『危険区域』④
――ひどい有様だった。
昨日まで孤児院だった場所は、もはや見るかげもない。建物は無残にも崩れ落ち、シンボルともいえる十字架は、グニャリと折れ、無造作に地面に転がり、さらには生々しい血の跡も残っている。
教会から孤児院に姿を変えながらも、その役割をまっとうし続けてきた建物は、完全に崩壊してしまっていた。
「……」
ずっかり変わり果てた、生まれてから自分がずっと過ごした場所を見て、朱莉は言葉を失ったようであった。
無言で花束を手向けると、合掌する。一分近くそれを続けたあと、ゆっくりと目を開いた。
「フン、ようやく済んだか。なら、さっさと始めろ」
「尊! 不謹慎が過ぎるわよッ!」
あくびでもしそうな様子の尊を、律子が叱りつける。
「いいんです。大丈夫ですから。それで、私に訊きたいことというのは……」
朱莉は微笑みながら律子をいさめる。
今日、尊たちがここに来たのは、朱莉に話を訊くためだ。通常は、中央省か『騎士団』本部で行われるものだが、朱莉の「みんなに花を手向けたい」というたっての希望で、二度目の現場検証もかねて、ここで行われることとなった。
律子の視線をうけ、丹生がおずおずと話しだす。
「え、えっと、昨日も聞いたことなんですけど……あなたが『フレイアX』に襲われたときの状況をできるかぎり教えてください……そ、それと、そのときの孤児院の状況なども……」
「ごめんなさいね。つらいだろうにおなじことを……」
律子が申しわけなさそうに謝罪するも、
「フン、取り調べの基本は、おなじことを何度も訊くことだ。そうすることで、前回の供述と比較し、嘘や相違点を見極める。これからも、何度か訊くことになるぞ」
それをドロップキックで横からあっさりと突き崩す男がいた。
「うん。分かった。でも、大丈夫だから。なんでも訊いて?」
朱莉は尊の態度にも眉ひとつ動かさなかった。どころか、いつものように笑いかけてくる。
尊は軽く舌打ちすると、丹生を見もせずに、
「続けろ」
と軽く手をふって言った。
「は、はい……ごめんなさい……」
恐縮した様子でうつむく丹生を見て、律子が呆れたような声をあげる。
「丹生をあまり怖がらせないでちょうだい、と言わなかったかしら?」
「そいつが勝手に怖がっているだけだ、と言わなかったか?」
いつものように口論に発展しそうな二人を、
「二人ともそのくらいにしとけ。なんでいつもケンカするんだ」
呆れた様子の瀬戸が制した。
白々しい瀬戸の態度を鼻で笑い飛ばした尊は、律子を顎さきで指す。
「こいつが絡んでくるからだ」
「よくそんなことが言えるわね。いい加減にしないと、埋めるわよ」
「やめろっての。鬼柳ちゃんも。怒ってばっかりだと、また小じわが……」
「その話はしないでください!」
律子の鬼のような形相に、瀬戸は「わ、悪い……」とひいた様子で謝罪し、
「ごめんな、朱莉ちゃん。こいつらいつもこうなんだ。学園でもみんな呆れてるだろう?」
「いえ、そんな……仲がいいんですね」
「いい子だねえ。それでだ、話をもとに戻すけどいいかな?」
コクリとうなづく朱莉。
「あ、あの……昨日『フレイアX』に襲われたときですけど、孤児院の様子はわかりますか?」
瀬戸の視線をうけて丹生が訊く。
さきほどの尊の態度が尾を引いているのか、おっかなびっくりと言った様子だ。
朱莉はかぶりを振り、
「いえ、ごめんなさい。私が襲われたのは、門の外だったもので……でも、声とかは聞こえなかったと思います……」
「ど、どうしてあなたは門の外にいたんですか?」
「買い物を頼まれて外出していたんです。電球が切れてしまったので、それを買いに」
『危険区域』にも、いちおう“店”は存在する。ただし、売られている商品はすべて『安全地帯』から、“ゴミ”として捨てられたものだ。『危険区域』の住人たちは、それを回収し、使える状態に直すことで生活している。
もっとも、常に食糧難に陥っている『危険区域』の中で、自給自足で生活できていた星野孤児院はマシな部類だろう。通常はそれさえも、『安全地帯』に依存せざるを得ないのだ。
丹生は朱莉の証言を書類に書きこんでいく。
質問はそれからしばらく続いた。
買い物をした場所。なにを買ったのか。何時ごろに孤児院を出て、何時に帰ってきたのか。
そこまで訊いたところで、今度は律子が質問する。
「『フレイアX』が何体いたかは分かる?」
「私が見たのは四体です」
「『安全地帯』に侵入した数と一致するな」
と瀬戸が言った。
『安全地帯』は、四つの地区に分かれているが、『フレイアX』が四体の侵入したのは、尊たちが暮らす地区だった。
たしかに数は一致している。
問題は――。
「『フレイアX』がなぜ、どうやって侵入したかについてなら、もう議論はすんでいる。考えるまでもなく、手引きした人間、つまり裏切り者がいると言うことだ。それも、中央省、あるいは『騎士団』内部にな」
「ま、そうなるだろうな。俺も容疑者の一人ってことだ」
瀬戸は皮肉な形に唇を歪め、面白そうにあごをなでた。
「デリケートな問題だ。表立って捜査はできない。おまえが提案した打開策が生きてる間に、水面下で解決するしかない」
「やはり模範解答はいつ聞いてもつまらないな」
「そうつっかかるなよ。それが官僚の仕事なんだ」
中央省で警保局局長という重職に就く瀬戸にとって、組織の利権は死守すべき最優先事項だ。そのために保守的になるのは仕方のないことだった。
それだけではない。
『騎士団』も、中央省に籍を置く一種の官僚組織である以上、そこには必ずいままで築き上げてきた、既得権益がある。権威の失墜は、それを失うことを意味する。それだけはなんとしてでも防がねばならなかった。
「つまり、事件を内々に処理し、『安全地帯』の住民の過半数が納得できる答えを提示し、『騎士団』のメンツを一定以上に保つ。それが合格ラインと言ったところか」
「ありていに言えばそうなる。できるか?」
「フン、くだらん修辞疑問だな。貴様、だれにものを言っている?」
相変わらずの傲岸不遜な発言。根拠のない謎の自信も、この状況では頼もしく思えてくるから不思議だ。
瀬戸はニヤリと笑うとふたたび問いかける。
「どうやるつもりだ?」
思ったよりも面倒なことになってきた。舌打ちをしつつ、それでも答える。
「まずは容疑者の洗いだしからだろう。『フレイアX』が侵入してきた時間、あるいはここ数日、すこしでも変わったところがある人間をピックアップする」
「でも、中央省と『騎士団』の所属人数は合わせるとかなりの数よ。それはちょっと厳しいんじゃないかしら」
律子は反論するも、しかし尊は鼻で笑い飛ばした。
「だれが全員を調べろと言った? そんな必要はない。国防部の連中だけで十分だ」
国防部。
中央省警保局内に存在する部署だ。
「どういうこと?」
「今回の事件で得をするのはだれか、という話だ。元警察側の人間は、そんなことをする必要はない。あるとしたら、国防部――元防衛省の人間だけだ。違うか?」
「それは……そうかもしれないけど……」
珍しく歯切れの悪い律子。
「あ、あの……」
と申しわけなさそうに、丹生が小さく手をあげた。
「なんだ」
「ひぃ……ご、ごめんなさい……」
尊に睨まれれた――と彼女は思った――丹生は体をビクリと震わせる。
「いちいちビビるな。おまえがそういう反応をすると、律子がうるさい」
面倒くさそうに言う尊。
「は、はい……」
「で、なんだ?」
「あ……こ、国防部だけに絞るとしても、職員の多い部署ですから……一から調べるのは難しいんじゃないかと……それに……」
と丹生はすこし考えるそぶりを見せるも、意を決したように言う。
「警察側の疑いが晴れたことには……」
「ま、たしかにな」
ため息まじりに言うと、瀬戸は肩をすくめて続ける。
「つまるところ、いまの時点で優秀な案をだすのは難しいってことだ。無理もない。前代未聞の事件だからな」
「なら、どうすると言うんだ? 分かりませんではだれも納得しないぞ」
「こうしよう」
と言って瀬戸は指を立てる。
「『フレイアX』の件は一旦おいて、さきに『騎士団』の団員を殺したやつを探す。二つの事件は繋がっているはずだ。まずはこっちから洗う」
「待て、殺されただと?」
「ああ。最初は『フレイアX』に殺されたと思ってたんだがな。司法解剖の結果、致命傷となったのは刀傷。それ以外からは生活反応が出なかった。死体がボロボロだったのは、それを隠すためってことだ。『フレイアX』に類似した傷跡は偽装のつもりなんだろう」
「そんな話聞いてないが」
「今日の昼ごろに分かったことだからな。直接言おうと思って黙ってたんだ」
「そういうことはもっとはやく言え。分かっていたら、俺もおまえとおなじ方法を提示した」
「そいつは悪かったな」
ワガママな子供を諭すかのような口調に、朱莉は思わずクスリと笑った。
「なにが可笑しい」
急に笑いだした朱莉を、不機嫌そうに見る尊。
「ご、ごめんね……孤児院の小さい子たちも、よくおなじようなこと言ってたから、つい……」
それを聞いた瀬戸は、快活に笑いだす。
「こいつは傑作だ。尊、おまえ子供と同レベルだってよ」
律子もつられて笑いだす。
「でも、言いえて妙だわ。要するに子供なのよね」
思わず丹生までふきだし、尊に睨まれ委縮する。
「フン、貴様らずいぶん楽しそうじゃないか」
その場の全員に聞こえるよう、大きく舌打ちをしてやる。
「まあ、いい。話が終わったなら、俺はこれで帰らせてもらう」
「ああ、いいぞ」
あっさり承諾したのは瀬戸だ。
「ちょっと、局長!?」
律子が驚いたような声を出すも、瀬戸は肩をすくめて見せる。
「いいだろ、べつに。もう話は終わった。存分に唯ちゃんとイチャついて来い」
上司である瀬戸にそう言われては、律子は引き下がるしかなかった。
「分かりました……尊、もう問題は起こさないでちょうだいね」
疑り深い二つの目が尊をとらえる。
「言われなくても分かっている。おなじことを何度も言うな」
「おなじことを何度も言わせないでちょうだい」
「おいおい、大概にしとけよ。朱莉ちゃんもいるんだぞ」
瀬戸の茶化すような声に、律子は不満そうに言う。
「もうちょっと聞き分けがよければ、私も楽になるんですけど」
「それはご愛敬だろ。見てる分には面白いぞ、姉弟みたいで」
ねぇ、と話をふられた丹生は、やはり体を震わせてから答える。
「は、はい……仲がよくて……ちょっとうらやましいです……」
うつむきながら言う丹生。その顔はすこし紅潮している気がする。
三人が話している間に、尊はさっさと歩きだしてしまう。
その背中に声をかけたのは朱莉だった。
「柊くん、ごめんね、つき合わせちゃって……ありがとう」
無視するかと思ったが、意外にも尊は足を止めるとふり返って言う。
「貴様、いつまでその茶番を続ける気だ?」
「え……?」
「尊! またあんた……」
「貴様がなぜそんなことをしているのか、俺には理解に苦しむよ。価値観が真逆の人間は、宇宙人となんら変わりない。不気味なだけだ」
しばらく朱莉を見ていた尊だが、不意に白けたように鼻をならすと、今度こそ去っていった。
なにを思っているのか、朱莉はその背を無言で見送った。
やがて瀬戸が困ったようにうなった。
「やれやれ、相変わらずだなあいつは」
「ごめんなさい、美神さん。アレにはあとできつく言っておくから」
言ってもムダだと思うが、というのは、その場の全員が思ったことだろう。
「柊くんは……」
朱莉はつぶやくように言った。
「柊くんは、どうしてあんな態度がとれるんでしょう……」
「えっ」
と、思わずマヌケな声を出し、律子は内心いやな汗をかく。
「ご、ごめんなさいね? 遠慮せずに、美神さんもなんか言ってやって。なんなら、殴ってもいいわよ」
暴力沙汰はやめろ、と瀬戸が口をはさんできたが、それは無視。
しかし、朱莉の口から出てきたのは、律子の予想を裏切るものだった。
「いえ、怒ってるわけじゃないんです」
「え……?」
「ただ、どうしてあんなに、自分の感情を出せるのかなぁって……」
私もそんなふうにできたら、というつぶやきは、小さすぎて誰にも聴こえなかった。
ほんの一瞬だけ、羨望のような、妬みのような、そんな複雑な表情をつくる。
「あいつはそういうやつなのさ。昔からそうだった。そうやって、妹の唯ちゃんを守ってきた……自分のこともな」
「どういうことですか……?」
瀬戸はすこし考えるしぐさを見せた後、ニヤリと笑って言った。
「あいつの両親が、とんでもないことをしでかしたからさ」
「局長‼」
律子は焦ったような声をあげ、丹生まで思わず身をのりだす。
「いいだろ。それなりの地位にいるやつはみんな知ってる。『騎士団』に入るなら、いずれは知ることだ」
口調は軽いが、瀬戸の言葉には有無を言わせぬ強さがある。
「朱莉ちゃん。十五年前のこと、君はどこまで聞いてる?」
「え、えっと……テロリストがウイルスとかを調べてる実験室に侵入して、それをまき散らしたって……」
「ふむ、なるほどね。なつかしい筋書きだ」
瀬戸はあごをなで、じゃあ、順を追って説明しよう、と言う。
「十五年前、隕石が日本に飛来した。その隕石に、ある物質が付着していたんだ。それが『ダークマター』……『フレイアX』を生みだし、『騎士団』の使う『銀狼』にも使用されている物質だ。
秘密裏に隕石を回収した日本政府は、防衛省のとある機関に解析を依頼した。“バイオ・セーフティー・レベル”、通称、BSLと呼ばれる実験室にな」
BSLは、細菌、ウイルスなどの微生物、また、病原菌などを取り扱う実験室だ。
レベル1からレベル4までの実験室が存在し、
レベル1は、風邪ウイルス。
レベル2は、インフルエンザウイルス。
レベル3は、狂犬病。
レベル4は、天然痘やエボラなどの危険なウイルスを取り扱っている。
「レベル4の実験室は、当時、表向きには稼動していなかった。作ったはいいが、近隣住民の強い反対に遭って稼動できずにいたんだ。
だが、防衛省のお偉方の『せっかくあるものを使わない手はない』という意向により、秘密裏に稼動していた。そこで『ダークマター』研究の責任者となったのが、尊の両親だった」
「柊くんの……お父さんとお母さんが……?」
「ああ」
瀬戸はうなづいて続ける。
「実験は、最初は問題なく進んでいた。だが、あるとき事故が起きた。実験中、『ダークマター』が暴走した。それが大爆発を引き起こし、『フレイア』と呼ばれるウイルスを国中に蔓延させてしまったんだ」
「じゃあ……」
「そう、テロリストもなにも関係ないってことさ」
わざとらしく肩をすくめ、自嘲気味に言う。
「だが、まったく関係ないわけじゃない。ウイルスによって誕生したとされる『フレイアX』。こいつはただの化け物じゃない」
「きょ、局長……」
今度は丹生が割りこむように言う。
「これを教えないと、話しにくいんだよ。なに、ここだけの話にしておけば問題ないさ」
瀬戸はのらりくらりといった調子で言う。
律子もなにか言いたげな顔をしていたが、それは気づかないふりをした。
「十五年前……あのとき、新興宗教が存在していたんだ。当時の警察庁警備局……警保局の元になった組織が、『テロを企てかねない危険な集団』として、一貫してマークしていた組織なんだが、そいつらは、女神『フレイア』を偶像崇拝していた。そしてウイルスは、やつらにのみ感染したんだ」
「そんな……じゃあ、まさか……」
「そう。『フレイアX』の正体は、新興宗教『アドラスティア』の構成員。つまり、元人間だよ」
驚いた様子で固まる朱莉。律子と丹生は無言で話の行方を見守る。
「ウイルス蔓延で『フレイアX』が蔓延るようになって、この国は一変した。一部は高い城壁を隔て、『フレイアX』の侵攻を防ぎ、『安全地帯』と呼ばれるようにはなったが……」
そこで瀬戸は無残に崩れ落ちた孤児院を痛まし気に見る。
「『騎士団』の活動で、数は減ったものの……まだ『危険区域』には『フレイアX』が我が物顔で跋扈してる……『安全地帯』には『安全地帯』の問題もあるしな……」
最後の言葉は、思わず出てしまった愚痴のようなものだった。
「問題……?」
「そう。さっき言ったろ? 実験は防衛省の命令で行われていた。つまり不祥事ってことさ。それも、前代未聞のな」
律子はバツが悪そうに視線を下にむける。
それに気づいたうえで、瀬戸はさらに続ける。
「だが、そんなこと国民に公表できるわけもない。だから、テロリストが実験室に侵入して爆発騒ぎを起こした、っていうストーリーを用意したのさ」
俺がな、とこれ見よがしに言う瀬戸。
「もっとも、それだけじゃ納得しないだろうから、『ある研究が行われていたこと』と、『研究者の名前』は公表したがな」
瀬戸の言葉を律子がひきつぐ。
「そういうこと。当時、警察庁の警備局長だった瀬戸さんが、関係各所に根回しをしたおかげで、最悪の事態は避けられたってわけ」
私はそのとき子供だったから、詳しくは知らないけどね、と付け足す。
「で、変わってしまったこの国を安定させるために設置されたのが、中央省ってわけだ」
「『騎士団』や、あの学園を運営しているところ、ですよね……?」
朱莉の言葉に、瀬戸はああ、とうなづき、
「この組織はすこし複雑でな。表向きには、警察庁と防衛省が合併したってことになってる。だが、実際は合併じゃなくて吸収なのさ」
「吸収?」
「そう。防衛省が、警察庁にな」
瀬戸は大仰に両手を開いて見せる。
律子はすこし複雑そうな顔になり、丹生はうつむき縮こまる。
「さっき鬼柳ちゃんが言っただろ? 関係各所に根回ししたって」
瀬戸は意地の悪そうな笑みをうかべ、
「脅したんだよ、俺が。当時の防衛省事務次官をな」
「お、脅した……?」
まるで武勇伝のように瀬戸は語る。
「そう。こんなことが公になれば、もう防衛省は終わりだ。さっきは不祥事って言いかたをしたが、もう、そういうレベルの話じゃない。バレたら、組織として機能しなくなってしまう。だから言ってやったのさ。『おまえたちの利権は守ってやる。その代わり、守ってやったものを俺によこせ』ってな」
瀬戸は唇を皮肉な形に歪め、
「そうして、二つの既得権益を中央に移すことで中央省は誕生した。もちろん、吸収と言っても、防衛省が影も形もなくなったわけじゃない。警保局内に部署は存在する。ただ……」
「なんといっても、この事態を引き起こした、いわば戦犯だからね。組織内ではかなり冷遇されているわ。部署も、国防部一つしかないし……」
説明を引き継いだ律子だが、そこで一度言葉を区切り、やはり複雑な表情になる。
「かくいう私は、もともとは国防部の人間。いまは“出向”って形で『騎士団』にいるけれどね」
「出向、ですか……?」
朱莉の言葉に答えたのは、意外にも丹生だった。
「き、鬼柳先輩は、中央省のなかでも、特殊な立場にいるんです……」
そこから、彼女にしては珍しく、語気を強めて続ける。
「そういう経緯でできた組織ですから、警察側と防衛省側の人は、とても仲が悪いんです……鬼柳先輩が『騎士団』に出向したのだって……もともとは、防衛省側を最低限立てるための、体面みたいなものですから……」
そういう丹生は、警察側に所属する職員だ。
「まあ、そう熱くなるなよ、丹生ちゃん。仕方ないだろ。組織を安定させるためだったんだ。それに、警察と防衛省の仲が悪いのはもとからだ」
”動機があるのは防衛省側。警察側の職員はそんなことをする必要はない”。
さっき尊が言っていた意味を、朱莉は理解することができた。
「でも……」
「いいのよ丹生。ありがと」
食い下がろうとする丹生の肩に手を置くと、諭すように言う。
「私は気にしてないわ。最初はそうだったかもしれないけど、副団長にまでなれたのは自分の実力だと思っているから」
「先輩……」
「ま、自分のいる組織が片隅に追いやられて、敵対してる人間たちが肩で風切ってる姿を見ると、複雑な気持ちになるけどね。警察側はもともとあった部署がほぼ残ってるし……」
瀬戸を見るも、彼は素知らぬ顔で口笛を吹いていた。
「ま、こんなのは些末な問題さ。尊や、『危険区域』に比べればな」
「柊くんの問題……?」
「そう。最初の話に戻るがな。あいつは実験を行っていた研究者の息子ってことで、『危険区域』のやつらからも迫害されてたんだ。かなりつらい日々を送っていたらしい。
それに、あいつが暮らしてたのは『危険区域』のなかでも特に治安が悪いところでな。まともな性格じゃやってられなかったんだろう。
朱莉ちゃん。君の最初の質問に答えよう。あいつのあの性格は、そんな日々を生き抜き、妹を守るために身につけた処世術なのさ」
「生きるために、身につけた……」
やっぱり、私とは……。
紡がれた言葉は、やはりだれにも聴こえなかった。
「だから俺は、学園に入るよう言ったんだ。同年代のやつらと過ごすのは、あいつにとっても、いい刺激になると思ったし、普通の生活ってやつを、すこしでも体験してほしくてな」
いままで軽い調子を崩さなかった瀬戸が、神妙な面持ちになる。
「朱莉ちゃん、きみに一つ頼みがある」
「頼み……なんですか?」
「尊のことを気にしてやってくれないか?」
「柊くんを?」
「ああ。あいつを一人にしておくのはどうも心配でな。でも、普段尊の世話してる鬼柳ちゃんは、これから仕事が忙しくなる。だからきみに頼みたいんだが」
「局長、ちょっとずうずうしいですよ」
「そんなこと言って、またあいつが問題をおこしたらどうする? だれかが見てなくちゃいかんだろ」
「それは……」
たしかにそうだが、それを外部の人間に頼むのはいくらなんでも……。それではただの恥さらしだ。
「いいですよ」
「え?」
あまりにもあっさりとした返答に、律子は面食らった様子で朱莉を見る。
「私なら大丈夫です。みなさんがよろしいならそれで……」
「で、でも……言っちゃなんだけど、大変よ? あいつ、駄々っ子よりたちが悪いもの」
「はい。そういう子の扱いには慣れてますから」
「決まりだな」
瀬戸はそういうと、パンと手をならす。
「じゃあ、よろしく頼むぞ朱莉ちゃん。日当は出す。鬼柳ちゃんが」
「ええっ!?」
突然のことに、律子は素っ頓狂な声を出す。
「なんだ、いやなのか?」
「いやっていうか……」
「あ、あの、先輩が出すぐらいならわたしが出します……」
自己主張の小さい挙手をする丹生。金が惜しいのではなく、性格が反映されているだけだ。
これには律子も、深くため息をつくしかない。
「分かりました。出しますよ。仕事を依頼する以上、給料が発生するのは当然よ。出してやろうじゃない」
半ばやけくそに言う。
いつもは凛とした彼女のそんな姿を見て、丹生たちの顔も思わずほころぶ。
空気が、すこし明るくなった気がした。