第三章 玄武地区①
「えいっ!」
柊尊は腹部に痛みを覚えて目を覚ました。
そのまえに、なにかかけ声のようなものが聞こえた気がする。
寝ぼけ眼に映りこんだのは、見慣れた少女――朱莉の顔だった。彼女はいま、騎士団養成学園の制服を着ている。
「あ、起きた? おはよう、柊くん」
「……なぜ貴様がここにいる?」
尊は開口一番、不機嫌な声で問うた。
「今日は視察の日でしょ? せっかくだから、ここで朝ごはん食べていきなさいって鬼柳教官が」
「勝手なことを。ここは俺の部屋だぞ。ところで腹が痛いんだが、貴様なにをした?」
「肘でお腹叩いたんだ。肘で45度の角度で叩くのがコツって……鬼柳教官がそうやらないと起きないっていうから……ごめんね?」
朱莉の口から出た〃鬼柳教官〃という言葉に、尊はほんの一瞬だけ目を細める。
〃みんなに謝ってくれたから許す〃。以前そう言っていたが、それで本当に、いままでとおなじ態度で接することが可能なのか?
そう考えたが、もちろん、それは顔にはださない。
「チッ。どいつもこいつも……」
文句を垂れるのも面倒だとばかりに、尊はゆるゆるとベッドから起き上がる。
まったく、最近は目覚めが悪すぎる。律子、瀬戸、朱莉ときたのだから、そろそろ最愛の妹に起こしてもらいたいものだ。そうすれば気持ちよく目覚めることもできるのだが。
着替えるからと朱莉を部屋から追い出し、左腕にワクチンの注射をうつと、騎士団養成学園の制服を着て部屋をでる。
「あら、おはよう。よく眠れたかしら?」
「貴様が余計なことを吹きこんだせいで、目覚めは最悪だがな」
「仕方ないでしょ? そうしないと、あんたいつまでも寝てるんだもの」
それがいやなら自分一人で起きられるようになってちょうだい、と律子は料理の片手間に尊の相手をする。
自分が辟易するだけの少年をこれほど簡単にあしらうとは。やはり年期の差だろうか。
尊は尊で舌打ちして会話を放棄し、イスに腰かけると、テレビをつける。まるで熟年の夫婦のようなやりとりに、朱莉は思わず笑みをこぼす。
「よく笑う女だな。人生楽しそうでうらやましいよ」
「起きてそうそうよく言うわね」
律子は関心半分、呆れ半分といった様子だ。
「ごめんなさいね、美神さん。せっかく起こしてくれたのに……」
「いえ、いいんです。もう慣れましたから」
「そう? でも、それはそれで申しわけないわねぇ……」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ」
律子は切れ長の瞳を細めて言う。
「美神さん。悪いけれど、運ぶの手伝ってくれるかしら?」
二つ返事で了承した朱莉は、テーブルの上に朝食を並べていく。
見た感じでは、朱莉は律子とは仲良くやれているようだ。唯といい朱莉といい、よくできるものだと思う。
そうして運ばれてきた料理は――。
「ホットケーキか」
「パンケーキよ」
と横から訂正したのは律子だ。
「おなじたろう」
「違うわ。ホットケーキは、厚い生地にハチミツやシロップをかけて食べるおやつ。パンケーキっていうのは、生地がうすくて、ベーコンとかスクランブルエッグなんかと一緒に食べる食事むきのものなの」
分かったかしら? とまた目を細めてみせる律子だが、当事者たる少年はフンと鼻を鳴らしただけだった。
「あなたたち、今日から玄武地区の視察に行くんでしょう? だから今日は、玄武地区が売ってる外国製のこむぎこを使ってみたわ。ベーキングパウダーの入ったケーキ専用の小麦粉なんだけど、どうかしら?」
期待したように訊くも、
「まあまあだ」
返ってきた感想はじつにそっくないものだった。
「張り合いのないやつ……この小麦粉高かったのに……」
「そうなんですか?」
「ええ。玄武地区がほかの国から輸入したものは、『安全地帯』で作られているものより値段が高く設定されてるのよ。それだって云うの……」
拍子抜けした様子の律子。すかさず助け船をだしたのは朱莉だ。
「私は好きです! 甘さ控えめだから、むねやけもしないし……とてもおいしいと思います!」
「ありがとう、美神さん」
こういう反応をもらえれば、救われた気持ちにもなるというものだ。
「なんだ朱莉。あてつけか?」
これをあてつけというあたり、この少年の根性はねじ切れている。
「フォローしたつもりなんだけど……」
「俺はフォローされるようなことはなにもしていない」
イスにふんぞり返り、パンケーキを口に運びながら尊は堂々と言ってのける。
まあまあとか言いながら、ちゃんと食べてるじゃん、という言葉を牛乳とともに飲みこんだ朱莉は苦笑いだ。
「そうだね。ごめん」
われながらここまで感情の乗っていない言葉を口にしたのは初めてだと思う。
「いいのよ、美神さん。私は気にしてないから。これから仕事なんだから、くだらないことで体力を使わないほうがいいわ」
「おい、どういう……」
懲りずに口を挟もうとした尊の言葉をさえぎるように、
「尊、はやく食べなさい。遅刻するわよ」
「そうですね。私もはやく食べないと……」
時計は午前五時過ぎを指している。玄武地区と尊たちの暮らす朱雀地区は一番離れており、車を使っても三時間はかかる。視察は九時から始まる。迎えの車はここに来ることになっているが、余裕をもつためにも、そろそろ急いだほうがいいだろう。
「玄関にバックを置いておいたから、それを持っていきなさい。なかに着替えとか必要なものは入れておいたわ」
エプロンを壁にかけると、イスに座って一息つく。
「それにしても、中央省のお金でプチ旅行なんてうらやましいわね」
「他人事だからと勝手なことをほざくな。官僚間のくたらんいざこざに巻きこまれた俺の身にもなれ」
尊も中央省に籍を置く『騎士団』で小隊長を務めている以上、歴とした中央省幹部であり、また中央官僚なのだが、それを指摘したところで「俺と連中を一緒にするな」と言われることは目に見えている。
二人がそこをツッコまなかったのは、やさしさというよりは、単純に面倒くさいからだった。
「いいじゃない。あそこは一種の閉鎖空間だもの。普段は入れない場所なんだから、いろいろ見てくれば? お土産は買ってきてちょうだいね。どうせ経費でおちるんだから」
そう言うと、眼鏡の奥でウインクをするのだった。




