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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第二章 〝士議会〟④

 その部屋は静まりかえっていた。

 中央に据えられた『U』字型の机。その後にはパイプ椅子が置かれ、その中のイスに、一人の少女が腰かけている。その後ろには、一人の女性警官が控えていた。

 ここは警視庁の会議室である。


 コンコンと扉がノックされる。その直後、姿を見せたのは、

「鬼柳……教官……」

「華京院さん」

 士官候補生の名前をつぶやき、鬼柳律子はほんの一瞬表情を引き締めた。


「悪いけど、外してくれる?」

 律子が言うと、女性警官は律子に何枚か書類を渡すと、会議室を出て行った。入れ替わるように、二人の人物が姿を現す。

 一人はブランド物のスーツに身を包み、中折れ帽子をかぶった長身の男。

 もう一人は、騎士団士官学園の制服に身を包んだ白髪の少年。

「ひ、柊……それに、学園長っ!?」

 華京院凛香は相当に驚いたと見えて、ガタっと音を立てて立ち上がった。


「やあ、凛香ちゃん。こうして会うのは久しぶりだな」

 長身の男――瀬戸は親しげな様子で手を上げた。

「は、はいっ! ご無沙汰しております!」

 しゃちこばってあいさつする凛香を見て、尊は冷ややかに鼻を鳴らす。

「まったく、ずいぶんとバカげたことをしてくれたものだな」


「なんだと? なんの話だ?」

 凛香は怪訝に眉をひそめる。

「そのことで話があるの。座ってちょうだい」

 促されて、凛香はふたたび腰かける。律子はその隣に腰かけると、

「華京院さん、あなた、さっき中央省に〝おみやげ〟を持ってきてくれたそうね。いったい、なにを持ってきてくれたの?」


「?」

 律子の言葉に、彼女はきょとんとして目をしばたたいた。なぜそんなことを訊くのか、分からないといった様子だ。そのあと、

「クッキーです」

 ハッキリと、よどみのない声でそう言った。

 三人は顔を見合わせる。尊はまた鼻を鳴らし、瀬戸は低くうなった。律子は凛香に向き直り、

「華京院さん。仮定の話として聞いてくれるかしら。あなたが持ってきてくれた〝おみやげ〟が、クッキーじゃなくて、遺体だって言ったら、信じる?」


「は……?」

 凛香はハトが豆鉄砲を食らったような顔をして、瞬きを繰りかえした。

「いったい、なんの冗談です……? 私はただ、〝おみやげ〟を持ってきただけです! それなのに、なぜか騒ぎになって、警備員に拘束されて、ここに連れてこられて……」

 実際、凛香はわけが分からなかった。〝おみやげ〟を持ってきただけなのに、こうして捕まってしまった。手錠こそされていないが、感じでわかる。あのときのロビーの様子は異常だった。でもなぜ?

 そのとき、律子は女性警官から渡されたものを凛香に見せる。それは写真だった。


「この写真、なにに見える?」

 律子が訊いた。凛香は身を乗りだして写真を見る。

「……クッキーです」

 彼女は見たままを答えた。

「これはクッキーじゃない。遺体よ」

「正確に言えば、バラバラ死体だな」

 尊が横やりを入れた。


「なんだと? なにを言って……」

「もっと正確に言ってやろうか? 腕、足、胴体、首、四つに切断されていた。貴様はそれを、どこからか運んできたんだ。どこから運んできた?」

「悪ふざけが過ぎるぞ柊! 私が運んできたのはクッキーだ! 遺体なんかじゃない!」

「落ち着いて」

 律子は人差し指を立てると、穏やかな声で言った。彼女は凛香のまえで指を振ると、ゆっくりと続ける。


「落ち着いて華京院さん。落ち着いて、私を見て」

 今度は手を開くと、またゆっくりと振る。

「どうだい?」

 瀬戸が訊いた。

「瞳孔が開いてる。息は上がっていないし――」ここで律子は凛香の脈を確認し、「脈拍も正常ね」

 ふたたび尊たちと視線を合わせると、一言こう口にした。

「暗示にかかってるわ」


「暗示ねぇ……」

 尊が喉の奥で笑って言った。

「そいつを暗示にかけて、死体を運ばせたというのか? 死体とクッキーは似ても似つかないと思うがな」

「暗示っていうのは、人間の心にダイレクトでかけるものなのよ。一度かかってしまえば、どんな荒唐無稽なことでも信じてしまう。いずれにしても、これはかなり強力な暗示……かなりの腕の持ち主よ」

 律子がまくしたてるように言った。これは尊の発言を牽制するためである。


「華京院さん。あなたが持ってきた〝おみやげ〟だけど、これはどこで買ったの?」

「いえ、勝ったわけではありません。これは、ある人に頼まれたのです。これを中央省まで届けてほしいと」

「だれに?」

「……」

 その質問に、しかし答えは返らなかった。凛香は口を開こうとしては結局つぐむ。それを繰りかえした。


「おい、金魚のモノマネはやめてとっとと答えろ」

「そ、そんなことはしてない!」

「華京院さん。尊は無視していいから、答えてちょうだい」

「そ、それが……」

 凛香は言いにくそうに、視線をさまよわせたが、やがて観念したように言う。

「なにも、思い出せないのです……。いったい、だれに頼まれたのか……」




 会議室に凛香を残し、尊たちは別室へと移っていた。空いていた取調室である。

「遺体を〝おみやげ〟のクッキーと言い張り、だれかに届けてくれと頼まれたが、だれかは思い出すことができない……二人とも、どう思う?」

 瀬戸が顎を撫でながら訊いた。

「さっき言ったように、暗示でしょうね」

 律子がざっくばらんな口調で言った。ここには尊と瀬戸しかいないから、わざわざ〝仮面〟を被るつもりはないのだろう。


「何者かが華京院さんに暗示をかけて、遺体を運ばせた。そのさい、正体がばれないように自分の記憶を消したってことでしょう」

「あの女が殺してばらして持ってきた可能性もあるだろう。暗示にかけられてな」

「暗示にかけられたところで、元の人間性まで失われるわけじゃないわ。その人の人間性にあったことしかしない。ここ三ヶ月教官としてあの子を見てきたけど、華京院さんはたとえ逆上しても人を殺すタイプじゃないわね」

「あるいは貴様に人を見る目がないかだな」

 尊がバカにしたように言うと、律子は唇の端で薄く笑う。


「ひょっとして、唯ちゃんの件を根に持ってるのかしら?」

 律子を見る尊の目が、鋭く引き絞られる。律子は薄笑いを浮かべたまま続けた。

「安心しなさい。あれは〝私を姉として慕い、兄を攻撃することが兄のためになる〟そう暗示をかけたのよ。そうでもしないと、あなたたちを敵対させることなんてできなかったの。兄妹愛って素晴らしいわね」

 しばらく能面のような無表情で律子を見ていた尊だが、やがて皮肉な笑みを浮かべると汚いものを吐き出すかのように鼻を鳴らした。


「話を戻そう。そもそも、どこから死体を持ってきたんだ? あの女はどこから来た?」

「それなら、大体分かるぜ。たぶん彼女は……」

 そのとき、ドアがノックされ、瀬戸の秘書である丹生が入ってきた。彼女の両腕にはいつものように書類が抱えられている。


「し、失礼します」

「丹生ちゃん、なにか分ったかい」

「は、はい、凛香さんがどこから遺体を持ってきたのか……あくまで予想の範疇ですが……」

「予想だと?」

「は、はい……すみません」

 丹生は体をびくりと震わせる。


「尊、丹生をビビらせないでちょうだい」

「そいつが勝手にビビっているだけだと何百回言わせるつもりだ?」

「丹生ちゃん、予想っていうのはどういうことだい?」

「そ、それは……」


 いつものやり取りを始めた二人を無視して瀬戸が訊くと、丹生はつぎのように言った。

 町中の防犯カメラを使い、それをたどって凛香がどこから〝おみやげ〟を持ってきたのかを調べた。結果、彼女は朱雀地区を出て白虎地区へ行ったことが分かっており、彼女もそれを供述している。しかし――。


「白虎地区に行ったことは分かりましたが……それ以降を、た、辿ることができませんでした……」

「フン、防犯カメラを辿ることも……」

「どうしてできなかったの?」


 凛香の足取りを追うため、防犯カメラを辿っていたのだが、その映像は白虎地区に入ったところで途切れていた。正確には、白虎地区の駅までは辿ることができたのだが、駅に来る前の足取りは不明である。それ以降の映像は、すべて削除されていたのだ。

 カメラ映像は、すべて中央省の管制室によって管理されている。つまり、何者かが中央省のシステムにハッキングをかけて、映像を削除したのだ。ファイアウォールを突破し、その後のサイバー犯罪対策課による追跡もかわし切った。何者かは分からないが、卓越した技術を持つの者の仕業であることは間違いない。


「フン、まったくご苦労なことだな」

 尊は軽蔑したように鼻を鳴らすと、

「征十郎、貴様さっき言ったな。〝それなら大体分かる〟と。説明しろ」

「凛香ちゃんはな、月一で白虎地区に行ってるんだよ」

 偉そうな尊に、瀬戸は肩をすくめて説明を始める。


「あの子には、天音っていう三歳上の姉がいるんだが、その天音ちゃんが白虎地区の病院に入院してるんだよ。その見舞いに、月一回行ってるらしいぜ」

「なぜ入院してる」

「それは俺が言うことじゃない。が、一つだけ教えてやる。天音ちゃんはいま、精神科医に掛かってる。後は本人に直接訊くんだな」


 瀬戸の意味ありげな言葉に、尊はどうでもよさそうに「まあいい」と言うと、

「なら、第一候補は病院か?」

「かもな。だが、もちろん違うかもしれない」

「つまりなにも分からないというわけか」

「そうなる」

 尊の皮肉に瀬戸はにやりと笑う。どうしたわけか、自分が学園長を務める学園の士官候補生が問題を起こしたというのに、瀬戸はこの状況を楽しんでいるように見える。


「ま、どこから運んできたかに関しては、目撃証言を辿るしかないな。時間はかかるだろうが」

「て、手配します」

 丹生は一言言って部屋を出て行った。その途中、彼女は持っていた書類を瀬戸に渡した。

「それで、あの女はどうする? 釈放するわけにもいくまい」

「とりあえず、今日のところは留置所にいてもらうしかないな。おまえの部屋に連れてってもいいが」

「ふざけるな」

 尊はうっとうしそうに手を振り、

「どうせ明日は白虎地区に行けというんだろう? 言われるまえに訊いてやる。病院の名前を教えろ」


 律子は凛香が〝暗示〟にかけられていると言った。そして瀬戸は、凛香の姉は精神科医に掛かっていると言う。

 二人の言葉を信じるのであれば、すくなくとも暗示に関しては、その精神科医が第一容疑者ということになる。


「いつになくやる気だな」

「バカを言うな。面倒ごとははやく終わらせるに限る。それだけの話だ。とっとと言え」

 瀬戸がここに自分を呼んだ以上、捜査に加われということだ。面倒な問答は必要ない。いつもとおなじように、仕事をするだけだ。すなわち、瀬戸が望む結果を出す。

 まったく、忌々しい話である。しかしこれも仕方のないことだ。すべては、愛しい妹のためなのだから。


 瀬戸は満足そうににやりと笑うと、

「鹿谷精神病院だ。ちなみに、医師の名前は内海楓」

 と言って、尊と律子に、さきほど丹生から受け取った書類を手渡す。

「天音ちゃんの医療記録だ。三年分ある。目を通しとけ」

 これはつまり三年分の医療記録を一日で頭に入れろということである。

 普通なら、なにを無茶な、と言い出す者がいるだろうが、尊も律子もそんなことは言わなかった。


「三年分にしては、あまり多くありませんね」

 書類をぱらぱらとめくりながら律子が言った。

「この三年で、治療はほとんど進んでないみたいでな。天音ちゃんは完全に心を閉ざしちまってるらしい」

「三年あって結果を出せないような無能が、果たして強力な暗示をかけられるのか?」

「あくまで容疑者。まだ犯人と決まったわけじゃないわ。でしょ?」

 尊はフンと鼻を鳴らして、書類を瀬戸に突っ返した。


「これはもう必要ない。貴様が処分しておけ」

「ちゃんと全部覚えたか?」

「だれにものを言っている?」

 うざったそうに言う。舌打ちでもしそうな勢いだったが、意外にも尊が舌を打つことはなかった。


「話が済んだなら帰らせてもらう。まったく、どいつもこいつも……よくつぎからつぎへと問題を起こせるものだな」

「まあ、そう言うな。分かってると思うが、この問題もはやく片付けてもらうぜ。ありがたいことに、凛香ちゃんが〝おみやげ〟を持ってきてくれたのは中央省だからな。記者クラブの連中にはもうかぎつけられてる。情報規制を敷いてるがそれにも限界があるからな。それに……」

「分かってる。凱旋パレードまでには終わらせてやるからもうしゃべるな」

 イラついた調子で言って、さっさと出て行こうとする。その背中に瀬戸が声を投げた。


「尊、明日は八時に警視庁に集合だ。遅れるなよ」

 そう言ってにやりと笑う瀬戸だが、彼はもちろん知っている。はやく時間を設定して一番苦労するのは律子であるということを。

 尊以上に休みを欲しているのは律子なわけだが、プライドの高い彼女は、天地がひっくり返ってもそんなことは言わないのである。

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