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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第二章 『英霊館』殺人事件⑧

 その日の夕食の席でのことだ。

 前日、朝夕と意味不明の演説で場を白けさせた尊だが、三度目の正直というやつだろうか、幸いなことに、今回はその危機を乗り切ることができたようだ。演説の原因となった案静の口数がすくなかったのがその大きな理由かもしれない。


 ふたたび食器を洗い直しての料理。普段は黒崎と城津の二人で準備をしているが、今回は念のために全員で、ということとなった。ある少年は露骨にいやそうな顔をしていたが、妹が快諾すると、いやいやといった調子で重い腰を上げた。

 そんなことがあり、食後のコーヒーが出されてすこししてからのことである。


「ちょっと考えてみたんだけど」

 案静はコーヒーカップを置くと、そう前置きした。

「三田村君の事件なんだけど、あの密室が解けたんだ」

 一同の視線が案静へと集まった。視線を受け、案静は椅子の背もたれに体重を預けると、肘受けの上で腕を組み合わせた。


「なんだと?」

 綾辻がすこし驚いたような顔をした。

「それは興味深いな」

 尊はどうでもよさそうに言う。


「ここでこうしていても仕方がないし、これからのことを話し合ったほうがいいと思ってね。それで、手始めに僕の話を聞いてほしいんだけど、いいかな?」

 この言葉は、主に唯と明香にたいするものだ。ここで推理の話をしても構わないかという、確認行為である。


「好きにしろ」

 真っ先に答えたのは関係のない少年だった。

「唯は貴様に心配されるほどやわじゃない」

「はい。わたしは大丈夫ですから、お気になさらないでください」

「私も……大丈夫です……」

 明香は消え入りそうな声で答える。


 案静は満足そうにうなづくと、

「この館のコテージって、鍵はかなり簡単なものだろう? ほら、内側から鍵をかけるには、鍵受けに、バーを下すだけだ。外からかける場合は、鍵穴に鍵を入れて回せば、そのバーが降りる仕組みになってる」

 言いながら、ジェスチャーで鍵を描く。

「思うに、氷を使ったと思うんだ。ミステリじゃトリックの基礎だよね。あの部屋、ドアの近くがちょっと湿っぽかっただろう。それで、鍵受けとバーも確認したんだけど、やっぱり湿っぽかったからね。ほぼ間違いないんじゃないかしら」

 ちなみに、鍵受けとバーは尊が扉を蹴り開けたさいに壊れたようで床に転がっていた。


「だとするなら、外部犯説は薄くなるということか。外部犯なら、そんなことをする必要もない」

 綾辻が言い、

「それはどうかな」

 尊が反論する。

「俺たちに互いを疑い合わせるため、という理由付けは可能だ」


「君は内部犯説を押しているのではなかったか?」

 館の主はしわがれた声で訊いた。

「べつに。俺はだれが犯人だろうが興味はない。とっととこの茶番を終わらせたいだけだ」

「なら訊こうか。君はだれが犯人だと思う?」

 そう言って、綾辻は尊を見る。彼の目には、いままではまったく見られなかった挑戦的な色が宿っている。


「館に侵入者は見られない。犯行時刻には、全員のアリバイが成立している。だれが犯人だ? まさか、自殺だとでも言うつもりか?」

「それはないだろう」

 尊が喉の奥でせせら笑いながら言った。

「あれが自殺するような殊勝な人間なら、世界はもうすこし平和になるだろうな。自殺するような人間が、下らん密室トリックを弄する理由はない。一応、最初に言ったように〝互いを疑わせるため〟というこじつけもできなくはないが。

 それに、やつは手に藁を握っていた」


「それがどうかしたのか?」

 綾辻が怪訝な表情で言う。

「例の〝詩〟を覚えているな?」

 尊はゆるゆると言った。説明するのを面倒に思っているのだろう。


「〝詩〟……ああ、なるほどね」

 案静が納得したようにポンと手を打った。

 綾辻も、尊が言わんとしているところを理解したらしい。低いうなり声をあげる。


「あの〝詩〟……仮に『女神の詩』とでも言おうか。『女神の詩』にはこうあった。

〝女神は唄う すべての罪 罪人を浄化するように

 浄化されれば聖人に 浄化されねば罪科に苛む

 押し寄せる罪科に溺れ 藁をも掴むが是非もない〟

 押し寄せる罪科に溺れる。つまりこれは、溺死を意味している。だからやつは、藁を握って死んでいたんだ」


「犯人は、その『女神の詩』とやらになぞらえて三田村を殺したということか」

「ふぅん。つまりこれは、いわゆる〝見立て殺人〟ってことだね。いよいよ、本当にミステリじみてきたなあ」

 案静は言うと、面白そうに顎を撫でた。

「この状況で軽口とは、不謹慎なやつだな」


 瞬間、一同は信じられないといったような、まるで幽霊や宇宙人でも見たかのような、驚愕の視線を尊にむける。明香でさえ、呆けたようにちいさく口を開けていた。空耳だろうか。なにかいま、信じがたい言葉を聞いたような……。


「つまり、つぎに殺される人間……つまり貴様か案静だが、貴様らの殺害にはこの方法が用いられるということだ」

 そう言って、尊はポケットから地下室で拾った紙を取りだし、円卓の上を滑らせた。


『――女神は詩う。すべての傲慢 不遜を浄化するように

  浄化されれば聖人に 浄化されねば咎人となる

  女神も見放し 奈落へ堕ちるが慈悲は無し――』


「どういう意味かしら」

 案静が首をひねる。

「奈落へ堕ちるとある。転落死というのはどうだ? 面白いだろう」

「面白くはないけど……うーん、困ったな」

 そう言っておきながら、困っている様子はまるでない。


「転落死って言うと、屋上から突き落とすのかい?」

「普通はそうするんじゃないか?」

「そう言われてもね。僕は転落死させようと思ったことがないからなぁ」

 とぼけた会話を打ち切らせたのは、綾辻の重々しい咳払いだった。


「これから起こることばかり考えていても仕方がない。まずは三田村の事件だ」

「そうだね。さっき結論が出たように思うけど、あれは自殺の可能性はないってことでいいだろうね」

 案静があっけらかんとした口調で言う。

「そうなると、また最初の疑問に戻るわけか」

 綾辻は目頭をおさえながら重々しい声を出す。


「最初の話に立ち返ったところで、改めて訊いておこうか」

 尊がやはり無遠慮に言った。

「今朝も訊いたが、あの〝声〟を聞いたとき、貴様らが思い浮かべたことを、それぞれ教えてもらおう」

「今朝も言ったけど、僕に具体的な心当たりはないよ」

「そうだな。貴様は非合法なことばかりしていたから、心当たりが多すぎると。まあ、公安警察というのは、戦前の特高警察が前身なわけだから、多少荒っぽいのは仕方があるまい。『英霊館』を建てられた少将殿もそう思われているだろうよ」

「あたりがきついなぁ。こういうこと言うのは気が引けるけど、僕たちの仕事の成果は〝語らず語られず〟だからね。スパイとおなじだよ。功績は外に出にくいんだ。ところがなぜか、悪名はすぐに外に出てしまう。困ったもんだよね。ところで、昔、中野学校の卒業生から話を聞く機会があったんだけど……」

「もういい。黙れ」

 尊は虫でも追い払うかのように手をふると、今度は綾辻にチラリと視線を走らせる。


「で、綾辻公安部長、貴様はどうだ?」

「今朝も言ったはずだ」

 館の主がしわがれた声を出す。

「我々三人に当てはまることに心当たりはない」

 尊がつまらなそうにフンと鼻を鳴らす。しかし、彼の言葉はまだ続いた。綾辻は「ただ」と前置きし、

「私と三田村に当てはまることならば、恐らく、ある」

 その言葉に反応したのは尊だけではない。その場の全員が館の主である綾辻を見た。


「ほう」

 ニヤリと笑って面白そうに綾辻を見るのは尊である。足を組みなおし、肘をつき、顎を手に乗せて挑戦的に笑う。

「それは好都合だ。この中のだれかが貴様に恨みを持っていることが分かれば、もう犯人は分かったも同然だからな」


「公安部が組織を捜査するさいには、内部協力者を作る場合が多い」

 取り合っていては話が進まないと思ったのだろう。綾辻は尊の言葉をまったく無視して話し始める。彼のこの判断が英断であることは、他の人間たちも感じていた。


「ここからは、あくまで仮定の話だ。

 いまここは『ダークマター』によって攻撃を受けている。ということは、犯人は『アドラスティア』関係者である可能性が高い。

 以前、我々は協力者から得た情報をもとに捜査をした結果、二人の『アドラスティア』信者を死なせてしまったことがある。その命令を瀬戸から受け、指示したのが私。捜査員を現場で指揮していたのが三田村だった」


「一番重要なことが曖昧だな。〝死なせてしまった〟? 〝殺した〟の間違いではないのか?」

「いいや。それは断じて違う」

 綾辻は断固とした声で否定した。

「あれは事故だ。極めて重要度の高い情報だった。そのために、取り調べが苛烈を極めたことは認める。だがそれだけだ。取り調べ中の不幸な事故だ。断じて〝殺した〟わけではない」

「フン。まあ、二つ返事で認めるバカはいないか」

 尊が白けた調子で肩をすくめてみせた。


「綾辻、一つ訊いてもいいかしら」

 案静が、いつもとおなじ、ひょうひょうとした口調で言った。

「なんだ」

「〝協力者から得た情報〟ってのはなんだい?」

「それは君も知っているはずだ。警察庁警備局が、文書を通じて知らせたと聞いている」

「警備局が……? ああ、はいはい。うん、思い出したよ。〝女神が女神たる五つの条件〟ってやつだね。

 えぇっと、たしか……」


「一つ、十八歳以下の処女であること。

 二つ、信仰心を持っていないこと。

 三つ、邪念を持っていないこと。

 四つ、慈悲深い心を持っていること。

 五つ、自己犠牲精神を持っていること」

 綾辻が口の中でつぶやくように言った。


「そうそう、それだ。柊君、君はこれ聞いたことあったかな?」

「さあな」

 尊はまた肩をすくめてみせる。彼の脳裏には先日関わったある事件がよぎっていたが、口に出すような真似はしない。


「〝協力者〟からもたらされたこの情報は、それ以上の意味を帯びた。

 当時、都内で十八歳以下の少女の失踪事件が相次いで起こっていた。ちょうど受験シーズンと被っていたために、当初は重く見られてはいなかったが、この情報を得たとき、この失踪と『アドラスティア』を警備局長だった瀬戸が結び付けた。

〝『アドラスティア』は、『女神』の資格を持つ少女を誘拐し、『女神』を探しているのではないか〟。

 そう考え、われわれは二人の信者を捕らえて尋問したのだ」

 綾辻はそこで一度一呼吸置いた。


「この情報を聞き出す過程で、信者二名を死なせてしまった。だが、この件は、当時政府主導で水面下に行われていた、国家機密に位置する、最重要機密事項だった。死亡した信者は、都内に遺棄し、発見されたのちは、司法解剖に回すことはせず、変死体として処理させた」

「そんな機密事項をペラペラしゃべっていいのか?」

 尊がバカにするように訊いた。

「ここだけに留めれば問題はあるまい。それとも、吹聴してまわるつもりかね?」

「それも面白いかもな」

 尊はフンと鼻を鳴らしてそっぽをむいた。


「つまり、これは『アドラスティア』信者による、十七年前の復讐ってことかい?」

「恐らくはな」

「そうだとするなら、疑問が二つある」

 尊が指を二本立てて言った。

「まず第一に、なぜいまなんだ? 機会はいくらでもあったはずだ。なぜ、いまやる必要がある?

 第二に、ならばなぜ関係のない人間の名を〝声〟に呼ばせたんだ?」


「考えられるとしたら……そうだなぁ、捜査を混乱させるためとか。綾辻と三田村君だけじゃ、すぐに容疑者が分かってしまう。だから無関係の僕を入れて、混乱させようとしたんだ。ほら、クリスティー作品にそういうのがあったろう。『ABC殺人事件』。クリスティーっていうと『そして誰もいなくなった』を思い浮かべる人が多いけれど、僕は『ABC』のほうが好きでね。なぜって……」

「この館はいま、逃げ場のない密室状態だぞ。そんなことをする意味はない。むしろ、正体をバラして恐怖に怯えさせたほうがよほど効果的だ。『そして誰もいなくなった』のようにな」

 尊が割り込むようにして言った。

「それもそうだね」

 案静は気分を害した様子もなく言うと、キザったらしく肩をすくめる。


「では、君は『アドラスティア』信者が犯人ではないというのか? なら、いったいだれが犯人だ? 『ダークマター』が使われている以上、一般人ではあるまい」

「さあ、どうだかな」

「柊君、否定するのは簡単だ。だが、それなら、代わりの考えを示せ。もう一度訊こう。君はだれを犯人だと思う?」

 綾辻が有無を言わさぬ口調で言った。細い体からみなぎる圧迫感は、伊達に警視庁で部長職を担っていたわけではないと実感させる。

 チラリと綾辻に視線を走らせる。彼は尊を静かに見据えていた。


 尊はため息をつくと、

「そのまえに、一つ訊きたいことがある」

「なんだ」

「〝協力者〟から情報を得たと言ったな。その協力者はだれだ? 貴様らのことだ。どうせ、脅してすかして無理やり仕立て上げたのだろう。どうやって仕立て上げた?」

「それが今回のこととなにか関係があるのか?」

「『アドラスティア』を捜査するうちに信者となり、自分を脅した貴様らに復讐しようとしている可能性だってあるだろう。分かったらとっとと答えろ」


 綾辻は一泊置き、

「協力者は記者だった。当時、着々と信者を増やしていた新興宗教『アドラスティア』。それを取材しようとしていたフリーのライターだ。

 当時、彼は妻子とともにべつの宗教に心酔していたが、その宗教の信者が、『アドラスティア』に傾倒し始めたため、調査していたらしい」

「前置きはいい。方法を言え」

「柊君、話には順序ってものがあるんだ。焦っちゃダメだよ」

 案静がどこかの学園長のようなことを言った。だからだろうか、尊は不快そうに舌打ちする。

「方法は簡単だ。捜査員を使った。偶然を装ってライターに近づき関係を持つ。証拠を押さえて、家族にバラすと言う。いわゆる、美人局だ」


「フン。美人局ね」

 尊が軽蔑したように鼻を鳴らした。

「いつの世も男は単純だな」

「悲しいねぇ」

 案静があっけらかんとして言った。


「仮にライターが犯人なら、その捜査員もターゲットになってないと理屈が通らないよねぇ」

「捜査員は貴様なんじゃないのか? 美人局だからといって、女とは限らないだろう」

「うん……いや、普通決めつけるんじゃない?」

 一瞬納得しかけた案静がツッコんだ。

 尊はフンと鼻を鳴らし、

「で、その捜査員はいまどこにいるんだ?」

「彼女は十五年前の事故で死んだよ」

 綾辻が言った。つまり『フレイアX』に殺されたということだ。

「ライターは?」

「彼は我々に情報をもたらした三日後に自殺した」

「自殺ねぇ。協力者に自殺されるとは、とんだ不祥事だな」

 尊がにやにや笑いながら言う。


「……当時、瀬戸にもおなじことを言われたよ」

 その言葉に、尊はにやにや笑いを引っ込めると不快気に舌打ちした。

「他殺の可能性はないのかい」

 案静が訊いた。


「ない。あらゆる角度から検証して、他殺の可能性はないと結論付けられている」

「ふぅん。なんにせよ、死んでいるなら容疑者からは外れるよねぇ」

「そいつの家族構成も訊いておこうか」

「妻に子供が二人。双子の姉弟だ」

「そいつらは死んでいるのか?」

「妻は夫が自殺した半年後に死亡している。過労死だ。姉弟はその後施設に引き取られたようだが、現在どうしているかは不明だ」

「不明ねぇ……」

 尊が意味ありげに笑う。


「柊君、いやに食い下がるじゃないか。そんなに、ライターのことが気にかかるのかい?」

 案静が不思議そうに訊いてくる。

「べつに。探偵ごっこをするなら、動機を持つ人間を探すのが一番手っ取り早い。それだけの話だ」

「質問が以上なら、改めて聞かせてくれ。君はだれが犯人だと思う?」

 綾辻が質問を繰り返す。

「いやに食い下がるじゃないか。そんなに俺の考えが気になるのか? 元公安部長殿にそこまで気にしていただけるとは、光栄だな」

 面白そうに笑うと、挑戦的な視線をむける。しかし、綾辻は冷静だった。


「私はただ、これ以上犠牲者を出したくないだけだ。それに、館の主として、ここでこれ以上の勝手を許すわけにはいかない」

「犠牲者をね……」

 尊はまた笑うと、コーヒーを一口すすった。綾辻の視線は尊に固定されている。やがて、彼は満を持して口を開いた。


「ハッキリ言おう。だれが犯人かなど知らん」

 その言葉を聞いたとき、綾辻は呆けたような顔になった。案静も、明香も驚いたように尊を見ている。唯は予想していたのか、静かに兄の言葉を聞いていた。

「では、なぜ私の意見を否定したんだ」

 あくまで冷静に、綾辻は訊く。

「そんなこと、決まっているだろう」

 全員が耳を傾けた。いったい、なにを言うつもりなのか……。

「俺が違うと思ったからだ」


 広間は大きなため息に包まれた。

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