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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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断章 邂逅

「ごちそうさまっ!」


 朝食を食べ終わり、手を合わせて言った朱莉は、食器を台所に運んだその足で、ぬいぐるみとともに庭に出ていこうとする。

「ストップ」

 それに待ったをかけたのは、もちろん祥子だ。

「なに?」

「ご飯を食べたら、まずはお勉強でしょ?」

 顔の横でひらひらと算数ドリルをふって見せると、朱莉は露骨にいやそうな顔になる。

「なあに、その顔は」

「だって……」

 朱莉は勉強が大嫌いだった。べつにできないというわけでもないが、圧倒的につまらないらしく、隙あらばさぼろうとする。


「ほら、見ててあげるから、ちゃんとやりなさい」

 食器を片付けると、オレンジジュースを入れてきてやる。ちなみに、このジュースは祥子がポケットマネーで買ったもので、朱莉の好物だ。

 ジュースにつられてしぶしぶテーブルにつき、ドリルを広げる。

 現在朱莉がやっているのは、小学校低学年程度の問題だ。さすがにその程度なら教えられるが、これが仮に高校生レベルになったら、教えられるか自信はない。

 もっとも、もともとこういった教育については、教える必要はないと言われていた。このドリルも、祥子が自分で買った(『安全地帯』から取りよせた)ものだ。

 そうは言っても、教えておいて損はないだろう。自分のエゴにつき合わせる形となっているが、祥子はこれを続けるつもりでいた。


「できたっ!」

「ここ間違ってるわよ」

「えぇ~なんで~?」

「はやく終わらせようとするからでしょ? 朱莉ちゃん! 勉強が終わったら、ボクと遊ぼうよ!」

 祥子はぬいぐるみを適当に動かして裏声をだす。

「うん。わかった……」

 このやり取りもいつものことだ。

「ねえ、おかあさん」

「なに?」

 また勉強から逃げるために適当なことを言うのかと思ったが、つぎに発せられたのは意外な言葉だった。


「おたんじょーびに、なにがほしい?」

「え?」

 目をパチクリとさせる祥子に、朱莉はニパッと笑う。

 そういえば、すっかり忘れていたが、来週は誕生日だった。

「あのね、プレゼントあげる! なにがいい?」

「そうねぇ……」

 顎に指をあてて考えるしぐさをするも、じつは言うことは初めから決まっている。

「なにもいらないわ。朱莉が元気でいてくれることが、なによりのプレゼントよ」

「なにそれ……」

 朱莉は拍子抜けしたような顔になる。

「ぜっかく、あげようと思ってたのに……」

「ありがとう。じゃあ、そのかわりにドリルを終わらせましょう?」

 なぜか話題がもとに戻り、朱莉はうへーとベロをだす。


 そうして一時間ほどの勉強が終わると、

「じゃあ、いってくるっ!」

 待ってましたとばかりにぬいぐるみを持って駆けだそうとするが、

「待って」

 とふたたびストップが入る。

「もぉ、なあに?」

「手伝ってほしいことがあるの」

「えー……」

 露骨にいやそうな顔をして振りかえる朱莉。だがそれも想定内だ。


「てつだいって……なんの?」

「お掃除」

 返答を聞いた瞬間、朱莉は回れ右をして逃げようとするも、けっきょくその場で足踏みするだけに終わってしまう。祥子が朱莉の腕をつかんで離さないからだ。

「手伝わないとおやつ抜きよ」

 その言葉を合図としたかのように、途端に動きが止まる。

「……わかった」

「いい子ね」

 渋い顔でいやいやうなづいた朱莉に、祥子はニコリと笑う。

 今日の天気は快晴。絶好の仕事日和だ。


「さ、はじめるわよ!」

 背伸びをして、軽く柔軟運動をしてから祥子が言った。

 やる気十分の祥子だが、対する少女は仏頂面だ。

「こら、そんな顔しないの」

「だって……」

 何度か手伝わせたことがあるのだが、朱莉はこの“お掃除”が嫌いだった。疲れるし、なにより面白くもなんともない。


 現在、『危険区域』は食料を得るときでさえ『安全地帯』から捨てられた“ゴミ”に依存している場合が多い。

 そんななか、星野孤児院が食料を確保できているのは、毎週防衛省から一週間分の食料が送られてくるためなのだが、それとて、必要最低限のものだけだ。

 表向きは“モルモットに健康的な食生活を送らせるため”ということだが、そのじつ、防衛省が予算をケチっているだけなのではと祥子は思っていた。

 もっとも、彼らにはもうほとんど権限など残ってはいないのだ。予算面で期待するほうが酷な話だろう(この仕事が終わったあと、自分に与えられるという役職も、どうせ大したものでないことは目に見えている。それでも、ないよりはマシなのだろうが)。


 その予算についても、“パトロン”に依存しているという話だ。


 けっきょく、朱莉がどうしても食べたいものがあるといったときは祥子がポケットマネーを使って買うしかなかった。

 誕生日には、あの男からもプレゼントが送られてくる。朱莉がいつも持っているぬいぐるみもその一つだ。それでなんとか、不自由はさせていないとは思うが……。

「仕方ないでしょ。掃除しないとすぐに汚れちゃうんだから。おうちが汚くなってもいいの?」

「……やだ」

「じゃあ文句言わないの」

 朱莉は分かったとも言わなかったが、文句を言うこともなくなった。

 彼女はただ、大好きな祥子にもっと遊んでほしいだけなのだ。


「そんな顔しないで。これが終わったら、いっぱい遊んであげる。だから、朱莉もお掃除がんばってね」

「うん。わかった」

「いい子ね。さ、やるわよ!」

 この孤児院はそこそこ大きい。二人で掃除するのは少々骨が折れるのだが、その場で朱莉がある発言をした。

「ねえ、どうしてお外にでたらいけないの?」

 ふとしたふうに言われた言葉に、祥子は一瞬ぎょっとした。

 “外”。防衛省の加護にある星野孤児院と違い、『フレイアX』が跋扈する世界。正真正銘の『危険区域』。


 数秒の間をおいて、いつもとおなじ口調を心掛けて言う。

「まえにも言ったでしょ? とっても危ないところだからよ」

「どうしてあぶないの? それに、おかあさんまえに言ってたよ。お外にはいろいろなものがたくさんあって楽しいって」

「私はそんなこと言って……」

 と言いかけて、祥子は困ったように口をつぐんだ。

 じつを言うと、いままでにも何度かこの質問をされたことがある。そのたびにごまかしてきたのは、防衛省より『真実を教える必要はない』と言い使っているからというのもあるが、本当のことを教えて不安がらせるのがいやだからという思いが大きい。教えても信じるとは限らないし、興味を持たれて余計に厄介なことになるかもしれない。”外のことは教えない”という点においては、防衛省の考えは支持できる。

 しかし、今日の朱莉はなんというか、妙な危なっかしさがある。


「とっても怖いものがたくさんあるからよ。だから危ないの。全然楽しくなんてないわ。私は朱莉が大好きだから、怖いところに行って、危ない目にあってほしくないのよ。だから行っちゃダメよ」

 ニコリと笑って、朱莉の頭をやさしくなでる。

 “大好き”と言われたことがうれしかったのだろうか、朱莉は笑顔になると、

「うんっ! わかった!」

 とは言ったものの……。

(すこしのあいだ、警戒していたほうがよさそうね……)

 祥子は内心ため息をつくのだった。




 その日の夜のことだ。

 孤児院のなかを、抜き足差し足で歩くちいさな影があった。

「……どこ行くの?」

 玄関を出て、数歩歩いたところで後ろから突然声をかけられ、影はびっくりして飛びあがった。

 悲鳴とともに後ろを振りむくと、そこには祥子が立っている。

「え、えっと、ちょっとおしっこ」

 影――朱莉はいま思いついたように言った。

「外にトイレはないけど?」

「くまさんがしたいって……」

「ウソおっしゃい!」


 涙目になった朱莉を見て、祥子はあきれて息を吐いた。

「まったく、すぐこれなんだから……どこに行こうとしてたの?」

 困ったように無言でうつむく朱莉だが、それで自供しているということには気づいているだろうか。

「……お外」

 朱莉は観念したように言う。

 警戒していたとおりだ。祥子は朱莉とおなじ部屋で寝ているのだが、朱莉が寝るまで起きていてよかったと思う。


「危ないから行っちゃダメだって言ったわよね?」

 コクリ。うなづく。

「じゃあどうして行こうとしたの?」

「どうしても、いきたくて……」

 朱莉はうつむいたまま言う。


「どうして?」

「だって、お外にはいろいろなものがあるんでしょ? 見てみたくて……それに、おかあさんのたんじょーびに、プレゼントも……お外ならあると思ったから……」

 泣きそうに言われると、祥子はもうなにも言えなくなってしまう。

「そう、ありがとう」

 しゃがんで目線を合わせて続ける。

「でもね、外は本当に危険なところなの。だから、絶対にでたらダメ。お勉強のときにも言ったでしょ? 朱莉が元気でいてくれることが、わたしには一番のプレゼントだわ」

 ね? と笑いかけると、朱莉は祥子をうかがうように見る。

 怒っていない、ということが分かると、安心半分、不安半分といった様子で首を縦にふる。

「よし、いい子ね。おいで、もう夜遅いんだから。寝ましょ」

 そのまま手を引いて部屋まで戻ろうとした、そのときだった。


 ――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン――


 突如聞こえたのは、この世のものとは思えない音。

 獣の咆哮などではない。聞いただけで、害を及ぼすものだと分かる、ただただ耳障りな、まるで調律の狂ったピアノのような不協和音。

(ば、バカな……!?)

 祥子ははじかれたように振りかえった。

 彼女はこの音に心当たりがある。

 これは――。


 ドズンッ、

 と目のまえにそびえる”それ”を見て、祥子は瞠目する。


 それは獣だった。人の身の丈の二倍はあろうかという巨体。黒い体は夜の闇に紛れるかのようで、そのせいか赤く血走った目が際立つ。

 その目が、獲物を探すかのようにギョロリと動く。

 五年前のウイルス蔓延によって誕生した怪物。

『危険区域』を跋扈する、人間の成れの果て。

 だが、決してここにいるはずのない怪物。

 ――『フレイアX』。


「な、なに……これ……」

 しぼりだすように言う朱莉。その声で、祥子はわれにかえった。

 力任せに朱莉を引き寄せ背に隠すと、

 ――どうする?

 必死に頭を回転させる。


 ――どこに逃げる? いや、逃げられるのか? 考えている暇はない。なんとしても逃げなければ。ここで朱莉を失うことなどあってはならない。あの男に連絡を……いや、ダメだ。いまからでは間に合わない。もとより、この状況では連絡することさえかなわない。

 だが……。

 そもそもどうして、『フレイアX』がここにいる? 孤児院の周辺は、防衛省の息のかかった『銀狼』持ちの人間が二十四時間、三百六十五日警備しているはずだ。

 第一、ここらいったいの『フレイアX』は、『騎士団』が駆除したはずではなかったのか?

 それなのに、なぜ――。

(くっ。そんなこと、いまはどうでもいい……!)

 もはや一刻の猶予もない。


「朱莉、逃げ……」

 しかし、朱莉はおびえたように硬直し、息をすることさえかなわないといった様子であった。それを待っていたかのように、『フレイアX』は動いた。

 ――グオッ。

 と、その巨大な口を開け、文字どおり、二人を食らおうと迫る。

(しまっ……)

 殺られる――ッ!

 思わず目をつむる。


 だが、いつまでたっても異常はない。

 恐る恐る目を開けると、『フレイアX』が不愉快な音とともに、もがき苦しむ姿が見えた。

 音が断末魔だと気づくのに、数秒のときを要した。

 そのまえに、夜に紛れるような黒い服を着た男がいる。

 祥子は、その男を知っていた。

 彼が、『フレイアX』を倒したのだ。

 だが、なぜ彼がここに?

 分からない。


 ただ一つ確実なのは、もう“外”のことを、朱莉に隠しておくことが、不可能になったということだ。

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