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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
31/168

”『安全地帯』建立十五周年記念式典”⑦

 尊と『君主』が病院を辞したのは、八時を回ってからだった。


 朱雀総合病院の面会時間は九時までだが、尊は毎日八時過ぎには病院を出ている。その理由は、律子が尊の部屋で夕食を作って待っているからだ。

 むろん、彼がそんな理由で唯との時間を自ら手放すはずもない。唯が帰るように言っているから、しぶしぶ帰宅の途についているのである。

 したがって、妹との団欒のときを終えてしまった兄のテンションは、目に見えて下がっているのであった。


「……あの、柊さま」

 反対に、『君主』のテンションは上がっているように見える。

「今日は、ありがとうございました」

「急にしおらしくなるな。気色悪いぞ」

 最高主権者に対する言葉とはとても思えないが、やはり『君主』は気にした様子などない。どころか、クスクスと笑いだす。

「私、今日は楽しかったです。唯さんとも仲良くなれましたし。柊さまも、いろいろと教えてくれましたし……初めてのことばかりで、すこし不安もあったのですけど、とっても楽しかった」

「……それをよそで言うなよ」

「? どうしてですか?」

「どうしてもだ」

 不思議そうに首をかしげる『君主』だが、

「はい。分かりました」

 深く追及することもなく、笑顔でうなづいた。


 それを横目で見て、尊は内心息を吐く。どうもこの少女と話していると調子が狂う。こういうタイプは苦手だ。

 ――無理に話す必要もない。

 そう思い、無言で歩いていたのだが、その目が、とある人物をとらえた。

「よう」

 軽く手をあげあいさつしたのは、ブランド物のスーツを着崩し、中折れ帽子をかぶった男……瀬戸だった。その手に握られているのはブラックのコーヒーだろう。この男は、たとえ真夏であろうとホットのブラックしか飲まない。

 路肩に止められているのは、警保局長が外出する際に使われる黒塗りの車だ。瀬戸の後ろには、秘書である丹生の姿もある。

 尊の不快気な視線がほんの一瞬丹生をとらえ、しかし丹生はそれだけで体を震わせる。


「ずいぶん仲がよさそうだな。いつのまに関係がすすんだんだ」

「ふざけるな。こんなところでわざわざ待ち伏せるとはご苦労なことだが、俺はこれ以上茶番につき合うつもりはない。家に女を待たせてあるんでね」

「心にもないこと言うなよ。鬼柳ちゃんには連絡しといたから心配するな」

「フン、早手回しご苦労なことだ」

 尊は盛大に顔をしかめて瀬戸を見る。

「そんな顔するなよ……」

 こうも露骨な反応をとられては、瀬戸としては引くしかない。


「学園長? いったい、どうされたのですか?」

 尊の後ろからひょこっと顔を出し、『君主』が訊く。

 瀬戸は口をへの字にすると、すこし困ったような声を出した。

「『君主』。あまり勝手なことをされては困ります」

「あれ……?」

 突然の身バレに『君主』は間の抜けた声を出してしまう。

「学園長? 私は美神朱莉です」

「とぼけてもムダです。事情は西園寺から聞きました」

「そ、そうですか……」

 瀬戸の無慈悲な言葉に『君主』は肩を落とす。


「彼を責めないでやってください。私が無理に訊きだしたのです。それに、彼はあなたをとても心配していました。“美神さんと入れ替わってらっしゃるので、よろしくお願いします”。そう言われましてね。様子を見に来たのです」

「なら俺は無関係だな。帰らせてもらう」

「ダメだ。話はまだ終わってない。最後まで聞け」

「なら、さっさと話してとっとと帰れ。俺は忙しいんだ」

 相変わらず忙しそうには見えないが、そこを突っこんでは話がすすまない。仕方がないので本題に入ることにした。

「分かったよ。『君主』、美神の寮までお送りいたします。どうぞ、お乗りください」


 そう言って、ドアを開けたときだった。

 物陰からおよそ十人の女たちが出てくると、あっという間に尊たちを取り囲み、銃口を『君主』にむける。

「なんだ貴様ら」

 虫を見るかのような視線を周囲にめぐらせ、うんざりした様子で尊は言った。

「尊」

 丹生を守るかのように一歩前に出た瀬戸が尊に目配せをする。


「フン、言われるまでもない」

 意図を察した尊は動こうとするが、

(なんだ、こいつら……)

 妙だ。こいつらは正気ではない。目に生気が宿っておらず、何事かをぶつぶつとつぶやいている。何者かに操られているのか……? だが、こいつらからは……。

「かまうな。全員拘束しろ」

 今度は尊を察した瀬戸が命令を下す。

「チッ。面倒ごとになっても知らんぞ」


 舌打ちをしておいて、つぎの瞬間にはもうすべてが終わっていた。


 尊が『君主』の視界から外れたその刹那、音もなく、全員の女がその場に倒れ伏した。

 女たちが倒れるよりはやく、その中心に一人の少年が降り立つ。

「す、すごい……」

『君主』には、尊がなにをしたのかまったく見えなかった。思わず感想が口からついて出て、

「ま、待ってくださいっ! この人たちは……」

「さわぐな」

 壊れたラジオでも見るかのように『君主』を見ると、

「全員殺してはいない。残念だが、気絶させただけだ」

 と肩をすくめて見せる。


「あとは貴様らの仕事だ。手柄はくれてやる。さっさと警保局の人間をよこせ」

「ご苦労。いま連絡し終えたところだ。『君主』、車にお乗りください。身柄を引き渡し次第、出発します」




 警保局の職員に襲撃者の身柄を引き渡したあと、尊たちはとある場所へとむかっていた。

 朱莉が暮らしている寮……ではなく、『君主』の御所である宮殿にだ。

 それを伝えると、『君主』はまだ帰りたくないとごね始めたが、


「いけません。あの襲撃者たちは『君主』、あなたを狙っていました。その事実がある以上、ここにいていただくわけにはまいりません。宮殿にお戻りください」

「でも……」

「『君主』。あなたは『安全地帯』になくてはならないお方。そのあなたを、危険にさらすわけにはいかないのです。ご理解ください」

 諭すような瀬戸の言葉に、『君主』はうつむく。心なしか、その顔はすこしさみしそうに見えた。

「すでに西園寺には連絡済みです。裏口のカギを開けておくそうですので、そこで美神と入れ替わってください」

「はい……」

『君主』は不承不承うなづくのだった。


 そうして、無事『君主』と朱莉がもとに戻ったあと、

「ご苦労だったな朱莉ちゃん。今日は疲れただろう」

「いえ、いろいろと貴重な体験もできたので……あの、小清水さんでしたっけ……? あの人がいたのには驚きましたけど……」

 酒匂に罪を着せられ、自宅に拘束されていた事務室室長の小清水は、すでに病院を退院して仕事に復帰させられていたのである。


「当然だ。俺がなんのためにあんなつまらんマネをしたと思っている」

 小清水に質問をしたとき、尊はわざと脅すような口調で小清水を尋問した。


 それは、あとから小清水に「あれは脅されて答えた」という言いわけを言わせるための措置だ。そうすれば、あの男の過去の過ちについてはうやむやにできる。なおかつ、小清水に恩を売ることで、宮殿内において西園寺以上の権限を持つ人間とのコネクションを作ることもできた。宮殿から瀬戸に連絡があった大きな理由はそれだ。

 その代償として、小清水は昨日の今日で仕事に復帰することになってしまった。

 もっとも、昨日の今日なのでほとんど仕事らしい仕事はしてはいないのだが。


「まったく、なにからなにまで、とんだ茶番だ」

 尊は心底つまらなそうに言う。

「そう言うな。いい働きぶりだったぜ」

 尊は軽蔑したように鼻を鳴らす。

 その様子に、朱莉は疲れた顔で呆れた表情を作るという、なんとも器用な真似をした。


「学園長、私は本当に大丈夫ですから。心配しないでください」

 そうは言っているが、朱莉の目の下にはすこしクマができている。環境の変化のせいで、落ち着いて眠ることができなかったのだろう。

「相変わらずの偽善ぶりだな。その状態でも仮面を脱ぎ捨てないとは感心に値する」

「柊くんも相変わらずだねえ。それ聞いたらなんか安心しちゃったよ」

 苦笑いではあるが、その声色にはたしかに安堵がふくまれている。


「……フン、張り合いのない女だ」

 尊は不機嫌な調子で吐き捨てた。その理由は、学園長室に連れてこられたからである。入れ替わったあと、話があると瀬戸はここに招いた。

 夜の学園には、夜勤の警備員しかおらず静寂に包まれており、すこし不気味だった。

「話があるならさっさと始めろ。くだらん話だったら、それなりの覚悟はあるんだろうな」

 ソファーに深く腰をかけると、足を組んで早速貧乏ゆすりを始める。

 秘書である丹生を帰しておいて、自分がつき合わされているというのも気に入らない点の一つだ。が、それによってある程度、話の内容を推察することができた。


「星野孤児院のことだ」

 瀬戸はチェアに腰かけ、軽く目を細めると切り口上に言った。

 予想どおりの内容に、尊はフンと鼻を鳴らし、朱莉はハッとした表情になる。

「酒匂の自宅からなにか出たのか?」

 チェアの背もたれに体重を預け、しばらく何事かを考えていた瀬戸だが、やがて朱莉に座るよう促すと、ポツリと言う。

「ある資料が出てきた。“女神育成施設運営報告書”。朱書きでそう記されていた」

「ど、どういう……」

 意味が分からず動揺した様子の朱莉。瀬戸は続ける。


「結論から言おう。

 星野孤児院は、『アドラスティア』が崇める『女神』を育てるための施設だった」


「‼」

 朱莉は驚いたように目を見張る。

「……防衛省が『アドラスティア』とかかわりを持っていた、ということか?」

「違う」

 瀬戸ははっきりと、断言する。


「この件に、『アドラスティア』は関係ない。こいつは十五年前から、政府主導で行われていた極秘事項だ」

「どういうことだ」

「順を追って話そう」


 十五年前、新興宗教『アドラスティア』は、信者を増やし、着々と勢力を伸ばしていた。かねてから彼らを監視していた警察庁警備局は、いちはやく不穏な動きを察知し、協力者の力を得て、ひそかに数名の信者を拘束して取り調べを行った。

 結果、彼らが崇める『女神』フレイアとなる者、その条件が明らかになった。


 一つ、十八歳以下の処女であること。

 二つ、信仰心を持っていないこと。

 三つ、邪念を持っていないこと。

 四つ、慈悲深い心を持っていること。

 五つ、自己犠牲精神を持っていること。


 以上を持つ者のみが、彼らが崇める『女神』たる人物なのだという。

 拘束した信者は、取り調べ中の事故で死亡。死体は、変死体として偽装され都内に遺棄された。

 あの事故が起きたのは、その直後だった。


『ダークマター』の暴走により、日本国は未曽有の大惨事に見舞われることとなる。

『フレイアX』の存在が確認され、『安全地帯』の建設が急がれるなか、警備局からもたらされた情報をもとに、政府はとある計画を立案する。


 すなわち、“条件を満たす少女を育て上げることで『女神』を創りだす”という計画だ。


『女神』を創りだし、それを『アドラスティア』との交渉材料にする。

 そのための施設が星野孤児院であり、朱莉はその“実験体”にして、唯一の生き残りだった。

 防衛省による『フレイアX』のウイルス研究は、真の計画を隠ぺいする隠れ蓑だったのだ。


 朱莉は驚きのあまり声も出なかった。

 考えたくもないのに、脳が勝手にいままでの自分自身を振りかえっていく。

 自分が尊の暴挙を笑って許しているのは、“慈悲深い心”を持っているから?

 以前の事件で、瀬戸が自分を、孤児院を利用したことを知ってなお許したのも?

 孤児院をめちゃくちゃにした律子を許したのも?

 全部、“慈悲深い心”を持っているから?

『フレイアX』に殺されそうになっていた少女を助けたのは、“自己犠牲精神”を持っているからだというのか?

 今回の件に協力している理由もそうなのか?

 朱莉の世界がグニャリと歪む。

 たしかに自分は、信仰心も持っていないし、邪念もない。

 じゃあ、自分は?

 美神朱莉という少女はいったい……。


「くだらん」

 思考の迷路に入りこんでいた朱莉をあざ笑うかのように、尊はつまらなそうに吐き捨てた。

「人間の人格を形作るのは、積まれてきた経験、そしてそれに対して自分がどう思ったかだ。どんな思想を根づかせたところで、孤児院という閉鎖空間を離れたいま、それはもはや犬ほども役に立たん」

 突然のことに、朱莉は目を(しばたた)かせる。

 ひょっとして、渇を入れてくれたのだろうか、と思うまでに数秒かかった。

 そう思うと、なんだか妙におかしくて笑い声がこぼれてしまう。


「なにがおかしい」

 尊は仏頂面で言った。

「うぅん、なんでもない。ありがとう、柊くん」

 これには、そっぽをむき、フンと鼻を鳴らしただけだった。

「朱莉ちゃん、いま言ったのは、こういう実験が行われていたっていうだけの話だよ」

「だったら、なぜそんなくだらん話をしたんだ? つまらない話はするなといったはずだが」

「物事には順序ってものがあるんだよ」

 瀬戸は口をへの字にして言った。


「見つかった文書の件だが、これは俺のところで情報を止めている。いまの段階でこのことを知っているのは、数名の警保局局員を除けば、俺たち三人のみ。

 本来、秘匿されるべき機密を知っている人物が死んだんだ。これからさき、『元老院』をはじめとする当時の政府関係者たちが、朱莉ちゃんに接触してこないとも限らない。そのときのために、知っておいたほうがいいと思ってな」

「フン、それがムダだというんだ。話は終わりだな? なら、俺は帰らせてもらうぞ」

「待て。ここからが本題だ。帰ってもらっちゃ困る」

 瀬戸はデスクの引き出しから一束の書類を取り出すと投げてよこす。


「つぎのおまえの仕事だ」

「貴様ふざけてるのか? 俺は仕事を終えたばかりだぞ。ほかのやつにやらせるのが普通だろう」

「おまえにやってほしいんだよ。そう言わずに読んでみろ」

 尊は大きく舌打ちしたかと思うと、ソファーに座ったままのろのろと手を伸ばし、

「手が届かん。困ったな、読みたいのに読めない。ほかのやつに頼んでくれ」

 そう言ったかと思うと、眠そうにアクビをする。

 これには瀬戸も呆れた顔をむけるしかない。

 もちろん、その程度で尊の態度が変わるはずもないのだが。そんな彼の視界に、ある書類が現れた。

 見かねた朱莉が、デスクから書類をとって尊のもとに届けたのである。


 そこにはこう書かれていた。

 “今月の玄武地区視察について”。

「なんの真似だ」

 いやそうな視線で朱莉を見ると、彼女は諭すように言う。

「ダメだよ、柊くん。学園長が頼むって言ってるんだから、せめて読むくらいしないと」

「チッ。俺は一仕事終えたあとだぞ。息抜きくらいさせろ」

「そう言うなって。ただでとは言わないぞ。休暇をやる。休暇と、この間のボーナス。これで唯ちゃんと旅行にでも行ってこい」

 どうだ? とでも言うように、瀬戸はニヤリと笑う。

 尊はすこし考え……。


「日数は?」

「そうだな、五日でどうだ?」

「一週間だ」

「……すこし多くないか?」

「絶えず働いてやるんだ。そのくらいの融通はきかせろ」

 瀬戸はしばらく渋い顔で尊を見ていたものの、

「分かったよ」

 根負けしたように肩をすくめた。

「じゃあ、今度こそ読んでくれ」


 今度は尊が渋い顔をする番だった。

 うけると言ったはいいものの、早速面倒くさくなったことが、瀬戸には手に取るように分かった。

「読むのが面倒くさい。口頭で説明しろ。要点をかいつまんでな」

 瀬戸はもはや言葉もでない。朱莉も呆れた目で尊を見ているが、当の本人はソファーにふんぞりかえっている。

 まあいいだろう。受けると言っているんだ。

 このままではいつまでたっても話がすすまない。仕方なく、瀬戸は説明をしてやる。


『安全地帯』を構成する四つの地区の一つ、“玄武地区”は、地区長の朝桐によって、独裁的な運営がなされている。

 高い税金を徴収し、他の地区との交流も禁止されているため、もっとも特色の強い地区でもある。

 暴動が起こらないのは、朝桐の私設軍隊である『シュトラーフェ』の存在があるからだ。『銀狼』を所持している者もおり、海外の特殊部隊に籍を置いていた者も所属しているため、戦闘能力も高い。

 さらに、玄武地区はその敷地内に外務省が設置されており、特定の国との貿易の窓口となっている。輸入された物資はまず玄武地区をとおし、宮殿に支給されたのち、各地区へと売りだされる手はずだ。

 その『安全地帯』での特許を得ることで、朝桐は莫大な財産を築いた。


 瀬戸は尊には言ったと思うがと前置きし、

「朝桐は、総理秘書官として官邸に出向し、各国大使を歴任して、事務次官まで勤めあげた典型的な外務官僚でな。いまはもう退官しちゃいるが、まだ外務省内では強い影響力を持っている。行われている貿易は、そのときの人脈で成り立っている。いま他国の商品を俺たちが使えているのは、やつのおかげってわけだ」

 最後の言葉には、吐き捨てるかのような響きがあった。

 朝桐の経歴については、たしかに以前聞いたことがある。

 尊が『騎士団』の小隊長となったとき、有権者たちとの顔合わせのため、瀬戸は嫌がる尊を引きずってあるパーティーに出席した。それが朝桐との初めての対面であり、同時に訊いてもいないし聞きたくもないのに、簡単な説明をされた。

 そのときは鼻先で笑い飛ばして、冷たい一瞥をくれてやったものだが……。


「だから俺たちも、朝桐のすることには強く言えなくてな。だが、なにもしないってわけにもいかない。そこで苦肉の策として、“中央省職員による月一回の視察”を認めさせたのさ」

「フン、それがコレか」

 まさか、こんな形で巻きこまれるとは。尊はテーブルに置かれた書類に視線をはしらせ顎さきで指す。

「そういうことだ」

「要するに、貴様は行きたくないわけだな」

 尊はすべてを見透かしたかのように笑う。

「視察は絶対に行う。それも中央省の警保局で、欲を言えば自分の息のかかった人間によって行う。だが自分は行きたくない。そこで俺か」

「……仕方ないだろ。俺は昔から外務官僚が嫌いなんだ。あのいかにも“官僚です”って顔がな、見てるだけでイライラするんだ」

「貴様が嫌いなのは防衛省じゃなかったか? そもそも、貴様も官僚だろう」

「そう。だからな、連中のことが嫌でも分かるんだよ。尊、ついでにいいこと教えてやる。警察官僚ってのはな、法務省と防衛省と外務省が大嫌いなんだ」

 いまは関係ない組織に流れ弾を当てておいて、瀬戸は疲れたように続ける。


「とにかく、よろしく頼むぜ。それと朱莉ちゃん、今回の視察は、君にも参加してほしいんだが、いいかな?」

「私、ですか……」

 自分が指名を受けるとは思っていなかったのか、朱莉は不思議そうな顔になる。

「フン、残念だったな。自分には関係ないからと、俺に好き勝手言ったバツだ」

「べつに好き勝手言ったつもりはないんだけど……」

 こうしたやり取りに慣れてきた自分がいやになりつつ、これ以上瀬戸に気苦労をかけないよう、笑顔で言う。

 おそらく自分は、尊が余計なことを言ったりしたりしないよう監視する、いわば“お目付け役”だろう。

「はい、分かりました。私でよければ、やらせてください」

「助かるよ。ありがとうな」

 尊とは正反対といえるその言葉に、感極まった瀬戸は泣きそうになってしまう。


「朱莉ちゃんにもボーナスはずんでおくよ」

「そ、そんな……いいですべつに……」

 朱莉は手をふって辞そうとするが、

「そう言うな。せめてもの気持ちだからうけとってくれ。そうしてくれると、俺が満足する」

「は、はい……じゃあ、お言葉に甘えて……」

「くだらん押し問答はいい」

 尊はイラついた様子で床を蹴った。


「玄武地区を視察してくればいいんだな?」

「ああ。そうだ」

 と瀬戸は思い出したように言う。

「二人とも、好きな食べ物を教えてくれ」

「好きなもの……ですか?」

「ああ。朝桐のお達しでな。ごちそうを用意しておくそうだ」

「ごちそうね……まったく、ご苦労なことだ」

 月に一度の視察。

 これに関しては、圧倒的に朝桐の立場が強い。この視察も、彼にしてみれば“認めてやった”というところだろう。

 ごちそうを用意しておく……。

 つまりは、もてなしてやる、ということだ。

 有利な立場を築いておいて、上から目線で物事をすすめる。なるほど、瀬戸が連中を嫌っている理由もわかるというものだ。


 しかし、その当の本人は、

「そう言ってやるな。まあ、一泊二日の視察だ。いい機会だから、楽しんで来い」

 などと、ニヤリと笑ってうそぶくのだった。

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