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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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玄武地区⑦

「シャワーを浴びませんか?」

 そう切りだしたのは『君主』だった。

「今日はたくさん歩きましたから、そろそろ汚れを落としたいと思いまして……。朱莉さん。あの……よろしければ、一緒に……」

「一緒に、ですか……?」


 一時間ほど待ったものの、尊が戻ってくることはなかった。外に立っている西園寺に訊いたところ、電話が終わったあと、用があると言って部屋に戻ったそうだ。

 もしかしたら、あれは視察の進捗状況を瀬戸が訊いてきたのかもしれない。その電話のなかで新たに仕事を頼まれたのだとすれば、部屋に戻った理由も説明できる。

 もっとも、単に面倒だったからという可能性も否定できないが。『君主』の手前、そういうわけにもいかないが、九割九分九厘、後者であろうと朱莉は考えていた。


 仕方がないので二人で雑談を続けていたのだが、もう用意されたお菓子も紅茶もなくなってしまった。

『君主』が“一緒にシャワーを浴びよう”と言ったのは、そんな最中のことだった。

 朱莉はもうシャワーを浴びてしまったし、女同士とはいえなんだか恥ずかしい気もするが、『君主』の頼み事はなぜか聞いてあげたくなってしまう。

「いいですよ! 一緒に浴びましょうか」

 朱莉が『君主』の手をとると、不安そうな表情から一転して、太陽のような笑顔になる。

「! はいっ、ありがとうございますっ!」


 そうして、いま脱衣所で服を脱いでいるわけだが……。

(この人、きれいな顔してるなぁ……)

 尊が聞けば、自画自賛か? と言ってくるだろうが、本当にそう思ったのだ。

 たしかに自分とそっくりな顔をしているが、まとっている雰囲気というか、そういったものが全然違うように思う。

 こうして服を脱いでいるときの横顔も、気品さが漂っている。

 それに、スタイルもいい。出るべきところは出ているのに、ウエストは細い。外に出ないためか、肌は白く、宝石のように輝いて見える。

 対する自分の体は、なんというか……全体的にすっきりしているというか、凹凸がない。

 顔はそっくりなのに、体型はどうしてこうも違うのか。朱莉はすこし落ちこんでしまう。


「? どうかされましたか?」

 じっと見すぎていたらしい。『君主』が不思議そうに首をかしげている。

「い、いえ! なんでもないです」

 慌てて手をふって、目をそらそうとするも、今度はべつの理由から視線が止まってしまう。

『君主』は胸に下着をつけていなかった。代わりに、黒いコルセットがつけられている。

 そう言えば、入れ替わってドレスを着たさい、自分もつけていた。日常的にドレスを着ている『君主』は、コルセットが下着代わりなのだろう。

「あれ? 朱莉さんそれ、なんだかかわいいですね」

 とまた不思議そうにしている。

「これはブラジャーって言うんですよ。胸の下着です」


「初めて見ました……」

 興味深そうに、じーっと見ている『君主』。最初は大人しくしていた朱莉だが、だんだん恥ずかしくなってしまった。

「あ、あの……あんまりじろじろ見られると……」

 すこし体をよじると、『君主』はハッとしたような顔になり、

「ごめんなさい、つい……」

 肩を落としてしまう。

 なぜか朱莉は、『君主』のこういった姿に弱い。


「もしよかったら、明日、一緒に買いに行きませんか?」

「え?」

「ちょうど新しいのを買おうと思っていたんです。よろしければ、『君主』さんのも私が選びますよ」

 先日、凛香とともに買いに行ったときを思い出しながら朱莉は言う。

「いいんですかっ!?」

 驚いたように身をのりだすと、朱莉の手をとった。

「もちろんです。一緒に行きましょう?」

「はいっ!」

 うれしそうに笑う『君主』を見て、朱莉も笑顔になる。

「ふふっ、いまから楽しみです。朱莉さん、はやく入りましょう? 私がお背中流しますから!」

「ええっ!? いいです、大丈夫ですべつに!」

 顔と手を横にふって固辞するも、『君主』はそのまま朱莉の手を引っ張って浴室に連れて行ってしまう。


 高級ホテルのロイヤルスイートなだけあって、浴室もかなり広い。いつも寮で入っている何倍もある。

「うわぁ、すごい……」

 思わず庶民的な感想が口をついてでてしまう。

「そうですか? 宮殿のお風呂はもうすこし大きいですけど……」

「アレを基準に考えたらだめですよ……」

 たしかに宮殿の浴室はすごかった。大きさもそうだが、壁は金色に輝いていたし、なぜかお湯はライオンの口からでて、ジャグジーやサウナまであった。

 一番驚いたのは、『君主』の体を洗うためだけに数人の侍女が控えていたことなのだが。

 シャワーを浴びる旨を伝えたさい、西園寺からフロントに連絡をすれば“手伝い”として従業員が来てくれる手はずになっていることを教えられた。

 どうやら、朝桐が手を回していたらしい。もし尊があの場にいれば、抜け目のないやつだと皮肉を飛ばしたかもしれない。


『君主』の朱莉と一緒に入りたいという希望でその手回しもムダになったわけだが……。

「朱莉さんはいつもどこから洗ってもらうのですか?」

「『君主』さん。普通の人は自分で体を洗うんですよ」

 もう『君主』とのずれにも驚かなくなってきたらしい。朱莉は慣れた口調で言った。

「そうなのですか……ひょっとして、ご迷惑でしたか?」

 不安そうに訊かれ、朱莉は慌てて否定する。どうやら言いかたが悪かったらしい。そうではなくて、一人で入っているから一人で洗っているのだと言いなおす。


 言い終わってから、この言いかたもどうしたものかと一人首をひねりそうになったが、

「でも、今日は二人ですから楽しくなりそうですね」

 一切の裏表のない笑顔でそう言われると、くだらない考えなど吹っ飛んでしまう。

「そうですね……私はいつも髪の毛から洗ってます」

「本当ですか? じつは私も髪の毛から洗ってもらっていますっ」

『君主』が嬉しそうに右手を挙げた。

「じゃあ、朱莉さんの髪の毛は私が洗いますねっ!」

「ほ、ほんとにやるんですか……?」

「はいっ! 私、こういうの一度やってみたかったんです!」

 朱莉を座らせ、さっそく洗おうとする『君主』だが、あるものを見つけた。


「この痣……どうかされたのですか?」

 朱莉の背中には痣があった。

「あ、これですか? 昔木登りしたときに落ちちゃって……そのときについちゃったんです」

「ふふっ、おてんばだったのですね」

「はい。そうやって、いつも怒られてました」

 朱莉は懐かしそうに目を細めるも、

「あ、『君主』さん。それシャンプーじゃなくてリンスです」

「? なにか違うのですか?」

「リンスはシャンプーで洗ったあとに、髪をコーティングするものなので……」

「いろいろあるのですね……」

 朱莉はシャンプーとリンス、コンディショナーなどもとって見せる。『君主』はなにやら関心した様子でそれを見ていたので、

「『君主』さん。私がさきに洗いましょうか?」

 と提案してみた。


「私が『君主』さんのお体を洗って、お手本を見せるというのはどうでしょう?」

 すこし生意気な言いかただろうか、と思ったが、

「! はいっ! ぜひお願いします!」

 なかなかどうして乗り気のようだ。

 シャンプーを泡立たせ、髪が痛まないよう気を使いながらやさしく洗う。

「かゆいところはありませんかー?」

 などと、昔、孤児院で髪を洗ってもらったときに言われたのとおなじ言葉を言ってみる。

「ふふっ。大丈夫です」

 すこしくすぐったそうにしながら、『君主』は頬を緩ませる。


「朱莉さん」

「はい?」

「今日は、本当にありがとうございました」

『君主』はまじめな口調になって言った。

「ど、どうしたんですか? 突然……」

 困惑した様子の朱莉に『君主』は続ける。初めて会ったときの、鈴のように凛とした、不思議な余韻を含んだ声ではない。かと言って、さきほどまでの楽しそうな子供っぽい声でもない。

 年相応の、普通の少女の声で。

「私、ずっとあこがれていたんです……街を歩いたり、こうして体を洗いあったりすることを……今日は、願い事がたくさんかないました。だから、本当にありがとうございます」

「『君主』さん……」


 ――なんだろう。

 ふいに、この少女を抱きしめたくなった。この少女が、とても愛おしく感じる。自分にとってかけがえのない、とても大事な存在のような、そんな気持ちだ。

 ギリギリのところで踏みとどまった朱莉は、しみったれた空気をぶち壊す意味もかねて、すこし強めに頭をこする。

「わ、わっ!?」

 突然のことに驚く『君主』に、朱莉は泡をお湯で洗い流す追撃を加える。

「い、いたいっ! 泡が目に入っちゃいましたっ! 急にどうされたのですか? 私なにか失礼なことを……」

 ふり返った『君主』の頬を、朱莉はペチンと両手ではさむ。

「『君主』さん。そんな水臭いことを言うのはなしですよ。何度も言いますけど、私は迷惑だなんて思っていません。それに、お礼を言うのもなしです。だって……」

 朱莉は一拍おいて、やさしく微笑む。

「私も今日、すっごく楽しかったんですから」


「朱莉さん……」

 感極まったといったように、『君主』の頬を涙がこぼれ落ちる。

「あ、あれ……? ごめんなさい。私としたことが……」

 涙をぬぐおうとする『君主』の手をつかむと、朱莉はやさしく抱きよせる。

「大丈夫ですよ」

安心させるため、朱莉は努めて穏やかな声で言った。

「ここには、私たちしかいませんから。大丈夫、西園寺さんには秘密にしておきます」

『君主』の体から、すこしずつ力が抜けていく。やがて、朱莉にすべてをゆだねるように、胸に顔をうずめると、低く嗚咽を漏らすのだった。




 翌朝、朱莉は夜明けとともに目を覚ました。

 普段はこんなはやくには起きないものの、なぜか起きてしまった。ひょっとしたら、昨日視察のために早起きをしたためかもしれない。早起きというのは、思いのほか習慣になるのだろうか。

 寝ぼけ眼をこすりつつ横を見ると、『君主』が小さく寝息を立てている。

 昨夜、けっきょく朱莉は自分の部屋に戻ることなく、『君主』の部屋で一夜を明かした。意外にも、尊は一度ここに戻ってきた。


『君主』を起こさぬよう、慎重にベッドから降りるも、

「っん……朱莉さん……?」

 寝ぼけた声で、つぶやくように『君主』が言った。どうやら起こしてしまったらしい。

「ごめんなさい。起こしちゃいました?」

「いえ……大丈夫です。朱莉さんはもう起きるのですか……?」

「なんだか目が覚めちゃったもので。『君主』さんはまだ寝てても大丈夫ですよ。ごはんの時間になったら起こしますから」

「私も起きます……」

 まだ頭が働いていないらしい。『君主』はふらつきながら立ち上がる。

「もう、眠いなら寝てていいんですよ?」

「大丈夫です」

 なぜか変なところで強情だった。


 あまり無理に寝かせるのも、邪険にしているようで目覚めが悪い。朱莉は仕方がないというふうにため息をつくと、

「いまお茶を入れますから。ちょっと待っててくださいね」

「ふぁい……」

 あくびまじりに返事をしてくるところを見ると、朝は弱いのかもしれない。こんな姿も、最初に会ったときからは想像もつかないものだ。知らなかった部分を知れると、仲良くなれたようでなんだかうれしい。


 思いがけずできた朝の時間を、二人は優雅に楽しむことにした。外にいる西園寺も誘ったものの、体よく断られてしまった。けっきょく彼は、一晩中立っていたらしい。

 それを聞くと、こうして紅茶を飲んでいることもなんだが申しわけなくなってしまう。

 ここでの朝食の時間は、朝八時と決められている。宿泊客の都合で、多少の融通をきかせることは可能だが、特に要望は出していないため時間どおりに運ばれてきた。

 朝食のメニューは、ブロートヘンと呼ばれるちいさなパンに、チーズやハム、ソーセージを添えたものだ。


 朝食のあと、朱莉は『君主』に隠れて小箱から取りだした薬を水で何錠か飲む。

 とりとめのない、明日には内容を忘れていそうな雑談も、この少女としているととても楽しい。まだ会って間もないのに、ずっと昔から知っていたような、そんな気さえする。

 朝食を済ませ、二人は身支度を整える。今日は視察二日目だ。終わったら、『君主』と一緒に買い物に行こう。

 そのまえに懸念もある。昨日を顧みて、あの少年も余計なことを言わなければいいのだが、どんなに祈ったところでムダだろうという諦めもあった。

 今日のことを考えると、いまからとても不安だ。

 と、


「美神朱莉。貴様を拘束する」


 扉を開けた瞬間、朱莉と『君主』を出迎えたのは、“治安維持”の名の下、玄武地区を絶対的な武力で支配する警察軍であり、朝桐の私設軍隊『シュトラーフェ』だった。

 彼らはみな、アサルトライフルではなく、一振りの刀を持っていた。その切っ先を、まっすぐに一人の少女にむけている。これは――『銀狼』だ。

「私を拘束!? ど、どういうことですか!?」

「白々しい。とぼける気かね?」

 答えたのはさきほどと異なるしわがれた声。『シュトラーフェ』が道を開けると、その人物はモーゼのように空いた道をすすむ。

 玄武地区地区長、朝桐だった。


「朝桐さま。いったい、これはなんの騒ぎですか?」

「朝から無粋な真似をして申しわけありません。『君主』。この女は、畏れ多くもあなたさまの暗殺を企てていたのです」

「そんな……ありえません……!」

「心中お察しいたします。しかし、これは紛れもない事実であります。昨夜、匿名の電話があったのです。“美神朱莉が『君主』の暗殺を企てている”と」

「あなたはそれを信じたのですか?」

「むろん、すぐには信じられませんでした。が、『シュトラーフェ』がこの件を、慎重かつ迅速に調査した結果、たしかであるという証拠を得たのです」

「では、その証拠を提示してください。いま、この場で」

 語気を強めて言うも、朝桐は残念そうに首を横にふる。


「申しわけありません。いくら『君主』のご命令とはいえ、それはできないのです」

 顔をあげると、今度は一転してなにか決意を固めたような口調で言う。

「ご安心ください。下手人はこちらで拘束いたします。『君主』さまは、心行くまで玄武地区をお楽しみください。連れていけ」

 ひどく冷めた声で部下に短く命じると、屈強な男たちが両脇をがっちりとかため、そのまま引きずるようにして連れて行ってしまう。

「ちょ、ちょっと待って! 痛いっ! 離してくださいっ!」

「朱莉さん! 西園寺!」

 助けを求めるように、護衛に声をかける。が、彼はなにも言わずにかぶりをふるだけだ。

「では西園寺君。『君主』さまを頼んだよ。では」

 恭しく一礼すると、朝桐もその場をあとにする。


 さきほどまで物々しかった廊下は、耳が痛いほどの静けさに包まれるのだった。

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