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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第二章 『英霊館』殺人事件⑥

 ――まったく、なんなんだあいつは。無礼にもほどがある。


 部屋に戻るなり三田村は心中で毒づいた。

 ここは部屋なわけだから口に出しても問題はなかっただろうが、仮にも元直属の上司の屋敷にいるのだ。さすがにそれは憚られた。

 彼にあてがわれたのは、ソフトな色合いの、居心地のいい部屋だ。もっとも、コテージの内装はすべておなじである。


 なんだかひどく落ち着かない。執事を呼んでブランデーでも貰おうかと思ったが、もういい時間だし、彼は寝ることにした。寝る準備をしてベッドに入る。

 部屋に充満する夜の静寂。それを打ち破るように、三田村の脳裏に、あの不規則な〝声〟が、まるで稲妻のようによみがえった。


〝いまから申し上げる方々は、過去に大罪を犯した罪人なのです〟。

 この言葉を聞いたとき、彼には思い当たることがあった。それは恐らく、綾辻もおなじことであろう。だが案静は? 彼は、あれには関わっていないはずだ。

 じつを言うと、案静の言っていた手紙の内容と、自分の元に届いた手紙は、内容が少し違っているようだった。


 概ね同じではあるようだが、三田村に届いた手紙には、〝綾辻様と三田村様には秘密の話がございます〟という言葉が書かれていた……。

 当時警視庁公安部に籍を置いていた、自分たちに用があるということか? そしてその内容は、やはり……。


 十五年……いや、もう十六年前になるか。あのときの自分たちは、情報を得ようと躍起になっていた。だから、少々強引な手段をもって協力者を得ることもやむなしと言えた。

 結果的に、情報を得るとこはできた。状況はたしかに進展したのだ。いまなお続くあの計画も、自分たちの成果あってのことだと、三田村は信じている。


 決して誇張などではなく、自分たちは国家のために尽くしたのだ。

 自分は、職務に忠実に、尽くしただけのことだ。あの状況ではだれでもそうする。だから、気にすることなどなにもないし、恐れることもない。


 あれを〝罪〟と呼ぶなど、それは侮辱以外の何物でもない。

 そうだ。なにも気にすることはない。

〝正義〟は自分たちにある。

 そのはずだ。


 ――クソッ。

 どうも寝つけない。仕方がない。シャワーでも浴びるとするか。

 三田村はベッドから出ると、浴室にむかう。

 時刻は、まもなく午前零時を回る。




 その〝(うた)〟が聞こえてきたのは、壁に掛けられた時計の針が午前2時を指した瞬間だった。


 ――女神は詩う すべての罪 罪人を浄化するように

   浄化されれば聖人に 浄化されねば罪科に苛む

   押し寄せる罪科に溺れ 藁をも掴むが是非もない


 尊は読んでいた本からゆっくりと顔を上げた。

 さきほどのレコードの声とおなじ、老若男女の声を繋ぎ合わせた不規則な〝声〟。

 不気味な〝詩〟が、エンドレスに流れ始めたのだ。


「兄さん……?」

 ベッドの上で小さく寝息を立てていた唯が、寝ぼけ眼をこすりながら、小さな声をだした。

 妙なことがあったので、尊は唯とおなじ部屋にいた。唯をベッドに寝かせ、自分はその横にイスを持ってきて本を呼んでいたのだ。


「心配ないよ唯。安心して。兄さんから離れないようにね」

 やさしく語りかけると、リモコンで部屋の明かりをつけ、スタンドライトを消す。

「ちょっと外を調べてみよう。一緒に来てくれるかい?」

「はい。もちろんです」

 唯が答えた。


 ここに一人で残すよりは一緒にいたほうが安心だし、自分と一緒にいることが一番安全だ、と思っての行動だろう。しかし、先日のある騒動で、〝守るだけではなく頼ってほしい〟と言った自分の意思を尊重してくれているのだろう。それが素直にうれしかった。


 尊に白いネグリジェの上から、ピンクのカーディガンを着せてもらい、準備を整える。尊はドアノブをまわしてコテージを出た。それに唯も続く。外へ出たことで〝詩〟の代わりに、虫たちの鳴き声が聞こえる。〝詩〟は普段は綾辻お気に入りのクラシック音楽が流れているスピーカーから流れているようだから、コテージだけでなく、これは館全体に流れているに違いない。


「やあ、二人とも。おはよう」

 コテージを出てすぐ、間の抜けた言葉をかけられた。

 見ると、案静が笑みを浮かべて立っている。寝ていたらしく、いまはパジャマを着ている。

「案静さん。ふふっ、おはようございます」

 唯がすこし笑って言った。


「よく眠れたかい?」

 唯が乗ったからだろうか、案静は続けてとぼけたことを言う。

「おかげさまでぐっすりです。まだちょっと眠いですけど」

「僕もだよ」

 案静はキザな仕草で肩をすくめて言った。

「まったく、今日は妙なことが続くね」

「フン。そういう文句は主人に直接言うんだな」

 尊と視線をおなじくすると、そこには館の主人である綾辻と彼の養子である明香の姿があった。綾辻はパジャマ姿。明香はネグリジェを着ている。


「やあ、綾辻。おはよう」

 綾辻はそれには答えなかった。聞きようによっては〝皮肉〟ととられかねない言葉だが、案静の性格を知っていれば、そうはとらないだろう。

「あれは管理室から流れているものだろう。いまから行くつもりだ。うまくいけば、仕掛けた下手人を捕らえられるやもしれん」

 綾辻がしゃべっている間に、黒崎と城津も姿を見せる。彼らの寝室は本館にある。彼らも寝ていたらしく、パジャマに身を包んでいた。


「黒崎、城津。さきに行ってみて来てくれ。私もすぐに行く」

「はい」

 二人の使用人は小走りに管理室にむかう。


 尊たちがその後を追う。本館に入り、管理室へむかう途中、〝詩〟が止んだ。黒崎たちが止めたのだろう。夜中にもかかわらず、館の電気はついている。これは暗闇が苦手という明香に配慮してのことだろう。意外なことに、管理室につくまで、尊は口を開くことはなかった。いつもならくだらない皮肉や嫌味で周囲を辟易させるのだから、彼を知るものがここにいたらさぞ驚いたに違いない。が、その理由が最愛の妹を不安がらせないよう余計な波風を立てないようにしている、ということを知れば、納得すると同時に複雑な気持ちになったことだろう。


「どうだ?」

 管理室につくなり綾辻が言った。

「これがセットしてありました」

 黒崎がカセットテープを綾辻に手渡す。


 簡素な部屋だった。窓がないため、室内を照らすのは証明とモニターの明かりのみ。壁には小さなモニターがいくつも取りつけられており、館の監視カメラの映像がリアルタイムで流れている。ただし、コテージや本館の部屋には取りつけられていないので、その映像はなかった。

 モニターのまえには館内放送に使うらしい機材がテーブルの上に設置されており、カセットテープはそこにセットされていたものらしい。


 カメラが設置されている場所は、正門前、玄関、裏口、そして庭である。前述したとおり、館内には設置されてはいない。

 つまり……。


「ここに来るまでに、だれかに会ったか?」

「いいえ、会っておりません」

 黒崎が答えた。

「我々もだ。これを何者かが仕掛けたとするなら、もう館の外に逃げたのか……?」

「残念だが、その可能性は低いだろうな」

 綾辻のつぶやくような言葉に答えたのは、意外にも尊だった。


「管理室近くの窓は壊されてはいないようだし、すべて施錠されている。〝外に逃げた〟可能性はゼロに近い」

 言いながら、唯の手をやさしく握る。

「第一、こんな下らんものを仕掛けるためだけに館に侵入する人間がいるのかどうか、怪しいものだ」

「そりゃそうだ」

 案静がひょうひょうとした口調で言った。


「念のためだ。カメラを確認しよう」

 綾辻の命に従い、黒崎と城津がカメラの映像をライブから録画へと切り替える。しかし、〝詩〟が流れた前後の映像には怪しい人影はなく、またいかなる異常も見当たらなかった。


「うーん。こりゃどうしたもんかねぇ……」

 困ったような声で顎を撫でているが、どうも案静が言うと緊張感がない。

「弱ったなぁ」

「べつになにも弱らないだろう」

 弱っているようには見えない案静に尊が吐き捨てるように言った。


「外部犯でないなら内部犯というだけの話だ」

「内部犯だと?」

「この中に犯人が……あぁ、なるほどねぇ」

 得心が言ったらしい案静が面白そうに顎を撫でた。

「侵入された形跡はない。だとするなら、言うまでもなく、内部の人間の犯行ということだ。おや、ところで一人足りないな」

 尊はわざとらしく周囲を見回す。


「三田村か……」

 綾辻がしわがれた声で言った。

「そういうことだ。こんな下らんことはさっさと終わらせることにしようじゃないか」

 一同は三田村のコテージまで移動すると、代表して館の主である綾辻が扉をノックした。


「三田村。私だ、綾辻だ。いるなら扉を開けてくれ」

 しかし、返答はない。もう一度、今度は強めに扉をノックするが、やはり返事はなかった。扉には鍵がかかっている。マスターキーは修理中で、唯一のカギはいまは三田村が持っている。どうしたものか……。

「どけ」

 と言ったかと思うと、つぎの瞬間には扉を蹴破るという常識外れなことをした者がいた。もちろん、尊である。


 唖然とする一同(唯を除く)を無視して、ずかずかと無遠慮にコテージに押し入る。このとき、ドア付近の床がすこし濡れていた。

「おーい、三田村君……おや、いないみたいだねぇ」

 すこしして入ってきた案静が、場にそぐわないひょうひょうとした声を出した。


「カギが掛かっていたんだ。部屋にいるはずだ」

 綾辻が言った。

「ベッドは乱れているが冷たくなっている。一度は呑気に寝たが、気が変わって起きたか、あるいは何者かに連れ去られたかだな」

 面倒くさそうに言うと、やはり無遠慮に部屋を探す。ベランダ、クローゼット、トイレ……といったところだ。ほかの者もそれを手伝おうとするが、その必要はなかった。探し人がすぐに見つかったからだ。

 三田村は浴室にいた。

 が――。


「唯。見ないほうがいい。こっちへおいで」

 自分の後ろから覗きこもうとしていた妹の視界をやさしくふさぐと、そのまま浴室を出る。

 つぎに綾辻もおなじような真似をした。細い体で明香の視界をふさぎ、城津に目配せをする。事態を察したメイドは明香の肩を抱くと、外へ出るように促した。


 彼らの視線の先に三田村はいた。

 青白い顔。その顔は苦痛に染まっている。目にはうっ血が浮かび、なにか、恐ろしいものでも見たかのように見開かれている。浴槽からは湯が溢れており、シャワーも出たままになっている。彼は、タイル張りの床に倒れていた。浴槽の中にいた。その手には一本の藁が握られている……。

 もはや、三田村がこの世の住人でないことは明らかだった。


「おやおや。これは本当に……まいったね、どうも」

 案静が、やはりひょうひょうとした口調で言った。この状況では、それはとても不気味に映る。


   女神は詩う すべての罪 罪人を浄化するように

   浄化されれば聖人に 浄化されねば罪科に苛む

   押し寄せる罪科に溺れ 藁をも掴むが是非もない


 彼らの脳裏に、あの不気味な〝詩〟が蘇った。




 今夜は随分と奇妙なことが連続して起こったが、そのラストを飾ったのはなんともショッキングな出来事だった。


 しかし、さすがというべきか、前職が前職なだけあって、綾辻たちの行動はじつに迅速で的確だった。現場保全のために浴室を封鎖。そのため、現場は極めて理想的な状況で保たれている。尊たちを食堂に集め、明香のそばには城津をつけた。黒崎には警察へ連絡するように命じ、彼らはいまその到着を待つ最中だった。


 口を開くものは誰一人いない。さすがの案静も、口をつぐんでコーヒーを飲んでいた。こういうときこそ冗談を飛ばしそうなものだが、しかしそれをしないのは、明香を怯えさせてしまうことを懸念しているからだろう。


 なんとも息苦しい空気であった。普段はやかましい人間が口をつぐみ、館の主は重々しく目を伏せ、メイドは少女の背をなで、兄は妹の手を握る……。

 前触れなく、扉がノックされたかと思うと、黒崎が姿を現した。


「失礼いたします」

「連絡は済んだのか」

 綾辻が訊いた。

「それが……」

 いつもはすぐに返ってくる簡潔な答えが返ってこない。黒崎は所在なく視線を彷徨わせている。


「電話が、使えません……」

「……電話線が切られているのか?」

「いえ、切られてはおりません」

 執事はハッキリと答えた。

「なら、なぜ連絡できないんだ?」

「分かりません……」


 重ねて尋ねるも、やはり返事は煮え切らない。彼を雇って十五年になるが、こんな様子は初めて見る。

 いついかなる時も、まるでロボットのように、冷静沈着に職務を全うしてきた彼がだ。

 ――ただ事ではない。

 綾辻は直感したようだ。


「私が連絡してみよう」

 綾辻がぎこちない動きで電話へとむかう。一同もその後を追った。

 しかし、はたして、通話はできなかった。

 コール音がなっているだけで、一向に電話口に出る気配はない。


「仕方がない。直接……」

「いえ、旦那様」

 綾辻の言葉を遮るようにして執事が口を開く。これも、普段の彼であれば絶対にしないことだ。

「それもしようとしたのですが……」

 黒崎はそこで一度言葉を切り、なにか考えるように言いよどんだ。


「なんだ。言え」

 主が命じた。

「それが……この館から、出ることができないのです」

「なんだと? どういうことだ?」

 黒崎が綾辻の疑問に答えるまえに、尊は唯の手を引いて歩きだした。


「あれ、どこに行くんだい?」

 案静が訊いた。

「訊いてばかりいないで実践したらどうだ? それが一番確実で手っとり早い」

 振り返りもせずにそう言うと、尊は唯を連れて歩いて行ってしまう。彼の言葉の意味を一同が理解するのに、数秒の時を要した。

「唯。ここで待っていてくれ」


 尊は言うと、そのまま玄関を出る。そこでは異変は起こらない。普通に出ることができた。彼はそのまま歩いていき、すでに開いている正門――さきほど黒崎が開けたものだろう――から館を出る。

 が、出ることができなかった。


外に出たはずの尊は、そのまま正門から入ってきたのだ。


「フン。なるほどな」

 不可思議な体験をした尊がつまらなそうに鼻を鳴らした。

「どういうことだ……?」

 綾辻が目を見張って呟き、

「私が出ようとしたときも、あのようになってしまい……出ることは叶いませんでした」

 黒崎が言った。


 そのとき、空気を切り裂くような、鋭い音が聞こえた。その音がしたのは上空である。

 見ると、尊が上空を飛んでいた。

 その足からは『ダークマター』がまるで霧のように尾を引いている。

 普通に出ることができなかったために、『ダークマター』の力を使ったのだろう。しかし、それでも失敗した。


 今度は足に『ダークマター』を纏ったまま、それをダイレクトにぶつけた。が、それは水槽に水滴を垂らしたときのように、波紋を残したかと思うと、空間に溶け込むようにして消えていく……。

「フン。どうやら、俺たちは閉じ込められたようだな」


 いったいなにが面白いというのか、尊は楽しそうに言うのだった。

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