第二章 『英霊館』殺人事件⑤
夕食の時間は、尊による意味不明な演説を除けばつつがなくすすんだ。
そもそも、食事がつつがなくすすまないということ自体レアケースなのだが、ある少年がいるときに限り、逆になるようである。
当然といえば当然だが、尊のせいで最初の和やかな雰囲気などきれいさっぱり消え失せた。館の主として思うところがあったのだろう。口を開いたのは意外にも案静ではなく綾辻だった。
「せっかくだ。皆さんにあれを聞いてもらうとしようか」
「あれ? フン、自作のレコードでもかける気か? そういうことはイエスマン相手にやってもらいたいものだな。素人の演奏など聴いたところで……」
「ずっと探していたレコードがようやく手に入ってね。一人で聴いても仕方がない。ぜひ君たちにも聴いてほしい」
「いいね。音楽は嫌いじゃない。僕は音楽は聴くより演奏するほうが好きでね。じつは昔、いや本当に昔なんだけど、かれこれ五十年以上まえになるかしら。僕はレコードを出したことがあるんだ。僕だけじゃなくて……」
「案静。その話はまた今度にしよう。黒崎」
部屋の隅に控えていた執事に声をかける。黒崎は恭しく一礼すると、素早くレコードを蓄音機にセットする。どうやら、レコードをかけることは食事前から決まっていたことらしい。
レコードが動き出す。
そして、出し抜けに、その〝声〟は響いた。
『――お集りの皆様、どうかご静粛に願います』
老若男女を問わない〝声〟。テレビやラジオから無差別に切り取ったような、不規則な〝声〟。
それは、館の人間たちの心に、不安の影を落とした。
『お楽しみのところ大変申し訳ありませんが、私は告発しなくてはいけません。いまから申し上げる方々は、過去に大罪を犯した罪人なのです。
元警視庁公安部部長・綾辻青司様。
元警視庁公安部参事官・三田村義彦様。
元公安調査庁長官・案静義満様。
以上、お三方です。
ここで罪状を申し上げるような無粋は致しません。なぜなら、ご本人様方が一番ご存じのはずだからです。
それでは、裁きの時を、いましばらくお待ちくださいませ……』
〝声〟が止んでも、食堂はしばらく静寂に包まれていた。
どのくらい経っただろうか。それを破ったのは、ガチャン! という音だった。ティーカップが倒れ、コーヒーが白いテーブルクロスを黒く染め上げていく……。
びっくりした明香が倒してしまったようだ。コーヒーは見る見るうちに広がり、やがて明香の服にも滴り落ちる。
「あ……」
短い悲鳴をもらし、ティーカップに触れようとした明香を制し、
「黒崎」
館の主が執事に命じる。
黒崎は一礼して手際よく片付け始め、
「さあ、お嬢様」
メイドが明香を立たせ、着替えのために食堂を出て行くのを見計らって綾辻が口を開く。
「単刀直入に訊こう。だれの仕業だ?」
「貴様じゃないのか?」
尊が言った。
「貴様がレコードを聴こうと言って、そこの召使に命じてかけさせただろう。こんなものをずっと探していたとは、なかなかいい趣味をしている。すくなくとも、征十郎よりはな」
「軽口はいい」
綾辻が有無を言わさぬ口調で言う。こんなとき、彼の現役時代の敏腕さがしのばれた。
「ここには我々しかいないんだ。こんな悪趣味ができるのも、ここにいる人間にしかないことは明白だ」
「部長、私ではありません」
三田村が言った。
「私は今日の昼にここについたばかりです。そんなことをする余裕はありません」
「余裕はあるだろう。レコードを入れ替えるだけだぞ。ま、それでも貴様には荷が重いか」
尊があざけるように言った。三田村が言いかえそうとするのを制するように、
「まったく可能性がないわけではない」
と、綾辻は言う。
「だけど綾辻。それは君にも当てはまることだろう?」
案静が言った。彼のこの場にそぐわないひょうひょうとした口調は、見ようによっては不気味にも映る。
「僕は僕が犯人じゃないと証明できないけど、それは君だって同じはずだ」
「なら、これは一体、だれの仕業だというんだ?」
「そんなこと、僕に分かるわけないだろう? でもね、君の考えの問題点なら分かる。例えば動機だ。なぜ、僕たちがそんなことをしなくちゃいけないのか? 〝なにか隠された動機があって〟というかもしれないが、それにしたって、やっぱり君にも当てはまる」
「それに、我々だって被害者です。あの〝声〟に名前を呼ばれているのですから」
そのとき、食堂に渇いた笑い声が響いた。三田村たちがぎょっとして目をむけると、それは尊の笑い声だと分かった。
「フン。官僚共はこういうことになると饒舌だな」
この状況で憎まれ口をたたくとは、この男の神経はある意味計り知れない。
「兄さん……」
思わず兄の手をにぎる。すると、やさしく握り返してくれた。
「大丈夫だよ、唯。なにも心配はいらない」
兄は自分を安心させるように、頭をなでてくれた。
「おい、貴様ら。貴様らがどれだけ下らん犯人探しや、息をするように保身に走ろうが勝手だがな。唯を不安にさせるのだけはやめてもらおうか」
官僚たちの視線が尊をとらえる。なかでも、三田村はまるで親の仇でもあるかのように尊を睨みつけていた。
「貴様……さっきからその態度はなんだ? 貴様はいつもそうなのか?」
「貴様のようにエラそうな人間には特にな。俺は唯以外の人間にはなんの興味もないんだ」
「だったら、黙っていてもらおうか。いまは演説に構っている暇はないんだ」
「貴様らがもっと頼りになれば俺もそうできるんだかな」
尊はわざとらしく肩をすくめ、
「狼狽えるまえにもっとやることがあるだろう。普段ふんぞり返っているくせに、肝心なときに役に立たん連中だ。もっと俺を見習え」
相変わらずの尊の態度に、三田村は汚いものでも見るかのような視線をむける。
「貴様……」
「まあまあ。落ち着きなよ三田村君」
案静が子供をあやすように言った。
「柊君の言うことも一理ある。こういうときこそ冷静になるべきだ。まして、僕たちの前職を考えればね」
三田村はしばらく尊を睨んでいたが、やがてイスの背もたれに体重を預けると、ふてくされたように口をつぐんだ。
「いやいや、まったく悪い冗談だよ」
「冗談?」
困ったように肩をすくめる案静に、尊があざ笑うように言った。
「冗談なのか? テープ曰く、大罪人なんだろう?」
「いたずらだよ。ちょっと悪趣味が過ぎるけど」
「いたずらね。それなら訊くが、なぜさっきの〝声〟は貴様ら三人を名指ししていた? なぜ、〝声〟は、貴様らが三人そろっていると知っていたんだ?」
「そんなこと、知るわけがないだろう」
三田村が口を挟んだ。尊は嫌そうに舌打ちし、
「口を挟まないでもらおうか。俺の質問はまだ終わっていない。これが本題なんだが、貴様らはなぜ、この館に集まっている? せっかくの休日だ。ゴマをするなりすられるなり、なにかしらやることはあるだろう」
「招待状がきたんだよ」
三田村が口を開きかけたのを遮るように、案静が言う。
「〝どうしてもお話したいことがあるので、ぜひお越しください。綾辻様のご了解は得ておりますので〟ってね。それで綾辻に確認を取ってみたんだけど、彼はなにも知らないときた。
でも面白そうだったし、せっかくだから来てみたんだ」
「で、貴様は?」
三田村に目をやった。
「貴様には関係ない。なぜ貴様に話さねばならない?」
「フン。もっともな意見だ。で?」
三田村の言葉をまったく無視して尊は質問を重ねる。ふたたび言い争いが始まりそうになったとき、割って入ったのはまたしても案静だった。
「三田村君。ひょっとして、君のところにも届いたのかい? 招待状が」
「……ええ。まあ」
三田村は歯切れが悪そうに返答した。
「フン。最初からそう答えればいいものを。それにしても、招待状に告発ときたか。クリスティーじみてきたな」
尊が懲りずに皮肉を言った。
そのとき、綾辻は立ち上がると、ぎこちない動きで蓄音機のもとへ行くと、レコードを確認する。
「どうだい?」
「間違いない。たしかに私のものだ」
「黒崎」
館の主が重々しく口を開いた。
「今朝レコードを渡したあと、どこに保管していた?」
「はい。私の部屋に。デスクの引き出しの中でございます」
執事は答えた。
「カギは?」
「かけておりません」
「つまり、入れ替えるチャンスはだれにでもあったということだな」
「待ってください」
口を挟んだのは三田村だ。
「私は部長がどんなレコードを手に入れたかなど……いやそれ以前に、レコードをかけることなど知りませんでした。さきほども言いましたが、私がここに来たのは今日の……」
「唯。そろそろ部屋に戻ろうか」
今度は尊が口を挟んだ。というより、三田村をまったく無視しての発言だった。
「兄さん……」
「これ以上ここにいても仕方がないからね。そもそも、兄さんたちには関係のない話だ。さ、行こう」
「待て」
それを制したのは三田村だった。
「どうやら状況が分かっていないようだな。おまえたちも容疑者なんだぞ」
「状況が分かっていないのは貴様のほうだ」
尊は極めて面倒くさそうに言った。
「俺と唯は今朝からずっと出かけていたんだぞ。俺たちは貴様以上にチャンスがなかった。気は済んだか? では失礼する」
「待てと言っているんだ!」
三田村がとつぜん声を荒げた。そのとき、唯がちいさく体を震わせたのを、尊は見逃さなかった。
「状況を理解しろ。いまこの状況で、出て行けると思うのか?」
「……一度だけ警告してやる。俺は寛大だからな」
尊は吐き捨てるように言うが、
「つぎに唯を不安がらせることをしてみろ。命は無いものと思え」
三田村を射貫くように見据え、低い声で言った。陳腐な脅し文句だが、彼が本気であることはその目を見れば分かる。
――危険だ。こいつは正気じゃない。
三田村の本能がそう告げている。
元参事官は今度こそ尊から完全に目をそらし、今後極力関わらないことを心に誓った。
「案静の言う通り――」
と、綾辻が口を開いた。
「柊君の言うことにも一理ある。まずは冷静にならなくては。突然のことで、私も動揺していたらしい。不躾な質問をしたことを、どうか許してほしい」
「いや綾辻。気にしなくていいんだよ。いずれはだれかが訊かなきゃいけないことだからね。憎まれ役をさせて済まない」
その様子を、尊はフンと鼻を鳴らして見ていた。
「下がっても構わないな?」
尊にしては殊勝な口をきいた。ただ、これは単なる「もう行くぞ」という報告に過ぎない。拒否したところで彼は無視することだろう。
「勿論だ。皆も、不愉快な思いをさせて済まなかった。今日はもう遅い。部屋に下がって、ゆっくりと休んでくれ。なにかあれば、黒崎か城津に申しつけを」
その言葉で、食事はお開きとなった。




