学園に出勤するときや自宅へ帰るさいの送迎にも使われる、黒塗りのリムジンカーである。瀬戸はどこかから買ってきたコーヒーを尊たちに手渡すと、車に乗るよう促す。ちなみに、凛香は恐縮した様子で、尊は当然のように受け取り、砂糖は三つ入っているんだろうな、などと言っていた。


「凛香ちゃん、学園にはもう慣れたかい?」

 丹生の運転で白虎地区へむかう車中で、瀬戸が親し気に言う。

「は、はい! おかげさまで!」

 凛香は昨日とおなじく、かしこまって言った。


 すると瀬戸は困ったように肩をすくめ、

「そう緊張しないでくれ。これは取り調べじゃない。単なる世間話だ。気楽に答えてほしい。これでも一応学園長だからね。生徒の生の声を聴きたいだけさ」

 いつかの朱莉に対するように、瀬戸は気取った調子で続ける。それを見た尊は白けた調子で鼻を鳴らしたが、いまの凛香はそれに気づくだけの余裕はなかった。


「はあ……」

 そう言われても、凛香は気を張ったままである。瀬戸は討伐組織『騎士団』を創設し、騎士団養成学園を設立した人物である。一士官候補生の凛香からすれば、瀬戸は雲の上の存在だ。楽にしろと言われても、できるはずもない。

 ただ、自分と半分はおなじ立場にあるはずの少年は、なにを考えているのか、ふんぞり返ってコーヒーを飲んでいた。

 それを見ていると、緊張している自分がなんだかばかばかしく思えて、すこし気が楽になった。


「そうですね……最初は言われたことをやるのに精一杯でしたが、最近はすこし余裕ができてきました。そのせいか、周りにも目をむけられるようになり、自分自身を見つめなおすこともできました」

「フン、素晴らしい模範解答だな。貴様には官僚の素質があるぞ」

「尊、それはバカにしたもんじゃない。重要な素質だ」

 にやりと笑う瀬戸に対し、尊は白けたように肩をすくめた。

「日本の将来は明るいな」

 しかし、捨て台詞は忘れないあたり、この少年はいかなる状況においても一貫している。思わず反射的にため息をついてしまう。


「柊……なんというか、おまえはいつでもおまえだな」

「貴様はいつもと違って元気がないようだ。留置所はもてなしてくれなかったようだな。征十郎、貴様の根回しが足りなかったんじゃないのか?」

「なんだ、凛香ちゃんが心配なのか? 優しいな」

「勘違いするな。拘留中になにかあれば、困るのは俺たちだろう。貴様一人が困るのであれば、大歓迎なんだがな」

「安心しろ。俺は日常的に大いに困ってる。おまえのおかげで」

 ふたたび反撃にあった尊は、今度は舌打ちとともに会話を切り上げ、そっぽをむいてコーヒーをすすった。


「凛香ちゃん、尊は君を困らせたりしてないかい? 大丈夫かな」

「おい貴様、だれになにを訊いたんだ? さきに絡まれたのは俺のほうだぞ」

「まあ、これに関してはあんたの言うことも一理はあるかもね」

 珍しく、本当に珍しく、律子が尊に同意した。というか、初めて見たので凛香はかなりびっくりした。

「さきに指示を無視して勝手な行動をしてたのはあんただけど」

 すぐにいつもの調子に戻り、切れ長の瞳で尊を見た。が、やはり尊は鼻を鳴らすだけである。


「下らんことに興味がないだけだ。いまもそうだぞ。こんな茶番はとっとと終わらせて、唯に会いに行きたいものだ」

「そういえば、唯くんは元気なのか?」

 凛香は以前、一度だけ唯に会ったことがある。凛香のバイト先に、尊たちが来たときがあった。唯は尊の妹というのが信じられないほどに、とてもできた、礼儀正しくかわいらしい少女だった。

 自分は末っ子だから、唯のような妹がいれば、と考えたものだ。しかし――。

「貴様には関係ない」

 尊は冷たく切り捨てた。


「唯ちゃんに会ったことがあるのかい?」

 言葉に詰まった凛香をフォローしようと思ったのか、瀬戸が意外そうに言った。

「はい。まえに一度だけ……」

「ならびっくりしただろう? 普段の尊を知ってるやつが唯ちゃんへの態度を見ると、絶句するもんさ」

「ええ、その……衝撃でした……」

 自分たちには傲岸不遜な態度をとるくせに、妹には猫なで声で話していた。あれは本当に衝撃だった。

 しかし、それと同時に互いを想い合っているということも伝わってきたし、兄妹仲がいいことはすぐに分かった。


 ――うらやましい。

 正直、そう思った。


「でも、君だって、お姉さんのことはとても大切に思っているだろう?」

 瀬戸が凛香の胸の内を見透かしたように言った。

 ハッとして顔を上げると、瀬戸と目が合う。彼はまっすぐに凛香を見ていた。

「でなきゃ、月一度もわざわざ電車を乗り継いで白虎地区にはいかない」

 瀬戸は何気ない風を装っていたが、そもそも瀬戸がとりとめのない話を始めたのは、この話をするための布石であったことに尊と律子は気づいていた。


「じつを言うと、君のことは天音ちゃんから聞いたことがあったんだ」

「私のことを、ですか……?」

「ああ。空回りしがちだけど、人を思いやれる、心の優しい子だと言ってたよ」

 凛香はなにも答えずにうつむいてしまう。彼女の両手に握られた紙コップに、すこし力が入るのが見て取れる。


「昨日も会いに行ったそうだね」

「……はい。月に一度は、必ず」

「どんな話をしたのかな」

「なんてことはない、とりとめのない話です。学園であったこと……なにがあったかとか、友人とどんな話をしたとか……」

「天音ちゃんはなんて言うんだい?」

「いえ……」

 凛香はそこで悲しそうに目を伏せ、

「言葉をかえしてくださったことは、一度も……」

 瀬戸はうなづくと、律子に目配せをする。


「華京院さん、昨日……学園を出てからのことを、話してくれる? 思い出せる範囲でいいから」

「はい。たしか……」

 昨日、凛香は学園を出たあと、電車を乗り継ぎ白虎地区へ行った。姉・天音の見舞いのためだ。途中、花屋で花を買い、鹿谷精神病院へ行った。病室へ行くまえ、主治医に進捗状況を訊き、それから病室へ行った。


「姉は、入院してから、一度も口をきいたことがありません。病院の方にも、私に対しても……」

「そう……でも、あなたが来てくれることを、天音さんはとてもうれしく思ってるはずよ」

 ここで尊が白けたように鼻を鳴らした。これは律子の言葉に対するものではなく、彼女が〝仮面〟を被っているさまが、極めて白々しくおかしかったからである。

 しかし、事情を知らない凛香は前者の理由として受けた。だから、彼女につぎのような二の句を継がせた。


「そうでしょうか……通い続けてもう三年になりますが、姉さまは一度も、私を見てはくれません……姉さまは、もう私のことなど見てくれないのでは……」

「貴様が諦めるなら、そういうことになるだろうな」

 一切空気の読めていない、情け容赦のない発言をしたのは、もちろん尊である。


「貴様がいままでやってきたことも、病院の連中がやってきたことも、すべては徒労に終わるということだ」

「尊」

 ついに瀬戸が口をはさんだ。その辺にしておけというように目配せをする。


「ごめんなさい、華京院さん。いまのは忘れてちょうだい」

 すかさず律子もフォローを入れる。が、当の本人は相変わらずどこ吹く風である。コーヒーをすすり、ぼーっと外の景色を眺めていた。

 いつもならここで言い合いが始まるところなのだが、凛香はなにも言いかえすことなく、自嘲的に笑う。


「そうだな。……申し訳ありません。すこし弱気になってしまったようです」

「いいのよ。気にしないで」

 律子がやわらかな声で言う。尊は満足するでもなく、フンと鼻を鳴らしただけだった。

「私は、姉さまのことを尊敬しています。明るく社交的で、だれにでも優しく、ときに厳しく……そして、強い。すこしだけ、鬼柳教官に似ていると思います」

 そこで凛香はもう一度笑った。ただし、さきほどのような自嘲的なものではなく、自然なものだった。

「私は、姉さまに昔のように戻ってほしい。また、私に笑いかけてほしい……。きっと姉さまは、元の姉さまに戻ってくれる。私はそう信じています」


「ああ、そうだね」

 瀬戸が笑いかけた。

「君が諦めない限り、きっと天音ちゃんは元に戻る」

「はい」

 凛香が笑みをかえしたとき、尊が白けた口調で発言した。

「雑談はもういいだろう。そら、見えてきたぞ」


 窓の外……彼らの視線のさきに、目的地である鹿谷精神病院があった。

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