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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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玄武地区②

 律子に見送られ、部屋を辞した二人を出迎えたのは、白瀬と名乗る女だった。彼女は朝桐の秘書を務めており、迎えに行くよう言われたのだという。


「お待ちしておりました。どうぞ、お乗りください」

 ドアを開け、乗るように促す。朝桐が迎えによこした車は黒塗りのベンツだが、そのナンバープレートは外交官ナンバーだ。

 仮に検問が敷かれた場所があったとしても、この車を止める権限を持つ者はいない。つまり、尊たちの乗る車は『安全地帯』の法の外、一台の車が一個の国となっているのだ。

 現在、『安全地帯』は特定の国との貿易を除き、他国との交流を制限する“鎖国”状態となっている。そんななか、外交官ナンバーの車を使うものなど一人しかいない。

 玄武地区地区長、朝桐だ。あの男は、どうも自分の存在を誇示するのが好きらしい。さきほどから、帝都をゆっくりと、見せつけるように走っているのも朝桐の指示なのだろう。そのくせ自分は姿を見せないところが、なんとも手馴れている。


「玄武地区に到着するまでのあいだ、本日の予定をご確認願います」

 出発するまえ、そう言って渡された書類に目をとおしながら、尊は軽蔑したように鼻を鳴らす。

「ぅぷっ。酔っちゃった……」

 書類を渡されてから、律儀にじっくり読みこんでいた朱莉が顔を青くして言った。

「生真面目に読むからだ。こんなものは適当に読み流せばいい。すこしは俺を見習え。そうやって読んで、もう十回目だぞ」

 それ全然読めてないでしょ、とツッコミたかったが、本調子ではないためすぐに言うことができず、結果として尊に二の句を継がせる隙を与えてしまった。

「フン、それにしても、口頭での説明を一切せずに書類を渡して終わりとは……月一回の視察というからどんなものかと思えば、ずいぶんとお粗末だな」

「やっていただくことは、すべてそこに書かれているとおりです。付け足すことはございません」

 と白瀬は言った。

 彼女は感情の起伏に乏しいらしく、ミラー越しに見える顔も、声もまったく抑揚がない平坦なもので、やもすれば眠りそうですらある。


 尊はしばらくミラーに移った白瀬を見ていたが、やがてつまらなそうに、

「まあいい。面倒ごとははやく終わらせるにかぎる。そのほうがなにかと都合がいいだろう。互いにな」

 そう言うと、書類を座席に放り投げた。

「心配するな。この程度、一度読めば暗記できる。さあ、見せしめはもう十分だろう。車の速度を上げるがいい。さもなくば、俺のツレが貴様の主人の大事な車に汚物をぶちまけることになる」

 朱莉が口を挟む間もなく、尊はどうでもよさそうに吐き捨てたかと思うと、車の緩やかな揺れを子守歌代わりに目をつむるのだった。




『安全地帯』の四つの地区は、高い城壁によって区切られている。

 俯瞰すると『×』の形となっており、玄武地区の城壁の上には管制塔が設置され、二十四時間体制で監視。仮に城壁を登ったとしても、そこには数万ボルトの電流が流れた有刺鉄線が張り巡らされており、侵入することは不可能に近い。

 徹底した対策。この城壁が“十字路”と呼ばれているのは、それに対する皮肉であった。


 高くそびえる“鉄壁”に備えつけられた、唯一の“入口”。重厚な鉄の扉のまえに、緑色の軍服を着、アサルトライフルを携えた屈強な男が二人立っている。朝桐の私設軍隊、玄武地区の治安を守る警察軍でもある『シュトラーフェ』の隊員だ。先日の式典に来ていた者たちとおなじ服を着用している。

 彼らの手によって扉が開かれると、ゆっくりと、彼らの乗るベンツは玄武地区へと入っていく。


「フン、ずいぶんと厳重だな。だが、心配するな。だれも貴様らの地区に行こうなどとは思っていない。自分では価値があると思っているものほど、他人からすれば無価値なものだ。貴様らのイワシの頭になど、だれも興味はない」

 冷や汗をかく朱莉だが、白瀬は眉一つ動かすことはない。

 また、付け足すことはない、という言葉のとおり、彼女が言葉を発することもなかった。

 窓から玄武地区をのぞいてみる。

 なんとも質素な景色だった。人通りはあるものの、町は閑散としている。その理由は、アサルトライフルを携えた『シュトラーフェ』の存在である。そんな男たちが至る所を闊歩しているのだ。物々しいことこの上ない。


 尊と朱莉は外務省に案内され、とある一室へと通された。なんとも飾りっ気のない部屋だった。ホワイトボードに長机。普段は会議室として使われる場所なのだろう。申しわけ程度に置かれた観葉植物が妙に物悲しい。

「まずはこちらをご覧ください」

 二人をイスに座らせ、机の上に置かれたノートパソコンを操作すると、ホワイトボードに映像が映し出される。

 映っているのは、朝桐と白瀬、外務省職員と見える数名の男。そして、西洋風の顔立ちをした数名の男女。


「この映像は、先日行われた某国との取引の様子を撮影したものです」

 背景を見るに、取引が行われた場所は『安全地帯』ではない。むろん、『危険区域』でもない。つまり、朝桐と白瀬たちが直接“某国”に赴き、取引をしたということだ。

「行っているのは、食品を『安全地帯』に輸入させるための取引です。成立した場合、われわれの手によって順次商品は『安全地帯』に運ばれます」

 われわれの手――つまりは朝桐の専用機だろう――彼らによって運び込まれた“商品”は、『安全地帯』でも売りだされる。今朝、尊たちが食べたパンケーキに使われていた小麦粉のように。

「取引は朝桐の信用により、独自の人脈によって行われていますので、これ以上申し上げることはありません。ご質問があればお答えします」


「特にないな。興味もない」

 本当に興味がなさそうに手をふって言う尊。

「あ、あのー……」

 おそるおそる挙手する朱莉を、白瀬の無機質な瞳がとらえる。

「はい。どうぞ」

「この商品の売上って、どうなってるんですか?」

 その質問で、もともと静かだった部屋がさらに静まりかえったかのように思えた。

「あ、あの、ごめんなさい……ちょっと気になっちゃって……」

 今朝律子も言っていたとおり、輸入された商品は『安全地帯』で作られたものより値段が高く設定されている。それが頭に残っており、つい訊いてしまったのだ。


「フン、たしかに、それは気になるな」

 つい数秒まえまでつまらなそうにしていた少年が、皮肉な笑みを浮かべて言う。

「某国とやらに利益を渡さねばならないのだから、値段が高く設定されているのは当然だが」

 と、朱莉に皮肉も言っておいて、

「それにしても、町で目にする値段は高いと言わざるを得ない」

 ニヤニヤ笑う尊に、白瀬はやはり抑揚のない声で答える。

「出た利益については、その六割が某国へ、一割が売れた店のものとなり、残りの三割が朝桐のものとなっております」

「六割ねぇ。取引する側にとっても“うまみ”が多いというわけか。うらやましいかぎりだ。人脈は大切だな」

 行く先々で敵を作っている男とは思えない発言だった。

 もっとも、このことは尊が予想していたことではある。どうせなら朝桐に言ってやろうと黙っていたのだが……。


「ほかになにかありますでしょうか?」

 まるでなにも聞こえていないかのように、尊の発言を無視した白瀬は二人に軽く目配せをする。数秒の間をおいて、なにもないと判断したのだろう。パソコンを閉じて言う。

「では、つぎにご案内します」

 そう言って歩きだす白瀬のあとを、尊が面倒くさそうに、朱莉が(尊がこれ以上余計なことを言わないかどうか)冷や冷やしながらついていく。

 住民税の徴収や、犯罪発生率、地区の運営報告書などに目をとおしたころには、もう三時を回っていた。


「残念ながら、問題はないようだな。住民税も高いということを除けば、子細ない。犯罪発生率がゼロというのはなんともウソくさいが、偽装した様子もなし。フン、なかなかどうして、思った以上に正常に機能しているようだ」

 さっきから冷や汗を流してばかりの朱莉だが、白瀬は「恐縮です」と抑揚のない声で言うだけだ。

 皮肉というわけでもなく、本心からの言葉というわけでもない事務的な言葉……。あらかじめ決められたことをプログラムどおりにしゃべっているかのような、そんな不気味さがあった。


「確認していただく書類は、これですべてとなります。昼食をとったあとは、玄武地区をご自由に視察していただきます」

 ベンツで移動しながら事務連絡をする白瀬。

「昼食ね、ここでは夕方に昼食を食べるのか。知らなかった。なにせ、閉鎖空間だからな。許せ」

 一言一句、刻みつけるような皮肉にも、白瀬は一切の反応を示さない。


 尊たちが連れてこられたのは、朝桐が用意したという店だった。

 店先は静まりかえっており、休業中なのかと不安になったが、ドアを開けるとそこはロビーとなっており、従業員らしい女二人が笑顔で出迎えてくれた。

「柊さまと美神さまですね? お待ちしておりました。ただいまお席にご案内いたします」

 二人に連れられ、奥の低い階段を上ると、開けた空間に出る。高級感のある白いイスとテーブル。照明が調節されているのか、天井の明かりはそれほど強くない。代わりに、床は明るくなっており、全体的に部屋はすこし暗く、それがリラックス効果を与えていた。


 二人を窓側の席に案内し、少々お待ちくださいと言いおいて奥に消えた従業員を見送り、

「な、なんか、すごいね……」

 すぐ近くに白瀬が無言で立っているため、自然と小声になってしまう。能面のように無表情なので、それが余計に迂闊な発言を封じている。

「フン、まえにも言っただろう。権威に必要な飾りだ。こんな虚飾に惑わされるなよ。俺の品位まで疑われる」

「もう手遅れだよ……柊くんが思ってるのとはべつの意味で……」

 思わずポロリと本音が出る。しまった、と慌てて口を押さえるも、やはり白瀬は無表情だった。あまりに感情の起伏がなさすぎて、マネキンなのではと思ってしまうほどだ。


「朝桐より」

 したがって、白瀬がいきなりそう切りだしたときは思わず驚いてしまった。

「あなた方に失礼の無いようおもてなしするように、と言付かっております。先日、瀬戸さまにあなたがたの好みの食事を訊いていただいたのは、玄武地区の料理を召し上がっていただくためです」

 そういえば、瀬戸がそんなことを言っていた。朱莉はさも驚いたかのように、

「そ、そうだったんですか……なんか、気を使わせちゃってすみません。ありがとうございます」

 と、すこしでも心象をよくするために動くのだが、

「フン、じつにしらじらしい。やはり官僚は教科書的で面白みがない」

 そんなことにはかまわず、暴虐のかぎりを尽くす少年が一人。


 フォローするべきか、もういっそしゃべらないほうがいいのではと考え始めたそのときだった。

 シェフと見える中年の男と、さきほどの従業員が、二人のもとに料理を運んできた。

 尊のもとに運ばれてきたのは、こんがりと焼きあがったパイにトマトソースがかけられた料理である。

「なんだこれは。肉料理と言ったはずだがな。他地区と関わらず、他国と貿易ばかりしているから日本語が分からなくなってしまったのか?」

 朱莉の考えむなしく、だれもなにもしゃべっていないのに、勝手に暴言を吐き始める。

「これはオージーミートパイと呼ばれる料理です。パイのなかにサラダオイルで炒めた玉ねぎと牛肉が入っている仕組になっております。甘いものもお好きと聞いたもので、このように」

 シェフから説明をうけた尊は、気に入ったのか気に入らないのか、フンと鼻を鳴らすだけだ。


 一方、朱莉に出されたのは、オリーブオイルを使ったシーフード料理だった。

「あれ、なんか……いつもとちがうにおいが……」

「そのオリーブオイルは、朝桐さまが輸入されたものとなっております。『安全地帯』産のものに慣れている方は、香りが気になるかもしれません。イカのフライにはレモンをかけてお召し上がりください」

 サラダにたっぷりとかけられたオリーブオイルの香りだったらしい。

「うん! とってもおいしいですっ! なんかにおいだけじゃなくって、このあいだ使ったものより、とろみもすごくって……」

 このあいだ使ったというのは、尊と唯とともに行ったファミレスでのことだろう。

「ありがとうございます。本場のオリーブオイルですので、なかなか手に入らない品物なんですよ」

「そうなんですか。なんか申しわけないです。私のためにこんな……」

「フン、オイルごときで……ずいぶんと恩着せがましいな」

「柊さまが召し上がっておられるパイは、彼が修業時代教わった本場仕込みのものです。もちろん、素材の小麦粉は輸入したものを使っておりますので、お二つとも、ここ玄武地区以外では召し上げることはできません」

 尊の物言いに面食らっているシェフに代わって、白瀬が説明をしてやる。


『安全地帯』建設以来、“玄武地区”は朝桐によって独裁的な運営が行われているものの、海外からの輸入品を優先的に使えるということもあり、移住したいという人間もすくなからずいたのだが、それはこのシェフのように『料理人』という人種が多かった。玄武地区にあるここのような専門店は、すべて朝桐が“買い取った”ようなものだ。

 そのような理由から、彼のような住民は朝桐を支持している、というのは一つの事実でもある。

 いずれにしても、ここはどうも居心地が悪い。このパイもたしかにいおいしいことに間違いはないのだろうが、さっきからあまり味がしない。

 こんなところで食べるより、唯と一緒に食事をとったほうが比べ物にならないくらい有意義だ。

 とはいえ、出されたものを食べないというのは主義に反する。

 こうなっては、一秒でもはやく済ますしかない。

 しかし、はやく食べようとしすぎてオージーミートパイを手に持って食べようとした結果、トマトソースで服を汚してしまったのはここだけの話である。




「どうも、ごちそうさまでした」

 朱莉は笑顔で礼を言って店をあとにした。それが尊のマイナスイメージをすこしでも払拭するためなのは言うまでもないが、幸か不幸か、その尊はいま服がソースで汚れたことで意気消沈しており、じつに大人しいものだった。

「ここからは玄武地区を自由に視察していただきます。もっとも、これ以降を行うかは自由ですので、明日の予定に備えてお休みになっても結構ですが」

「……なら今日は終いだ」

 どこか間の抜けた声で言う尊。


「あのー、私はもうすこしいたいんですけど……せっかくの機会なので、いろいろと見て回りたくて……」

 これは社交辞令などではなく、本心からの言葉である。この機を逃したら、もうここに来ることもないだろうし、見れるときに見ておこうと思ったのだ。

「ならば貴様一人で回るんだな」

「いいえ。それはなりません」

 と白瀬が言った。

「今回の視察は“二人で行う”という取り決めとお聞きしています。視察を行うというのであれば、柊さまと美神さまのお二方で行うようお願い申しあげます」

「チッ。役人め……」

 忌々し気に吐き捨てると、なにを思ったのか今度は朱莉をにらみつけ、

「おい、これ以上こんなくだらんところを見てなんになる? とっとと俺を休ませろ」

 などと言い始めたのだ。つい数秒まえまで気落ちしていたくせにこれとは、まったく恐れ入る。どうやら、まだ尊を甘く見ていたようだ。


「分かったよ……」

 すでに手遅れな気もするが、明日も視察の予定は残っているのだし、これ以上尊が心証を悪くすれば、瀬戸と玄武地区の溝もさらに深くなるかもしれない(もっとも、そうなってもいいから尊を視察官に選んだという可能性もあるが)。残念だが、そう答えるほかない。

「じゃあ、今日はもう休ませてもらおうか?」

 朱莉がため息まじりに言ったそのときだ。


「あれ? 柊さまと朱莉さんではありませんか?」

 そう声をかけられ目をやると、そこには一人の少女と男が立っていた。

 地味な色のワンピースを着ており、腰まで伸びた髪をアップにまとめているが……。

「く、『君主』さ……」

 反射的にその“名”を呼ぼうとした朱莉を、少女――『君主』は唇のまえに指をあてて片目をつむって見せる。

「すみません。お忍びでお邪魔していますので……」

「あっ。ご、ごめんなさい……!」

 朱莉は慌てて両手で口を押える。

「ふふふっ、大丈夫ですよ。驚かせちゃってすみません」

 いつもと変わらぬ『君主』の笑みは、その場を浄化するかのような錯覚を覚えさせる。


「こんにちは、美神さん。お変わりありませんか?」

『君主』の後ろに控えていた男――西園寺が問いかける。彼も普段の赤い制服を脱ぎ、目立たないポロシャツを着ている。そんな恰好をしていても、やはり彼のたたずまいには一分の隙もなく、まるで一本の刀のようであった。

「はい。西園寺さんもお元気そうでよかったです」

 朱莉と笑みを交わしたあと、ついでといった様子で尊に目をむける。

「柊さんもご無沙汰しております。おや、ずいぶんと個性的なお召し物ですね」

 尊はほんの一瞬だけ眉をひそめるも、すぐに鼻を鳴らし、

「貴様のような中年には、流行というものが分からんか。だが心配するな。貴様が普段来ている派手な服のほうがよほど格好いいぞ」

 いくら傲岸不遜に言おうと、服にシミがついているため、いまいち締まらない。


「そ、それにしても、ここでお二人にお会いするなんてびっくりしました。もしかして、お二人も視察とか?」

 これ以上尊が余計なことを言うまえに、朱莉は少々無理やり話しに割って入る。

「いいえ。私たちは観光です。玄武地区は、以前からぜひ行ってみたかったもので、地区長の朝桐さまに無理を言ってお願いしたのです」

 と『君主』。

「朝桐からうかがっております。“『君主』さまが観光にいらっしゃるからくれぐれもご無礼の無いように”と」

 白瀬がやはり平坦な声で言った。


 瀬戸曰く、『君主』の素顔を知っているのはごく一部の人間のみということだが、“観光”にあたって、知らされていたのかもしれない。

「観光ねぇ。人が仕事をしている最中にそれはまた結構なことだが、よりにもよってこんなところに来るとは……センスゼロだな」

 ……どちらを選んでも、結局運命は変わらなかった。発言しようがしまいがこれではどうしようもない。

 なんだか一気に疲れてしまい、肩を落としそうになる。

「相変わらずですね。しかし、午前中の視察だけで判断するなんてあなたらしくもない。いささか早計ではありませんか?」

「フン、“あなたらしくもない”か。貴様がいったい、俺のなにを知っているのかは分からんが、貴様らには分からずとも、俺には分かる。ここはじつにバカバカしいところだよ」

「私が申しあげているのはそういうことではありません」

 西園寺は鼻先で笑って言った。

「いまあなたは、『中央省の代表』として、この場にいるのです。つまり、あなたの言動一つで中央省を貶めることになる。もうすこし、わきまえたほうがよろしいのではないかと思いまして」

「あいにく思ったことがすぐに口を出るタイプでね。それに、俺はいま視察に来ているんだ。そんな場で社交辞令を述べてどうする? およそ無意味というほかない。もっとも、本音を言ったところで茶番にしかならんがな」

「そこまでおっしゃるのであれば、お越しにならなければよかったのでは? どうしてもと断れば、瀬戸局長も分かってくださるでしょうに」

「残念ながら、それは縦社会では許されざることのようなんでね。わざわざ、俺が来てやったというわけだ」

「でしたら、ご自分の感情をおさえて仕事に専念なさらないと。瀬戸局長の顔にも泥を塗ることになりますよ」

「安心しろ。やつの面の皮はこの程度ではがれるほど薄くはない。だから俺も安心して意見を主張できるんだ。これはやつへの信頼の証だよ」

 心にもないことを、なんでもないことのように、平然と言ってのける尊。

 ――面の皮が一番厚いのはおまえだ。

 それは、その場の全員が思ったことであろうが、その舌の根も乾かぬうちに、

「そうしつこく食い下がるな。あまりくどいと、『君主』の品位が下がるぞ? 貴様こそ言動を弁えるがいい」

 などと言ってしまうのだ、この少年は。

 ギスギスギスギスギスギスギスギスギスギスギスギスギスギスギス、

 という擬音が聞こえてきそうなほどの空気の悪さに、朱莉は心臓が圧迫される思いだった。


「おやめなさい、西園寺」

 その鈴のような、不思議な余韻を含んだ声は、まるで空気に溶けこむかのように静かに響いた。どんなに高ぶった心も、言葉一つで落ちつけることができるのではないか。そんな気持ちにさせられる。

「私たちは、争いに来たのではありません。弁えなさい」

「……は。申しわけありません」

 一歩さがった西園寺は、頭を垂れる。

「柊さま、西園寺に代わってお詫びいたします。どうか、ご無礼をお許しください」

「そ、そんな……! いいんですよ、悪いのはこっちなんですから!」

 と、慌てて手をふったのはもちろん朱莉だ。

「いいえ。最初にはじめたのは西園寺ですので、非はこちらにあります」

「ほう、分かってるじゃないか」

「柊くん。お願いだからちょっと黙ってて」

 いつもとは違う怒気をはらんだ声。この少年がそれにビビったとは到底思えないが、本気ということは伝わったらしい。つまらなそうにそっぽをむくと一つアクビをする。


「でも、言いかえしたのは事実なわけですから……ここは、お互いさまということで……」

 いいよね? と尊に目で訴える。フンと鼻を鳴らすと、

「好きにしろ」

 とだけ言った。

「ありがとうございます。柊さまはお優しいですね」

『君主』の慈悲深さに、朱莉は思わず涙しそうになる。いったい、どうしたらこんなできた人間になれるのか。自分の横で白けた顔をしている少年に、つめの垢でも煎じて飲ませたいところだ。

「西園寺。そういうことです。以後は慎んでくださいね」

「承知いたしました」

 西園寺はふたたび頭を垂れる。


「白瀬さん、とおっしゃいましたね。一つお願いがあるのですが……」

 まるで一時停止のボタンを押したかのように直立不動で立っていた白瀬は、口だけを動かして対応する。

「なんでしょうか」

「もしできるなら、このあと朱莉さんと柊さまと一緒に玄武地区を見て回りたいのですが……よろしいですか?」

「『君主』、それは美神さんにご迷惑なのでは?」

「私は大丈夫ですよ!」

 快く承諾する朱莉だが、それとは正反対の態度をとる男がいる。

「待て。朱莉はともかくなぜ俺も……」

「はい。かまいません」

 白瀬が割りこむようにして言った。むろん、そんな勝手なことをされた尊は、不快気に舌打ちをして白瀬をにらんでいるわけだが、彼女の眉はピクリとも動かない。


「おい、貴様。勝手に了承するとは、いったいどういうつもり……」

「本当ですかっ!? じつは私たちもこれからそうしようと思ってたところなんです!」

 今度は朱莉が尊の発言を封じるように言う。

「なにが“たち”だ。俺は行かんぞ。だいたい貴様、俺と朱莉が別行動なのはダメで、他の人間が紛れこむのはいいと言うのか?」

「朝桐より、“『君主』さまのご要望にはすべてお答えするように”と言付かっておりますので」

「それは貴様らの都合だろう? 俺には関係のない話だ」

「柊くん。そう言わずに一緒に行こうよ。せっかく『君主』さんが誘ってくれてるんだからさ」

「誘ってくれてるときたか。俺はそんなこと頼んだ覚えはないんだがな。ずいぶん恩着せがましい話じゃないか」

 尊には取りつく島もない。

 仕方ない。もう方法はこれしかないようだ。


「……唯ちゃんに言いつけるよ」

 ボソッと、思わずでてしまった独り言のように、しかしはっきりと朱莉は言った。

「なんだと……?」

「唯ちゃんに、柊くんが協力してくれないって、言いつけちゃうよ」

「……」

「怒られるだろうなぁ……。でも、そんなに行きたくないなら仕方ないよね……私たちだけで……」

「待て」

 歩きだそうとした朱莉の背に、すこし焦ったような声がかけられる。


「なにかな?」

「仕方がない。そんなに来てほしいというのであれば、ついて行ってやる。ありがたく思うがいい」

 偉そうにふんぞりかえって言う尊。

「え? いいよべつに。無理しなくても」

「黙れ。行くと言ったら行く。時間がおしい。とっとと行くぞ」

「でも、イヤイヤ来てもらっても『君主』さんに失礼だし……」

「勘違いするな。だれに命令されたわけでもない。俺が行くと言っているんだ」

 さきほどまでとうって変わって、ねじ切れるほどに手の平をかえす。

 パン、というのは、『君主』が手のひらを合わせた音だ。

「決まりですね。では、一緒に行きましょう」


 邪気をまったく感じぬ顔で、ニコリと笑うのだった。

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