第二章 〝士議会〟③
少女は、
電車を乗り継ぎ、
朱雀地区へと戻った。
尊が朱雀総合病院についたとき、時刻はすでに七時を回っていた。
ついてこようとしてきた恵梨を「邪魔だから来るな」と押しのけ、尊は足早に病院へむかった。
――まったく、無意味な時間を取らされたものだ。
わざわざ集まって議論するようなことなどなにもなかった。身辺捜査云々も、文書で済む。
おかげで、今日は唯と小一時間しか過ごすことができないではないか。迷惑極まりない話である。
診察時間はもう過ぎているため、院内には関係者と入院患者しかいない。通常の面会時間は過ぎているために、付き添いの姿もほとんど見られなかった。
「ごめんよ、唯。今日は遅くなってしまった」
いつものように、最愛の妹に語りかける兄だが、いつもならすぐに帰ってくる声がかえってこない。というのも、唯はいま、ベッドの上でちいさく寝息を立てていた。
彼女のきゃしゃな体に対して、そのベッドはあまりに大きい。純白のベッドの上で眠る彼女は、まるでおとぎ話の姫のようである。
ベッドの横に据えられた机を見ると、マグカップが二つ置いてあり、皿の上にはクッキーが出されていた。マグカップはほのかに暖かい。つまり、ついさっきまで、ここには誰かがいたということだ。
二つあるマグカップは、一つはいつも唯が使っているもの。もう一つは、来客用の白い無地のものだった。
まさか、また朱莉が来ていたのか?
入院してからというもの、あの少女は頻繁に唯の病室に来ているらしい。唯は自分が頼んだと言っていた。たまにでいいから来てほしいと。
唯は検査のさいと月一度の外出のとき以外、病室から出ることができない。毎回呼びつける形になってしまい、心苦しい。そうも言っていた。
――やはり唯は優しい子だ。
と思いながら、彼はなんと後片付けを始める。カップと皿を給湯室まで持っていき、クッキーを箱に戻して、残っていたココアは捨てる。もっとも、唯は起きてから飲むかもしれないので、それは机に残したままだ。
尊が後片付け……それも、自分のではなく人のを。彼を知る人間がこの光景を見れば絶句すること請け合いだが、幸いというべきか、客人はもう帰っているようだし、被害者はゼロだった。
無意味な時間を過ごしたせいで、唯との時間がふいになってしまった。しばらくの間、唯との時間はとくに多めに取りたかったのだ。
『英霊館』で体験したことは、唯にとって大きな負担となったに違いない。面にこそ出していないが、閉鎖空間で連続殺人事件に巻きこまれたというストレスは想像を絶する。だから唯は、あれから精神科医にカウンセリングを受けているのだ。正直、律子に洗脳をかけられたことも手伝って、尊はそれには反対だったのだが、唯のためを思うとやはり受けたほうがいいだろうと思い、承諾した。本人も抵抗は無いようだったし、無理に反対するわけにもいかない。
唯は、あの館で起こった〝真相〟を知らない。明香……本名、井波小夜が双子の弟と起こした復讐殺人――ではなく、自分たちの育ての親である、最上みことと『アドラスティア』信者、嵩本による殺人教唆が行われていた、という点である。
嵩本は、表向きには死亡したということになっている。館は完全に焼けてしまったため、隠蔽……というより、うやむやにするのはそう難しくはなかった。
現在、『安全地帯』の中で、〝『英霊館』殺人事件〟にみことが関わっていたことを知っているのは自分だけだ。いや、そもそも、みことの存在を征十郎は、中央省は知っているのか?
連中の情報網は広大だ。それは確かだ。事実、『アドラスティア』に関する情報はすさまじい。信者の名前はもちろん、経歴、氏名、年齢、家族構成や交友関係など、徹底的に調べ上げている。
だが、みことは言った。〝自分は『アドラスティア』の信者ではない〟と。
だが、みことは『アドラスティア』とかかわりがあることは間違いない。
では、みことはいったい何者だ?
そもそも、あの女はどうして自分たちを育てた?
あの女は無意味なことはしない。ということは、自分たちを育てたことにも必ず意味がある。
なんの意味がある?
いったい、なにが目的だ?
そこまで考えて、尊は舌打ち交じりにかぶりを振った。
最近、こんなことばかり考えている。
――くだらん。
あの女がなにを企んでいようと関係ない。唯に危害を加えるというのであれば容赦はしない。完膚なきまでに叩き潰す。あの女から教わったように。ただ、それだけのことだ。
少女は、
あと場所へとむかっていた、
〝おみやげ〟を届けるために。
――中央省。
十五年前のウイルス蔓延に伴い設置された新組織。表向きは〝警察庁と防衛省が合併した組織〟ということになっているが、その実情は防衛省が警察庁に吸収された形となっている。
そのため、省内の関係性はすこぶる悪い……というのは攻撃的な言いかたになるが、彼らは決して〝いい関係〟ではなかった。〝合併〟まえの上層部は引退している者も少なくない。
だが、だからといって彼らの関係が改善されるわけでもない。下っ端の職員や、ウイルス蔓延以降に入省した者はそれほどでもないが、上に行けば行くほど、それは火を見るより明らかになる。
もっとも、それも警保局内に限った話だ。中央省の上の役職は、すべて元警察官僚が独占しているし、先日の律子の一件で、防衛省側には以前の勢いはもうない。すくなくとも表面上は、中央省は問題なく、いつものように機能していた。
そんななか、彼女は現れた。
中央省の、警察庁の庁舎を増築して作られた庁舎に、ふらりと。
まるで、友人の家に遊びに行くかのように。
最初にその少女に気づいたのは、一階ロビーにいた来客だった。彼はいまソファーに座って新聞を読んでいた。
彼がふと顔を上げると、そこには制服姿の少女がいる。あれ制服は知っている。この『安全地帯』ではもっとも有名な学園――騎士団士官学園の制服だ。
ピンと伸びた背筋は、見る者に凛とした印象を与える。彼女は大きな紙袋を二つも持っているため、余計に視線を集めていた。
なんの用だろう? ふと考え、また視線を新聞に落とす。
そのときだった。
なにかを落としたような音が聞こえ、ロビーにいた人間たちの視線が一か所に集まった。瞬間、一同はぎょっとして息をつめた。
その落とされた〝モノ〟が、尋常ではなかったからだ。
落としたのはさきほどの少女。落ちたものは紙袋。問題は、その中身であった。
人だ。
人の腕、足、そして……顔。
落ちた衝撃でそれはころころと転がっていき、一人の人間と目が合った。
生気を失った目、恐怖に歪んだ顔。
「……っ!」
一瞬の静寂の後、空間を劈くような、鋭い悲鳴が響き渡った。




