第二章 『英霊館』殺人事件④
尊と唯、明香の三人が『英霊館』に戻ったとき、すでに太陽は傾き、世界は朱色に染まっていた。
『英霊館』の庭は、手入れの行き届いた日本庭園だ。広大な庭は、黒崎と城津の二人で維持しているらしい。古城を思わせる本館に日本庭園。なんともミスマッチだが、それがこの空間に独特の雰囲気を作っていた。
『英霊館』は、元は英国に建てられていたものを、日本で立て直したものらしい。それが、ミスマッチな理由だった。
「お帰りなさいませ」
玄関にて、黒崎がうやうやしく一礼する。いかなる感情も宿っていないその顔と声色は、やはりロボットのようにも見えた。
「お食事のご用意ができております。皆さまもお集りですので、どうぞこちらへ」
黒崎の先導で食堂へ行く。
食堂にいたのは綾辻と案静、それともう一人、唯たちは見たことがない男だった。食堂の隅には、メイドの城津が立っている。
「やあ、三人とも。お帰り」
今朝とおなじイスに座っていた案静が、今朝とおなじキザな角度でコーヒーカップを持ち上げた。
「どうだい? 楽しんでもらえたかな」
「はい。おかげさまで、とても有意義な時間でした。ありがとうございます」
兄に代わって唯がニコリと笑って頭を下げた。
「そりゃよかった。楽しんでもらえたなら、地区長冥利に尽きるよ」
「金銭面でしか役に立っていない男が言う言葉とは思えんな。あれを造ったのは、べつに貴様ではないだろう」
妹の心遣いをいともあっさり崩した兄は、偉そうに腰掛ける。
「そうは言うけど柊君、やっぱりお金は重要だよ。先立つものがなくちゃなにもできないからね。お金がなければ、『安全地帯』だって、できなかったんだから」
暴風のように吹き荒れる暴言にも、案静は気にしたふうもない。軽く肩をすくめて言った。
その様子を見て、綾辻の体面に腰かけていた男が軽蔑したような視線をむけた。
「柊君、いちおう、彼を紹介しておこう」
綾辻がしわがれた声で言って、今朝まで見なかった男を視線でさした。
「彼は、三田村義彦。警視庁の元公安部参事官だ。いまは、中央省警保局にいる」
「よろしく柊君。君の噂はいろいろなところで耳にするよ」
皮肉っぽく言うと、尊を挑戦的に見た。
「その若さで『騎士団』幹部とは、よほど優秀なんだね」
瞬間、一同は背筋に悪寒が走るのを感じた。なにかいやな予感がしたからだ。彼の妹である唯だけが、その意味と、これから起こるであろう出来事を正確に推察することができた。
「フン。貴様こそ、元上司の館に重役出勤とはなかなか大物じゃないか。だが残念だな。言いたいことがあるなら、もっとハッキリ言うべきだ。貴様ら官僚の悪い癖だぞ」
はたして、少年は期待を裏切らなかった。彼のこの言動は一体いかなる精神のなせる業なのか。ある意味尊敬に値する。〝頭がおかしい〟などという生易しい表現では、推し量ることができない。
「噂どおりの男だな」
三田村が言って、やはり軽蔑するかのような視線をむけた。
「どうやら、噂が本当かどうかを実証する程度の知能は持ち合わせているらしいが、俺は貴様になにかしたかな?」
「君はなにもしていないし、私はなにもされていない。そう身構えないでくれ。いまの発言に他意はない。単なる感想だよ」
ニコリと、胡散臭い笑みを見せる。
「あいさつもすんだところで、そろそろ食事にしようか」
尊が口を開きかけたとき、綾辻が半ばくいこませるように言った。
建て前上紹介したが、こうなることは分かっていたのだろう。綾辻の対応は、あらかじめ予定されていたかのように滑らかだった。
料理も準備されていたようで、メイドの城津が配膳台に乗せて運んできた。
城津は黒い髪を束ねた、物静かな表情をした、年若い女である。
三田村は公安部の元参事官だと綾辻は言っていた。ということは、元公安部長である綾辻の元部下ということになる。元上司に言われては、彼としては二の句を継ぐことはできないのだろう。大人しく引き下がった。尊もこれ以上不毛な争いを続けるつもりはないらしい。
もっとも、彼の場合はこの場には妹がいるから、という理由だ。
「ところで、どんなアトラクションに乗ったんだい?」
食事中、案静がひょうひょうとした口調で言った。さきほどの尊と三田村による不穏な空気を払拭しようとしているのかもしれない、と唯は思った。
「じつは、アトラクションには乗っていないんです」
唯が眉をハの字にして言った。
「今日は博物館に行きました。明香さんがいろいろと解説してくださったんですよ」
「ほー。明香君がねぇ」
案静が驚いたように声を上げた。
「明香、楽しめたのか」
綾辻がしわがれた声で訊いた。
「はい……」
明香がうつむきながら、か細い声で答える。
「そうか。なによりだ」
その言葉はいつものとおり、しわがれたものだったが、声の奥には安堵の色が見える。いつも館に籠っている明香が外出し、また、年齢が近い尊たちと、すくなからず打ち解けることができたらしい。それがうれしかったのだろう。
彼はそこでまた咳をした。黒崎が背中をさすり、城津が一度食堂を出て薬を持って戻ってくる。それを飲んでから、
「今日は無理を言ってすまなかった。だが、おかげで彼女も有意義な時間を過ごせたようで安心したよ。ありがとう」
「いえ、そんな……お世話になっている身ですし、それに、わたしもとても楽しかったですから」
兄が言うまえに妹がひかえめな口調で言った。
しかし、油断はできない。いくら唯の言葉のあととはいえ、言うときは言ってしまうのだ。一言どころか、まったく言う必要のない言葉を。まるで不発弾のような厄介で危険な少年である。
「そういえば、噂で耳に挟んだんだけど……」
それを危惧したのだろう。案静がふと思いついたように口を開く。
「どうも『英霊館』には伝説があるそうじゃないか」
「伝説ですか?」
唯が訊いた。
「ああ」
と、案静は答え、
「この『英霊館』は、ある陸軍少将が建てた館らしいんだけど、その彼が、財宝をここに隠したっていう伝説があるそうだよ」
「フン。財宝ねぇ」
尊が軽蔑したように鼻を鳴らした。
「そうなんですか。なんだか、面白そうな話ですね」
唯が尊の二の句を封じるように言った。
「だろう? ねぇ、綾辻。三田村君も来たことだし、教えておくれよ。もちろん、君も知っているだろう?」
にやにや笑いながら、案静が言う。彼の目は好奇心で満たされており、その様子は無邪気な少年のようでもある。
「たしかに、そのような伝説はある」
綾辻はフォークを置くと、ナプキンで口元を拭う。
「いまから七十年ほどまえの話だ。太平洋戦争末期、敗色濃厚となった大日本帝国……当時陸軍に所属していたある少将が、帝国復活のために、参謀本部から密かに機密費を持ち出し、金に変えてこの館の地下に隠した、という伝説だ」
「へぇ。なるほどねぇ」
案静が納得したようにうなづく。
「なかなかロマンのある話じゃないか。ねぇ唯君」
「ふふっ、そうですね。でも、伝説でしょう?」
「そのとおり。あくまで伝説だ」
綾辻が言った。
「この館を買ったさい、地下室を検めたが、結局なにも見つからなかったよ」
そう言っておきながら、館の主は特に落ちこんだ様子はない。彼は、伝説など最初から信じていなかったようである。
「なんだ、そうなのか。そりゃあ残念だなぁ」
対照的に、案静は露骨に肩を落とした。
唯がふふふと笑い、
「男性ってそういう話好きな方が多いですよね」
「まあね。若い女の子が占いを好きな理由とおなじだよ。さっきも言ったけど、ロマンってやつさ」
「だが、仮に伝説が事実だったとしても、その金は個人の物にはならない。れっきとした国有財産だ」
「そりゃあそうだけど……やれやれ、相変わらず頭が固いなぁ。綾辻、君宝くじとか買ったことないだろう」
「買う意味がない」
「それを言ったらおしまいだよ。まったく、頭が固いんだから」
口をとがらせるそのしぐさも、やはりすこし子供っぽい。
「よく言うだろう。あれは夢を買ってるんだよ。買うことに意味があるんだ。ねぇ、三田村君」
「そうですな。私も何度か買ったことがあります。しかし、部長はこの通りの堅物ですから……」
「困ったもんだよねぇ。昔僕は月一で買ってたんだけど、一番当たったので三万円だったよ。ちょっと、微妙だよね」
当時に思いを馳せるかのように案静は言う。それからこう続けた。
「僕が知っているのはそれくらいだけど、他にもなにかありそうだ。この館にはなんていうか、独特の雰囲気が漂ってるように感じるよ」
「フン。幽霊でも期待しているのか?」
「そういうわけじゃないけど、君はなにか感じないかい?」
つぎに口を開いたのは、尊ではなく綾辻だった。尊による無意味な皮肉をけん制するという意味もあったかもしれない。
「伝説はないが、仕掛けならある」
「ほう」
案静が興味深そうに目を細めた。
「どんなだい?」
「そもそも、この館が建てられたのは、明治時代に遡る。もとは英国に建てられていたものを、当時明治政府から欧州に派遣されていた陸軍将校が、〝友好の証〟としてもらい受けて、本国に持ち帰って建てさせたそうだ。彼の息子と孫も、彼とおなじ道をすすんでいった。仕掛けを施したのは、当時陸軍少将だった孫と聞く。
太平洋戦争の最中、本土決戦を覚悟した旧日本軍は、本陣を帝都から移す計画を立案したそうだが、その際、少将は館を改築し、敵を迎撃するための仕掛けをいくつも施し、文字通りの〝要塞〟に改築したそうだ。その仕掛けはまだ残っている、という話なら聞いたことがある」
「どんな仕掛けだい?」
案静が重ねて聞いた。
「それは不明だ。結局、その作戦が行使されることはなく、日本はポツダム宣言を受け入れた。少将がどんな仕掛けを施し、どう迎撃するつもりだったのか、知る者はもういないだろう。そうした理由から、この館は『英霊館』と呼ばれるようになったそうだ」
「なるほど。君も面白い館を買ったもんだ。ところで、この館かなり広いみたいだけど、整備は黒崎君と城津君でやってるのかい?」
「そうだ」
「二人じゃ大変だろうに。業者雇いなよ」
「どうしても手に負えない場合はそうしている」
憮然とした態度の館の主人に、案静はやれやれといった調子で肩をすくめた。
「これじゃ君らも大変だね」
同情的な視線をむけるが、当の黒崎はやはり能面のような顔で言う。
「そうでもありません。やっていればだれでも慣れます」
「慣れるたって、君どこまでやってるんだい?」
「館の塗装が剥げたりした場合は直したり、ペンキを塗りなおしたり、そういったことです。館の清掃は彼女と手分けをして」
「塗装を治すって、どうやって……」
「ハーネスで体を吊るんですよ」
案静は、今度はため息交じりに肩をすくめた。
「綾辻、黒崎君をちょっと休ませてあげなよ」
「本人が望めばそうする。無論、城津においても同様だ。城津には、先日休みをやったばかりだ」
「ああ、そう。だってさ。黒崎君、君もたまには休まなきゃダメだよ。二人の仕事を増やしてる僕が言うのもなんだけどね」
会話は、とてもスムーズに進み、食堂には穏やかな空気が流れた。
しかし、ここで、案静は打ってしまった。
最悪の、悪手を。
「宝くじで思い出したんだけど、まえにニュースで〝若者の宝くじ離れ〟とか言ってたけど、いまの子は本当に買わないのかい?」
瞬間、食堂にいた全員に悪寒が走る。いままで何度か感じた、ある少年がいるときにのみ感じられる、背筋を伝う、悪寒。
全員がこれから起こるであろうことを予想し、
「フン、〝若者の宝くじ離れ〟ねぇ」
彼らの悪寒を裏づけるかのように、尊は言い、急にすっくと立ちあがったかと思うと、まるで動物園のパンダのように食堂をうろうろとし始めた。
そして、続ける。
「貴様らは本当に、〝若者の何々離れ〟という言い回しが大好きだな。若いからこうなんだろう、男だから、女だから、そんな下らない要素一つで他人のことを決めつけ、好き勝手に商品ラベルを張りつける。そしてそこからすこしでも外れた言動を取れば、今度はたちまち〝変わり者〟のラベルを張りつけ、差別化しようとする。そんなことにいったいなんの意味があるというんだ? まったく、バカげていると言うほかない。連中はまるでゴミでも分別するかのように、目につく人間すべてを無理やり自分が理解できる形に落ち着かせようとする。そして自分が理解できないものに、〝変わり者〟のレッテルを張るわけだ。まったく、とんだ分別天国だ。これは世界に誇るべき珍現象だよ。そこまでして分別したいのであれば、年齢、指名、職業、役職を書いたプラカードを首からぶら下げて生活するべきだ。そこまですれば、連中も自分たちのやっていることがいかに愚かで無意味なことかが理解できるだろう。
連中は分別要素には事欠かない。例えば血液型、これはなんだろうな。A型は几帳面できれい好き、B型は自分勝手、O型は大雑把、AB型は変わり者。根拠ゼロの意味不明な理論で他人を分別しようとする。まったくとんだ徒労だ。例えば俺はA型だが、べつにきれい好きでも几帳面でもない。よく部屋に来る女に『たまにはちゃんと片付けろ』と毎日のように皮肉を言われるよ。だが、部屋が散らかるのは仕方がない。この世界にはエントロピーの法則というのがあるからな。まったく俺は模範的な人間だ。つまるところ、人によるというだけの話なのに、結論ありきの理屈をこねくり回して承認欲求を満たそうとする。個人の短い物差しで、いったいなにを測れた気になっているのだろうな! まったく、おかしな話だ。どうした平城京。笑え。許す。あーっはっはっはっはっはっ!」
意味不明な演説をしたかと思うと、今度は一転して腹を抱えて笑い出した。
さきほどまでの和気藹藹とまではいかなくとも、和やかな雰囲気が粉々に粉砕され、沈黙に包まれる。今朝は笑っていた案静も、さすがに急には言葉が出ないらしく、首をひねっている。明香に至っては、怯えた表情で尊を見ており、小刻みに震えているようだ。彼女が昼間尊に抱いた、爪の垢ほどの好印象もきれいさっぱり上書きされ、好感度が地に落ちるどころか、地球の裏側まで突き抜けたことなど、火を見るより明らかだった。
こうなってしまっては、いまさらどうしようもない。この後どうやってフォローしたところで、この悪印象はぬぐえない。出来るだけ触れないようにするのが、唯一の方法だろう。
なんの話題をだれにふろう、と唯は考えながら兄の笑い声を聞く。
それ以外の者は怯え、あるいは呆れながら、頭のおかしな少年を見ていた。




