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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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エピローグ②

 ――その部屋には窓がなかった。

 薄暗い部屋の中、まるで蜃気楼のようにぼんやりと十二人の人間の姿が浮かんで見える。


「弱ったねぇ」

 と男の声が言った。

 弱ったと言っておきながら、まるで雑談でもしているかのような気楽さがある。

「朝桐の失脚に、『君主』の不在。『安全地帯』始まって以来の事態だな」

 と、高圧的な女の声が続ける。

「責任の所在を議論している暇はないようだ」

「というより、だれが悪いという話でもないでしょう」

 碓氷が穏やかな声で言う。女のあとに発言すると、よりいっそうそれが引き立って聞こえた。


「しいて言えば、朝桐さん。あの人が無茶をしなければ、もうすこしマシな状態だったかもしれません」

 もっとも、ただの結果論ですがと肩をすくめ、

「ですので、瀬戸さん。前回同様、われわれはあなたを責めるために呼んだのではありませんよ」

「ええ。もちろん、分かっていますとも」

 いつもとおなじ、つかみどころのない声色で冷静さを装ってはいるが、瀬戸はすくなからず動揺していた。

 むろん、呼び出されたことにではない。

『君主』と西園寺が殺害されたことにだ。


 今回の計画は、ほぼ、予定通りに進行していた。

 尊が今回の事件の根本部分を『君主』と西園寺が仕組んだことだと看破するまで、瀬戸は予測していた。

 尊に事情を話すすこしまえ……正確には、鬼柳律子との“取引”が成立した直後のことだ。瀬戸は西園寺から連絡をうけた。なんでも、協力してほしいことがあるという。

 西園寺から事情を聴いたとき、驚きはしたが、協力を約束した。朝桐を失脚させ、外務省の権限を中央省に吸収できると思ったからだ。

 もともと、外務省はいずれ取りこむつもりだった。が、防衛省との合併もあり、下手に組織の大きくしても、自分の手の届かない部分が増え、結果組織が機能しなくなる可能性もあった。それを危惧して見送っていたのだが……前回の事件により、その防衛省は事実上の死に体となった。だからこのタイミングで実行に移したのである。


 ――朱莉の命を助けるために、こちらの策にのってほしい。

『女神』の秘密を知った『君主』は、西園寺に頼みこんで今回の計画を立案させた。

 まずは爆弾によって“テロリスト”の存在を強く印象付け、さらに自分自身を“囮”とすることで、自分に狙いを集中させる。そうすれば、必ず朝桐が食いつくと確信していたからだ。

 案の定、朝桐は食いつき、結果“逮捕”という無様な最期を遂げた。そのうえで、今度は朱莉と入れ替わった状態で『君主』が死ねば、残る朱莉殺害を目論む“朝桐派”の連中も、大人しくなるだろう。

 瀬戸は自分自身の目的のために、その計画にのった。

 結果だけ言えば、目的は達成できたのだ。

 彼は朝桐の行っていた“貿易”などに興味はない。

 ほしかったものは、“外務省”という名前のみだ。

 外務省を含め、当時の内閣情報調査室、警察庁警備局、警視庁公安部、防衛省大臣官房防衛政策局、公安調査庁、そして外務省国際情報統括官組織は、“内閣情報会議・合同情報会議”として『アドラスティア』への対策をすすめていた。

『女神』計画も、その一部だ。

 西園寺が在籍していた、各組織の先鋭を集めた組織。彼らに名前はなく、故障するさいは単純に『キカン』と呼ばれた。

 そして、それは現在も続いている。


 内閣情報調査室は、『情報調査局』として、『元老院』の付属組織となっている。

 中央省は警察庁と防衛省の合併により誕生した組織。外務省の情報網を加えれば、得られる情報は間違いなく増える。

 宮殿の小清水を外務省の事務次官と兼任させたことで、瀬戸は実質的に外務省を牛耳ることができた。

 最も重要なのは、““内閣情報会議・合同情報会議”を構成する五つの組織のうち、その四つが中央省に取りこまれているということだ。これで、組織内での中央省の発言力はさらに強固なものとなった。公安調査庁のみがつかんでいる情報を引き出させることも、決して不可能ではない。

 むろん、一筋縄ではいかないだろうが。


 瀬戸はやもすれば浮かびそうになる皮肉な笑みを、庇で隠した。

 自らの発言力を強めるための計画。

 これではまるで、朝桐と同類ではないか。

 まあ、それでもかまわない。

 この世は結果がすべて。

 自分は成功し、朝桐は失敗した。

 それだけのことだ。

 瀬戸は西園寺の話に乗ったとき、こう忠告した。


(――「一人駒を貸してやる。ただ、そいつを関わらせるからには気をつけたほうがいい。必ず真相を見抜いちゃくれるだろうが、見抜かれたくないところまで見抜いちまう厄介なやつだからな。まあ、せいぜい気をつけろ」――)


 瀬戸は思わず自嘲的な笑みを浮かべてしまう。

 今回の件で、尊には悪いことをした……などと、もちろん彼は考えてはいない。

 笑ったのはべつの理由だ。

 瀬戸の言葉どおり、尊は『君主』たちの企みまで看破して見せた。

 だが、それもそこまでだ。

 最後の最後で予想外のことが起きた。

『君主』と西園寺の殺害。

 これは瀬戸にとっても、尊にとっても、唯一計算外の事態だった。

 いったい、だれが、なんのために、二人を殺したのか?

 それに、それをわざわざ瀬戸に電話で伝えてきた人物の正体は?


「これからどうするんだ?」

「『君主』が死んでしまったのだろう? 『女神』計画はどうなる? いまさら、“失敗しました”など冗談じゃない!」

「それに玄武地区の地区長は? それも決めなければならないだろう」

「そんなことより、いまは『君主』のほうだろう!」

「そんなことだと? バカめ! 住人たちは『君主』が死んだことを知らないんだぞ!? まずは地区長をどうにかしなければ怪しまれるぞ!」

「だからと言って、『君主』いや、『女神』なくしては……」

「第一、『女神』は本当に美神朱莉に宿っているというのは、本当なんだろうな!? 万が一、『君主』に宿っていたなどということがあれば……」

「そんなことを言っていてはきりがないだろう!」

「しかし……」


 すこし考え事をしている間に、『元老院』はざわついていた。

 無理もない。前代未聞の事態だ。犯人に関しても、まったく情報がない。防犯カメラは強力なファイアウォールが張られているにもかかわらず、見事なハッキングによって、映像が消去され、またべつの日のものとすり替えられ、とても当てにはならない。

 それに、どこをどう見ても犯人など存在しないのだ。あの二人を殺す動機を持つものなど、どこにもいない。あの少女は……『君主』は、計画の重要なピースなのだから。

 しかし、だからといって動揺をきたしては、犯人の思うつぼである。やれやれと言った様子で落ち着かせようとしたとき、

「お静かに」

 妙によくとおる声が、彼らを制した。碓氷だ。

「こういった有事のときにこそ、われわれがいるのです。まずは落ち着きましょう」

「おっしゃるとおりですな」

 最初に発言した軽い声が同調した。

「せっかく、こうして一堂に会しているんだ。もうすこし有意義な話をしようじゃありませんか」


「なにを言ってる!? 状況が分かっているのか!? 犯人は宮殿の、それも『君主』の部屋にまで侵入したんだぞ!」

 しかし、反抗の声は鳴りやまなかった。

「いつここに侵入者が来るとも限らないじゃないか!」

「危機感がなさすぎるぞ!」

「瀬戸! これは君の任命責任でもあるんだぞ!」

 たしかに、西園寺を『君主』の忠臣隊に推したのは瀬戸だった。

「なんとか言ったらどうなんだ!」

 それを皮切りに、口々に瀬戸に攻撃が集中する。しかし、やがていずれは沈黙が訪れる。瀬戸が発言したのは、その一瞬のスキをついてのことだった。

「ご心配なく。なにも問題はありませんよ。すべて、我々の計画通りに進行しています」

 瀬戸の言葉には圧倒的な自信と有無を言わせぬ強さが秘められており、ゆえに彼らは二の句を失った。


「そこまで言うからには、妙案があるんだろうな?」

 女の声が最初の疑問に戻った。

「もちろん。そうでしょ?」

 男の声は答えずに、やはり軽い調子で話をふった。

「はい」

 碓氷は短く同意し、

「玄武地区に関しては、『元老院』と各省庁から立候補者を募って、住民投票を行います。

 そして、『君主』に関してですが……これも問題はありません。そうですね、瀬戸さん?」

「ええ」

 瀬戸は顔をあげると、無表情で答えた。

「そのための、“バックアップ”です」







『安全地帯』を歩く女がいた。

 ただ歩いているだけなのに、自然と目を引く。

 しかし、視界から外れたとたん、そのことを忘れてしまう。

 そんな不可思議な感覚。

 その女――朝桐の元秘書、白瀬は堂々とした足取りで、『安全地帯』と『危険区域』を隔てる門へ行く。

 白瀬を見た瞬間、門番はまるでなにかに操られているかのように、なにも言わず、ゆっくりと大きな門を開いてく。

 歩いた後にオーロラのような不可思議な余韻を残し、白瀬はやはり堂々とした足取りで門を出た。

 それと同時に、かぶっていた朝桐の秘書という“仮面”を脱ぎ捨て、その顔があらわになる。

 彼女の後ろで、門が音を立てて閉まる。

 振りむいて、『安全地帯』を見据える。

 高い城壁に囲まれた、哀れな閑古鳥たちが住まう場所……。

 彼女の唇が、うすい、笑みの形を作る。

「――」

 人間にそんな声がだせるのかと思うほどの、聞くものを安らかにする、洗練されたピアノの旋律のような、声。

 とある兄妹の名を呼ぶと、堂々とした足取りで、人々が畏怖する怪物『フレイアX』の跋扈する『危険区域』へと足を踏み入れていった。

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