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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第一章『英霊館』殺人事件①

「兄さん、起きてください」


 唯が一度、やさしく声をかけると、尊はハッと目を開いた。

 ほんの一瞬、驚いたような顔をした尊だが、

「おはよう、唯」

 と満面の笑みを見せる。

「おはようございます、兄さん」

 唯も微笑みをかえし、そろそろ朝ごはんですよ、と言った。

「そうか……」

 ほんの一瞬、何事か思案する様子を見せた尊だったが、

「そんなことより唯、今日はどこに行こうか? 行きたいところを言ってくれ。どこでもいいんだよ」

 相変わらずの兄に、唯はクスリとほほ笑んだ。

「ありがとうございます。でも兄さん、そのまえに朝ごはんを食べましょう。さあ、行きましょうか」




 柊尊と柊唯は、現在旅行中の身であった。

 先日のことだ。放課後、尊は学園長室に呼び出しを受けた。普段なら無視するところだが、〝休日の件で渡したいものがある〟と言われ、重い足を引きずりいやいや顔を出すと、

「ほら、やるよ」

 学園長、瀬戸征十郎はデスクの上にパンフレットを投げ出した。


「なんだそれは?」

 パンフレットには目もくれず、ソファーにふんぞり返ったまま尊が言った。

「唯ちゃんから聞いたんだが、おまえ休日利用して旅行行くんだってな」

「貴様、また唯に会ったのか?」

「見舞いだよ。たまには顔出さないとな。本人は歓迎してくれてるぜ」

「社交辞令だ。その程度のことが分からん貴様でもあるまい」

 実際は社交辞令でないことは、尊自身も分かっている。入院生活は、やはり退屈なのだろう。唯は毎回、来客を歓迎している。これは単なる皮肉だった。

「そう身構えるな、大した話じゃない。ただ旅行先の宿の斡旋くらいしてやろうと思ってな」

「必要ない。俺は帰る」


「待て待て」

 いつも通り、本当に帰ろうとする尊を瀬戸が引き留める。

「帰るなよ。受けとれって」

「ふざけるな。貴様今度はなにを企んでいるんだ? これ以上、唯との時間を邪魔するな」

「失礼なやつだな。べつになにも企んじゃいない。ただの日頃の礼だ」

 困ったように肩をすくめたかと思うと、ニヤリと笑って尊にパンフレットを差し出す。

 しばらく気にせず、あくびをしたり、出されたコーヒーを飲んでいた尊だが、やがて諦めたように瀬戸を一瞥すると、いやいやと言った様子でソファーから立ち上がり、パンフレットをひったくる。

「フン、〝『安全地帯』一のテーマパーク〟ねぇ……あってないような宣伝文句だな。で、これのどこが宿なんだ? それとも、泊まり込んでここで働けとでもいうのか?」

「違ぇよ。話には順序ってものがあるんだ。最後まで聞け」

 口をへの字に曲げ、呆れたように尊を見る。


 当の本人はうっとうしそうに舌打ちすると、

「ならとっとと話せ。俺は忙しいんだ」

 例によってまったく忙しそうに見えないものの、ここでそれに触れてはきりがない。瀬戸は望み通り話を進めることにした。

「青龍地区のことは知ってるな? 『安全地帯』の中で、最もアミューズメントパークに力を入れている地区だ。泊りがけで遊びに行くなら、そこ以外にないだろ」

「フン、ミーハーめ」

「つっかかるなよ。忙しいんだろ?」

 瀬戸がつっかかった。


「それでなんだが、青龍地区にちょっとした知り合いがいてな。絵に描いたような堅物で、十五年前に現役を引退してから、建てた館に引っ込んだやつなんだが、おまえのことを話して館に泊めてもらえないか頼んだら、引き受けてくれた。せっかくだからご厚意に甘えとけ。宿泊費はもちろんタダだぜ」

「……」

「なんだその目は」

「随分とうまい話があったものだ。こういうとき、日本語は語彙には事欠かない。〝タダより高い物はない〟。さっさと白状しろ。貴様、いったいなにを企んでいる?」

「なにも企んでねぇって言ってんだろ。もっと人を信用しろ」

「信用ねぇ……貴様からは最も縁遠い言葉だな」

 そう言って、疑り深い視線を向ける。瀬戸はチェアに深く腰掛けると、観念したように深くため息をついた。

「なにも企んじゃいねぇよ、本当だ。言ったろ? こいつはただの礼だよ。おまえにはいつも世話になってるからな。それに、もうじき遠征に出てる『騎士団』も戻ってくるからな。そうしたら、つぎの遠征についても話さなきゃならねぇし、いろいろ忙しくなるぜ」

 それから、瀬戸はにやりと笑ってこう付け加えた。

「いいから、騙されたと思って楽しんでこい。唯ちゃんと仲よくな」




 そうして訪れたのが、この館――『英霊館(えいれいかん)』である。

 ここ『英霊館』は、本館と客室が分かれており、本館から向かって後ろ側、そこに五芒星を描くように、五つの客室……コテージがある。そしてその中心に、館の主の書斎があった。このコテージは近年建てたものであるらしい。


 現在の館の主である綾辻(あやつじ)という男が、客人の宿泊施設として建てさせたものだ。

 現在、『英霊館』には尊と唯を入れて三人の人間が宿泊している。あともう一人、来る予定の者がいるそうだが、どうしても外せない仕事があるとかで、まだ姿を見せてはいなかった。

 食堂は本館にある。したがって、食事のさいには本館へ行かなければならない。

 コテージを出ると、早朝の清冽な空気が身を包む。


「今日はいい天気ですね」

「そうだね唯」

「こうやって兄さんとお泊りするのは、本当に久しぶりです」

「……そうだね」

 何気ない会話をしながら、兄妹は一緒に歩いた。たまに吹くやわらかな風。小鳥の鳴き声も心地いい。

『英霊館』の外装は、古城を思わせる。そう印象づける最大の理由は、本館の両端にある塔だ。中に生活スペースはなく、ひたすら螺旋階段の続く塔である。

 本館の内装は、無駄がないものだった。質素と言い換えることもできる。絵画が飾られているわけでもないし、壺や調度品が置かれているわけでもない。そういった意味では、騎士団養成学園とは真逆といえる。


 変わっていることといえば、館内にクラシック音楽が流れていることくらいだ。

 館の人間曰く、これはいつものことらしい。早朝は、館の主が好む音楽を流す。『英霊館』にはそこかしこにスピーカーが取りつけられており、そこから音楽が流れる仕組みになっている。それは館内部にある管理室で制御されているものらしい。


 食堂の扉を開けると、口ひげを蓄えた男に恭しく礼をされた。

「おはようございます。柊様」

 黒のスリーピースに紺のネクタイを締めた初老の男だ。オールバックにした白髪は腰まで伸びており、首の後ろで結んでいる。皴の目立つ顔にはいかなる表情も浮かんでおらず、口から発せられる低い声も無機質で、まるでロボットのような不気味さがある。

 一見して執事と分かるこの男の名は黒崎(くろさき)。彼は十五年前から、ここ『英霊館』で住み込みで働いているらしい。


 その声が聞こえているのかいないのか、尊は挨拶を返すことはない。

「おはようございます黒崎さん」

 兄の無礼を詫びるように、唯がにこやかに挨拶をする。

 しかし、黒崎は気にしたふうもない。無駄のない動作で一礼すると、食堂の隅に移動し直立不動の姿勢を取った。


 食堂もまた、必要最低限のものしか置かれていないが、ひとつ目を引くものがある。それは蓄音機だ。聞くところによると、これは綾辻のもので、この館を買ったときわざわざ運びこんだものらしい。ときどき食後にレコードをかける、と黒崎から聞いた。

「もう、兄さん。ダメですよ、あいさつはちゃんとしないと」

「ん? ……ああ……唯、立っていないで座ろうか。遠慮することはない」

 尊は低血圧で朝が弱い。時刻は午前七時。寝ぼけているのだろうか、と唯は思った。

「やあ、二人とも、おはよう。昨日はよく眠れたかな?」

 すでに細長いテーブルについていた男が、軽い声を放った。

 髪を短く刈りこんだ男だ。堀の深い顔立ちには違いないが、ひょうひょうとしたイメージが拭えない。アロハシャツに短パンというラフな格好も、それに一役買っている。伸びた無精ひげも、瀬戸とは真逆の印象を与えていた。

 ただ、コーヒーカップをキザな角度で持ち上げてみせるしぐさは、あの男を連想させる。


案静(あんじょう)さん、おはようございます。おかげさまで、ぐっすりでした」

 唯が笑顔で応じた。

「そりゃよかった。僕はベッドが変わるとよく眠れなくて。おかげで寝不足だよ」

「ふふっ。意外に繊細なんですね」

「この年になるとね、〝変化〟っていうのが怖いんだよ、ちょっとしたことでもね。安心できないんだな」

「まだ老けこむようなお年じゃありませんよ」

「おお、それはうれしいねぇ。じゃあ、こういうのはどうかな? 今日は、その若い僕と一緒に……」

「誰も若いとまでは言ってないぞ、老いぼれ」

 にこやかに会話する二人に、ろくに働いてない頭で水を差したのが尊であることは言うまでもない。

 不機嫌さを隠そうともせず、偉そうにイスにふんぞり返る。

「君は朝からぶれないねぇ」

 尊の態度に気分を害した様子もなく、案静と呼ばれた男は感心したように言った。


「君も飲むかい?」

 そう言って、ふたたびコーヒーカップをキザったらしく持ち上げる。

「貴様のそういうところを見ると、気に食わん男を思い出して仕方がない」

 いやそうに言って、案静から視線を逸らす。

「〝気に食わん男〟っていうのは、ひょっとして瀬戸のことかな?」

 言われて、尊は案静に視線を戻す。案静は「やっぱりね」と言い、

「昔からよく言われるんだ。『おまえたちは似てる』ってね。瀬戸は毎回いやそうにしていたけど、僕はそう言われるのは嫌いじゃない」

 尊はフンと鼻を鳴らし、また視線を逸らした。


「こう言うと、彼はもっと嫌がるんだ。どうだい? 瀬戸は僕についてなにか言っていなかったかな?」

 唯はすこし考える仕草をし、

「いえ、わたしにはなにも……」

 と言った。

 それは、兄は答えないだろうと考えたからだ。が、

「単純に嫌われているんだろう。嫌われ者が人を嫌うなど、おかしな話だがな」

 すこし頭がさえてきたのか、尊がそんなことを言った。

「はっはっは。なるほどねぇ。それはたしかに言えてるな。やっぱり君は面白い」

 そう言って笑う案静は、年齢はもう七十を超えているはずだが、それをまったく感じさせない快活さがある。


 尊がうるさそうに顔をしかめたときだ。食堂の扉が開き、一組の男女が入ってきた。

 先頭を行くのは杖をついた男だ。上背はあるが、かなり痩せている。いや、痩せすぎと言っていいだろう。すっかり白くなった髪を後ろに撫で上げている。案静とは正反対な、〝老けている〟印象の強い男だ。

 その後ろから、少女が控えめな足取りで続く。白いワンピースを着た少女だ。生まれてから一度も日の光を浴びたことがないのではと疑うほどに肌が白い。腰まで伸びた黒い髪。小づくりな顔の造作に、ぱっちりと大きな瞳を持つ、とても可憐な少女だった。


「やあ綾辻。おはよう」

 案静がさっそく声をかけた。

「昨日はよく休ませてもらったよ。やっぱり君のところはいいね。有能な執事とメイドのおかげでゆっくり骨休めができるし、娯楽室のおかげで退屈もしないし、なによりコーヒーがうまい。どうだい、君も一杯。まあ、元々このコーヒーは君のなわけだけど」

「いや、結構だ」

 綾辻と呼ばれた男はそれだけ言うと、ゴホゴホと咳をした。すぐさま黒崎が駆け寄り、背中をさすってやる。まもなく落ち着いた綾辻は、ぎこちない動きでゆっくりと歩を進める。


「大丈夫かい? たしかに、カフェインは取らないほうがよさそうだね……」

 案静は残念そうに眉をハの字にすると、

「じゃあ、明香(はるか)ちゃん。君はどうかな? おいしいよ。これが結構眠気覚ましにもなる。もっとも、君は普段から飲んでるだろうけれど……」

「案静」

 流れるように話す案静を、綾辻がしわがれた声で制した。

「彼女が怯えている」

「おや」

 案静は綾辻の隣に腰かけている少女に視線を移すと、

「いやあ、これは失礼。いつも部下に怒られるんだけど、これがなかなか直らなくて。まあ、言い訳するわけじゃないんだけど、生まれ持った性格っていうのはそう簡単に治るものじゃ……」

 などと、一人でしゃべり続けている。この案静という男は、相当の話好きらしい。

 未だしゃべり続ける案静に、館の主・綾辻青司(せいじ)はゆっくりと割って入った。

「遅くなって済まない。そろそろ食事にしようか」

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