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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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玄武地区⑥

 ガラス張りの扉を開きホールに入ると、正装した従業員たちが左右一列に並び、拍手をもって出迎えてくれた。


 高級そうなブロンズ像が立ち並び、床にはレットカーペットが敷かれ、生演奏のヴァイオリンの音まで響いている。

 朝桐曰く、“玄武地区で最も高級なホテル”とのことだったが、なかなかどうしてずいぶんとはりこんだものだ。

 あるいは、これもご機嫌取りの一環か。本命は『君主』であって、自分たちはその“ついで”に過ぎないのかもしれないと朱莉は感じていた。


 部屋に案内されるとまずはシャワーを浴び、大きめのベッドにゴロンと横になる。ふとのどが渇いたので、テーブルの上に置かれていたメニューを手に取る。

 ルームサービスが充実しているらしく、飲食だけでなく、ボードゲームやカードゲームなどもあるらしい。部屋には冷蔵庫も備えつけられているので、そこから取ってもいいのだろうが……果たして勝手に飲んでもいいものか。尊に言えば、『予算を使いきるためにも飲め』とか言うかもしれないが、やはりすこし気が引ける。

 そんなことを考えながらメニューとにらめっこしていると、ドアが控えめにノックされた。


「美神さん。私です、西園寺です」

「あ、はい! ちょっと待ってください!」

 急いでベッドから降り、ドアを開ける。

「急に申しわけありません。一つ、お願いしたいことがありまして」

「? なんですか? 私にできることなら……」

「じつは……『君主』の話し相手になっていただきたいのです」

 西園寺は声をひそめて言った。

 いま、『君主』は部屋で暇を持て余しているらしい。お忍びで来ているので、あまり目立つこともできない。そこで、朱莉に部屋に来て相手をしてほしいというのだ。

 二つ返事で了承した朱莉だが、西園寺は苦虫をかみつぶしたかのような顔をしている。

 どうやら、『君主』は尊も呼んでいるらしい。

 あの少年の性格を知っていれば、このような表情になるのも仕方のないことだろう。むしろ、喜べというほうが土台無理な話だ。


 案の定、というべきか、何度呼び掛けても反応せず、ようやく返事をしたと思ったら面倒くさそうに、しかも舌打ちのおまけ付きという期待を裏切らない対応をしてくれた。

 渋る尊を伝家の宝刀で斬りつけ、半ば無理やり部屋に引きずっていくまでに十分以上かかってしまった。

 尊を呼んだことで、『君主』をより退屈させてしまうという、本末転倒なことが起こった気がしてならない。

 しかし、その考えは自分たちを出迎えてくれた『君主』の顔を見た瞬間に霧散した。


「ようこそ、柊さま、朱莉さんっ! 来てくださってありがとうございます」

 信じがたいことに、彼女は笑顔でそう言った。尊の顔を見て喜ぶ人間が唯以外にもいたのかと朱莉は心底驚いた。

「いえいえ。私も退屈だったので、ちょうど話がしたいなって思ってたんです!」

「俺は忙しかったのだがな」

 笑顔で手を取りあう少女二人に、わざわざ水を差す言いかたをする少年の性格は、かなり悪いと言わざるを得ないが、この程度で辟易するほど慣れていないわけでもない。

「もう、どうしてそういうことを言うのかなぁ。『君主』さん、気にしないでくださいね。どうせ、暇なんですから」


 呆れた顔をしつつも、適当にあしらう程度はできるようになってきた。相手が相手なら寿命が縮む思いをするところだが、『君主』は本当に気にしたふうもないので、朱莉もすこし気が楽だった。

「ふふっ、ごめんなさい。せっかくいらしたのですから、柊さまもくつろいでいってくださいね」

 尊は当然だとばかりに鼻を鳴らすと、勝手にすたすたと歩いて行ってしまう。


「ちょ、ちょっと柊くん!」

 朱莉がたしなめようとするも、『君主』はニコニコとしている。その笑顔が、不意にすこし曇った。

「では、私は外におりますので。なにかありましたら」

 そう言って退出しようとする西園寺の服の裾を遠慮がちにつかむと、ちいさく言った。

「さっきはごめんなさい、西園寺。柊さまの手前ああ言うしかなくて……なにも本気で言ったわけではないのです。あの、怒ってますか……?」

 西園寺は、最初なんの話をしているのか分からない様子だったが、自分が尊に反論したとき『君主』にたしなめられたときのことだと思い当たったらしい。柔らかく微笑むと、

「大丈夫です、『君主』。ちゃんと分かっておりますので」

「本当ですか?」

「もちろんです。私は怒ってなどいませんよ。ご安心ください」

 しばらく西園寺の顔を見ていた『君主』だが、やがて安心したように息を吐く。

「では、私はこれで」

 律儀にもう一度挨拶して、護衛のために外にでる。


 西園寺を見送ってから、朱莉がすこし笑って言った。

「ふふっ。『君主』さんもああいうことを言うんですね」

 言われて朱莉に見られていたことを思い出したらしい。顔を真っ赤にして言う。

「へ、変に思いましたか……?」

「いいえ! むしろ逆です! 『君主』さんは本当にやさしい人なんですね。ますます好きになりました」

「か、からかわないでください……」

 すっかり打ち解けた二人は、和気あいあいと話す。もっとも、それは空気を読めないヤジによって中断されてしまったのだが。


『君主』の部屋はこのホテルで一番豪華らしい。平たく言えば、ロイヤルスイートルームというやつだ。

 天井は曇りガラスでおおわれており、そのため天井全体が光っているように見える。大窓からは夜景が一望でき、備えつきのプールまであるようだ。

 外の見張りを西園寺に任せているので、四つ足の小さな白いテーブルは三人で囲むこととなる。

「このクッキーも、朝桐さまの人脈で輸入されたものだそうです」

『君主』が茶色のクッキーをつまみあげて言った。名前をヌテラクッキーというらしい。

 ヌテラと呼ばれるスプレッドを使い作られるクッキーで、甘くしっとりとした触感のクッキーだとか。ご丁寧に、メニューに簡単な説明が書いてあった。


「なにからなにまでご苦労なことだな。息苦しくてかなわん。レシピさえ知っていればだれでも作れるんだ。輸入するまでもない」

 そんなことを言いながらも、尊はクッキーを口に運んでいる。

「じゃあ柊くん知ってるの?」

「知っているわけないだろう」

「なにそれ……」

 朱莉はあきれた目をしている。


「自分で作れたら楽しそうですね。あこがれちゃいます。私、こういうのあまり食べたことがないので」

「そうなんですか?」

「皆さま、お菓子とかは宮殿に送ってくれるのですけど、西園寺があまり食べさせてくれないのです」

「フン、食べすぎると朱莉のようなドラム缶体型になるぞ。あの男に感謝するんだな」

「ドラム缶って……私べつに寸胴ってわけじゃないし……」

 気にしたように胸を撫でる。

「っていうか! これでも気にしてるんだから、あんまり突っこまないでよ!」

 精一杯の抗議にも、尊は鼻を鳴らすのみだが、

「そうですよ、柊さま! 女の子にそんなこと言っちゃダメですっ!」

 とつぜん声を張りあげた『君主』には、すこし驚いた様子だった。


「なんだ突然。またあの男にはしたないと言われても知らんぞ」

「柊さまにはデリカシーというものが足りません! ひょっとして、いつもこのようなことを言っているのですか?」

「俺はただ、思ったことを言っているだけだ。それなのに、なぜ責められねばならん」

「だって、失礼じゃありませんか! それに……そう! 朱莉さんがかわいそうです!」

「あ、あの、『君主』さん……そのくらいで……っていうか、かわいそうとか言わないでください……落ちこむ……」

「あ、すみません」

 しまったというように両手で口をおさえる『君主』。


 尊はクッキーをつまみ、面倒そうに口を開く。

「まえも思ったが、最初に会ったときとずいぶんキャラが違うな。どういった趣向だ」

「はい。宮殿にいたときは猫かぶってました」

『君主』はぺろっと舌をだして言った。

「私、いままでずっと宮殿で過ごしてきて、いろいろな教育もうけました。日常の立ち振る舞いはもちろん、季節ごとの髪の結い方。食事の作法……ナイフやフォークの角度やお箸の上げ下ろしまで。

 決められたしきたりから、一歩もでることは許されません。すこしでも違うことをすれば、すぐに厳しい叱責が飛んできます。いまはそうでもありませんけど、以前は本当に大変でした」

「しきたりねぇ……まったくご苦労なことだ。そんなにしきたりとやらが大切なら、玄関にイワシの頭でも飾ることだ。今度俺が送ってやろう。着払いでな」

「柊様はお優しいですね」

「いや、『君主』さん。ぜんぜん優しくないです」

 突っ込んでから、朱莉は入れ替わっていたときのことを思い出す。


 そうだ。あのときも、宮殿の人間たちは『君主』に“しきたり”を守るよう言っていた。

 それだけでなく、娯楽品もほとんどなく、なにもせずに部屋にいるというのは一種の拷問のようにも思えたほどだ。

 しかし、“しきたり”については、それほど厳しくは言われなかったと思うが。以前は厳しかったというのは、『君主』の誇張な気もする……。死ぬまで、決められたこと以外をすることは許されない。それではまるで、奴隷ではないか。朱莉は思わず、同情的な視線をむけてしまう。


 場の空気が重くなっていることに気づき、『君主』は慌てた様子で手をふった。

「でも、いまは宮殿ではないので、普段できないことをしてみたいなぁって思ったんです! なんかよくないですか? さっきみたいに怒るのって」

「わけが分からん」

 頭大丈夫か? とでも言いたげに『君主』を見る。口に出さなかったのは空気を読んだわけでは決してなく、あまりにも予想外の言葉だったのですこし混乱しているのだろう。

 そのおかげで助かった。常時混乱してもらったほうが、いろいろとやりやすいのかもしれない。


「もしかして貴様、Sなのか?」

 そう思ったそばからこれでは、一瞬たりとも気が抜けない。コレと長い間つき合ってきた瀬戸と律子は本当にすごいと思う。

 もっとも、これに関しては気を張っていたところでどうしようもないだろうが。

 しかし、

「S……ってなんですか?」

 言葉の意味が分からなかったらしい。『君主』は不思議そうに首をかしげている。


「なんでもないんです! べつに知らなくても大丈夫なことなので!」

 首を横にふって話を変えようとするも、『君主』は不満げな顔だ。

「? なんだか私だけ仲間はずれみたいですね……」

「そんなことないですよ!」

「じゃあ、Sってなんですか?」

「それは……」

「ほらやっぱり仲間はずれじゃないですか」

 ぷくーとハムスターのように頬を膨らませる『君主』。

 これは困った。どうしたものかと迷い、ダメもとで元凶である少年に目をむける。

 フォローを求めての目配せだったが、意外にも尊はフッと笑うと口を開いた。


「貴様の護衛に訊いてみろ。やつはMだろうが、きっと詳細に教えてくれるだろうさ」

「西園寺に? 分かりました。さっそく……」

「それは絶対にダメです!」

 立ちあがった『君主』の手首をつかんで制止したのはもちろん朱莉だ。

「? どうしてですか?」

「それは……」

 と、また朱莉は返答に窮してしまう。

 だが、ここで『君主』を行かせるわけにはいかない。もし尊が『君主』に余計なことを吹きこんだことが分かれば、加えて、勝手に性癖を決めつけられたことがバレたら、現状ただでさえ不穏な二人の関係がどうなるか分かったものではない。


「やっぱり私だけ……」

 捨てられた子犬のような目で見られ、朱莉は「あーもー!」と頭を掻きむしりたくなってしまう。

「とにかく、ダメなものはダメです! 話変えましょう? ね?」

「Sというのは……」

「柊くんちょっと黙ってて!」

 鬼のような形相で迫られ、尊は白けた調子で肩をすくめてクッキーをつまむ。

「もう、変ことばっかり言わないでよね」

「変なこと? なんの話だ。分からないから具体的に教えてくれ」

「うるさいっ!」

 かみつきそうな勢いで言うと、何事もなかったかのようにクッキーを食べる。


「……さっきからずいぶん食べてるね。柊くんこそドラム缶体型になるんじゃないの?」

「あいにく、毎晩の運動は欠かしていないんだ。昨日も律子が寝かせてくれなくてじつに困った」

「な、な、な……」

 顔を真っ赤にして、金魚のように口をぱくつかせる朱莉。

「朱莉さん? どうされたのですか?」

『君主』が心配そうな顔をしてのぞきこんできても、答えることができない。

「気にするな。思春期特有の妄想で勝手に照れているだけだ」

「そうなのですか」

 なんか『君主』が納得したようにうなづいている。否定したいのだが、さっきから余計なことばかり考えてしまってうまく話せない。


「ところで、柊さまが毎晩されている運動というのは、どんなものなのですか? 今日は結構食べてしまいましたから、参考にしたいのですが……宮殿にかえってからではできませんから……ここでもできますか?」

「やろうと思えばどこでもできる。だが……そうだな。これに関しては貴様の護衛のほうが詳しいだろう。実体験を交えて詳細に教えてくれるはずだ」

「また西園寺ですか? 意外と博識だったのですね。ふふっ、ずっと一緒にいたのに気づきませんでした。じゃあ、さっそく……」

「それは、本当に、ぜっっっっっっっったいに、ダメですッッッッ‼」

 ふたたび『君主』の手首をつかむと力任せにイスに座らせる。


「最高主権者に対して、ずいぶん暴力的だな。不敬だぞ」

「だれのせいだと思ってるのっ!?」

 さすがに朱莉の剣幕に驚いたらしい。むろん、尊がではない。彼はいま足を組んで優雅に紅茶を飲んでいた。

 驚いたのは『君主』である。

「あの、朱莉さん……?」

 おそるおそる、朱莉の様子をうかがってくる。

 朱莉は気を落ち着かせようと一度深く深呼吸をすると、

「いいですか、『君主』さん。そういうことを人に訊いてはいけません」

「どうしてですか?」

「それは、その……失礼だからです」

 どう言っていいのか分からず、結局ざっくり言うしかなかった。


 それでも、いちおう納得はしてくれたらしく、

「はい。分かりました」

 素直に言うと、にっこりと笑って見せる。

 今度は安堵のため息をつき、諸悪の根源である少年に目をむけると、彼は立ち上がってドアにむかっていた。

「ちょ、ちょっと柊くん!? どこ行くの!?」

「分からないか? 電話がかかってきたからでるんだ」

 たしかに、彼のスマートフォンからは着信音がなっている。

 その着信音は、唯の声で「兄さんお電話です」と知らせているもので、朱莉はドン引きし、条件反射で発言してしまった。


 それはともかく、彼がやろうとしていることはまったく常識的なことなのだが、どうも納得がいかない朱莉である。

「そういうことだ。あとは貴様らで楽しめ」

「柊さまはお戻りにならないのですか?」

 さも当然のように訊いてくる『君主』としばらく目を合わせていた尊だが、

「……気がむいたら戻ってきてやる」

 根負けしたように言った。

「はい。お待ちしております」

 一点の曇りもない笑顔で言われ、さすがの尊もため息をつくしかないようだ。


『君主』は尊が戻ってくるのを心待ちにしているようだが、もう戻ってくるな、と朱莉が固く念じていたのは秘密である。

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