玄武地区⑤
「寝てしまわれましたか」
いままで遠くで見守っていた西園寺が『君主』の顔を覗きこむ。その両手には、いくつかの紙袋が下げられていた。これらはすべて、朱莉と『君主』が購入したものだ。
「西園寺さん……ごめんなさい。荷物持ちみたいに扱ってしまって……」
「お気になさらないでください。大したことじゃありません」
二人とも『君主』を起こさないよう声をひそめているが、そういった気づかいをまったくしない者がいることを、うかつにも失念していた。
「人を散々つき合わせておいて、自分はお昼寝とはな。まったく恐れ入るよ。俺もそんな風に自由に生きてみたいものだ」
久しぶりにしゃべったと思ったらこれとは。恐れ入るのはこちらのほうだ。
静かにしていてくれたおかげで、じつにスムーズに観光することができた。いつもこうだと非常にありがたい。
驚いたことに、尊も紙袋を持ってくれた。どうやら、以前『君主』と入れ替わっていたときに、唯へのお土産を買うのに『君主』に手伝わせたらしい。それがあって、了承するしかなかったようだが……。
しかし、なぜいつもうるさい尊がこうも大人しくなったのか。
「一つ、ご忠告申しあげたのです」
西園寺が朱莉の胸の内を見透かしたように言った。
「余計なことを言いすぎると、視察のスケジュールが遅れ、それは結果的に最愛の妹さんに会う時間もズレることになると」
ああ、と朱莉は声をあげそうになる。
おそらく瀬戸からでも聞いていたのだろう。西園寺も、伝家の宝刀を抜いたようだ。こう何度も抜かれると、安っぽい感じも否めないが、それしかないのだから仕方がない。
「勘違いするな。貴様の忠告を聞き入れたわけじゃない。すべては唯のためだ」
いや、この場合は自分のためだろうと思ったが、それはそれとして、言っておかねばならないことがある。
「柊くん、ありがとうね」
「なんの話だ」
不思議そうにではなく、うっとうしそうに言うところがじつに尊らしい。
「こっちの話。でも、本当に助かったんだよ。だから、ありがとう」
『君主』と地区を見て回ることになったとき、どうやったら『君主』を楽しませることができるかということばかり考えて、『君主』自身の気持ちを考慮することがおろそかになっていた。
そんなとき、以前の尊の言葉を思い出したから、『君主』とともに、楽しい時間を過ごすことができたのだ。
ふと『君主』の寝息が耳に届く。それが呼び水となって、一つの感情があふれ出てくる。
気づいたときには口に出していた。
「西園寺さん」
「はい」
「『君主』さん。ずいぶん、お疲れみたいですね」
朱莉は静かに言う。
「どうして、こんなに疲れてるんでしょう?」
――あれ?
自分でしゃべっておいて、妙な違和感を感じた。
「どうして、この子だけが……」
そうか。
朱莉は確信した。
「毎日毎日『安全地帯』のためにがんばって。休むことさえできずに……すこし、背負わせすぎなんじゃないですか?」
いま、自分は怒っているのだ。
自分の膝で眠る”少女”が、傷ついていることに。
言い終わってから、唐突にハッとした顔になる。
「ご、ごめんなさい! いま、私……」
「いえ、構いません。本当のことですから……」
西園寺はほんの一瞬目を細めて続ける。
「これは、『君主』にしかできないことなのです。替えの利かない、唯一無二の……」
しかし、といままで表情を崩すことのなかった西園寺が柔らかく微笑んだ。
「美神さん。あなたのお心遣い、『君主』に代わって、心より御礼申しあげます。本当に、ありがとう」
西園寺は一度言葉を区切り、『君主』の指へと視線を移す。
「それと、このペアリング……『君主』はとても喜ばれております。重ね重ね御礼を」
そう言って、頭まで下げるのだから、朱莉は慌ててしまう。
「そ、そんな! 私こそ事情も知らないのに失礼なことを……!」
尊と唯のロケットを見たときからあこがれていたのだ。信頼できる相手とおそろいのものを、肌身離さず持っていることを。
『君主』の場合は、信頼というか……放っておけないというか、なにかしてあげたいという気持ちのほうが強いのだが。
「ところで美神さん。お体の具合は大丈夫ですか?」
「え?」
「瀬戸局長から、お体が悪いと聞いたもので……さきほどのまれていた薬、宮殿でもお飲みになっていましたね。ひょっとして、無理をされたのではないかと」
「ああ、大丈夫ですよ! 気にしないでください!」
「そうですか。それならいいのですが……」
「ん……?」
朱莉の声が目覚ましとなってしまったらしい。『君主』が目を覚ました。
「フン、これはいったいどうしたことだ? 俺に非難がましい視線をむけたやつがたたき起こすとはな」
そんなことを言われては、朱莉は微妙な顔になるしかない。とりあえず『君主』に言う。
「おはようございます」
「おはようございます」
寝ぼけているのか、『君主』はオウム返しに言う。
「ごめんなさい。寝てしまっ……て……」
最後になるにつれ声がちいさくなっていき、また、顔も朱色に染まっていく。
「あ、あれ? ど、どうして私……ご、ごめんなさい朱莉さん!」
膝枕をされていることに気づいた『君主』は、顔を真っ赤にして慌てて起きあが……
「「いてっ!」」
ろうとして、朱莉と『君主』のデコがぶつかった。
「いいんですよ。私が勝手にやったことですから」
朱莉はデコを押さえながら涙目で言う。
「そ、そうなのですか……」
『君主』はいまだ混乱しているらしい。ごまかすように髪をいじる。
「『君主』。髪が痛みますのでお控えください」
「あ、す、すみませ……もうっ! これくらいいいじゃないですか!」
西園寺にたしなめられ、一度は謝ろうとしたものの、混乱しているためなのかなぜか逆切れした。
「ずいぶんと楽しそうじゃないか。簡単でうらやましいよ」
西園寺に忠告されたばかりでこの物言い。インコのように脳みそが一グラムしかないのかと疑わしくなる。
「そんな顔をするな。ただ思っただけだ。人生というのは、じつにバランスがいい。楽しいことのあとには、必ずつまらんことが待っているものだ」
皮肉っぽく唇をゆがめると、白けた視線をむける。
「おや」
と親しげな笑顔をはりつけ、ある人物が姿を現した。
「これはこれは『君主』さま。わが玄武地区は楽しんでいただけていますかな?」
玄武地区地区長を務める白髪頭の小男――朝桐だった。
その後ろには護衛の『シュトラーフェ』と、秘書の白瀬の姿もある。『シュトラーフェ』はアサルトライフルの代わりに、腰に一振りの刀を下げている。『銀狼』持ちの『シュトラーフェ』だった。
「朝桐さま、ご無沙汰しております。本日は寛大なお心遣い、ありがとう存じます」
さきほどまでの子供っぽい天真爛漫な声色がなりを潜め、最初に会ったときとおなじ、鈴のように凛とした、不思議な余韻を含んだ声で言う。
「いえいえ、いいのです。あなたのお役に立てるだけで、私はとてもうれしいのですから。
おや、ティルトンをお召しになっているのですか。とてもよくお似合いですよ」
ニコニコと笑ってはいるが、その笑顔はどこまでも作り物めいている。ありていに言えば、うさん臭かった。
『君主』は恐縮でございますと礼を言ってから、
「とんでもございません。私から無理を言ったのですから、どうかお気になさらないでください」
「いやぁ、相変わらずあなたさまの謙虚さには頭が下がりますな。このようなかたに仕えられるとは西園寺君、きみも鼻が高いだろう」
「新鮮な刺激とともに、毎日を過ごしております」
西園寺は妙に無機質な声で言った。
朝桐は「そうだろう」と言うと、笑顔のまま今度は尊たちに視線を移す。
「君たちが、今回の視察官の柊君と美神君かい?」
「は、はい! 初めまして、美神朱莉です!」
「初めまして、朝桐です。これは驚いた。本当に『君主』さまと瓜二つだな。さきの事件では、きみも大変だったね。そうしておなじ格好をしていると、本当の姉妹のように見えるよ」
そう言って顎を撫でた朝桐に、尊は白けた顔をむけて言う。
「そういう貴様は地区長の朝桐だな。ずいぶんと遅いご登場じゃないか」
いつもとおなじ態度を崩さない尊に、朱莉はしまったと息をのむ。
しかし、意外にも朝桐は気にしたふうもない。
「ああ、これは申しわけない。すこし外出していたものでね。慌てて飛んできたのさ。君のことは瀬戸君から聞いて知っているよ。なんでも、飼い主の手をかみちぎる狂犬だとか」
“外出”、外国に貿易にでていたということだろう。
“慌てて飛んできた”というのもあながちウソではない。文字どおり、外国から飛んで帰った朝桐は、地区中に張り巡らせた“ポスターの網”によって尊たちの居場所を特定し、わざわざ顔を見せたということだ。
あるいは、玄武地区にいる限り、朝桐の目から逃れることはできない。そういった“みせしめ”のためかもしれない。
尊は肩をすくめるとあざけるように言う。
「そんな隙を見せるほうが悪いのさ」
重職につく人間をまえに、こう嘯くことができるのはさすがというほかない。
そう思わせておいて、まったく尊敬できないというのも、さすがと言わざるを得ない。
朝桐は相変わらずの笑顔で訊いてくる。
「それで、どうかね? 玄武地区は? ぜひ、率直な感想を聞きたい」
「すばらしい地区だと……」
という朱莉の社交辞令をさえぎるように、
「わざわざ言うまでもないと思うんだがな。くだらない、というほかない。わざわざ視察する価値は感じない」
「視察を申しでたのは君たちだよ」
「勘違いするな。それは中央省がごねているだけだろう。俺には関係のない話だ」
つまらなそうに肩をすくめる尊を、朝桐は残念そうな目で見る。
「そうか……自分で言うのもなんだが、私はこの地区はとても素晴らしいと思うのだがね」
「フン、心配するな。そこら中に張りつけてあるセンスのないポスターと、そこらの無粋な連中をのぞけば、なかなか面白い地区だ」
尊が唯以外を素直にほめたことに感動を覚えた朱莉だったが、
「こんな閉鎖空間で、独裁者を気取っている人間がいるというのが、じつに面白い。天然記念物に指定できないか、俺から掛け合ってやろう」
つぎの言葉で裏切られてしまう。
いや、この少年を信用した自分がバカだったのだ。
――これはさすがにまずい。と焦る朱莉だったが、
「はははははははっ‼ 面白いことをいう男だな! 瀬戸君がきみを気に入っている理由が分かったよ」
冗談とうけとったのだろうか、朝桐は快活に笑いだす。
尊はそれが面白くないというように舌打ちをしたが、結局それ以上余計なことを言うことなく、代わりに白けた顔になる。
「まあ、ゆっくり見ていってくれまたえ。われわれには、後ろ暗いことなど何ひとつないのだからね」
『君主』といい朝桐といい、重職につく人間というのはこうもみな寛容なのだろうか。思えば、瀬戸も尊に対してはそういうところが多いのだから、これが責任ある大人の余裕というものなのかもしれない。
「『君主』さま。ホテルのほうは、私が手配させていただきました。この玄武地区で最も高級なホテルです。お気に召すとよいのですが……」
「なにからなにまで、ご迷惑をおかけいたします」
「迷惑だなんてとんでもない。言いましたでしょう? あなたのお役に立てるだけで、私は嬉しいのです」
軽蔑したように鼻を鳴らした尊に、朝桐は相変わらずにこやかに言う。
「君たちのホテルも、ちゃんと用意させてもらったよ。二部屋とっておいたのだが、もしかして、一部屋のほうがよかったかな?」
からかうように言う朝桐を、尊は冷めた目で見かえす。
「気づかいは無用だ。俺は唯以外の女になんら興味はない。こいつなど、グレムリンとなんら変わらん」
相変わらずの物言いだ。なにか言いかえしてやろうかと思ったが、朝桐がなにも言いかえしていない以上、自分が反論するわけにもいかないので、朱莉は泣き寝入りするしかない。
「お心遣い感謝いたします。朝桐さま」
尊をけん制する意味もあるのだろうか、西園寺はほんのすこしだけ語気を強めて言う。
朝桐は軽く手をあげて、
「では、『君主』さま。どうぞ、心行くまでお楽しみください。君たちも、気のすむまで見ていってくれたまえ。白瀬君、頼んだよ」
『シュトラーフェ』を引きつれ、笑いながら去っていく朝桐の背を見送ると、西園寺が呆れたように息を吐いた。
「本当にあなたは……非常識というか、怖いもの知らずというか……感心しますね」
「貴様に褒められてもうれしくもなんともないな」
「ご安心ください。誉めてはいませんので」
「西園寺」
『君主』が護衛を軽くたしなめる。本来、西園寺は責められる理由などないはずだが、そこはもう割りきるほかない。
「こんな子娘一人に媚を売りに来たのかと思うと、頭が下がる。そこまでする理由が、俺にはまったくわからんね」
『君主』たちのまえでこんなことまで言うとは、もはやため息すらでない。
「さて、もうそろそろいいだろう。これ以上時間をムダにする必要もない。さっさとホテルに行くぞ」
「……分かったよ。行こうか」
ここで逆らったところで、さらに面倒なことになるのは目に見えている。わがままな子供が駄々をこねているだけと自分に言い聞かせ、朱莉は素直に従うことにした。
「すみません。『君主』さん。私はこれで失礼します」
「いいえ。こちらこそ、無理につき合わせてしまって申しわけありません。西園寺、私たちも今日はもう休みましょう」
「かしこまりました」
西園寺が一礼すると、
「それでは皆さま、ホテルにご案内いたしますので、こちらへ」
白瀬が相変わらずの無機質な声で言うのだった。
存在感がなさすぎて、彼女のことをすっかり忘れてしまっていたのはここだけの話だ。




