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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第二章 『英霊館』殺人事件⑩

 一同はまた広間に集まっていた。いまだ寝息を立てている明香は、ソファーに寝かされている。

 昨日以上に重苦しい空気が流れるなか、口火を切ったのは案静だった。


「すこし考えてみたんだけど」

 彼はいつものようなひょうひょうとしたものではなく、至極真面目な口調で言う。

「ここでこうしていても仕方ないし、できることをしたほうがいいんじゃないかな」

「ほう」

 と、尊がどうでもよさそうな声を出す。


「君の言うところの、〝探偵ごっこ〟だよ。三田村君に次いで綾辻まで殺された。犯人がだれだか分からないけど、彼……あるいは彼女かもしれないが、なにせ犯人に迫る手がかりがあまりにすくないからね、性別すら分かりはしないけど、ともかく犯人が本気ってことは分かる。ここらで殺人は打ち止めにしてもらわないとね」

「なるほど。つまり死ぬのが怖いから助けてくれと」

「ま、そうとも言うかなあ」

 尊の傍若無人の物言いにも、案静は笑っただけだ。

「貴様の命乞いにも一理ある。いいだろう、もう一度探偵ごっこをしてみるか」


 明香を執事とメイドに任せ、尊と唯、案静はふたたび綾辻の書斎へ行く。

「まずこれを訊いておきたいんだけど、綾辻の死因はなんだい?」

「頸椎骨折。ここを見ろ。紫色に変色している。脊椎が折れて呼吸できなくなって死んだ、といったところか」

「……ってことは、転落死ってことかい?」

「常識的に考えればそうだろうな。人の首をへし折れるような怪力の持ち主がいれば話はべつだが」

「『モルグ街の殺人』かい? ポーの時代は推理小説や探偵小説なんて言葉はなかったからね。当時は〝怪奇小説〟ってカテゴリだったわけだよ。しかし、ポーが〝推理小説の父〟とまで言われているのは、短くすくない作品の中に、探偵小説の基本が詰まっているからで……」


「貴様、この俺にいつまで下らん与太話を聞かせるつもりだ?」

「ああ、こりゃすまない。話を戻そう。でもここは書斎だよ? こんなところで転落死っていうのも、大分常識外れに思えるけどねぇ」

「だったら、貴様が自分で検視しろ」

「いや、べつに君の意見を否定しているわけじゃないんだよ。ただ、こういうことって、いろいろな角度から見るべきだろう」

 案静は唇を尖らせて肩をすくめる。


「改めて訊くんだけど、仮に転落死だとしたらどんな状況が考えられるだろう? 普通なら考えられないわけだけど、でも、いま日本にはその考えられないことを実証できるかもしれない力がある」

 尊がフンと鼻を鳴らした。

「仮に、『ダークマター』を使って綾辻を天蓋まで持ち上げて、首の骨が折れるように落とすっていうのは可能かな?」

「『銀狼』の能力によっては可能だろう。空気中に漂う『ダークマター』に働きかければな」

「そういう能力に、心当たりはあるかい?」

「さあな」

 尊は肩をすくめて言った。


「そっか。とはいえ、ここであると答えられても、ちょっと結論ありきで、ご都合主義が否めないからね。仕方ないか」

 案静は皮肉っぽく笑って肩をすくめる。

「じゃあ、こういうのはどうかな。ベッドに滑車をつけて天井近くまで持ち上げる。そこでベッドを傾け落とす」

 尊はまた鼻で笑って、

「聞いた推理だな。アゾート探しなら貴様一人でやるがいい。それに、あれは犯人の偽装だったろう」

 君も結構知ってるなぁ、と案静は楽しそうに笑った。

 唯は、二人がなんの話をしているのかは分かったが、話に入るのはやめておいた。これ以上話が脱線するのは、状況的にも現実的にも、好ましくないからだ。


「じゃあ、つぎの質問だけど、綾辻がどこかべつの場所で殺されて、ここに運び込まれたってことはあるだろうか?」

「可能性は限りなくゼロに近い。まず第一に、わざわざここまで移動させる理由はない。たしかに今回も、『女神の詩』に合わせた〝見立て殺人〟ではある。〝奈落に堕ちる〟というのを、転落という形で表現したつもりなのだろう。本当に、俺の言ったとおりになるとは思わなかったがな。単純なやつだ。

 仮にべつの場所……『英霊館』の屋上から突き落としたのだとすれば、それだけで済む話だ。わざわざ死体を移動させる理由はない」

「いや、理由ならあるんじゃないかしら。密室殺人にすることで、館のなかに犯人がいないように見せかけることだ。まだ犯人には僕っていうターゲットがいるわけだから、万が一にも捕まるわけにはいかないだろう?」

 ここで尊が不快気に舌打ちした理由は、自分の話に割り込まれたからだろう、と唯は思った。


「ああ、ごめんごめん。続けてくれ」

 やはり案静は気分を損ねた様子などない。軽く笑いながら続きを促すだけだ。

「一番の問題は、殺すことではなく、〝殺すまえ〟と〝殺したあと〟だ。

 まず、どうやって綾辻をべつの場所に呼びだす? ただ来いというだけでは、あの男は動くまい。どうやって呼びだす? そして殺したあと、どうやって部屋に運んで密室を作る? 部屋にはあの子娘もいるんだぞ。普通に運べばバレる」

「それなら分かるよ。睡眠薬でも飲ませたんだろう。これなら、いまも彼女だけ眠っている理由も説明できる」


「それは結構なことだな」

 尊は面倒くさそうに肩をすくめ、

「だが、肝心なことを説明できていない。どうやって飲ませる? 綾辻自身が飲ませたとでもいうつもりか?」

「それも僕たちの都合を優先させすぎてるから、他の方法を探したいところだね」

 尊はまたフンと鼻を鳴らした。


「睡眠薬の話で思いついたんだけど、綾辻も睡眠薬を飲まされて、眠ったところを殺されたというのはどうだろう」

「あまり思いつきを言うなよ」

 虫でも見るかのような目になると、うっとうしそうに手をふってみせる。

「それにもおなじ疑問ができる。どうやって飲ませる? そもそも、どうやって殺す?」

「うーん、そうだよねぇ……」

 案静は困ったように顎を撫でる。

「思いつかないならもう黙れ。殺害方法なら、おおよその見当はついている」

 などと、当たり前のように言うので、危うく案静は聞き逃しそうになってしまった。


「え、どういうことだい? 君には綾辻がどうやって殺されたか分かるのか? 犯人もかい?」

 せき込んだように質問されるが、尊はそれを無視し、綾辻のデスクへむかうと、引き出しを開け、物色を始める。

「柊君、なにしてるんだい?」

「いまの状況でどれだけ議論しようが無意味だ。やつが言っていた〝自分と三田村に共通する不祥事〟。なにか手掛かりがあればと思って探している。貴様も手伝え。唯、ごめんよ。もうすこし待っていてくれるかい?」

 真逆の対応をする尊に、案静はやれやれと肩をすくめ、「後で説明してもらうからね」と言うと、本棚を探し始めた。


「兄さん、わたしにもなにかお手伝いさせてもらえませんか?」

 唯が言った。兄だけでなく、案静も犯人を探し出そうと行動している。それでなくても、すでに二人の犠牲者が出てしまっているのだ。先日すこし打ち解けることができた明香も、睡眠薬を飲まされていたかもしれない。自分もなにか役に立ちたかった。

「……そうだな。じゃあ、兄さんと代わってくれるかい? 気になるものを見つけたら教えておくれ」

「はい。分かりました。兄さんはなにを?」

「この部屋のからくりを調べることにするよ」

「からくり?」

 尊の言葉に反応したのは唯だけではない。案静も手を止め、尊を見た。


「なんの話だい?」

「なんでもない。手を休めるな。たまには額に汗して働け官僚」

 うっとうしそうに手をふる。こういうときの彼の仕草は、本当に虫でも追い払うかのようだ。

 しかし、やはり案静は気にしたふうもない。いつもとおなじように、やれやれと肩をすくめて捜索に戻る。

 尊はといえば、部屋の電気を消したりして唯と案静を妨害しつつ(本人にそのつもりはない)、壁を叩いたりしながら、まるで動物園のパンダのように書斎を徘徊し始める。


「彼はいったいなにをしているんだい?」

 案静が唯に訊いた。尊に訊いたところで、また虫を追い払うかのような対応をされるだけと分かっているのだろう。

「分かりません。でも、兄さんはムダなことはされない方ですよ」


 案静は半信半疑といった様子でうなり声を上げた。とはいえ、尊の暴挙の見守りかたにしては、これはかなり大人しいほうである。

 通常であれば、尊を激しく糾弾し、それを受けた尊が煽りかえすことで、より一層激しく糾弾され……などといった不毛な争いが展開されることになる。中には例外もいるが、ほとんどの場合は無駄に敵を作るだけに終わる。案静のように笑って終わらせる人間というは、本当に稀だった。

 しばらく壁を叩いていた尊だが、ふいに本棚に目をむけると、つぎつぎに本を本棚から出していく。


「ひ、柊君、サボって悪かった。ちょっと休憩していただけだよ。すぐに作業に戻るから……」

 さすがの案静も顔を引きつらせて尊の奇行を止めようとする。しかし、尊は聞き入れる様子はなく、それを続ける。

 これはさすがに言葉がすくなすぎる。自分ひとりならそれでも構わないが、ここには案静もいるのだから、いくら〝大人しい〟とはいえ、理由くらいハッキリさせておいたほうがいいだろう。


 唯が口を開きかけたそのときだった。

 一冊の本を出そうとしたとき、それは途中で止まった。ここだけ、イミテーション、ということだろうか。

 同時に、ガコン、という、なにかスイッチが入ったような音が聞こえた。


「おや、いまの音は……」

 案静が怪訝そうな顔であたりを見回す。一見変化は見られなかったが、つぎの瞬間、だれの目にも明らかに異変が起こる。

 二階分の高さを誇る綾辻の書斎。その天井部分を担う天蓋。それが、重く低い音を立てて開いていく。


「ほぉう、こりゃすごい」

 驚いたように言うと、天を見やる。案静は軽く目を細めると、

「プラネタリウムみたいだ。ここで寝たらよく眠れそうだなぁ」

 と言った。

「事実、永眠したやつがいるからな」

 尊はあっはっはと笑っている。


「きれいですね……」

 唯がぽつりとつぶやいた。

「そうだね。でも唯のほうがきれいだよ」

「あ、ありがとうございます……」

 不意をつかれた唯が顔を赤くして答えた。案静の言葉には鼻を鳴らしておいて、唯にはこれである。あまりの対応の違いに案静は苦笑いをするしかない。っていうか、唯君。反応間違ってないかい? と思ったものの、それは口には出さない賢明さが彼にはあった。もし言えば、尊がどんな反応を取るか、目に見えている。


「こんな仕掛けがあったなんてね。まるで忍者屋敷だ。これは元々ついていたのかしら。案静はこういうものをつけるタイプじゃないし」

「当然、そうだろう」

 尊は当たり前のことを言うなとでも言いたげだった。


「そうなのですか?」

 唯が訊いた。ただし、これは質問というよりはフォローである。案静だけでは答えないだろうが、妹が訊けば懇切丁寧に答えるのが柊尊だ。

「ここが陸軍少将が改築した館ということを考えれば、そう考えるのは難しくない。

 綾辻も言っていただろう? ここには特別な仕掛けがある。当時のまま残っている、とね。

 例えば、ここは元は敵を迎撃するための建物だったんだ。高い天井は、屋根裏という隠し部屋を隠すための措置。そこに隠れて敵を狙撃し、また単純に身を隠すためにも使えるからね。

 天蓋近くの壁を見てごらん。あそこだけ微妙にへこんでいるだろう。あそこはもともと、屋根裏部屋があったんだ。そこに隠れて、敵を狙撃するつもりだったんだろう」


「ふーん、なるほどねぇ」

 綾辻が納得したように顎を撫でる。

「ありがとうございます。さすが兄さんです」

 貴様には言っていない、と尊が言うまえに、唯がニコリと笑った。

「君はこの仕掛けを探していたのかい? 天蓋が開くって分かってたの?」

「当然だ」

「どうして?」

 当然ともいえる案静の疑問に、しかし尊は嫌そうに舌打ちを返す。


「貴様さっきから訊いてばかりだな。周りにイエスマンばかりを侍らせ、いいようにこき使うからそうなる。すこしは自分で考えろ」

「兄さん、どうしてお分かりになったのですか?」

「兄さんの仮説を実証するものだからだよ。天蓋さえ開けば、トリックはもう分かったも同然だからね」

 尊はにこりと笑って答えた。

「トリックって……」

 と、また質問しようとした案静だが、尊にじろりとにらまれると、肩をすくめて口をつぐんだ。

 そのときだった。空気を切り裂くかのように、鋭い音が聞こえる。聞くものの不安をあおる電子音。これは……。


「火災報知器……?」

 案静が眉をひそめる。その発言を裏づけるかのように、

 火事です、火事です、という音声が聞こえてくる。火元は綾辻の書斎ではない。恐らく、コテージでもないだろう。ということは……。


「本館かな」

 つぶやき、案静は視線をはしらせる。窓の外……三人は綾辻の書斎を出て、本館に続く道を行く。そして、見た。本館が、真っ赤な炎に包まれているのを。


「これは……どういう……」

 さすがの案静も、いつものひょうひょうとした調子はなりを潜め、雨に濡れるのも構わず驚きに見開いた目で燃える本館を見る。


 まだ本館のなかには、明香だけでなく、黒崎と城津もいるはずだ。それとも、もう脱出したのか? それにしても、この火の回りようはなんだ? こんな小雨では、火が衰えることは期待できない。それに、やはりはやすぎる。火元は一か所ではないのか? スプリンクラーは作動していないのか? これではもう、脱出することも、救出するために中に入ることもできない。

 ただ、一人を除いて……。


「唯。裏口から外に出ていてくれるかい? ここは危ないからね」

 そう言って、兄は差していた傘を自分に握らせ、さらにその上からやさしく手を握ってくれた。

「は、はい。でも、外は……」

「大丈夫、もう外には出られるよ。心配はいらない」

「兄さんは……」

「兄さんは、ちょっと用があるんだ。大丈夫、すぐに戻るよ」

 ニコリと笑うと、唯の頭をやさしくなでた。


「まさか、兄さん……」

「大丈夫だよ。唯、兄さんの目を見るんだ」

 そう言って、すこししゃがんで唯と視線を合わせる。

「なにも死にに行くわけじゃない。必ず戻る。絶対だ。約束する」

 唯は尊をまっすぐに見る。兄は大事な決断をするときは、いつもこうして自分と視線を合わせ、誓うように言葉を発する。そして、その約束を違えたことは、いままで一度もない。


「……分かりました」

 唯は一度目を伏せると、まっすぐに兄を見返す。

「行ってらっしゃい、兄さん」

「ああ。行ってくるよ、唯」

 兄妹は微笑みをかわす。


 立ち上がると、横目で案静を見、

「貴様もせいぜいしっぽをまいて逃げろ。棺桶に片足を突っこんだ老いぼれでも、唯の盾程度にはなるだろう」

 尊の物言いに、案静は困ったようにはははと笑い、

「ご期待に副えるよう頑張るよ」

 と、肩をすくめた。


 そんな案静にはもう目もくれず、尊は唯にもう一度ニコリと笑いかけた。

 踵を返すと、つかつかと歩をすすめる。その歩みには一切の迷いがない。本館に近づくにつれ、徐々に肌に熱さと痛みを感じる。


 尊の左半身から、『ダークマター』がまるで黒煙のように立ち上る。それは徐々に右半身を覆っていき、やがて完全に包みこむ形となる。左半身からは、変わらず『ダークマター』が立ち上っている。

 館に入ってからも、変わらずゆっくりと歩をすすめる。彼がむかうのは、食堂だった。


 扉を引き開ける。すると、急に視界が晴れた。そこは炎もなく、煙もない。まるで火事など起こっていないかのように、変わらぬ姿を見せていた。

 その中心に、一人の少女がいる。

 椅子に座っていた少女は、ゆっくりと顔を上げると、尊を見た。


「そろそろ、来るころと思ってた」

「フン」

 尊は鼻を鳴らす。それを合図としたように、彼の体にまとわりついていた『ダークマター』が静かに消えた。

「白々しいぞ。ここまで、すべて貴様らのシナリオ通りなのだろう? 綾辻明香、いや……井波小夜(いなみさよ)」

 その名前を聞いたとき、彼女はすこし肩を震わせた。心が揺れ動いているかのように、ふるえる目で尊を見た。


「やっぱり、もう全部知ってるのね……」

 明香――小夜の声はか細い、しかし、たしかに心の奥まで染み渡るものだった。

 尊は目を引き絞る。


 彼の脳裏に、まるで稲妻のように、六日前の出来事が蘇った。

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