エピローグ
「災難だったな」
休日明け、放課後のことである。尊は瀬戸から学園長室に呼びだしを受けた。
「災難だと? フン、他人ごとだからと、いい気なものだな」
瀬戸は肩をすくめて、ホットコーヒーを一口すする。それから軽い声で訊く。
「唯ちゃんの様子はどうだ?」
「唯は貴様に心配されるほどやわじゃない」
「だろうな」
瀬戸は言って、カップを持ち上げてにやりと笑った。尊は不快気に舌打ちし、
「とんだ茶番に付き合わされた。これは、改めて休みを都合してもらわねばな」
「そうはいかない。今回のことは、いわば不慮の事故だ。約束通り休みはやったからな。つぎは仕事の時間だぜ。おまえはまた文句言うだろうが、説明責任ってやつだ。割り切れ」
「回りくどい言いかたはせずに、取り調べと言え。おい、丹生。なにを突っ立っている? とっとと始めろ」
いままで瀬戸の後ろに控えていた、瀬戸の秘書、丹生に八つ当たりをする。丹生はびくりと体を震わせた。
「尊」
「黙れ。二度は言わんぞ」
そう言って貧乏ゆすりを始める。瀬戸は分かったよと言うように肩をすくめると、丹生に「始めてくれ」と言った。
「あ、あの、まずは館でなにがあったのか……」
丹生が言い終えるまえに、尊は一度舌打ちしてから、面倒くさそうに事件についてかいつまんで話した。
「じ、じゃあ、犯人は……」
「綾辻明香。本名は井波小夜、そして井波朝巳の姉弟だ。動機は十六年前、父親を脅して協力者に仕立てあげ自殺に追いこみ、結果的に母親をも死に追いやった元公安幹部への復讐」
そこで尊は瀬戸に目をやり、
「部下の失態は上司の失態。つまりこれは貴様の責任だな」
「さあ、俺はそのとき警察庁にいたからなぁ……」
素知らぬ顔でとぼける瀬戸。尊は軽蔑したように鼻を鳴らすと、
「続けろ」
と丹生に言った。
「は、はいぃ……」
怯えながらも、彼女は簡潔な質問を続ける。館の状況や殺害方法のトリックについてだ。そうして質問を終えたあと、入れ替わるように瀬戸が口を開いた。
「『アドラスティア』の信者に会ったって? だれだ?」
「嵩本竹善とかいう男だ」
「きかねぇ名前だな。信者名簿にはない」
「偽名でしょうか……?」
丹生がぽつりとつぶやく。しかし、尊はそれが間違っていることに気づいていた。あのとき、嵩本は燃え盛る館のなかで名乗ったのだ。あの状況で、わざわざ偽名を名乗るとは思えない。
「唯ちゃんと案静は、執事の名前は黒崎だと言ってたが……」
「最初は俺にもそう名乗った。〝嵩本〟というのは、最後に対決したさいに名乗った名前だ」
「名乗った、ね。」
瀬戸が意味ありげにつぶやいた。
「完全な、人型だったんだな?」
「そうだ。体が馬だったり羽が生えたりはしていなかったぞ。つまり、正真正銘、〝LEVEL3〟の『フレイアX』が、この『安全地帯』にいたということだ」
「しかも、元公安幹部の館に、か。……大問題だな」
「ただの信者ではないぞ。やつは自分で〝幹部〟と言っていたからな。その幹部の名前を聞いたこともないとは、天下の公安警察の情報網も、大したことはないな。一般人を脅してすかしてばかりいるから、重要な情報が入ってこないんじゃないのか?」
尊があざ笑うかのように言った。
「可能性は二つだな」
瀬戸は指を二本立てて言った。
「『アドラスティア』の構成員は、末端に至るまで、あらゆる情報網を駆使して手に入れている。だから俺たちの知らない幹部ってのは考えづらいんだが、それでも〝幹部〟って名乗ったのなら、考えられる可能性は二つだ。
一つ、本当に俺たちの知らない幹部。
二つ、十五年前のあの事故よりも後に信者になったか。そのどちらかだ」
「それ以外にも考えることはあるだろう。なぜやつは『英霊館』に潜り込んでいたのか。そもそも、なにが目的だったのか」
「それについて、嵩本はなにか言ってなかったか」
「さあな」
尊は肩をすくめて答え、瀬戸は小さくため息をついた。
「やれやれ、こりゃ当分俺は休暇なしだな」
「仮にも公務員がカレンダーの赤い日に休めると思うな。いつだったかな、貴様が俺に言ったことだぞ」
尊は鼻で笑って、いい気味だとでも言いたげに見た。
「ま、いいや。それでなくても、これから忙しくなりそうだからな」
「ほう、それはご苦労なことだな」
「なに言ってやがる。俺が忙しくなるんだからおまえもなるに決まってんだろ」
「貴様、自分の言葉を覚えているか? 〝休みを都合する〟と言ったろう。都合よくアルツハイマーになるな」
「言ってない。俺は〝働け〟って言ったんだ」
瀬戸はまた口をへの字に曲げる。尊と話すとき、彼はよくこういう仕草をする。呆れているからである。
瀬戸は「それに」とからかうように続ける。
「おまえ、その嵩本を逃がしたんだろ? らしくねぇミスだな」
しかし、これには尊はなにも答えなかった。
「いま『騎士団』が『危険区域』に遠征してるのは知ってるな? まえにも言ったが、それが三日後、帰ってくる」
「だからなんだ。俺には関係ない」
「そうはいかない。おまえだって『騎士団』の小隊長だからな。今度の会議には参加してもらうぜ。丁度『英霊館』での出来事も含めて、議題は山積してるしな。
これから『アドラスティア』との戦いは本格化するぞ。俺もおまえも、当分休みはお預けだ」
そういうと、ニヤリと笑って見せるのだった。




